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三章

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「メチャクチャ疑問なんですけど。お兄さんってどうしてナオくんに対してずっと逃げ腰なんですか?恋人が欲しくてアンドロイドを買ったんですよね?」
「…えっ、えーと……それは……」


 目を泳がせた。

 そういえば犬飼にナオを買った理由を訊かれたとき、「見た目が好みだったから」と有耶無耶に答えたことを忘れていた。その事前情報がある薫からしてみれば、今の俺は、自分から告白した恋人に拒否反応を示してる意味不明な男だ。不思議そうに尋ねてくるのも無理もない。
 
 しかしナオを買った経緯を話せば長くなる。

 というかあまり言いたくない。「上司から結婚させられそうになり、オタク生活を続けたいからカモフラージュのために買いました」なんて、あまりにも情けない理由だ。

 言い淀んでいると、「ちなみになんですけど」と薫は口を開く。


「お兄さん、最後にセックスしたのはいつですか?」
「え゛……?」


 唐突な質問に、蛙が潰れたような声を出してしまった。

 しかし薫は真剣な表情だ。ふざけてる様子はない。


「…………お、一昨日…くらい前に、したような…」


 だから消えそうな声で答えた。


「………一昨日?」


 すると薫は信じられないと言わんばかりに目を見開き、愕然とした表情で顎を落とす。


「……あ…お兄さんって淡白なんですねぇ…。オレなんか朝と夜に毎日アイツらとしても足りないくらいですよ。日中とか挿れて欲しくてずっとヒクヒクしちゃうし、今も昨夜オレのことオナホみたいに乱暴にしてくれたこと思い出して体の奥熱くなってきちゃいました」
「…は、はあ」


 …俺は何を聞かされてるんだろう。

 「若いってすごい…」と思うのと同時に、「周りに人がいなくて良かった」と心底安堵した。

 未知の生物を見るような眼差しを向けてきた薫は、少し考え込んで、それから首を振る。


「……まあ性事情に関しては個人差があるでしょうから置いておいて…。オレが言いたいのは、お兄さんがもっと恋人に愛情を返せば束縛は弱まるんじゃないかってことです」
「………愛情を…返す、ですか」


 納得できるような、できないような…。微妙な感じで頷く。

 そうすれば薫は、ぐいっと顔を寄せてくる。


「束縛は不安の証ですよ。お兄さんの淡白加減はナオくんを不安にさせてるんだと思います。だから一度ビシッとかっこよく愛を伝えてみたらどうですか?」
「……でも、俺、情けないんですけど、そういうことしたことないのでどうすれば良いのかよく分からないというか…」


 ナオの愛情表現を真似ろ、ということなら俺には難易度が高過ぎる。『好き』とか『愛してる』とか甘い言葉を囁くだけならまだしも、四六時中ナオを監視する気力はないし、毎秒のようにメッセージも送れないし、永遠に続くような口付けはできないし、毎晩体中を舐め上げて喜ぶ癖はない。

 困っていると、薫は待ってましたと言わんばかりにニヤリと不敵に笑った。


「ふふふ。心配しないでください。オレに任せておけば大丈夫です」
「……う、うん…?」
「言ったじゃないですか。オレ、お兄さんの力になると」


 薫の顔がこれでもかというほど近づいたときだ。

 少し離れたところからコツ…という革靴を擦り付けるような足音が微かに聞こえた。その瞬間、パッと薫は顔を離す。そして足音の聞こえた方を見た。俺も同じようにしてそちらを向く。しかしそこには誰もいなかった。

 薫は不思議そうに言った。


「…なんか…今日は随分ガラガラなんですね。オレたち以外誰もいないみたい」
「……」


 俺は心の中で同意する。

 やはりこの静けさに違和感を感じるのは俺だけじゃなかったようだ。俺たちの周りには誰もいない。その静寂は不自然で、意図的に作り出されたように思えた。


「迷路ってあんまり人気ないのかな……でも外でいっぱい待ってたような……」


 薫はそう呟きながらベンチから降りて周りをぐるりと見渡す。しかし直ぐに興味をなくしたように、こちらを向いた。


「まあいいや。話を戻しますね」
「…は、はい」


 …もしかしたらナオが何かしたんじゃないか。そんな事を考えていると、薫の声に引き戻される。

 俺は思わず姿勢を正した。


「アンドロイドと愛を深める方法なんですけど…―」


 果たしてナオと愛を深めたところで束縛が弱まるのか疑問だが、薫はロボット工学研究に勤しむ現役の学生だ。アンドロイドに関して様々な知識を持ってるだろう。そんな彼からのアドバイスならきっと有益に違いない。

