12 / 31
宵の宮〈1〉
しおりを挟む
長い眠りからゆっくりと覚醒していきながら、リシュは思った。
(毒の香りがしない………)
ラスバートが傍にいないせいだろうかとぼんやり考える。
そして目を開けて、リシュは視線を巡らせた。
(ここ……たぶん、もう王宮よね?)
寝かされている天蓋付きの寝台は、とても一人用と思えないほど広い。
───おじ様ったら。王宮に着いたら起こしてって言ったのに。
(……でも。まあ、いいか。そのうち誰か来るだろうし)
久しぶりに心ゆくまで眠ることができたせいか、リシュは気分が良かった。
頭もスッキリしているし、お腹も空いていた。
とりあえず動き出そうと身を起こし、リシュは寝台を降りた。
紗の天蓋をくぐると、豪奢な室内が現れ、リシュは息を呑む。
目の前の卓上に、美しい花々が活けられた花器と、その横に小さな呼鈴が置いてあった。
思案すること数分。
───確か、これを鳴らしたら侍女がやって来るのよね。
昔過ごした王宮での作法を、リシュは思い出していた。
(なんか面倒くさいな……)
一人で自由に外へ出ることもままならない生活。
ここはそういう場所だ。
けれど。
一人でウロつきたいと思ってはみても、この広い城内での、当時の記憶は薄れている。
きっと迷子になるだろう。
(仕方ない……)
リシュが手を伸ばしベルを鳴らすと、数分もしないうちに扉をノックする音が聴こえた。
「お目覚めでしょうか、姫さま……」
女性の声だった。
「起きました、どうぞ」
リシュが返事をすると、扉が開いて一人の女性が姿を現した。
「おはようごさいます、リシュ姫さま。ああ、よかった……。顔色もよろしゅうございますね」
にこやかに、華やかに。
身につけた品の良い形の服は、ブルーグレーの色でまとめられ、落ち着いた雰囲気の装いだった。
結い上げられた赤銅色の髪に着けた細かな翡翠や紅玉の飾りを揺らしながら、その美しい女性はリシュに近寄ると一礼し、そして言った。
「はじめまして。わたくしはスウシェ・カルノードと申します。及ばずながら、このラシュエン国の宰相を務めております。以後、お見知りおきを」
宰相。
この女性が?
前王ルクトワの御代に務めていた宰相の顔を、今ではぼんやりと思い出すことしかできないリシュだったが。
当時の宰相が女性ではなかったことは確かだ。
「それから……お入りなさい」
出入口の扉に向かってスウシェが声をかけた。
すると、白と黒のメイド服に身を包んだ一人の娘が入ってきた。
「今日からこの子がリシュ姫さま付きの侍女としてお世話させていただきます。なんなりとお申し付けくださいませ」
スウシェの後ろに控えていた娘は、リシュの方を向くと、腰を屈めて会釈した。
耳朶の辺りで切り揃えられた髪は艶の良い栗色で、大きくて愛嬌のある黒い瞳が好印象だ。
幼く見えるが、とても落ち着いた雰囲気もあり、リシュの中で年齢予想が定まらない。
「リィムと申します、姫さま。どうぞよろしくお願いします」
おまけに声も可愛らしい。
「あの、その呼び方やめてください。私は姫ではありませんので。名前だけでいいですから」
「いいえ、いけません」
スウシェが即答する。
「リシュ姫さまとお呼びしなければ、陛下に叱られます。
それにこの〈宵の宮〉の一室に迎えられた時点で女人は皆、姫と呼ばれる身分になるのですもの」
「よ、宵の宮⁉ ……そんなっ、ここってあの〈宵の宮〉なんですか?」
「はい」
スウシェがニッコリ笑った。
「同じ城内でも、リサナ様とリシュ姫さまが以前住まわれていた宵の宮とは違う場所ですが、ここも一応〈宵の宮〉ですよ」
宵の宮。
それは王の妃はもちろん、王が新しく妻にした女性や気に入った寵姫などが王から賜る宮殿の名称だった。
宵の刻に、
王が足繁く通う場所。
そんな様子を表す名称のついた〈宵の宮〉。
そこは妃や寵姫だけが住まう場所。
そして王はその寝所に身を置くことが許されるところ。
「姫と呼ばれる身分になって宵の宮へ身を置いた女性が、いずれお妃様と呼び名が変わった例もありましたが……。
