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第三章
第33話
しおりを挟む――……ァ、……ま。……テ……さま。
甘い声で、誰かが名前を呼んでいる。
奥深くに沈んでいた意識が、泡となって昇っていくように。ゆっくりと、意識が浮上する。
「ぅ……」
ゆっくりと瞼を持ち上げる。
ぼんやりとしていて、思考がうまくまとまらない。頭は重く、全身に怠さがまとわりついていた。
(こ、こは……?)
滲む視界の先にあるのは、見覚えのない天井。身体を起こそうと腕に力を入れた、その時だった。
「ティア様!」
何かがぶつかるようにサファルティアを抱き締めた。
「よかった! 気が付かれたのですね!」
涙交じりの女の声。知っている。
「……“リザ”?」
そう呼び掛けた時、女はぱっと華やぐような笑みを浮かべた。
「はいっ! あなたのエリザヴェータです」
嬉しさを全身であらわすように抱き締められ、サファルティアは戸惑う。
「あの、僕は……?」
ここは一体どこなのだろう。どうして自分はベッドに寝ていたのか。
「覚えておられませんか? 昨夜、賊がティア様のお部屋に来て、ティア様はわたくしを庇って……」
エリザヴェータの瞳が潤む。
「賊……?」
言われて、サファルティアは記憶を辿ろうとする。
だが、昨夜のことは霞がかったように曖昧だった。
かろうじて思い出せるのは、エリザヴェータと、もう一人の男がいたこと。ふたりが何か会話していたところまでは浮かぶが、その内容は思い出せない。
「はい。ティア様はその時に頭をぶつけて、二日間も眠ったままでした……」
「そんなに……」
二日間も眠っていたのなら、頭が重いのも、身体が怠いのも納得だ。
「すみません、心配をおかけしました」
「いいのです。ティア様が目を覚ましてくださっただけで充分です。でも、まだ顔色が優れませんわ。もう少しお休みになってください」
「でも……」
自分は、何か使命があったはず。大切な、大切な……。
サフィ――。
甘やかな、男の声が、頭のなかで聞こえた。
「っ!」
ズキンと鈍い痛みが走る。
「ティア様?」
不安そうなエリザヴェータの声に、我に返る。
「……いえ、大丈夫です。そうですね……お言葉に甘えて、もう少し休みます」
「はい」
エリザヴェータがそっとサファルティアに寄り添う。
「ねえ、ティア様。起きたら、わたくしたちの式を挙げましょう」
「式?」
何かの式典だろうか。考えようとしたが、エリザヴェータが優しく頭を撫でる手が心地よくて、思考が霞んでいく。
「はい。わたくしたち、婚約してずいぶん経ちますでしょう? お父様も、やっと許可してくださいました」
――そうだ。エリザヴェータはサファルティアの婚約者だ。
「もしかして、忘れてしまわれたのですか?」
エリザヴェータが悲しげに眉を下げると、サファルティアの胸も締め付けられるようだった。
「……すみません」
「いいえ、ティア様は頭を打たれたのですもの。記憶が混乱しているかもしれないとお医者様もおっしゃっていましたし、仕方ありませんわ」
――そうか、頭をぶつけたから思い出せないのか。
なら、次に起きた時には、何か思い出せるだろうか。
サファルティアはそんなことをぼんやりと思う。
「ティア様は今回、わたくしと結婚するために、来てくださったんです。まさかこんなことになるなんて……」
エリザヴェータが申し訳なさそうに言う。サファルティアは小さく首を横に振る。
「リザのせいじゃありません。あなたが無事でよかった」
そう告げると、エリザヴェータが小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。ティア様、愛しています」
「僕も、あい……」
言い切る前に、エリザヴェータがそっと唇を重ねる。
柔らかな感触と、喉を通る何かの液体に、サファルティアの意識は再び闇へと落ちていった。
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