偽りだらけの花は、王様の執着に気付かない。

葛葉

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第二章

第11話

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「ノア! 聞いてくれ、子どもが産まれるんだ!」
 ジョルマンから喜びの報告を聞いた時、執務室にいたノクアルドは思わず立ち上がった。
「そうか! おめでとう、ジョー!」
「ありがとう……って言っても産まれるのはまだ先だけど」
 それでも、我が子に会えるのが楽しみだということがその表情から伝わる。
「だとしても、産まれたらちゃんと祝いたいから、報告、忘れるなよ?」
「うん。……それでさ、産まれてからすぐってわけじゃないんだけど、一度領に戻ろうと思うんだ」
「キャロー領にか?」
「そう。アリアの療養も兼ねて」
 聞けばアリアの出産予定は春先だという。夏の王都は暑くて過ごしにくいが、王家の避暑地にもなっているキャロー領の公爵家本邸であれば出産後の女性や赤子にも過ごしやすいだろう。
「それは構わないが、アリアは大丈夫か?」
「今のところ。悪阻は辛そうだけど、初産だし、アリアは身体あんまり丈夫じゃないし、キャロー領ならローゼリア家も近くにあるから、少しは身体が休まるかなって」
 優しいジョルマンらしい気遣いにノクアルドも納得する。
「そうか。冬になる前には戻るんだろう?」
「そのつもり。王都の方が暖かいし、アリアや赤ん坊の様子を見ながらだけど」
「わかった。お前もここ最近、あんまり寝ていないだろう。少しは休んだほうがいい」
 年が明けて春に向けて忙しくなる時期。
 1年ほど前に宰相位ついたばかりのジョルマンは慣れないこともあり、休日もなかなか休ませてやれなかった。
 春の祭典が終われば多少は落ち着く。王太子の権限ではあるものの、多少の融通は利かせられる。
「ああ、ありがとうノア」

 春の祭典が終わり、もうすぐ夏になる。
 肌が汗ばみ始めるころ、キャロー公爵夫妻の間に男児が生まれた。
 アリアの出産中はうろうろと邸内を落ち着くことなくうろついていたジョルマンが、2人に会うことを許されたのは2日後のことだった。
「アリア!」
「あら、あなた。どうしました? そんなに血相を変えて」
 赤ん坊を抱いたアリアが不思議そうにジョルマンを見る。
「身体は平気? 気分は? 何か欲しいものとか……」
 出産した自分以上に具合の悪そうな顔をするジョルマンに、アリアはくすくすと笑いを漏らす。
「お気遣いはうれしいですが、私は大丈夫です」
 アリアの言葉にホッとしつつ、ジョルマンはアリアの腕に抱かれた赤ん坊に目を留める。
「それなら良かった……」
「うふふ、それよりも気になるのはこの子ではなくて?」
 抱いてみますか? とアリアに言われ、促されるまま赤ん坊を抱く。
 女性の身体も柔らかいが、それ以上に柔らかくて、温かくて、小さい。
 生まれたばかりのシャーロットを抱かせてもらったこともあったが、それ以上に緊張するのは、自分の子だからだろうか。
 今までのことが思い出されて、ジョルマンは目の奥が熱くなる。
(ああ、こんな父親で申し訳ない……)
 キャロー公爵家は、自分を含めて罪の一族だ。
 そんなところに嫁がせてしまったアリアも、生まれてきてくれたこの子も、知らないうちにその業を背負わせてしまった。
「あなた?」
 何も言わないジョルマンに不安に思ったアリアが声をかける。
「あ、ああ。ごめん。なんか、感動しちゃって……」
 ジョルマンはアリアを抱きしめて、囁くような声で「ありがとう」と伝える。
「はい、どういたしまして」
 アリアも、この子も守らなければ。
 ジョルマンの固い決意は重石のように胸の奥に落ちた。
 その時だった。すやすやと眠っていた赤子の目がぱっちりと開いたのは。
 大きな目はまだちゃんと見えていないはずだが、ジョルマンを見つけると口元をふにゃふにゃさせる。
 何かをつかもうとしている手に指を差し出せば、離さないとばかりに強く握られる。
「ふふ、お父様のことが気に入ったみたいね」
「そんな玩具みたいに……」
「あら、赤ちゃんにとってはきっとなんでもおもちゃよ。嫌われないだけいいわ」
 確かに、とジョルマンは思う。
「ぅー、ふぇ……」
 むずがるような赤ん坊の声にハッとする。
「そろそろミルクの時間ね」
 侍女に手伝って貰いながら授乳するのを見ながら、ジョルマンはその光景に目を細める。
 アリアが赤ん坊を抱き、授乳する姿がとても、神聖なもののように思えた。
「サファルティア」
「?」
「この子の名前だよ。大きな碧眼はサファイアみたいにきれいだろう? この子が泣いて暮らすことのないように」
 そんな決意を秘めた名前に、アリアも小さく笑う。
「なんだかそう聞くととっても重大な使命を背負った勇者みたいね。でも、響きはとっても素敵。これからよろしくね、サファルティア」
 今は一生懸命母乳を飲んでいるサファルティアは、いつか公爵家の一員として王宮に仕官するのかもしれない。
 従兄のノクアルドの息子、シャーロットはもうすぐ3歳になる。
 王子として生まれた彼はいずれ王位に就く。王太子であるノクアルドを見ているからその厳しさも知っているつもりだ。
 この子も、いつかシャーロットの良き友として、臣下として2人で支えあって国を作るのではないだろうか。そんな気がした。