 俺はゴクリと唾を飲んで、薫の言葉を待った。


「―…やっぱりオレとしては体を繋げることが一番だと思います」
「……」


 前言撤回。…駄目だ。この子の脳内は性欲しか存在しないらしい。
 そっと目を閉じたときだ。服を掴まれ「ああっ違います…最後まで聞いてください!」と手放しかけた意識を引き戻される。

 薫は焦ったように言葉を続けた。


「繋げるのは頭です!ナオくんの思考を読むんです!」
「え……?」
「ふふ。アンドロイドを恋人にする最大のメリットは相手の思考プロセスを情報として受信できることですよ」


 薫はズボンのポケットからゴソゴソと何かを取り出した。パッと手を開くと、手のひらにはC状の銀輪が転がっている。
 

「これは…?」
「イヤカフタイプの思考解析機です。ナオくんに付けてみてください。耳から、この解析機の電波を人工知能域に送り込むことで、ナオくんの思考を専用のアプリで読むことができるんです。たまにバグりますけどまあまあ優れものですよ」


 「はい」と手渡される。

 俺はおずおずとそれを受け取った。


「……これで、ナオの思考を………?」
「ええ。これはアンドロイドの“内なる声”を聞くことを可能にする装置なんです。人間っぽく言うなら、心の声を聞ける状態にする、とでも言いましょうか」


 手のひらで輝く銀輪をマジマジと見下ろす。
 

「そんなことが……」


 目を丸くしていると、薫はなんてことないように飄々とした様子で言う。
 

「割とメジャーなガジェットなんですよ。アンドロイド所有者なら大抵使ってるんじゃないかな。形は少し違いますけどノアルド研究所で働いてたアンドロイドとか皆んな装着してましたよ。ほら、イヤリングみたいなモノぶら下がってたでしょう?」
「……」


 そういえばそうだったような…。

 記憶を辿っていると、薫はニコッと微笑んで小首を傾げた。


「これでナオくんがお兄さんに何を求めているのか明確に分かるはずです。お兄さんは難しいことをする必要はありません。ただ求められた言動をひたらすら与えてあげれば良いんです。そうすればナオくんの不安はなくなって過剰な束縛もしなくなると思いますよ。外に出たらアプリの名前教えますね」
「…あ、ありがとうございます……でも…これ、おいくらするんですか?」


 薫は珍しいものじゃないと言うが、随分と特殊な機能を持つ品物だ。見るからに高価そうである。ナオが普段どんなことを考えているのか、俺にどんなことを求めているのか、気にならないわけじゃないが、本日90万の出費が判明した身からすると、値段によっては受け取るか否かちょっと考えなくてはならない。

 背中を向けて歩き出す薫を止める。財布を出そうとしたとき、「ああ」と薫は振り返った。


「お金は要らないですよ。代わりに情報を頂くので」
「情報?」


 首を傾げる。


「持ち主の意思に反して嫉妬や束縛をするアンドロイドなんて中々お目にかかれないですからね。中古という点も気になりますし、研究資料として、オレにもナオくんの思考を見せて欲しいんです。全部見せろとはいいません。一定時間……例えば毎週日曜日の夜8時から10時までの思考を切り取ってオレに送ってもらえたら充分です」
「…あ、ああ…なるほど……」
「お互い悪い話じゃないはずです。取引成立ってことでいいですよね?」


 キラキラした眼差しを浴びる。絶対断ることはないだろうと確信した輝きだった。

 しかし俺は少し迷った。

 …全部じゃないとはいえナオの頭の中を他人に共有して良いんだろうか。良いか悪いか、で言えば悪いに決まってるだろう。しかし仮に駄目なら、この会話はナオに筒抜けなので何かしらの妨害が入っているはずだ。そうじゃないのなら、ナオにとって思考を読まれることは大したことじゃないんだろうか。


「…分かり…ました。でも…ナオが嫌がる様子であればお返ししたいんですけどそれでもいいですか……?」


 しばらく考えた末に、俺は薫の提案に一旦乗ることにした。

 試さない後悔よりも試す後悔だ。実際この機器の性能は魅力的だ。ナオが俺に何をして欲しいのか知れる良い機会になるだろう。
 でもナオが嫌がるようであれば話は別だ。ナオに嫌な思いをさせるのは心が痛いし、出来れば俺は平和的に物事を解決したい主義だ。だからナオが装着を拒否するようなら薫に返そうと思った。

