セーニョまで戻れ

寒星

文字の大きさ
37 / 85
02:アッチェレランド:だんだん速く

10−03 メトロノーム

しおりを挟む

 「いやあ、助かりました」
 フロアに一箇所はあるリラクゼーションスペースを通り過ぎて、また静かな通路に戻ったところでドミトリが言った。「いつもミヌエットさんに捕まってしまうんですが、今日は最短記録です」
「お前は捕まらないだろ。捕まるとしたら、お前が捕まってやってるだけだ」
「それでよくミランに叱られるんですよね、変な噂が立つって」
「ああ」ケヴィンは首を回した。「あいつが避けそうな相手だな」
「カタギリさんとは正反対の方ですからね、あの方達は。デリカシーがありすぎるというか、ムードがありすぎるというか」
 ケヴィンは通ろの壁にかかるポスターを眺めていた。そのうちの一つに、666がこの冬参加する一話完結型のドラマもある。
 暗い紫色に落ち窪んだ空を背景に一軒家が黒く聳える丘、その前に不安そうな顔をして座り込む若い男女、地面に膝をついている老紳士、仰向けに倒れる子供、そういったキャストがバラバラに、まるで死体のような不気味さで佇んでいる。
 タイトルはわざと歪められた字体で“MONSTER“とあった。Sが左右反転させられている。
「聞いてます?」
「聞いてる。聞いて、六秒待った」
「アンガーマネジメントですか?」
「ああ」
 平均的に、怒りの感情は六秒以上持続しない。感情の波は大概この六秒ルールで適応できる。憂鬱や葛藤といった波以外の、沸騰も融解もしない一部の感情を除いて。
 ケヴィンはほのぼのとした顔をしている傍の男を見た。
「お前のマネジメント能力をあいつにも分けてやったらどうだ」
「その場合、私はミランから何を貰えるんです?」
「すぐに見返りの話をしないような、あいつの素直さ」
「あはは」
「それと目の焦点かな」
「あは」
 通路の角を曲がった。
「それ本気で言ってます?」
 角の向こうには誰もいなかった。このフロアにあるスタジオでは既に別グループの撮影中で、しかも何がしかのトラブル中だ。人手はそちらに傾いている。通路を出歩いているスタッフの姿はない。
 通路には監視カメラがわかりやすく設置されている。場合によってはこのカメラがバラエティの優秀な撮影スタッフとして、サプライズにかけられる出演者の姿を映すのだろうから、画質は悪くない。
 だからこの時のカメラには、ドミトリの目に突然発生した焦点が映っていたことだろう。
「本気」
 ケヴィンは歩きながら言った。そもそもどちらも足を止めていない。
 間も無く割り当ての楽屋の前だ。
「私が馬鹿な子供みたいによく考えもせず喋るのは、あなたとミランぐらいですよ」
「そこは嘘でもあなただけと言うところじゃないか?」
「だから言ったでしょう、今のわたしは馬鹿な子供です」ドミトリは楽屋のドアノブに手をかけた。まだ回さない。「子供は嘘をつきません」
「そもそも子供は『はい、僕は馬鹿正直でちんちくりんのガキです』なんて言わないだろ」
「ませたガキですねえ」
 ドミトリが笑った。綿毛が春風に吹かれて転がるように。「そうだな」ケヴィンはそろそろ口寂しさが耐えきれなくなっていた。今すぐにそれが満たせないなら、いつ満たせるかの約束が欲しかった。
 二人はドアの前にいたが、話し声はそう大きくなかった。
 そしてドアにあるガラスにはブラインドが下げられたままだ。
 ドアノブは微かにぬるくなっていた。ドミトリの指の間から直接その金属に触れたケヴィンの指先にもその温度が伝わる。ドアノブに触れていない部分は、ほとんど同じ体温だ。
 体温にしてはやや低い。
「ませたガキなら、こういう時に恋人の週末の予定ぐらい聞いておくものじゃないか?」
 ドミトリの目がケヴィンの目を見据えた。視線が重なったのを確かに感じる目の動きがあった。暗すぎる黒目は、ごく近くで目を凝らせば瞳孔を見分けることができる。
「今度は店内でゆっくり食べないか」
 ケヴィンは口端の片方を上げた。目の隈と傷が、その笑い方を卑屈そうに見せたが、ドミトリはただきょとんと——そういうふうに見える顔つきをしている。
「アップルパイと、コーヒーを一緒に飲もう。今度は砂糖は要らない、あの日ほど疲れちゃいない——あの日よりもっと楽しい話ができる」
 今、ドミトリの視線は釘のようだった。ケヴィンは同じ目をする人間を知っていた。キルヒャーだ。彼女の目とドミトリのこの目は似ている。
 物事の優先順位が既に確定しきった人間にしかできない目だ。自分の判断と感性に絶対の自信がある人間にしか出来ない目だ。直視すると目の奥が鈍痛を訴えてくる。それなのに逸らそうとすればいよいよ痛む。
「信じられないか? 俺の言ってることが」
 ケヴィンは上げていなかった方の口端も引き上げた。
「信じられない」ドミトリは仄明るい声で言った。「あなたからデートに誘われるなんて」
「日程は合わせる。現地集合で構わない、先に店内で待つ。俺が待ち合わせ場所を間違えたらそれまでだ」
 そこまで言うと、ケヴィンはドミトリの手ごとドアノブを握り込んで回した。楽屋の中から光がさす。通路の天井と全く同じ蛍光灯の光がやけに眩しい。
「おかえり」と、室内の椅子に座って資料を読んでいたミランが顔を上げる。「早かったな」
「ああ」
 ドミトリがそれに答えた。一瞬の隙も変化もない、いつも通りの声で。
「お嬢様方をカタギリさんが上手くもてなしてくださったからね」
 その言葉で、ミランの視線がドミトリからケヴィンが移る。白い目が睨む。
 ケヴィンは横目でドミトリを睨む。
 ドミトリは笑っていた。いつも通りに。
 完璧だ、とケヴィンは思った。自分にもこれが出来たら良いのだが、とも。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?

perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。 その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。 彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。 ……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。 口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。 ――「光希、俺はお前が好きだ。」 次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(2024.10.21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

【完結】君を上手に振る方法

社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」 「………はいっ?」 ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。 スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。 お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが―― 「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」 偽物の恋人から始まった不思議な関係。 デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。 この関係って、一体なに? 「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」 年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。 ✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

若頭と小鳥

真木
BL
極悪人といわれる若頭、けれど義弟にだけは優しい。小さくて弱い義弟を構いたくて仕方ない義兄と、自信がなくて病弱な義弟の甘々な日々。

【完結】取り柄は顔が良い事だけです

pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。 そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。 そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて? ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ! BLです。 性的表現有り。 伊吹視点のお話になります。 題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。 表紙は伊吹です。

【完結】エデンの住処

社菘
BL
親の再婚で義兄弟になった弟と、ある日二人で過ちを犯した。 それ以来逃げるように実家を出た椿由利は実家や弟との接触を避けて8年が経ち、モデルとして自立した道を進んでいた。 ある雑誌の専属モデルに抜擢された由利は今をときめく若手の売れっ子カメラマン・YURIと出会い、最悪な過去が蘇る。 『彼』と出会ったことで由利の楽園は脅かされ、地獄へと変わると思ったのだが……。 「兄さん、僕のオメガになって」 由利とYURI、義兄と義弟。 重すぎる義弟の愛に振り回される由利の運命の行く末は―― 執着系義弟α×不憫系義兄α 義弟の愛は、楽園にも似た俺の住処になるのだろうか? ◎表紙は装丁cafe様より︎︎𓂃⟡.·

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

処理中です...