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03:カンタービレ:歌うように、感情豊かに
20−2 カタギリ・ファミリー
しおりを挟むオータム区へつながる高速道路に乗り、コテージに最も近い出口直前にあるパーキングへ入った。それなりに規模のある売店やダイナー、休憩所がある。滅多に使わないが、夜でも数人の利用者がいた。
車を降りて、色のないステンドガラスのように全面ガラス張りになった施設に入る。土産屋を通り過ぎて(碌な物がない)、ベーカリーで半額になっていたものを適当に買うと、帰り支度を始めていた店主がフランクフルトを一本おまけすると言った。アルミホイルで包み、無造作に袋へ入れてくれる。「喉に串を刺さんようにな!」
自動販売機で買えば同じ量を半額以下で買えるコーヒーを無人サーバーで買い、車へ戻る。
ドリンクホルダーにカップを差し込み、まだあたたかいベーカリーの袋を助手席に乗せ、少し考える。
車をもう一度施錠し、売店などが入っている施設とは別に建っている手洗い場へ向かった。こちらは随分と古い建物だった。見れば、女子側の方にパイプの足場が中途半端に組まれて散る。改装予定の貼り紙がしてあった。
自動ドアの奥で男女に分かれ、青緑の色彩でまとめられた男子用の道を進む。
個室は十室あったが、入り口の電子案内盤の表示では全て空いていた。
四つ並んだ洗面器と蛇口、横に長い鏡の前を歩く。床にせよ天井にせよ、あまり四隅は注意深く見ない方がいい衛生環境だった。
——カタン、と軽い音がした。
ケヴィンが振り返ると、そこには目に痛い蛍光色のジャンパーに同じ色のキャップを被った男が立て看板を床に置くところだった。そのそばにもう一人、同じ格好の男がいる。顔はキャップのつばで隠れてよく見えないが、どちらも非常に健康そうだった。
「清掃か?」ケヴィンは聞いた。「出ようか?」
「いえ、お気遣いなく」
「そうか?」
「ええ。少し騒がしくなるかもしれませんが。すみません」
「気にすることはない、騒がしいのは大好きだ」
ケヴィンはそこで不思議そうな顔をした。
「ただ——君たちは少しお茶目だな。掃除用具の一つも持ってないなんて」
「用具入れは奥にあるんですよ」
「これは失礼」
男の一人がケヴィンの方へ歩き、そして横を通り過ぎた。鏡を見れば、背丈はほとんど同じだった。
もう一人の男は洗面台の蛇口を一つ一つ捻っては水の出を確認しているようだ。一つ目を丁重に確認し、二つ目をこれもまた丁重に確認し、三つ目に手をかける。
そして顔をケヴィンに向けた。男にしては長い黒髪をキャップに押し込んでいる。キャップのつばの奥から覗く目は寄り道せずケヴィンを見た。
「どうぞお構いなく」
反射ではなかった。
体が動いたのは。ケヴィンが振り返ったのは反射神経によるものではなく、勘に近いものだった。脳で考える前に、脊髄に電撃が走る前にそうしていた。
振り向きざま、既に振り下ろされていた拳は顔の左側を通り過ぎた。髪の毛先が拳にあたる音を聞いた。
避けるため右へ重心の下がった体に、背後から四本の腕が巻きつく。そのうち二本は足だ。足だというのに腕のような力で巻き付いた。
後ろへ引き倒される。そう察して無理やり体を捻る。キャップが一つ床の上に転がる。黒い髪がケヴィンの顔にもかかった。背後から抱きついた男が濡れた布をケヴィンの口と鼻に押し当てる——押し当てるというレベルではない。鼻を押し潰すような力だ。
同時に首を絞められ、喉にあった空気が締め出される。すると、体は酸素を求めて息を吸う。
微かに甘いような匂いと共に、砂を飲んだような焼け付く感触が喉に張り付く。
