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01 グリッサンド:流れるように弾く
06 不幸な事故
しおりを挟む「俺の事故について何を知ってる?」
軽く掲げるようにしてミランの手を躱したカップをそのままに、ケヴィンがもう一方の手に持っていたカップへ口をつける。ケヴィンにはコーヒーの良し悪しが分からないが、それでも決して美味くはないことだけはわかった。
「警察が病院にも来たんじゃないのか?」ミランは伸ばした手を自分の膝に戻した。姿勢はやや前のめりになったまま。
「来た。だが犯人なんかは全く分かっていないとのことだ」
「調べるのか?」
「その必要性自体を調べたい」ケヴィンは短く溜息をついた。「こういう仕事柄、変な恨みを買ったことはこれまでにもある。こっちがいくら仕事だと言っても、時には有名人と二人で買い物に行く。話の通じない相手には何を言っても無駄だと俺が思ってるように、相手だって俺を同じように思う」
「俺たちのファンがあなたを轢いたと」
「666関係とは限らない。もしそうなら、そういう血気盛んな輩の存在を念頭に置いて、今後の警備計画の警戒度を少し引き上げる必要があるだろうが、その可能性は低いと思っている」
「何故?」
「理由は二つ。まずこれまでの経験上、本命の為に邪魔者を排除する側の心理は、正義は我にあり、だ。正義の執行を隠す必要はないし、なんなら誇れる善行を誇らずにはいられない。だが少なくとも事故前後のSNSや君らの公式ページのコメント欄にそういったものはない。
次に、俺を轢いたのは高級外車だ。君たちのファン、クイーンズレコードが保有する社用車、この国にいる役員と平均社員の年収……そういった関係者の環境を考えるに、そんな車を持っている可能性は低い。とはいえ車の購入者から追うにも、個人購入やら贈与、転売、貸与があって全部洗い出すだけで時間がかかる」
「フロスト区の田舎道じゃ、監視カメラも無かっただろうからね……」
ミランの声は冷え切っていた。まだ昼前だったがコテージの窓にはブラインドが下されたままで、切り刻まれた白い光では室内全てを照らしきれない。白い髪と色素のほぼない灰白の目が少ない光を全て吸収して、全体的に埃っぽい室内のうちそれらだけが磨き抜かれている。
輪郭のない水彩画のような景色のなかで、ミランだけが油絵で描かれたように浮いている。
ケヴィンはミランの手の甲に血管が浮き上がっているのを指摘するか悩んだ。
悩んで、指摘する代わりに掲げていた方のカップをもう一度差し出した。
今度は間違いなくミランの手とカップは出会った。その動きのために手の甲に浮いた血管が消え失せる。
「その様子じゃ何も知らないようだな」
「知っていたら、あなたが言うところの正義を振りかざしていたかもしれない」ミランは鼻で笑った。「大切な人が卑劣な轢き逃げに遭遇して意識を失っている、こんなに辛いことはない、と涙を流せば。カタギリ、警察に見つけられなかった犯人を、もしかすると高級外車なんて到底買えない、どこにでもいるような人たちが見つけてくれるかもしれない」
「ああ、そのコースなら裁判まで勝手にやってくれるから手軽でいいな」
ミランがもう一度笑った。今度は口から漏れた、本当の微笑みだった。湯気を上げる黒い水面に息を吹きかける。そして一口飲んだ。
「……事故は突然のことだった。俺も何も知らない」
声は小さなものだったが、弱々しくもなく、また掠れることもなくケヴィンの耳に入った。
「ただ、事故が起こる数ヶ月前から、あなたは目に見えてやつれていた」
「だろうな」
ケヴィンは自分の目元を撫でた。入院生活でただでさえ睡眠時間が伸びてなお、そこには隈がこびりついている。
「666の仕事ではなんらトラブルは無かった。今年の六月頃から、かな。あなたがどこか憔悴しているように俺には見えた」
六月。
ケヴィンは顔には出さず考えた。自分の顔に増えた見覚えのないものは、目の下の隈だけではない。左目から額にかけて走る切り傷もだ。
そしてその切り傷とは、見舞いに来たドミトリによれば五月か六月の頃に、ケヴィンが「酔って転んで」つけた傷だ。
これは単なる偶然だろうか——いや、おそらく偶然ではない、とケヴィンの勘が告げる。人生においてイベントはそう多くない生き方をしてきた。こんな奇妙な出来事が、しかも同時期に起きればそこには何かしらの関連がある——勿論、ただひたすら単純に不運だったという結末も否定できないが。
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