 サファルティアが生まれて2か月後、本格的な夏が来る前にキャロー領に戻ることになった。
 宰相であるジョルマンは、冬が来る前に王都に戻る必要があり、秋の終わりに王都へ向かって自領を出た。
「お父様とお母様に会うの、久しぶりで楽しかったわ」
「そうだね。ごめん、ずっと王都に引き留めて……」
「いいのよ。私がそうしたかっただけですもの」
 結婚以降、自領に戻る機会は減っていた。
 忙しかったというのもあるし、本邸を預けている執事は有能なので、領の管理は問題なかった。何よりも、後ろめたさがあった。
 アリアも特に何も言わなかったからそれに甘えていたが、アリアの両親から孫の顔を見せてほしいと言われたら断りづらい。
「アリア、身体は大丈夫? 次の街で一度休憩にするけど、辛かったら言ってくれていいから」
「大丈夫よ。なんだか前より心配性ねえ。ああ、でもそろそろサフィの授乳の時間だから、どこかで一度止めてもらえるかしら?」
 ジョルマンは馬車の外を少しだけ見る。
「この道を抜けたらイーガル山の麓に入る。そこで少し止めよう」
「ええ、わかったわ」
 サファルティアに2日の馬車の工程は少し辛いかと思ったが、行きも帰りも思ったよりもぐずることなく順調に進んでいた。
(このまま無事に王都にたどり着けますように……)
 ジョルマンが内心で祈っていると、ガタン! と急に馬車が傾いた。
「なっ!」
 ヒヒーンッ!! と馬の悲鳴が聞こえる。
 状況を把握するよりも先に、身体が動いた。
「アリア! サファルティア!!」
 2人を守らなければ。ただそれだけだった。
「きゃああああああッ!!」
 悲鳴を上げるアリア。だが、サファルティアだけは守ろうと、その腕に力を籠める。
 そんな2人を抱きしめると、ふわりと身体が浮いた気がした後、全身がばらばらになるような痛みを感じた。
 ――そのあとの記憶はない。

 遠くから、赤ん坊の声が聞こえた。
 頭も、身体も、何もかもが痛かった。
「ッ……、り、ぁ……。ぁ、……ぃ……」
 ぼやける視界で見えたのは、血だらけになり、ありえない方向に首が向いた女性。そして、女性の腕と自分の腕を下敷きにして、大声で泣く赤ん坊。
(守れ、なかった……)
 愛する女性ひとを。ほんの少し前まで楽しそうに笑っていたのに。
 赤ん坊が泣いているのは、母を失った悲しみ故か、痛みからなのか。
 どちらかはわからないけれど、それでも、この子だけは生きている。そのことにほんの少しだけ安堵する。
「…………め…………ぃ……」
 喉が潰れているのか。思ったように声が出なかった。
 大切な息子だ。こんな風に泣かせたくないと思ってつけた名前だったのに、呼んでやれない。
(本当に、僕はダメな父親だ……)
 意識がかすんできている。まもなく自分は死ぬ。
 それはいい。自分は、それだけの罪を重ねた。だから、今天罰が下ったのだとしても、仕方ない。
 でも、アリアもサファルティアも、ジョルマンの罪とは関係ない。
 なのに、守れなかった。そのことだけが悔しくて、最後の力を振り絞ってサファルティアのお腹をぽんと叩く。
(大丈夫。お前は、独りじゃ、ない……)
 ノクアルドが気づけば、きっとこの子を生かすことを考えてくれるはずだ。
 この子の体力が持つ間に見つかることを祈りながら、ジョルマンは息を引き取った。
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