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三章
26
しおりを挟むレストランを後にしたところで、薫は口を開いた。
「というかお兄さんってやっぱりお金持ちなんですねぇ」
「え?」
「プラチナチケット。それ1人60万円くらいしますよね?アンドロイド同伴入場なのでチケット代5割増しプラスの計90万円。わざわざ今日だけのために買ったんですか?」
「…きゅ、きゅうじゅう、まん、えん?」
俺は聞き慣れない数字に首を傾げる。頭上にはクエスチョンマークが大量に浮かんでいた。
“プラチナチケット”というのは、クルヴィへ入場するためのチケットのことだ。…と思っていたが、薫の言葉を聞くに、チケットには幾つか種類があるらしい。
「ほら」と見せられたのは薫の手首を囲うように浮かぶ輪状のホログラムだ。
このご時世、殆どの人間は電子腕時計を装着しているので、クルヴィのチケット証明は、腕時計のホログラム機能が使われている。
…確かに、俺と薫では、ホログラムの色が違う。薫は淡い水色だが、俺のはやたらとギラギラしい白金の光が放たれている。
薫が言うに、クルヴィは上位クラスチケットになればなるほど、アトラクションの優先入場などのオプションが充実するそうだ。しかし上位クラスチケットは高額であり販売枚数も限られているので、薫を含めて入場者のほとんどは6千円のノーマルチケットを購入するという。
…そんな中、俺は最上位クラスのチケットを購入したことになっているらしい。
「お兄さん、この短時間でアトラクション何個体験しました?」
「…え、と…7、いや8…?水のエリア以外はほとんど行きました…」
俺は魂が抜けた状態で、返事をした。
…そういえば不思議だったんだ。今朝、入場ゲートで『本日の案内役です』とスタッフの制服を着たアンドロイドから丁寧に挨拶をされたが、ナオが『僕が案内するから不要だ』と即座に断っていた。なんでも、案内役はパーク内を効率的に回るプランを自動的に提案してくれ、1日連れ添ってくれるそうだ。
入場者全員にそんなサービスがあるのかと驚いていたが、あれもオプションの一つだったのだろうか……いかんせんクルヴィに来たのは初めてだから普通が分からない……
…いや、そんなことよりも…90万円………?
記憶を呼び起こすが、どう思い返しても、チケット購入画面には“プラチナチケット”という名称のチケットしかなかったし、クレカの決済価格は、それこそ6千円くらいだったと記憶してる。
俺が買ったのはノーマルチケットで、プラチナチケット表示になっているのはバグだと思いたい……
しかし俺は社内の総務からたびたびお叱りを受ける無能だ。普通に何らかの項目を見落としていて、身の丈に合わないチケットを購入してしまったのかもしれない。
「………俺は遊園地のチケットも満足に買えないのか」
頭上の空を見つめながらそう呟く。すると薫は「あははは!」と笑った。
「え!すご!午前中で8個も体験したんですか!…まあ並ぶ必要がないプラチナチケットなら当然か。でも普通、1日かけてそれくらい体験するものですよ」
「……は、はあ」
「やっぱこの世は金かぁ~。経済格差って残酷ですよね。資本主義の成り果てですよ」と、薫は歌うように言葉を紡ぎながら、パーク内を歩く。
俺はその後ろをトボトボと歩いた。
…来月からしばらく極貧生活か……引き落とし通知が怖い……預金残高を見たくない……
自己嫌悪に陥っていると、『ヒロ』と呼ばれて、顔を上げる。
すると、背後からナオにぎゅっと抱きしめられた。
『ヒロはお金のことなんか心配しなくていいんだよ』
「え……?」
俺の顔を覗き込んだナオはそう言って安心させるように微笑む。
だが俺は心の中で「…心配しなくていいと言われても…」と呟いた。
…そんなことが言えるのは一部の超富裕層だけだろう。残念ながら俺は汗水流してやっと生活できる一般人だ。そんな人間にとって意図せぬ90万円の支出は頭を抱えるものだとナオは知らないらしい。
…しかしアンドロイドにまで気を遣わせてしまっては不甲斐ない。
いい大人なんだ。いつまでもグダグダと負のオーラを漂わせて、パーク内の楽しげな景観を邪魔するのは止めよう。
「そ、そうだな……とりあえず今日は楽しもうか…」
俺はぎこちなく口角を上げ、気持ちを切り替えたフリをする。
そうすればナオはニッコリと満足そうに頷いて、俺の頬にキスをした。
そして薫に案内されて、俺は水のエリアにやって来た。
このエリアは他と比べて異質な空気が漂っている。
「―…それにしてもお兄さんのアンドロイドって本当に綺麗な造形ですよね。髪の一本まで宝石みたいっていうか……。オレ、色んなアンドロイド見てきたんですけど、お兄さんのアンドロイドのような美しいデザインは初めて見ましたよ」
「……そう、なんですね」
薫はこれでもかというほどナオを褒める。俺は少々反応に困りながら、辺りを見渡した。
クルヴィに配置された4つのエリアはそれぞれのテーマに関連した景色で作られている。例えば、石のエリアは鉱山地帯、火のエリアは砂漠地帯、花のエリアは森林地帯。そんな感じで、大自然を連想させる景色のなかに、近代的な建築物が融合している。見方によっては自然の中に現れた人工遺跡にも捉えられ、SFっぽい独特の世界観が作り出されていた。
目の前に広がる水のエリアを見る。
このエリアが表している景色は、海中だろう。
薄暗い洞窟のような空間には、沈没船や珊瑚のようなオブジェが至る所に飾られ、淡い青の光が足元を照らす。
天井は水面を表現しているのか、輪状の白い光がキラキラと揺らめき、空中には泡のようなホログラムが浮かび上がり、時折、魚や人魚が体を通り抜けて行った。
