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02:アッチェレランド:だんだん速く
10−02 メトロノーム
しおりを挟む指定された楽屋には正に今飲み物と差し入れが配布されたばかりだった。入れ違いになったスタッフが歓迎と他共演者の到着状況を教えてくれる。
室内の家具や窓の施錠を眺めていたケヴィンの方をドミトリが叩いた。
「罰ゲームに行きましょう」
「思っても言うなよ」ケヴィンは窓の鍵を掛け直した。「アーキテクト、室内には誰も入れるな」
ケヴィンがドアについた磨りガラスにブラインドを下ろす。ミランは眉を少し動かしたが、頷いた。
楽屋のドアは内側から施錠できる。マスターキーは各フロアの責任者が交代で保管している。
放送中、放送予定の番組や映画のポスターが両側の壁に額付きで飾られた廊下は、煌々と光る蛍光灯がもっとクラシックなら映画館のようであったろう。ただしその場合には、所々傷がついたフローリングにはそれを覆い隠す絨毯も必要だ。
「ミラン、が正解でしたね。さっきは」
到着済みの共演者がいる楽屋へ歩く道すがら、ドミトリが言った。
「同姓がいない時点でファーストネームを呼ぶことはない。つくならもっとましな嘘をつくんだな」
「記憶喪失なんて滅多にない機会ですから。これを機に私のこともドミトリと呼んでください」
「お前たちはとことん嘘が下手だな」
「正直者ですから、ミランも私も」
世界平和を体現したような笑顔で話すドミトリにケヴィンが溜息をつく前に目的地に着いた。デザインが統一された小さな磨りガラス付きの白いドアをドミトリがノックする。
中から、はい、と高めの声がした。「666のドミトリ・カデシュです、本日収録でご一緒しますので、ご挨拶をさせて頂けませんか?」
はい、と再び声が返されるが、先ほどうわずった声だった。室内からガタガタと物音がする。人が椅子を立つ音だ。
ドア脇の看板には“M.E.様”と印刷された紙が差し込まれている。
二秒待ってから、ドミトリがドアを開けた。
室内には三人の女性がいた。室内の構成は666のそれと若干異なる。正面右側の壁のドレッサーが一つ多く、四つ並んでいる。そこの椅子の前に長い黒髪の女性と、左右に長さが不揃いのショートカットの女性、奥のソファとテーブルのそばにブラウンの髪を高く一つに束ねた女性がいる。ドミトリがそうであるように彼女たちもまだリハーサル前であるためか、それぞれに私服だったが、揃ってレザー素材を多用したパンクな服装だった。
ケヴィンは室内には入ったが、薄く開けたままのドアの前で止まった。既にドミトリはリーダー役の長髪の女性と握手を交わしている。
「666のお二人と共演できて光栄です」イミーナと名乗ったその女性は聞き取りやすいソプラノで言った。黒髪の内側が鮮やかな真っ青に染められている。「夢が一つ叶いました」
「こちらこそ」ドミトリも平素通りの優しい声だった。「アーキテクトは別件の打ち合わせで挨拶に来られませんが、今日のコラボレーションを楽しみにしていました。皆さんの曲のアレンジを、誰より皆さんに楽しんで貰えれば嬉しいです」
イミーナははにかむようにぎこちなく口元を動かし、そしてやや遠慮がちに視線をドミトリの背後へ向けた。「そちらの方は、クイーンズのマネージャさんでしょうか?」
「ああ、いえ彼は身辺警護です。私たちは若造ですから、セキュリティの観点でまだ考えが甘いところがあるので」
「そんなことは……」
「そんなこと言われたら、666とヒットランクで仲良くしてるのにガードマンの一人もいない私たちって、とんだ安上がりの優等生ってこと?」
口を開いたのは奥のテーブルそばに立っていた女性だった。ヒールの所為もあるだろうが三人の中では最も背が高いが童顔で、厳格そうなイミーナに対し、生まれたての子猫を彷彿とさせる。妖しげなのにどこかあどけない。かすかに体を動かしただけで細い背中の後ろに結い上げた髪の毛先が揺れる。驚くほど長い髪だが、毛先まで完璧な状態だった。
イミーナとその背後に隠れるように立っているもう一人のメンバーが表情を固くしたが、ドミトリは「あはは」と朗らかだ。「今月の振込額も分からない給料で公共料金を支払おうとする人間に、優等生なんていませんよ」
「私たちにもいい加減、イベント以外にも付きっきりのボディガードがいて欲しいって」ポニーテールを揺らして、女性が数歩歩いた。「こういう時やっぱり思うのよね、イミーナ?」
「ミヌエット!」
イミーナが諌めたが、ミヌエットと呼ばれた女性はさらに進み出る。
彼女の足取りは細い棒の上を歩いているようだ。そしてその直線的な棒の先にいるのはドミトリではない。
「ISC……ああ、去年の音楽祭にもいた物々しいオールブラックの人たち」ミヌエットはまだ一メートルほど距離を空けた位置からケヴィンのスーツ姿を見つめた。「そのスーツは防弾仕様の特別性? 光沢が素敵で気になってたの」
「ボス」ケヴィンはミヌエットを見据えたまま言った。「これは仕事か?」
「仕事かどうかはわかりませんが、私も興味があるので是非教えてほしいです」
呑気な様子のドミトリにケヴィンは微かに目を細めた。口の中で舌が煙草を探すが、そんなものは勿論無い。
「通気性、通弾性いずれも優れた特別性です、お嬢さん」
「防弾チョッキは着てる?」
「撃たれる前提の警護計画を提出するなら、トップアーティストの警護は回ってきません」
「プロフェッショナルってことね、最高だわ」
「どうも。ボス、仕事が終わった」
「では我々はこれで」ドミトリは相変わらずにこにことして、目の前の出来事が映画かなにかのように平然としている。「パフォーマンス前に改めてアーキテクトとご挨拶させていただきます」
イミーナがドミトリ以上の大きなおじぎをする。その後ろに隠れていた女性も頭を下げる。ミヌエットも小さく頭を下げたが、それは礼儀というより舞踊前の仕草のようだった。
番組MCの楽屋も訪れたが、こちらは急遽スタッフとの全体確認があるということで、ほとんどすれ違いざまの挨拶になった。別の収録グループの演出に変更があったらしいことだけ、慌ただしい彼らの足音の合間に聞き取れた。
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