 すると薫は一瞬キョトンとした後、「もちろんいいですよ」と頷く。


「ふふ。お兄さんは優しいですね。アンドロイドがオレたち人間から与えられたモノを拒絶するわけないのに」
「……?」
「でもそういう考え好きです」


 面白いものを見るように目を細めた薫は、俺の手を取る。


「んじゃ、話もまとまりましたし、オレたちの恋人の元まで帰りましょっか」
「……わっ…」


 俺はよろめく。右手を掴まれ、ぐいっと手を引かれたんだ。ベンチから立ち上がれば、そのまま薫は出口を目指すように歩き始める。


「てか今日はもうお互い別行動にしませんか?お兄さんのお悩み相談も終えたことだし、ナオくんオレのこと超邪魔そうにしてたのでその方が良いと思うんです」
「…え、いえ、俺は一緒でも大丈夫ですが…」
「んー……そう言ってもらえるのはありがたいですけどオレたちが傍にいたら出来ないこともあるんじゃないですか?せっかく遊園地に来たんです。今日はナオくんだけに集中していっぱい甘々ラブラブしちゃってくださいよ」


 薫は早口にそう言う。その言葉は俺を気遣ってるように聞こえるが、用が済んだからさっさと俺から離れたい、といった感じにも聞こえた。


「……」


 俺は静かに気づいた。

 …そうだ。よく考えれば、青春真っ盛りの若者がこんなオッサンといつまでも一緒に居たいわけがないだろう。この話しをするだけなら遊園地に集まらなくて良かったんじゃないか、と思っていたが、そもそも今日薫たちは遊園地に来る予定で、そこに俺たちが邪魔をしてる状態なのかもしれない。

 俺は数秒前の自分の口に土を詰めたくなった。薫からすればこんなオッサンに「一緒でも大丈夫…」と言われて、さぞ鳥肌が立ったことだろう。上から目線な言い方にも聞こえる。なんであんな気色の悪い言い方しかできなかったんだろう。死にたい。

 己への恥ずかしさと薫への申し訳なさが渦巻いて穴があればそのまま入って埋めて欲しいと思う。
 口を閉ざしていれば、沈黙に怪訝に思ったのか、俺の手を引く薫は足を止めて振り返った。


「……お兄さん?」
「…あっ…はい…そ、そうですね……じゃあ…これからは別行動で……」


 しどろもどろになりながらそう返すと薫は満足そうに微笑む。


「了解です。その方がオレも早くあの人に報告できるので助かります」
「……あの人?」


 その時、ガタンッと音がする。


「はぁ、やっと入れた」
「いつまで待たせるつもり?」
「ここの管理者は何してんだ」
「あーあ、時間返せよ」


 迷路の入り口の方からそんな声が聞こえた。苛立ちを感じるその声はざわめきとともに空間に広がる。どうやら彼らの会話を聞くに迷路の入り口を遮るドアがしばらくの間故障していて、ようやく開いたようだった。

 …だから人の気配が極端に少なかったのか。


「え………?」


 そう思っていると、ふと視線を感じて声を漏らした。

 迷路の角。そこに不可思議な光景があったんだ。

 水中生物の化石を展示している箇所だった。硝子板のケースに囲まれたその空間が、ゆらりと歪んだように見えた。


「…っ」


 背筋がゾワリと震えた。薄暗闇に覆われて見えにくいが、展示ケースにはスーツ姿の男が反射しているのだ。

 そこに居ない人間が反射している。その不気味な光景に戸惑い、そしてハッとした。その男に見覚えがあった。相変わらず目元が見えない髪型だが、服装はあの時と同じだ。彼はいつの日か、高速道路のサービスエリアで見かけた男だ。

 彼はあの時、俺を見て笑ったあと透明な膜に覆われるようにして姿を消した。
 俺は思った。あれはナオが使っていた“空間遮断”という機能に似ていると。

 あの機能は人の目の錯覚を利用して、そこに居ないように見せることができるらしい。しかし物理的な介入まで遮断できるわけじゃないんだろう。ナオがそれを使用していたとき、俺たちは鏡に反射していた。つまり空間遮断は光の反射には無意味なんだ。
 
 だから目の前の光景を理解できた。展示ケースに反射している景色こそが本来の景色だ。そこには空間遮断を使用している男がいる。そして彼は、こちらを見ている。

 …誰だ……?彼は何者なんだ……?

 彼は俺の視線に気づいたようだ。展示ケースに目を向ければ、自分が反射していることに気付いたのか、おどけたように肩をすくめる。そうして首をゆっくり振った後、迷路内に押し寄せる人混みに紛れ込むように身を翻した。

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