今はもう、それも遠い昔の話ですわ。今はどこの〈宵の宮〉にも姫と呼ばれる方もお妃様も誰もいません。ここの宮もリサナ様が城を去られてからは寂れる一方で……」
「えっ、母様が?」
───母様がここに⁉
「ええ。あら、お聞きになってませんでしたか? ルクトワ様が崩御された頃から前後して……。
ロキルト様の王位争いの最中も、それから新王として即位してからもずっと、城に来ていらしたときには、必ずこちらに滞在して過ごしていらっしゃいましたのよ」
初耳だった。
───母様ったら宵の宮で寝泊まりしていたなんて。
(そんなこと一度も言ってなかったじゃない……)
「でもそれって、かなり問題あったんじゃ……」
「そりゃあ当時は大アリでしたわねぇ。十一歳の子供が宵の宮へ女性を置くなんて。しかもそれが前王のお妃様なんですもの。
……でもあの頃は宮廷もいろいろゴタゴタしていましたし、魔性王に逆らえない者も多かったですしね。
陛下も今より好き勝手してましたから。それに、リサナ様の存在は当時、ロキルト様の傍にいることが当たり前……のようなところがありましたもの。
陛下の持つ権力の一つのように思われていましたから」
「そんな言い方、不愉快です」
「……そうですね、申し訳ありません。でもわたくし、リサナ様にはとてもお世話になった身なんです。リサナ様がいなければ、今のわたくしは、ここに存在すらしていないでしょう。
……そのくらい、あの方には御恩があるのです。ですからどうか……」
スウシェは目の前に跪き、真っ直ぐにリシュを見つめて言った。
「宵の宮の意味は、この際忘れてくださってて構いません。思う存分このお部屋でおくつろぎくださいませ」
「……でも、ほかにも部屋があるでしょう。どうしてここなの? なぜ宵の宮なんかに……」
「それは……。こちらの〈宵の宮〉は陛下の自室に一番近いわけですから、なにかと便利ですし」
(なにかとって何⁉)
───それに、
「陛下の自室に一番近いって、それって正妃を置くべき宮でしょ?」
(毒の香りがしない………)
ラスバートが傍にいないせいだろうかとぼんやり考える。
そして目を開けて、リシュは視線を巡らせた。
(ここ……たぶん、もう王宮よね?)
寝かされている天蓋付きの寝台は、とても一人用と思えないほど広い。
───おじ様ったら。王宮に着いたら起こしてって言ったのに。
(……でも。まあ、いいか。そのうち誰か来るだろうし)
久しぶりに心ゆくまで眠ることができたせいか、リシュは気分が良かった。
頭もスッキリしているし、お腹も空いていた。
とりあえず動き出そうと身を起こし、リシュは寝台を降りた。
紗の天蓋をくぐると、豪奢な室内が現れ、リシュは息を呑む。
目の前の卓上に、美しい花々が活けられた花器と、その横に小さな呼鈴が置いてあった。
思案すること数分。
───確か、これを鳴らしたら侍女がやって来るのよね。
昔過ごした王宮での作法を、リシュは思い出していた。
(なんか面倒くさいな……)
一人で自由に外へ出ることもままならない生活。
ここはそういう場所だ。
けれど。
一人でウロつきたいと思ってはみても、この広い城内での、当時の記憶は薄れている。
きっと迷子になるだろう。
(仕方ない……)
リシュが手を伸ばしベルを鳴らすと、数分もしないうちに扉をノックする音が聴こえた。
「お目覚めでしょうか、姫さま……」
女性の声だった。
「起きました、どうぞ」
リシュが返事をすると、扉が開いて一人の女性が姿を現した。
「おはようごさいます、リシュ姫さま。ああ、よかった……。顔色もよろしゅうございますね」
にこやかに、華やかに。
身につけた品の良い形の服は、ブルーグレーの色でまとめられ、落ち着いた雰囲気の装いだった。
結い上げられた赤銅色の髪に着けた細かな翡翠や紅玉の飾りを揺らしながら、その美しい女性はリシュに近寄ると一礼し、そして言った。
「はじめまして。わたくしはスウシェ・カルノードと申します。及ばずながら、このラシュエン国の宰相を務めております。以後、お見知りおきを」
宰相。
この女性が?
