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その日、事件は起こった 3

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「唯ちゃん」

 声をかけると、だるそうに体を起こし「はるみさん」そう言ってまたテーブルに突っ伏してしまった。

 彼女の隣に座りながら、頭の三角頭巾を取る。

「今日もいいお天気ねぇ。家に帰ったら、たまった洗濯物を干さなくちゃ」

 と、あえて関係ない話題を持ち出す。

「唯ちゃんも独り暮らしでしょ。お洗濯はどうしているの、乾燥機?」

 彼女は反応しない。

「独り暮らしだと中々外には干せないよね。下着泥棒の不安もあるし、女の子の独り暮らしだと分ると、防犯面も心配だしね」

 彼女の傍らに置かれたトレーを見ると、ほとんど食事に手を付けていない。

 これは余程のことだ。

「ごはん食べたくないの?」

 無言で唯ちゃんはうん。と頭を動かす。

「今日のポテサラ私が作ったのよ。前に唯ちゃんが『私マヨラーだからマヨネーズ多めがいい』って言ってたでしょ。だから今日はマヨネーズ多めにしたんだけどな」

 実際、料理の材料や調味料の量は栄養士によって管理されているため、私が勝手に味を変えることは出来ない。
 嘘も方便だ。

「そうなんですか?はるみさん、ありがとう」

 唯ちゃんはゆっくり顔を上げる。瞼は相変わらず腫れている。頬は涙で濡れていた。

「可愛い顔がぐちゃぐちゃね」

 きっと一晩泣きはらしたに違いない。 
 
 私はポケットからティッシュを取り出して渡すと、彼女はチーンと鼻をかんだ。
 そして話そうかどうしようか迷っている様子だったけれど、ゆっくりと重い口を開いた。

「……実は……」

 ゆいちゃんはとても大きな目をしている。それが彼女のチャームポイントでもあるのだけれど。

「これ見て下さい」

 彼女はポケットからスマホを取り出すと、SNSの画面を見せてくれた。

『新事実発覚!!満天堂秘書課の本橋唯香は整形モンスターだった。鼻、顎、それにあの目は誰がどう見ても大きすぎる。その証拠に本橋唯香が美容整形医院から出てきた所を社内の人間に何度も目撃されている』

「なっ!?」

 私は驚きのあまり、言葉を失った。
 唯ちゃんの瞳からは、再び涙が溢れた。 

 この文面からすると、書いたのは男とも女とも読み取れる。しかし、あまり上手い文章ではないな。
 とっさに職業病が出てしまった。

 私の正体は、食堂のおばちゃんこと総務部特命係 社内調査員。

 カンパニーの社長である星野周一郎に個人的に雇われている。
 社内での不正行為や内部告発から、パワハラ、社内不倫やいじめに至る社内トラブルを秘密裏に調査するのが仕事だ。

「一体これって……」
「そんなの嘘なんです。私、整形なんてしてないのに!」

 うんうん。と頷きながら、唯ちゃんの背中をさする。

 私は整形手術が悪いとは思わない。それで綺麗になって自分に自信が持てたのなら、それはそれでいいことではないか。
 鼻や顎は大変だろうけど、目なんてプチ整形でしょ。そんなの整形に入らないって。
 私の周りにもプチ整形する子いっぱいいるし。

 論点を戻すとして、問題は整形ではなくこんな悪意のあるデマを一体誰が流したかだ。

「酷いことするね。誰かのいたずらなんだろうけど」

 人間関係で揉めたのか?
 それとも単に唯ちゃんの美貌を嫉んでの嫌がらせか?

 このデマを読んだ社員が全員信じるとは思えないし、気に留める社員もそこまでいるとは思えない。
 ほとんどの社員は「へー」で終わらせるだろう。特に男性は。

 まして唯ちゃんのことを知らない社員ならなおさらだ。

 けれど彼女の周辺、例えば同期とか、仕事で会ったことのある人間、直接関わりがなくても彼女を知っている人間は少なからず興味を持つ可能性はある。

 満天堂社員以外の不特定多数にも知れ渡るからネットが絡むと本当に面倒だ。

 でも誰がこんなことを?
 これは調べて犯人を見つける必要がありそうね。

 名誉棄損にあたるもの。

 唯ちゃんの背中をポンポンと叩く。

「確かに悪質ね。犯人の検討はつく?」
「違うんですっ!!」
「え?!」

 彼女の権幕に一瞬気圧けおされてしまった。

 私に向き直ると、彼女は語気を強めた。

「確かにこの内容は頭にくるし、正直ムカつきます。だけど違うんですっ」
「じゃ、じゃあ、何だって言うの?」

 私は首を傾げる。

「彼が……彼が別れるって言うんです」

 唯ちゃんにはつき合って一年未満の彼氏がいる。ひとつ年上で営業部の清水健介君。
 オタク(失礼)が多い満天堂には珍しく、イケメンで爽やかなスポーツマンタイプで仕事も出来るらしい。
 ファッションに関してもトレンドマスターって感じで、社内にはファンも多いと聞く。

 因みに二人の交際は秘密にしているのだが。

「まさか、SNSのデマを信じて?」
「そうなんです。火の無い所に煙は立たないって」

 彼女は再びテーブルに突っ伏して泣き出してしまった。

「だって彼には否定したんでしょ?」
「もちろんしました。何度も話しました。だけど『やっぱ整形する子は無理』って言うんです」

 一度無理って思ったら、一瞬で気持ちが冷めてしまうことってよくあるけど。
 恋人同士の関係ってどこか不安定で、儚いもの。結婚にはないドキドキとかが良かったりするのだけれど。
 その反面ちょっとしたことが原因で絆が切れてしまう。
 
 整形に関しては個人の価値観の違いもあるだろうけれど、男の人の中には整形に対する嫌悪感みたいなものを抱いている人がいるのも否めない。
 逆に、自分の彼女や奥さんが綺麗になるのなら全然オッケーって人もいる。
 
 清水君はダメだったか。
 デマが原因で別れるとなると、唯ちゃんとしては納得いかないのは当然だ。
 このSNSは間違いなく悪意があるし、唯ちゃんを貶めようとしている。

「唯ちゃんは別れたくないのね」
「……はい」

 私の仕事は、デマを流した犯人を見つけること。
 そして、お節介かもしれないけれど、唯ちゃんと清水君を仲直りさせること――かな。

「その目で仕事出来る?」
「幸い市田常務は、今日お客様とのアポはないんですけど、私が同席する重役会議があるんです」
「偉いね休まないで。取りあえず、目を冷やして職場に戻った方が良いわ」

 私は厨房に行き、ビニール袋に氷を入れて再び彼女の元へ戻る。

「これで冷やすといいよ」
「ありがとう。ごめんねはるみさん。迷惑かけちゃって」

「全然平気よ。はるみお姉さんが、唯ちゃんの仇をうってやりたいんだけど……」

 やりたいんだけど、それには私の雇い主の許可がいる。

 唯ちゃんは氷袋を目に当てて「気持ちいい」と呟きながら話を続けた。

「私、彼とは絶対別れたくないんです。だって初めて真剣に好きになった人だから」

 うんうん、と私はうなずく。

「唯ちゃんのその気持ちを、彼に素直に伝えてごらんよ。そしてもう一度話し合ってみたら」

 顔に氷袋をあてながら、「そうですね」唯ちゃんは頷いたのだった。
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