セーニョまで戻れ

寒星

文字の大きさ
36 / 85
02:アッチェレランド:だんだん速く

10−02 メトロノーム

しおりを挟む

 指定された楽屋には正に今飲み物と差し入れが配布されたばかりだった。入れ違いになったスタッフが歓迎と他共演者の到着状況を教えてくれる。
 室内の家具や窓の施錠を眺めていたケヴィンの方をドミトリが叩いた。
「罰ゲームに行きましょう」
「思っても言うなよ」ケヴィンは窓の鍵を掛け直した。「アーキテクト、室内には誰も入れるな」
 ケヴィンがドアについた磨りガラスにブラインドを下ろす。ミランは眉を少し動かしたが、頷いた。
 楽屋のドアは内側から施錠できる。マスターキーは各フロアの責任者が交代で保管している。
 放送中、放送予定の番組や映画のポスターが両側の壁に額付きで飾られた廊下は、煌々と光る蛍光灯がもっとクラシックなら映画館のようであったろう。ただしその場合には、所々傷がついたフローリングにはそれを覆い隠す絨毯も必要だ。
「ミラン、が正解でしたね。さっきは」
 到着済みの共演者がいる楽屋へ歩く道すがら、ドミトリが言った。
「同姓がいない時点でファーストネームを呼ぶことはない。つくならもっとましな嘘をつくんだな」
「記憶喪失なんて滅多にない機会ですから。これを機に私のこともドミトリと呼んでください」
「お前たちはとことん嘘が下手だな」
「正直者ですから、ミランも私も」
 世界平和を体現したような笑顔で話すドミトリにケヴィンが溜息をつく前に目的地に着いた。デザインが統一された小さな磨りガラス付きの白いドアをドミトリがノックする。
 中から、はい、と高めの声がした。「666のドミトリ・カデシュです、本日収録でご一緒しますので、ご挨拶をさせて頂けませんか?」
 はい、と再び声が返されるが、先ほどうわずった声だった。室内からガタガタと物音がする。人が椅子を立つ音だ。
 ドア脇の看板には“M.E.様”と印刷された紙が差し込まれている。
 二秒待ってから、ドミトリがドアを開けた。
 室内には三人の女性がいた。室内の構成は666のそれと若干異なる。正面右側の壁のドレッサーが一つ多く、四つ並んでいる。そこの椅子の前に長い黒髪の女性と、左右に長さが不揃いのショートカットの女性、奥のソファとテーブルのそばにブラウンの髪を高く一つに束ねた女性がいる。ドミトリがそうであるように彼女たちもまだリハーサル前であるためか、それぞれに私服だったが、揃ってレザー素材を多用したパンクな服装だった。
 ケヴィンは室内には入ったが、薄く開けたままのドアの前で止まった。既にドミトリはリーダー役の長髪の女性と握手を交わしている。
「666のお二人と共演できて光栄です」イミーナと名乗ったその女性は聞き取りやすいソプラノで言った。黒髪の内側が鮮やかな真っ青に染められている。「夢が一つ叶いました」
「こちらこそ」ドミトリも平素通りの優しい声だった。「アーキテクトは別件の打ち合わせで挨拶に来られませんが、今日のコラボレーションを楽しみにしていました。皆さんの曲のアレンジを、誰より皆さんに楽しんで貰えれば嬉しいです」
 イミーナははにかむようにぎこちなく口元を動かし、そしてやや遠慮がちに視線をドミトリの背後へ向けた。「そちらの方は、クイーンズのマネージャさんでしょうか?」
「ああ、いえ彼は身辺警護です。私たちは若造ですから、セキュリティの観点でまだ考えが甘いところがあるので」
「そんなことは……」
「そんなこと言われたら、666とヒットランクで仲良くしてるのにガードマンの一人もいない私たちって、とんだ安上がりの優等生ってこと?」
 口を開いたのは奥のテーブルそばに立っていた女性だった。ヒールの所為もあるだろうが三人の中では最も背が高いが童顔で、厳格そうなイミーナに対し、生まれたての子猫を彷彿とさせる。妖しげなのにどこかあどけない。かすかに体を動かしただけで細い背中の後ろに結い上げた髪の毛先が揺れる。驚くほど長い髪だが、毛先まで完璧な状態だった。
 イミーナとその背後に隠れるように立っているもう一人のメンバーが表情を固くしたが、ドミトリは「あはは」と朗らかだ。「今月の振込額も分からない給料で公共料金を支払おうとする人間に、優等生なんていませんよ」
「私たちにもいい加減、イベント以外にも付きっきりのボディガードがいて欲しいって」ポニーテールを揺らして、女性が数歩歩いた。「こういう時やっぱり思うのよね、イミーナ?」
「ミヌエット!」
 イミーナが諌めたが、ミヌエットと呼ばれた女性はさらに進み出る。
 彼女の足取りは細い棒の上を歩いているようだ。そしてその直線的な棒の先にいるのはドミトリではない。
「ISC……ああ、去年の音楽祭にもいた物々しいオールブラックの人たち」ミヌエットはまだ一メートルほど距離を空けた位置からケヴィンのスーツ姿を見つめた。「そのスーツは防弾仕様の特別性? 光沢が素敵で気になってたの」
「ボス」ケヴィンはミヌエットを見据えたまま言った。「これは仕事か?」
「仕事かどうかはわかりませんが、私も興味があるので是非教えてほしいです」
 呑気な様子のドミトリにケヴィンは微かに目を細めた。口の中で舌が煙草を探すが、そんなものは勿論無い。
「通気性、通弾性いずれも優れた特別性です、お嬢さん」
「防弾チョッキは着てる?」
「撃たれる前提の警護計画を提出するなら、トップアーティストの警護は回ってきません」
「プロフェッショナルってことね、最高だわ」
「どうも。ボス、仕事が終わった」
「では我々はこれで」ドミトリは相変わらずにこにことして、目の前の出来事が映画かなにかのように平然としている。「パフォーマンス前に改めてアーキテクトとご挨拶させていただきます」
 イミーナがドミトリ以上の大きなおじぎをする。その後ろに隠れていた女性も頭を下げる。ミヌエットも小さく頭を下げたが、それは礼儀というより舞踊前の仕草のようだった。
 番組MCの楽屋も訪れたが、こちらは急遽スタッフとの全体確認があるということで、ほとんどすれ違いざまの挨拶になった。別の収録グループの演出に変更があったらしいことだけ、慌ただしい彼らの足音の合間に聞き取れた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

僕の部下がかわいくて仕方ない

まつも☆きらら
BL
ある日悠太は上司のPCに自分の画像が大量に保存されているのを見つける。上司の田代は悪びれることなく悠太のことが好きだと告白。突然のことに戸惑う悠太だったが、田代以外にも悠太に想いを寄せる男たちが現れ始め、さらに悠太を戸惑わせることに。悠太が選ぶのは果たして誰なのか?

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?

perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。 その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。 彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。 ……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。 口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。 ――「光希、俺はお前が好きだ。」 次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

人の噂は蜜の味

たかさき
BL
罰ゲームがきっかけで付き合うフリをする事になったチャラい深見と眼鏡の塔野の話。

処理中です...