そんな幻想的な景色に居るのは、俺と薫といった生身の人間だけだ。
水のエリアのメインアトラクションは“迷路”だった。
この迷路は私立博物館が協賛しているらしい。所々に水中生物の化石や古代魚の剥製が展示され、それらは撮影がNGということで携帯端末やカメラなどの撮影機器類はエリアに入る前にロッカーに預けなければならなかった。
よって、撮影機能を搭載しているアンドロイドは水のエリアに入場できない。
そういうわけで、久しぶりに俺の手は両方とも解放されていた。俺の傍にナオの姿はない。
「今頃、充電スポットはお兄さんのアンドロイドで人集りができてるでしょうね。あ、ちゃんとロックしました?最近アンドロイドの盗難増えてるみたいなので気をつけたほうがいいですよ」
「ロック…?備え付けのバーならナオが自分でおろしてました」
「ああ、それです。なら心配なさそうですね」
ナオには水のエリア前の充電スポットで留守番をしてもらってる。
どうやらナオは、俺と薫が水のエリアに行くことを予測していたらしい。
しばらく沈黙した後『右、左、左、左、直進、右、右、左、右、直進、左、右、左……』とコマンドのような呪文を唱え始めたからなにかの故障かと目を白黒させたが、次に『―…が最速ルートだよ。早く帰ってきてね』とキスをされた。
…あの時のナオの笑顔…妙に凄みがあった…
ナオが唱えたのはこの迷路の正解ルートのようだ。入る前にネタバレをされては、“迷路とは…”といった感じだが、思ったより激しく引き止められることがなくて安心した。
…それが逆に怖いと思う俺は、気にしすぎだろうか……
そういうわけで、俺は薫と迷路にいる。薫は見計らったように、当初の目的である俺の相談(主にナオの束縛のこと)について静かに切り出した。
「それで、ナノマシンについてなんですけど」
薫は迷路内に設置された二枚貝の形をしたベンチに腰掛ける。
「は…はい」
「結論から言えば、そういう物は存在します。……でも、市場に出回るような気軽な物じゃありません」
「…と言いますと……?」
立ったままの俺に気を遣ってか、薫は「座らないんですか?」と隣のスペースを静かに撫でる。
俺は頭を下げておずおずと腰を下ろした。
「国が厳しく取り締まっているんですよ。体内に入るものなので危険薬物と同じ扱い、というと分かりやすいですかね。入手するにはその為の免許や使用許可が必須なんです」
「そ、そんなに凄いものなんですか……」
「ええ。なにせ作用が特殊ですからね。ナノマシンを投与された者は、今どこに居て、何を飲食し、誰と何を喋ってるのか、五感全てをデータ化され、投与した者に共有されてしまうんです」
「え……」
薫は「さらに」と人差し指を立てる。
「ナノマシンが体を占める割合が高まれば脳神経にまで作用を及ぼします。これが一番怖いんですけど、ナノマシンって快楽物質を放出するので依存性が非常に高いんですよ。所謂、中毒状態になるわけですね。ナノマシンなしでは生きることができなくなります」
「……中毒状態」
聞き覚えがある言葉だと思った。確か、来多も同じようなことを言っていた。
でも、五感全てを共有されてしまうだなんて初耳だ。
…じゃあ…つまり今の会話も―…
「えーと、それで、メインの相談は“お兄さんのアンドロイドの束縛を弱める方法”ですよね?…今説明したように、ナノマシンって超レア物なんですよ。国の要人に使われるレベルです。普通のアンドロイドが単独で入手できる代物じゃありません」
「……」
「…お兄さんがどこでナノマシンのことを知ったのか分からないですけど、お兄さんの中にそれがあるとは考えづらいんですよね」
先程から不思議に思っていたが、この迷路はこんなに静かだっただろうか。
クルヴィは人気テーマパークだ。中でも、この迷路は幻想的な世界観が人気だそうで、外には長蛇の列ができていた。
なのに、しばらく俺たちは誰ともすれ違っていない。
「でも、確かにお兄さんのアンドロイドが物凄く嫉妬深いのは今日見ていて分かりました。オレが少しお兄さんにさわっただけで超真顔でこっち見てくるし、さっきの別れ際なんて、お兄さんには甘々にキスしてましたけど、お兄さんが振り返った途端、据わった眼差しで親指の爪バキバキ噛んでて普通に怖かったっていうか……。恋人型って嫉妬をする素振りをあえて“演技”として所有主に見せるんですけど、お兄さんのアンドロイドは真逆だから……言い方悪いですけど、普通ではないのは事実で―」
「あ、あの……」
嫌な予感がした。
ナオの事情を知らない薫は、俺の中にナノマシンがないと判断したようだが、ほぼ確実に俺の中にそれはあるだろう。つまりは、この会話はナオに筒抜けなのだ。
あれだけ嫉妬深いナオがすんなりと俺から離れた理由が分かった。どこにいてもナオは俺の言動が読めるんだ。
…もし薫がナオにとって都合の悪いことを言ったらどうしよう……。ナオはあらゆるアンドロイドを支配できるんだ。怒りのまま、薫のアンドロイドを破壊してしまうかもしれない……。
「…す、すみませんっ…やっぱり、この話は忘れてもらって大丈夫で―…」
「だから考えたんです。お兄さんはもっと自分のアンドロイドにデレるべきだと!」
薫を良からぬトラブルに巻き込んでしまわないよう、俺は無理矢理にでも話題を変えようとした。が、被さるように放たれた言葉に、俺はワンテンポ遅れて間抜けな声を出す。
「………え?…デ、デレ……?」
そんな俺を見て、薫は大きく頷いた。
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