総務部特命係 頓宮はるみが通ります ~ちょっとその件、私に預けてもらえます?~

一条風花

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その日、事件は起こった 4

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 厨房に戻るとパートリーダーの飯島さんが、食洗器から洗い終わった食器を出しているところだった。

 他のパートさんたちも、忙しそうに片付けをしている。
 このあと三時間後にはお昼の仕込みをしなければならない。
 少しでも早く片付けを終わらせて、休憩を取りたいのだ。

「何かあった?」
「はい。ちょっとした問題が」

 本人にとっては生死に関わるくらい大問題だろうけれど。

「そう」

 飯島さんは話の内容を聞いてくることは無かった。
 
「でもねぇ、トンちゃんにとってはちょっとした問題でも、私たちにとっては大問題なのよ」

 私が抜けていた時間の片付けが大変だった。そうおっしゃりたいのですね。
 分かります。朝のシフトは少ない人数で回さなければならないですから。

「ちょっとでも抜けられると困るのよね。罰としてゴミ捨て行ってきて」

 はいっ、よろしくっ。と四十五リットルの袋を四つも渡されてしまった。

 当然ながらズシリと重たい。細身でありながら、案外力持ちの私でもこれは辛い。

「私も一緒に行きましょうか?」

 ひるちゃんが心配してくれた。それなのに元気な五十歳ときたら。

「ひるちゃん平気よ。どんな理由があるにせよ、仕事を抜けた罰なんだから。助けたら罰にならないでしょ?それにトンちゃんは力持ちだから平気、平気」

 飯島さんは豪快に笑う。

 私だってさぼりたくてさぼったわけじゃないのに。

 ため息をつきながら私は厨房を後にしたのだった。


 
 

 ゴミの集積所はビルの地下入口付近にある。それ以外のスペースは社用車の駐車場だ。
 コンクリート打ちっぱなしで、低い天井には様々な配管。必要不可欠なもの以外を排し、間隔をあけて設置された蛍光灯の明かりがどことなく寂しさを感じさせる。
 
 人影はなく、しんと静まり返っている。
 きゅっきゅと私のゴム長が床をこする音だけが無機質な空間に響いている。

 今まで人波の中にいただけに、急にひとりになって薄ら寂しいような少しホッとするような不思議な空間だった。
 

「初めて真剣に好きになった人……か」

 唯ちゃんは泣きながらそう言った。真っすぐな眼差しで。
 心の隅がチクチク疼くのは、私にも同じ経験があるから。

 でもその人は、私と距離を置くことを選んだ。
 あの頃の私は、今と違って幼かったし――。

 などと想い出に浸っていたら、どこからともなく話し声が聞こえてくる。

 営業マンが車を出すのだろう。

 気にせずゴミ袋を指定の場所へ置き、エレベーターへ向かおうとした時だった。

「清水さん」

 心臓が止まると思った。

 私の知る限り清水と名の付く人はひとりしかいない。

 恐る恐る声のするほうへ顔を向ける。
 やっぱり唯ちゃんの彼氏の清水君だ。

「清水さん、あの……」

 話しかけているのは女性だ。あまり聞き覚えの無い声。多分社食をあまり利用しない子だろう。
 社食を利用する人の顔と声を全員覚えているわけではないけれど、大体は把握している。
 比較的女子のほうがお弁当を持って来る率が高いので、社食を利用しないことが多い。
 おそらくこの子も……。

「何?」

 立ち聞きしていると思われても困るので、私はとっさに近くの車に身を隠す。

「本橋さんのこと知ってます?」

 SNSって怖い。もう唯ちゃんのことが話題になっている。
 不特定多数の人間が唯ちゃんの話をしているのかと思うとゾッとする。

「……ああ」

 明らかに不快感を示す声で、清水君が答えた。

「やっぱり嫌ですよね、整形する彼女なんて」

 ん?
 清水君の話相手の子は、唯ちゃんが彼の彼女だと知っている?
 