「ッ、ぅ——ぎぃ!」
その場で横に体を捻り、勢いをつけて背中から洗面台へ飛び込む。下敷きにされた男が埋めいた。蛇口にでも背中を抉られたのだろう、巻き付いていた手足が解ける。
よろつきながら足を床につける。折れそうになる膝をこらえて前を見る。
拳。
咄嗟に顔を庇った。だが軍手を嵌めたその拳はケヴィンの腹に突き刺さった。
混乱していた。喉に張り付いた熱と砂が煩わしい。
その苛立ち任せに、抜けようとする腕を掴んで横殴りに拳を突き出す。すぐに生暖かく硬いものにぶつかった。
「あ、あ! ああ!」
ちょうど口元に当たったのだろう。口元を抑える男が、血走った目を向ける。
「良いフックだ。顔を見せろ」
「このビッチが!」
「——は、」
思いがけない罵声に一瞬呆けるが、それが逆に頭の混乱を一時的に押し流した。
顔を狙った横殴りの拳を手で弾き、踏み込む。男は大柄な体躯に反して敏捷だった。突き出した腕をバネのように弾き戻し、倍の速さでまた突き出す。今度は掠るのも危うい。顎を逸らす必要があった。
避けるため体をひねり、その反動で下から拳を突き上げる。男はそれを受け止めた。強く。
男に強く抱きしめられた自分の拳を支点に、ケヴィンは側転するように足を跳ね上げた。靴底が強かに男の横顔を蹴りつける。
衝撃で男は大きく揺れ、倒れ——なかった。
「楽になれ!」
仕方なく男の顔を蹴った足をそのまま首に巻きつける。両足をトラバサミのようにして頸動脈を圧迫する。太ももに男の首を流れる血の震えを感じた。
足では足りない。ケヴィンは首に巻いていたネクタイを片手で千切るように抜き取り、それを男の首に新たに巻きつける。手加減が難しいが、やらなければいずれこのネクタイを使われるのは自分だ。
だが男を締め落とす前に、もう一人の男がズボンに巻いたポーチからプラスチックのボトルを取り出し、無造作に中身をケヴィンの顔めがけてかけた。
それが何か——ともかく香水や健康飲料でないことは確かだ。
だが怯んだ一瞬の隙に、気絶寸前に顔を真っ赤にした男がケヴィンを床へ押し倒した。
「あ、! っぐ」
後頭部に鈍痛。湿った匂い。汗ばんだ男の皮膚。肉の感触。体臭。黴。重さ。
全てが最悪だ。
顔にかかった液体が口に入り、どうにか吐き出そうとするが、もう一人の男が床に押し倒され、ケヴィンの口元の真上に先ほどの布を広げる——ご丁寧にボトルの残りを滴るほど掛けてから。
滴る薬品を浴びながら——布がゆっくりと下りてくる。葬式で遺体に被せるそれのように。
だが、その時布を持った男が弾かれたように動きを止めた。そしてすぐに、ケヴィンの上にのしかかっていた男の肩を叩く。
靴音が聞こえた。ゴツ、とやけに重い音がする。アサルトブーツだろうか、登山用の。
どうやら清掃中の看板にも関わらず、膀胱の危機を迎えている男がいるらしい。
声を上げようにも口を濡れた布で塞がれ、ケヴィンは大柄な男に抱え上げられた。そのまま足早に男三人は一番奥の個室へ入った。
個室の鍵が閉まった後、誰かがトイレに入ってきた。
ゴツ、ゴツ、と険しい足音はタイルを踏み——そしてすぐに止まった。
水の流れる音がした。洗面台のどれかだろう。ケヴィンが最初に薬物男を叩き落とした拍子に蛇口が捻られたのか、水が出しっ放しになっている。
キュッと小気味よい音がした。
そして、再び足音が始まった。
ゴツ、ゴツ、と足音が鳴る。清掃中にも関わらず飛び込んできたにはやけにのんびりとした足取りだ。かといって、間に合うことができなかった失意の男にしては軽快だ。
——足音は、丁度三人がいる個室の前で止まった。
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