総務部特命係 頓宮はるみが通ります ~ちょっとその件、私に預けてもらえます?~

一条風花

文字の大きさ
14 / 27

意外な展開 4

しおりを挟む
 指を冷やしながら、何となくだけど今朝唯ちゃんが座っていた、一番端で奥の席に座った。
 これも既視感。

 朝とは違い、活気のなくなった食堂の人影はポツポツと寂しい。
 食堂に流れる音楽も、ポップなものからチルジャズに代わっていた。
 
 何気なく、視線を外へと向ける。
 ここから東京タワーが良く見える。
 
 東京タワーを見るとホッとするのはなんでだろう。
 子供の頃からいつもここにデンとたたずんで、今も変わらない。
 不思議な安心感がある。

「指、大丈夫か?」

 周一郎さんの影がガラス窓に映っていた。
 無言で私の隣に座る。

「見せてみろ」

 強引に彼は私の左手を取る。

「痛むか?」
「少し」
「ドジだな」

 こうなったのは周一郎さんが突然現れたからなのに。

 社食のおばちゃんと社長が話をしていても誰も不審がらない。
 周一郎さんはよく社員に声をかけているからだ。決して気さくな人柄でなはいのだけれど、やっぱりイケメンパワーなのか、それとも社員が社長に気を使っているのか、声を掛けられた社員はみな笑顔で話しをしている。
 私にはいつも不機嫌だけど。

 そんなわけで、彼は女子社員からとても人気がある。

 離れたところからこんな会話が聞こえてきた。

「社長、まさかおばちゃんのこと口説いてる?」
「んなわけねーだろ」

 だれから見ても、なのである。

「夜の責任者変わったんだな」
「確か一か月前だったと思います。相沢さんになったのは」
「今までずっと年配のオヤジだったが、急に若い奴になったな」
「遅い仕事は、おじさんだと大変だからじゃないですか?」
「ここではおじさんも大勢夜遅くまで働いている」
「……まぁ、そうですね」

 何が言いたいのかな?

「相沢さんは確か社長と同じ歳じゃなかったかな、ええと三十二歳」
「独身か?」
「はい」
「彼女はいるのか?」
「募集中とか言ってました。相沢さん優しいし、すぐ彼女出来ると思いますよ」
「……」
「今日はお得意様との会食無かったんですね」
「あったがキャンセルした」

 仕事熱心な周一郎さんがキャンセルなんて珍しい気がする。

「毎日、毎日、接待やら仕事の付き合いやらで胃袋が疲れた」
「ここの食事はどうですか?」
「味付けがシンプルだし、胃がもたれない」
「良かったです」

 私たちは微妙な関係だ。
 彼は恋人ではないし、かつて恋人でもなかった。
 
 彼を好きだけど、好きだからあえて距離を置いていると言っていい。
 そうさせたのは周一郎さん。

 私を突き放した人。
 なのに、こうして一緒に仕事をしている。

 どういうつもりですか?と聞いたところで教えてはくれないだろう。

「お前、東京タワーが好きだったな」
「……覚えていてくれたんですね」

 昔、一度だけ周一郎さんと東京タワーにのぼったことがある。
 思い出すと、きゅっと胸が痛む。
 楽しくて、切ない想い出。

「今夜、久しぶりに行ってみるか?」
「え?」

 思いがけないセリフに一気に心臓の鼓動が激しく唸り、私の心を揺さぶる。

 何が……どうして?

 天地が反転するくらい動揺していた。

「あの、周一郎さん……」
「社内では社長だろ」
「あの、社長……」

 視線の先には東京タワーの赤色灯せきしょくとうが点いたり消えたり、同じリズムで点滅している。
 乱れた私の鼓動を整えなさいと言わんばかりに。

「……返答は?」

 周一郎さんがテーブルに肘をつき、「ん?」と視線を私に送ってくる。

 突然そんなこと言われたって、すぐに答えられるわけない。
 彼はそれすら計算ずくなのでないか。そんな気さえしてくる。

 夜のガラス窓に映る彼の顔には、不敵な笑みが浮かんでいるよに見えた。
 
 答えは……。

「社長……」

 ゆっくりと私が唇を開いた時だった。

「あーら、お二人さん。こんな隅っこで親密だねぇ」

 ばーちゃんこと、道平さんだ。
 今日のばーちゃんは、朝と夜のシフトだった。

 私は、ギクリとした視線をばーちゃんに送ってしまった。
 それに驚いたのか、「ご、ごめん。お邪魔だった?」焦ったばーちゃんはきびすを返そうとする。

「ち、違うの。ただビックリして」

 勢いよく立ち上がって、ばーちゃんの腕を掴む。

「こっちだってビックリしたよ、トンちゃんに睨まれたから」
「ご、ごめんね」
「あんた達、ちょっといいムードだったよ。あら、こんなこと言ったら社長さんに怒られちゃうかね」

