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1章
◇平民アレクのまなざし。
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シア様は、正直言って怖い人だった。
入学当初から噂は聞いていて、気をつけろと言われていたけれど、噂は大げさだろうと思っていた。
でも、嫌がらせの言葉をかけられたり、平民であることを蔑まれたりすることが増え、そしてあの日。
レオンに近づくなと言う言葉に反論した俺に、練り上げられたシア様の魔力がぶつかる直前。不自然に霧散したのだ。
込められた魔力が大きかったのもあって俺はずぶぬれにはなったが、まるで殺傷能力のない水を浴びせられただけなので無傷で。
そして、シア様はそれ以降おかしくなった。
「……おはようございます、アレクさん。昨日はすみませんでした」
「お、おはようございます……」
声をかけられ、挨拶と謝罪までされ、しかもその声音が柔く優しい。二度見どころか、去るその背中をじっと見てしまったのは俺だけではなかったようで、挨拶をされた全員が俺と同じことをしていた。
最初の数日は皆気味悪がっていただけだが、それも徐々に慣れてくる。
うっかりノートを落とした子が、シア様に拾ってもらい、汚れたノートを水魔法で綺麗にしてもらった! だとか、魔法の暴発で危ないところをシア様が守ってくれたとか。
最初は小さな波紋でも、重なり大きなうねりとなる。
もともと見目は大層美しい方だ。黙ってほほ笑むだけで相手の警戒を解く力すらある。そんな方が、小さく俯いて自信無さげにしていれば、皆ぐらつくのも納得できる。
レオンは違和感が強いようで、ずっと警戒をあらわにしていたけれど……。俺はむしろ、逆だった。
以前のシア様の振る舞いの方が違和感があったのだ。入学以来数か月、俺に強い言葉を投げつけながらも、どこか不安定で、直接的に手を出してきたことも、あの水魔法の一件以外には存在しない。
だからこそ、シア様に不調が無いか調べるべきだと思ったから、治癒魔法を試す事にも賛同したのだが。
「黒魔法って……どういうことですか? まさか、先生。知ってて放置したってことですか!?」
黒魔法。それは、人が他者を呪う術として編み出した禁忌の魔法で、使えば精神を蝕まれる。
元は魔族の使う闇魔法から力を借り受けたものと伝えられている。その関係で、光魔法はその影響を排除できる唯一の力であるから、光魔法を扱うものが決して無視できないものだ。
「対処できるものではなかったのですよ。知っているでしょう。光魔法を扱える存在は、この国には今、アレク君。あなた一人だけだということを」
「そ、れは。でも! それならば、入学当初に俺に言ってもらえれば!」
「……貴重な光魔法の使い手を、危険にさらすことはできない。そういうことだ」
「だからこそ、ギルクス君も、私に頼もうと結論付けた。治癒魔法の方を試そうとしたわけですからね。アレク君、あなたの光魔法ではなく」
入学以来、シア様を見ると常に感じていた違和感。それはきっと彼を蝕む黒魔法の力だったのだと、今はわかる。しかし、問題は。
「あれ、でも、じゃあ今のシア様は黒魔法の影響からは解放されているということに……?」
「おそらくはそうですね。考えられる可能性としては……」
「アレクの魔力ですか」
「そうです。そして、ここからが重要なのですが」
「まだ何かあるんですか」
「ええ。黒魔法の影響が解けたといっても、一時的である可能性があります」
「え……」
「ですので、これから4人で定期的にお茶会をしましょう」
ぴしりと固まるレオンと、ぽかんと口を開く俺を前に、カランド先生だけが、楽し気に、にこりと笑った。
2週間、週にほぼ毎日お茶会をした結果としてわかったのは、シア様が意外とバ……いや、ふわふわした方だということだ。
下心満載の明らかにアヤシイお菓子を嬉しそうに受け取った時は目を疑ったし、うっかりを装って叩き落すのに苦労した。
ああいった差し入れはよくあるのかと聞けば、どうもシア様の様子が変わってからのことらしくて、介入が間に合ったことに心底ほっとした。
「シア様、今後知らない人から食べ物を受け取ってはいけません」
「え、何? 俺幼児だと思われてます?」
言い聞かせて傍に置いておけるだけ幼児の方が安心できるまでありますが?
家にいる、今年4歳になる弟に思いをはせながら、目の前の丸くなった金の瞳を見る。俺より少し低い位置にあるそれは、長い睫毛に縁どられ、何度見ても人並み外れた不思議な魅力がある。
その金色がふわりと細められて、どこか柔らかく包まれるような声がした。
「ありがとうございます。心配してくださったんですよね」
「そ、、う、ですけど」
「けど?」
「いや、そう素直にお礼を言われると、なんだか照れくさいなと」
おや、なんて言って、貴族然とした上品な空気が霧散する。口を開けてからからと笑うシア様の、取り繕わない素を垣間見た気がして、どこか現実味のない心地だった。
「はは、なんというか、君は本当に人がいいな。ずっと酷い態度をとっていた俺にまで気を配れるんだから」
「……シア様は、レオンのことで俺に嫉妬したと言いましたよね。それは、今もですか」
ごくりと息をのんで、しかし、誤魔化してはならぬと思う言葉を投げかける。こちらを見る目は、あの日以来一度も憎悪を宿していないように見える代わりに、不自然なほど真っすぐだったが、俺の言葉を受けてそれが揺らぐ。
「あの、俺は別に、レオンのことを好きだとか、そういうのはなくてですね、だから、」
慌てて言葉の足りなかった部分を付け加えれば、彼の目が少し俯きながら伏せられた。
「俺の中に、残り火のように燻ぶっているのは確かだよ。でも」
シア様が、自身の胸元にあてた手が、微かに震える。その手つきは大切なものを扱うように優しく見えたけど。
「これは、消えるべき残骸だ」
ためらいもなく、ぐしゃりと握りつぶされた。
入学当初から噂は聞いていて、気をつけろと言われていたけれど、噂は大げさだろうと思っていた。
でも、嫌がらせの言葉をかけられたり、平民であることを蔑まれたりすることが増え、そしてあの日。
レオンに近づくなと言う言葉に反論した俺に、練り上げられたシア様の魔力がぶつかる直前。不自然に霧散したのだ。
込められた魔力が大きかったのもあって俺はずぶぬれにはなったが、まるで殺傷能力のない水を浴びせられただけなので無傷で。
そして、シア様はそれ以降おかしくなった。
「……おはようございます、アレクさん。昨日はすみませんでした」
「お、おはようございます……」
声をかけられ、挨拶と謝罪までされ、しかもその声音が柔く優しい。二度見どころか、去るその背中をじっと見てしまったのは俺だけではなかったようで、挨拶をされた全員が俺と同じことをしていた。
最初の数日は皆気味悪がっていただけだが、それも徐々に慣れてくる。
うっかりノートを落とした子が、シア様に拾ってもらい、汚れたノートを水魔法で綺麗にしてもらった! だとか、魔法の暴発で危ないところをシア様が守ってくれたとか。
最初は小さな波紋でも、重なり大きなうねりとなる。
もともと見目は大層美しい方だ。黙ってほほ笑むだけで相手の警戒を解く力すらある。そんな方が、小さく俯いて自信無さげにしていれば、皆ぐらつくのも納得できる。
レオンは違和感が強いようで、ずっと警戒をあらわにしていたけれど……。俺はむしろ、逆だった。
以前のシア様の振る舞いの方が違和感があったのだ。入学以来数か月、俺に強い言葉を投げつけながらも、どこか不安定で、直接的に手を出してきたことも、あの水魔法の一件以外には存在しない。
だからこそ、シア様に不調が無いか調べるべきだと思ったから、治癒魔法を試す事にも賛同したのだが。
「黒魔法って……どういうことですか? まさか、先生。知ってて放置したってことですか!?」
黒魔法。それは、人が他者を呪う術として編み出した禁忌の魔法で、使えば精神を蝕まれる。
