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その日、事件は起こった 2

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「よー、トンちゃん。今日のメシ大盛な」
「黒岩部長、おはようございます」
「お前の前髪変だぞ」
「……」
「いくらおばちゃんだからって、少しは気ぃ使えよ」

 ケラケラ笑いながら人事部長黒岩さんはトレーを持って去って行く。

 ……。

 私がおばちゃん扱いされるのは、多分だけど胸に付けたネームプレートが原因だと思っている。

 私の名前は頓宮とんぐうはるみ。下の名前から先に言わせてもらうと、『はるみ』ってのが悪いと思う。昭和の臭いがプンプンする。
 今どき『はるみ』はねぇだろう。ってことで年齢かなり上認定されてしまう。
 ちなみにおばちゃんって何歳くらいを指すのかなぁ。
 
 あっ、それから言っときますけど、『はるみ』に関してはあくまで私の個人的な意見です。
 全国のはるみさんごめんなさいっ。
 ジェネレーションギャップってやつだと思って許してね。

 ただでさえ微妙な苗字なのだから、せめて名前くらい可愛い名前にして欲しかった。
 莉子、美月、環奈いくらでもある。なのにどうしてそうなった。

 と、親をいまだに怨んでいる。

 しかも、頓宮のせいで幼稚園から大学まで運命づけられたように、決まってあだ名はトンちゃん。

 言葉の魔力とは恐ろしいもので、どうしてもあの丸まる太った肌色の動物を想像するらしく、ぶた=デブ=おばちゃん=頓宮はるみ。と決めつけるらしい。

 三段論法ならぬ、おばちゃんの四段論法はやめてもらっていいですか。

 私、割烹着脱いだら凄いんだから。

 ちなみに、社食のパートさんたちは社員さんたちとは違い、私をそこまでおばちゃんとは思っていない。
 マスクを取れば、ある程度素顔がさらされるからだ。
 けれど、風体ふうていはおばちゃんを装っているので、みな三十オーバーだと思っているらしい。
 
 最年少パートのひるちゃんに『私いくつに見える?』と聞いたことがある。
 返ってきた答えは『三十五くらいかな~』だって。
 変装としては合格だけど、気持ちは複雑だ。

 言わせてもらえば、私とひるちゃんは一歳違いなんですけどね。
 

「あー、トンちゃん。今日はメシ少なめにして」

 ゲーム開発二部の杉本課長が目の前に立っていた。

「杉本課長、今日は随分早いですね」

 おおメシ食らいの杉本課長が珍しい。

「昨日の夜、女房と喧嘩しちゃってさぁ。あんたの顔なんて見たくないから、さっさと会社行けって追い出されちゃった」

 参ったなって顔で課長は頭を掻いた。
 
 部下には厳しい杉本課長も、奥さんには弱いんだ。
 どんな理由で喧嘩になったか分からないけれど、食欲無くすなんて課長も案外センシティブだ。

 確か杉本課長は社内恋愛だった。
 
 噂によると、満天堂は社内恋愛が多いらしい。
 今、私の横でお味噌汁をよそっている、蛭田さんもそうだ。

 仕事柄理系の学生を多く採用しているせいもあるのだろう。理系男子りけだんはやっぱり出会いが少ないって言うし、比較的おとなしそうな人が多い気がする。
 
 女子からしたら、ちょっぴり気弱そうな男子は母性本能をくすぐられるのかも。

 世の中上手く回っているものだ。
 社内で需要と供給のバランスが取れているのだから。
 



 もう、百杯近いご飯をよそっているけれど、今日は秘書課の唯ちゃんこと本橋唯香もとはしゆいかちゃんの姿がまだ見えない。

 いつも『秘書は体力勝負だから、朝は絶対にご飯です』と豪語している彼女。

 ご飯に飽きて、今日はパンにしたのかな?

 などと思っていたら、元気のない姿で現れた。
 私は彼女の顔を見てびっくりしてしまった。

「と、どうしたの唯ちゃん!?瞼が思いっきり腫れてるけど・・・」

 役員秘書だけあって、早朝でもばっちりメイクは決めている彼女が、今日に限ってほぼノーメイク。

 目は開けているのだろうけれど、瞳が半分しか見えない。

「何かあった?」
「……はるみさん」

 そう言い残して、背中を丸め窓際の一番奥の隅の席へ行ってしまった。

 彼氏に殴られたってことは――ないよね。
 
 唯ちゃんのことは気になったけれど、まだ仕事中。
 チラチラと彼女の背中を気にしながら、笑顔でご飯を盛り続けたのだった。
 




 ほとんどの社員さんが、それぞれの職場へ戻り人影の少なくなった食堂の隅。
 唯ちゃんはテーブルに突っ伏していた。

 本橋唯香もとはしゆいか
 今年入社三年目の二十五歳。秘書課で市田常務の秘書をしている。少し抜けているところはあるけれど、明るく元気。裏表のない性格。仕事に真面目に取り組む姿勢は好感が持てる。
  
  秘書課は社内でもえりすぐりの綺麗どころが集められているとの噂は本当で、唯ちゃんもスラっとした体型に、クリっとした大きな目が特徴の可愛い子だ。

 秘書をしているだけあって、気が利くし、いつも明るいから私は彼女を妹のように可愛がっている。


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