前王ルクトワの御代に務めていた宰相の顔を、今ではぼんやりと思い出すことしかできないリシュだったが。
当時の宰相が女性ではなかったことは確かだ。
「それから……お入りなさい」
出入口の扉に向かってスウシェが声をかけた。
すると、白と黒のメイド服に身を包んだ一人の娘が入ってきた。
「今日からこの子がリシュ姫さま付きの侍女としてお世話させていただきます。なんなりとお申し付けくださいませ」
スウシェの後ろに控えていた娘は、リシュの方を向くと、腰を屈めて会釈した。
耳朶の辺りで切り揃えられた髪は艶の良い栗色で、大きくて愛嬌のある黒い瞳が好印象だ。
幼く見えるが、とても落ち着いた雰囲気もあり、リシュの中で年齢予想が定まらない。
「リィムと申します、姫さま。どうぞよろしくお願いします」
おまけに声も可愛らしい。
「あの、その呼び方やめてください。私は姫ではありませんので。名前だけでいいですから」
「いいえ、いけません」
スウシェが即答する。
「リシュ姫さまとお呼びしなければ、陛下に叱られます。
それにこの〈宵の宮〉の一室に迎えられた時点で女人は皆、姫と呼ばれる身分になるのですもの」
「よ、宵の宮⁉ ……そんなっ、ここってあの〈宵の宮〉なんですか?」
「はい」
スウシェがニッコリ笑った。
「同じ城内でも、リサナ様とリシュ姫さまが以前住まわれていた宵の宮とは違う場所ですが、ここも一応〈宵の宮〉ですよ」
宵の宮。
それは王の妃はもちろん、王が新しく妻にした女性や気に入った寵姫などが王から賜る宮殿の名称だった。
宵の刻に、
王が足繁く通う場所。
そんな様子を表す名称のついた〈宵の宮〉。
そこは妃や寵姫だけが住まう場所。
そして王はその寝所に身を置くことが許されるところ。
「姫と呼ばれる身分になって宵の宮へ身を置いた女性が、いずれお妃様と呼び名が変わった例もありましたが……。
今はもう、それも遠い昔の話ですわ。今はどこの〈宵の宮〉にも姫と呼ばれる方もお妃様も誰もいません。ここの宮もリサナ様が城を去られてからは寂れる一方で……」
「えっ、母様が?」
───母様がここに⁉
「ええ。あら、お聞きになってませんでしたか? ルクトワ様が崩御された頃から前後して……。
ロキルト様の王位争いの最中も、それから新王として即位してからもずっと、城に来ていらしたときには、必ずこちらに滞在して過ごしていらっしゃいましたのよ」
初耳だった。
───母様ったら宵の宮で寝泊まりしていたなんて。
(そんなこと一度も言ってなかったじゃない……)
「でもそれって、かなり問題あったんじゃ……」
「そりゃあ当時は大アリでしたわねぇ。十一歳の子供が宵の宮へ女性を置くなんて。しかもそれが前王のお妃様なんですもの。
……でもあの頃は宮廷もいろいろゴタゴタしていましたし、魔性王に逆らえない者も多かったですしね。
陛下も今より好き勝手してましたから。それに、リサナ様の存在は当時、ロキルト様の傍にいることが当たり前……のようなところがありましたもの。
陛下の持つ権力の一つのように思われていましたから」
「そんな言い方、不愉快です」
「……そうですね、申し訳ありません。でもわたくし、リサナ様にはとてもお世話になった身なんです。リサナ様がいなければ、今のわたくしは、ここに存在すらしていないでしょう。
……そのくらい、あの方には御恩があるのです。ですからどうか……」
スウシェは目の前に跪き、真っ直ぐにリシュを見つめて言った。
「宵の宮の意味は、この際忘れてくださってて構いません。思う存分このお部屋でおくつろぎくださいませ」
「……でも、ほかにも部屋があるでしょう。どうしてここなの? なぜ宵の宮なんかに……」
「それは……。こちらの〈宵の宮〉は陛下の自室に一番近いわけですから、なにかと便利ですし」
(なにかとって何⁉)
───それに、
「陛下の自室に一番近いって、それって正妃を置くべき宮でしょ?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
セクスカリバーをヌキました!
桂
ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。
国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。
ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる