毒視姫(どくみひめ)の憂鬱

翠晶 瓈李

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宵の宮〈1〉

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 長い眠りからゆっくりと覚醒していきながら、リシュは思った。



(毒の香りがしない………)



 ラスバートが傍にいないせいだろうかとぼんやり考える。




 そして目を開けて、リシュは視線を巡らせた。




(ここ……たぶん、もう王宮よね?)




 寝かされている天蓋付きの寝台は、とても一人用と思えないほど広い。



 ───おじ様ったら。王宮に着いたら起こしてって言ったのに。


(……でも。まあ、いいか。そのうち誰か来るだろうし)




 久しぶりに心ゆくまで眠ることができたせいか、リシュは気分が良かった。



 頭もスッキリしているし、お腹も空いていた。




 とりあえず動き出そうと身を起こし、リシュは寝台を降りた。



 紗の天蓋をくぐると、豪奢な室内が現れ、リシュは息を呑む。




 目の前の卓上に、美しい花々が活けられた花器と、その横に小さな呼鈴が置いてあった。



 思案すること数分。




───確か、これを鳴らしたら侍女がやって来るのよね。



 昔過ごした王宮での作法を、リシュは思い出していた。


(なんか面倒くさいな……)



 一人で自由に外へ出ることもままならない生活。


 ここはそういう場所だ。



 けれど。


 一人でウロつきたいと思ってはみても、この広い城内での、当時の記憶は薄れている。


 きっと迷子になるだろう。




(仕方ない……)



 リシュが手を伸ばしベルを鳴らすと、数分もしないうちに扉をノックする音が聴こえた。




「お目覚めでしょうか、姫さま……」




 女性の声だった。




「起きました、どうぞ」




 リシュが返事をすると、扉が開いて一人の女性が姿を現した。



「おはようごさいます、リシュ姫さま。ああ、よかった……。顔色もよろしゅうございますね」



 にこやかに、華やかに。



 身につけた品の良い形の服は、ブルーグレーの色でまとめられ、落ち着いた雰囲気の装いだった。



 結い上げられた赤銅色の髪に着けた細かな翡翠や紅玉の飾りを揺らしながら、その美しい女性はリシュに近寄ると一礼し、そして言った。



「はじめまして。わたくしはスウシェ・カルノードと申します。及ばずながら、このラシュエン国の宰相を務めております。以後、お見知りおきを」



 宰相。

 この女性が?



 前王ルクトワの御代に務めていた宰相の顔を、今ではぼんやりと思い出すことしかできないリシュだったが。



 当時の宰相が女性ではなかったことは確かだ。



「それから……お入りなさい」



 出入口の扉に向かってスウシェが声をかけた。




 すると、白と黒のメイド服に身を包んだ一人の娘が入ってきた。




「今日からこの子がリシュ姫さま付きの侍女としてお世話させていただきます。なんなりとお申し付けくださいませ」



 スウシェの後ろに控えていた娘は、リシュの方を向くと、腰を屈めて会釈した。


 耳朶の辺りで切り揃えられた髪は艶の良い栗色で、大きくて愛嬌のある黒い瞳が好印象だ。



 幼く見えるが、とても落ち着いた雰囲気もあり、リシュの中で年齢予想が定まらない。



「リィムと申します、姫さま。どうぞよろしくお願いします」




 おまけに声も可愛らしい。



「あの、その呼び方やめてください。私は姫ではありませんので。名前だけでいいですから」



「いいえ、いけません」


 スウシェが即答する。



「リシュ姫さまとお呼びしなければ、陛下に叱られます。
 それにこの〈宵の宮〉の一室に迎えられた時点で女人は皆、姫と呼ばれる身分になるのですもの」



「よ、宵の宮⁉  ……そんなっ、ここってあの〈宵の宮〉なんですか?」



「はい」



 スウシェがニッコリ笑った。



「同じ城内でも、リサナ様とリシュ姫さまが以前住まわれていた宵の宮とは違う場所ですが、ここも一応〈宵の宮〉ですよ」





 宵の宮。


 それは王の妃はもちろん、王が新しく妻にした女性や気に入った寵姫などが王から賜る宮殿の名称だった。



 宵の刻に、

 王が足繁く通う場所。

 そんな様子を表す名称のついた〈宵の宮〉。

 そこは妃や寵姫だけが住まう場所。


 そして王はその寝所に身を置くことが許されるところ。




「姫と呼ばれる身分になって宵の宮へ身を置いた女性が、いずれお妃様と呼び名が変わった例もありましたが……。
 今はもう、それも遠い昔の話ですわ。今はどこの〈宵の宮〉にも姫と呼ばれる方もお妃様も誰もいません。ここの宮もリサナ様が城を去られてからは寂れる一方で……」



「えっ、母様が?」



───母様がここに⁉




「ええ。あら、お聞きになってませんでしたか? ルクトワ様が崩御された頃から前後して……。
 ロキルト様の王位争いの最中も、それから新王として即位してからもずっと、城に来ていらしたときには、必ずこちらに滞在して過ごしていらっしゃいましたのよ」




 初耳だった。



 ───母様ったら宵の宮で寝泊まりしていたなんて。



(そんなこと一度も言ってなかったじゃない……)




「でもそれって、かなり問題あったんじゃ……」



「そりゃあ当時は大アリでしたわねぇ。十一歳の子供が宵の宮へ女性を置くなんて。しかもそれが前王のお妃様なんですもの。
 ……でもあの頃は宮廷もいろいろゴタゴタしていましたし、魔性王に逆らえない者も多かったですしね。
 陛下も今より好き勝手してましたから。それに、リサナ様の存在は当時、ロキルト様の傍にいることが当たり前……のようなところがありましたもの。
 陛下の持つ権力の一つのように思われていましたから」




「そんな言い方、不愉快です」



「……そうですね、申し訳ありません。でもわたくし、リサナ様にはとてもお世話になった身なんです。リサナ様がいなければ、今のわたくしは、ここに存在すらしていないでしょう。
 ……そのくらい、あの方には御恩があるのです。ですからどうか……」



 スウシェは目の前に跪き、真っ直ぐにリシュを見つめて言った。



「宵の宮の意味は、この際忘れてくださってて構いません。思う存分このお部屋でおくつろぎくださいませ」




「……でも、ほかにも部屋があるでしょう。どうしてここなの? なぜ宵の宮なんかに……」



「それは……。こちらの〈宵の宮〉は陛下の自室に一番近いわけですから、なにかと便利ですし」




(なにかとって何⁉)


───それに、



「陛下の自室に一番近いって、それって正妃を置くべき宮でしょ?」



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