 ケラケラとばーちゃんは笑う。

「そ、そうよ、社長さんに失礼よ。きっと素敵な彼女がいるんだから」
「はは」と笑いながら周一郎さんはばーちゃんに席を勧める。
  
「こんないい男に彼女がいないなんて、あり得ないもんねぇ」

 無言で頷く周一郎さんの隣にばーちゃんは座った。

「実は、社長さんにちょっとお願いがあるんだけどね」

 本来は社食の運営会社に頼むのが筋なんだろうけど。と前置きしてばーちゃんは話し出した。

 ばーちゃんが訴えたのは食事を乗せるトレーのことだった。
 
 現在使っているトレーは古くて重い。角が割れている物もある。
 重いと回収したり、食洗器に入れる時に手首が痛いし、割れた角で指を切ることもある。今は薄く軽い素材の、いいトレーがあるからそれと交換して欲しいと言うのだった。

「何度も会社の方には頼んでるんだけどさぁ、予算がないって断られちゃうのよ」

 トレーは十枚、二十枚単位で運ぶ。確かに重いし、私もプラスチックの割れた角で指を切ったことがある。

「社長さんのポケットマネーで何とかならないかねぇ」
「職場改善は大切なことだと思います。ただ会社が違うので、一度僕からも頼んでみましょう。それでダメなら僕のポケットマネーから出しますよ」

 笑顔で答える周一郎さん。
 いつも社員のためにすぐに行動してくれる人だ。

 トレー一枚八百円として、最低でも六百枚は必要。予備に二十枚だとすると……。
 えーと……約五十万円。
 やっぱいい人だ。

 ばーちゃんは嬉しそうに「ありがとう」と何度も頭を下げた。

「じゃ、年寄りはこれで消えるわよ」

 ばーちゃんは席を立つ。

「まさかとは思うけど、頑張って」そう私に耳打ちして、ばーちゃんは手を振って去って行った。

 普通に考えて、まさかは絶対あり得ない。

 ばーちゃんを見送ると、

「ありがとうございます、社長」

 私も頭を下げた。

「ここのトレーはだいぶ年季が入っていたし、傷も多かったから見た目も汚くて。綺麗になると嬉しいです」
「お前が先に気づくべきだったな」

 へっ、いきなりダメ出し?

「社内調査が忙しくて。は理由にならないぞ。うちの社員が気持ちよく過ごせる環境を作るのが、俺とお前の仕事だからな」
「……は、い」

 前言撤回。やっぱり厳し人だ。


「そんなことより、例の調査は上手く行きそうか?」
「あっ!?」

 忘れてた!

 これから清水君が通うスポーツジムへ向かわなければならない。
 時計を見ると、もうすぐ二十時半になる。
 
 通常夜のシフトは、食堂が二十一時までなので、その後片付けがあり帰れるのは二十二時頃だ。
 清水君の通うジムで待ち伏せするつもりなので、夜のパートリーダー脇田さんに早退をお願いしていたのだった。


「ヤバっ。急がないとっ」

 周一郎さんは慌てる私とは対照的に、静かに食後のコーヒーを楽しんでいる。

「じゃ、じゃあこれで失礼しますっ」
「ああ」

 周一郎さんに頭を下げると小走りで社食を後にする。

 気をつけろよ。とか言ってくれてもいいのに。
 ああ。だけなんてやっぱり冷たい。

 エレベーターホールに着くと『上』のボタンを押す。

 東京タワーの話……。返事するの忘れてた。



 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

後日譚追加【完結】冤罪で追放された俺、真実の魔法で無実を証明したら手のひら返しの嵐!! でももう遅い、王都ごと見捨てて自由に生きます

なみゆき
ファンタジー
魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。 だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。 ……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。 これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

処理中です...