 おかしいぞ。唯ちゃんは、この交際は秘密にしていると言っていたはずだけど?
 私以外の誰かにも話してたのかな。

 車に身を隠しながら、そっと二人に近づく。

 清水君は背が高いから良く見える。問題は相手の子なんだけど……。

 息を殺し、彼女が見えるところにゆっくり移動する。

 やはり知らない子だった。

 茶色く染めた長い髪の毛先は軽くカールされていて、はっきりした目鼻立ち。美人の部類に入ると思われる子だった。

「別れるんですか?」

 おっとこれは、いきなりド直球。
 デリカシーの無い性格がうかがえますね。
 
 もしかして、この子は清水君を好きなのではないか。そんな疑問が浮かぶ。

「山下さんには関係ないだろ」

 相変わらす清水君の声には不快感がにじんでいる。
 
 そうか、不躾ぶしつけなこの子は山下さんと言うのね。

 山下さんへの不快感なのか、SNSの書き込みに対しての不快感なのかは分からないけれど、清水君は愛想がない。

「俺、そろそろお客さんの所へ行かないと」

 そう言って彼は車のドアロックを外した。
 ピッと音がして、すぐにカチャっとドアを開けた。

「以前清水さんは、本橋さんの笑顔が好きだって言ってましたよね。でもその笑顔は作り物だった。そんな子と交際していて平気なんですか?清水さんは整形女子が嫌いだって言ってましたよね。辛くないんですか!?」

 随分な言い方だな。証拠でもあるのかよ。って言ってやりたい。

 唯ちゃんの悪口を聞かされて、ちょっとばかり頭に血が上る。

 あんた唯ちゃんの何を知ってるのさっ。

 可愛がっている子の悪口を聞かされるのは気分が悪い。けれど私は大人。大きく深呼吸をして冷静さを取り戻す。

「私、清水さんのためを思って言ってるんです」

 出たー!女子が人の彼氏を奪う時の常套句じょうとうく
 ”私あなたの心配しているんです。本橋さんは酷い人です。あなたに相応しくない”って暗に言ってる風だ。
 だとしたら、ちょっと恐い子だ。

「前々から言ってますけど……」

 ゴーーー、ガタン。

 営業から帰ってきた車が地下車庫に入って来た。
 その音のせいで、山下さんの最後の言葉がかき消されてしまった。

 山下さんは、積極的に唯ちゃんと清水君を別れさせようとしているのは明らかだ。
 もしかして、デマを流したのが山下さんの可能性はあり得る?

 まぁ、私、友達想いなんで、友達と清水君が付き合えるように協力してあげてるんですけどぉ。友達の為にぃ。
 のセンも若干アリではある。

「いい加減にしてくれないか」

 きっぱりと言い放つ清水君の声に私はスカっとした。

 そうよそうよっ。まだ二人は修復出来るかも知れないんだから、ほっといてくれない。
 余計なまね、しないで欲しい。
 
 清水君の彼女を突き放す一言で、山下さんは「ごめんなさい」と車から離れ、彼は車に乗り込み地下駐車場からアクセルを噴かせ出て行った。

 それを山下さんと私(車の影に隠れながら)は見送った。

「ふー」深い溜息をつくと、山下さんはエレベーターへと向かうのだった。


 完全に彼女の姿が見えなくなるのを確認してから、私は立ち上がり腰を伸ばした。
 若いとは言え、ずっとしゃがんでいるのは疲れる。

 それにしても、今のなに?
 山下さんは唯ちゃんにあまりいい感情を持っていなさそうだった。
 むしろ嫌っている可能性がある。

 やっぱり山下さんは清水君が好きなのかなぁ?
 じゃあデマは山下さんが流したのかなぁ?

 でもこれだけじゃ証拠が足りない。
 もっと調べないと。

 ――って、ヤバっ。

 絶対、飯島さん怒ってる。

 『一体ゴミ捨てに何時間かかるのよっ』って口の端をぴくぴくさせながら嫌味を言われそうだ。
 

  割烹着の裾をパンパンと叩くと、私も急いでエレベーターへ向かったのだった。
 


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