元は魔族の使う闇魔法から力を借り受けたものと伝えられている。その関係で、光魔法はその影響を排除できる唯一の力であるから、光魔法を扱うものが決して無視できないものだ。
「対処できるものではなかったのですよ。知っているでしょう。光魔法を扱える存在は、この国には今、アレク君。あなた一人だけだということを」
「そ、れは。でも! それならば、入学当初に俺に言ってもらえれば!」
「……貴重な光魔法の使い手を、危険にさらすことはできない。そういうことだ」
「だからこそ、ギルクス君も、私に頼もうと結論付けた。治癒魔法の方を試そうとしたわけですからね。アレク君、あなたの光魔法ではなく」
入学以来、シア様を見ると常に感じていた違和感。それはきっと彼を蝕む黒魔法の力だったのだと、今はわかる。しかし、問題は。
「あれ、でも、じゃあ今のシア様は黒魔法の影響からは解放されているということに……?」
「おそらくはそうですね。考えられる可能性としては……」
「アレクの魔力ですか」
「そうです。そして、ここからが重要なのですが」
「まだ何かあるんですか」
「ええ。黒魔法の影響が解けたといっても、一時的である可能性があります」
「え……」
「ですので、これから4人で定期的にお茶会をしましょう」
ぴしりと固まるレオンと、ぽかんと口を開く俺を前に、カランド先生だけが、楽し気に、にこりと笑った。
2週間、週にほぼ毎日お茶会をした結果としてわかったのは、シア様が意外とバ……いや、ふわふわした方だということだ。
下心満載の明らかにアヤシイお菓子を嬉しそうに受け取った時は目を疑ったし、うっかりを装って叩き落すのに苦労した。
ああいった差し入れはよくあるのかと聞けば、どうもシア様の様子が変わってからのことらしくて、介入が間に合ったことに心底ほっとした。
「シア様、今後知らない人から食べ物を受け取ってはいけません」
「え、何? 俺幼児だと思われてます?」
言い聞かせて傍に置いておけるだけ幼児の方が安心できるまでありますが?
家にいる、今年4歳になる弟に思いをはせながら、目の前の丸くなった金の瞳を見る。俺より少し低い位置にあるそれは、長い睫毛に縁どられ、何度見ても人並み外れた不思議な魅力がある。
その金色がふわりと細められて、どこか柔らかく包まれるような声がした。
「ありがとうございます。心配してくださったんですよね」
「そ、、う、ですけど」
「けど?」
「いや、そう素直にお礼を言われると、なんだか照れくさいなと」
おや、なんて言って、貴族然とした上品な空気が霧散する。口を開けてからからと笑うシア様の、取り繕わない素を垣間見た気がして、どこか現実味のない心地だった。
「はは、なんというか、君は本当に人がいいな。ずっと酷い態度をとっていた俺にまで気を配れるんだから」
「……シア様は、レオンのことで俺に嫉妬したと言いましたよね。それは、今もですか」
ごくりと息をのんで、しかし、誤魔化してはならぬと思う言葉を投げかける。こちらを見る目は、あの日以来一度も憎悪を宿していないように見える代わりに、不自然なほど真っすぐだったが、俺の言葉を受けてそれが揺らぐ。
「あの、俺は別に、レオンのことを好きだとか、そういうのはなくてですね、だから、」
慌てて言葉の足りなかった部分を付け加えれば、彼の目が少し俯きながら伏せられた。
「俺の中に、残り火のように燻ぶっているのは確かだよ。でも」
シア様が、自身の胸元にあてた手が、微かに震える。その手つきは大切なものを扱うように優しく見えたけど。
「これは、消えるべき残骸だ」
ためらいもなく、ぐしゃりと握りつぶされた。
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