毒視姫(どくみひめ)の憂鬱

翠晶 瓈李

文字の大きさ
25 / 31

妃 候補〈1〉

しおりを挟む


 優しく。


 誰かがリシュの髪を梳いた。



 おでこから左耳の後ろへ……


 ……そうっと、撫でる手に。



 リシュは思い出す。


 リサナの手を……。




 ああ……


 なんだか懐かしい。


 こんなふうに母様に触れられるの


 久しぶり……。



 でも。


 ……夢?



 夢。




 母様はもういないはず……



 けれど何度もその手は触れる。


 優しく髪に



 ……そして耳裏へ、それから頬へ……


 ─── ⁉



(だれ?)



 冷たい手の感触にドキリとして、リシュは目覚めた。


 視線の先には自分を覗き込む白に近いくらい薄い水色の瞳。



「……ッ ⁉ ろッ ⁉」


 ───ロキっ!



 寝台の上、リシュが横たわる傍に腰を下ろしたロキルトが、じっとこちらを見下ろしていた。


 彼はふっと笑い、リシュの左頬に手を添えた。



「ちょ、⁉ やめて!」



 リシュはその手を撥ね除けて身体を動かし、起き上がる。



「な、なんなのっ⁉」



 なぜここに?


 部屋は別だったはず。


 それがどうして……。




「おはよう、姉君」


「……お、は……?え ………もう、朝?」



 薄明るい窓の外から小鳥たちのさえずりが聴こえた。


「なっ、なんでここにっ。どうして私の部屋に居るの!」


「ここは俺の城で宵の宮は俺の部屋のようなものだ。どの部屋へどう入ろうと俺の自由」


 こう言ってふわりと微笑んだ顔は……。


 夕べあんなに不安定で、切なげで……苦しげだったくせに。


 ……そんな感情で心を満たしていたはずだったのに……。



 今は欠片も感じない。


 爽やかにさえ見えるその笑顔に。


 リシュは動揺した。


「……もう起きたの」


 いつ起きたの。

 もっと眠っていてくれたらよかったのに。


「ああ、おかげさまで……と言うべきか? よく眠れた。こんなに清々しい朝は久しぶりだよ。ただ、目覚めてリシュが横にいなかったのが残念でね……。それでここへ来た」


「なんで……来なくてもいいのに」


「つれないな、姉君は」


 まるでリシュの反応を愉しむかのような、ロキルトの態度が、とても腹立たしい。


「下りてください、陛下。私の傍ではまた眠くなりますよ」


 なるべく彼の顔を見ないように、リシュは言った。



「そうか?」


 ロキルトは返事をしながらリシュに身体を近付けた。


 その距離におもわず身を引いたリシュだったが、ロキルトの腕がリシュの背中と腰に回される方が早かった。


「は! 離し……ッ」


 抱き寄せ、ロキルトはリシュの右耳の上に頬を寄せ……


 その髪の中に顔を埋めた。



「……ッ‼」


 必死に抗うリシュだったが、その力の差には適わず身体は少しも動いてくれない。



「ちょっっ や、だっ!」



 ……すぅ、 ───と。


 唇が触れている部分から、


 ロキルトの呼吸を感じる。


 吐息と熱が、触れている部分を溶かしてゆくように。


 深く吸い込む音と熱が、


 痺れるような感覚を、刻む。


 まるで毒にでも侵されてゆくように……。



 ……すぅ………


 音が繰り返され、ロキルトはリシュのその髪の匂いを確かめているようだった。


 ……やがて、


 ロキルトはゆっくりと顔を離して言った。


「今朝はもう眠くならない。しっかり眠れば……効果は薄れるのか? 最近、寝不足気味だったせいもあるか……。
 しかし不思議だな、芳しい匂いがおまえから相変わらず漂っているのに」



 抱く腕を緩めないまま、ロキルトはリシュを見つめた。


 その視線から……


 密着している身体の中にまで


 熱が



 入り込む。



 熱という毒が。



「寝不足? 眠りを拒むような生活をしていたと……聞いてますけど。あの、離してください、陛下」



「名前で呼ばなければ離さない」


「離すのが先。でなきゃ呼ばない」


「……嫌だ。もう少しこうしていたい」



 ロキルトは再びリシュの髪へ唇を寄せ……


「ッ ⁉ ちょっといい加減にっ」


 グイッ と 押し倒された拍子に、リシュの左手が何かを掴んだ。


 ───ま、枕だ!


 リシュは咄嗟にその枕で、自分に覆い被さろうとしているロキルトを叩いた。


「痛⁉ なにするんだっ‼」


「離してって言ってんのよ!」




 押さえ付けていた腕が少しだけ緩まった隙に。


 ───ぱふっ!

 ……ぱふっ!


 リシュは続けてロキルトを叩いた。


「なッ⁉ ちょっ───こら!……リシュ、てめー」


 柔らかく軽い枕で攻撃してくるリシュをロキルトが再度、抑えつけようとしたときだった。


「……あっ!」


 振り回していた枕がリシュの手からスルリと逃げ出し天蓋に当たり、紗の帳を掠め───。


 チリン……


 鈴の音を呼んだ。


(ま、まずい!)


 この部屋に置かれた呼鈴は一つではなかった。


 部屋の主が動き回らずともメイドを呼べるように四つ用意されてある。

 もちろん、寝台の近くにも一つ。

 今、丁度そこにリシュが放ってしまった枕が当たり鈴の音が響いたのだ。


「陛下っ、ほんとにやめて! 人が来ますっ」


 リィムが……。


 こんなところ、彼女に見られたら。

 リィムは今まで以上に勘違いとか、きっとする。


 ───コン、コン。

 扉をノックする音が響いた。

 そしてパタリと扉が開く。



「お呼びですか、リシュ姫さ……⁉
 ……まあ‼ 失礼いたしましたっ、陛下もご一緒でしたかっ。あ、あの……何か御用でしょうか?」




「今の呼鈴はちょっとした事故だ。何も用はない、下がれ」


「は、はい」


「いや、待て。……そうだな、姫に服を用意してくれ」


 ロキルトはリィムを呼び止めて言った。


「赤……いや、紅のやつを持ってこい。リサナがよく着ていたのがあったろ」


「ですがあれは姫さまには少し大き過ぎてまだ寸法の手直しが済んでいません」


「なんだ。……そうか。じゃあ別の赤」


「はい……。かしこまりました、ご用意致します」


 リィムが部屋を出て行った後、抵抗を止めたリシュに、ロキルトが訊いた。


「どうした? もう終わりか?」



「………じゃ、…ない………」


「ん?」


 聞き取れなかったリシュの呟きに、ロキルトは訊き返した。


「私はリサナじゃないっ‼」




 声が震えた。


 同時にリシュの身体も震えだした。


 その震えは黒紫の瞳の中に涙を溢れさせた。


「赤色なんて嫌い!」


 血と同じ色なんて。


 そしてロキ……


 あなたのことも。


「あなたのことはもっと嫌い! 西の街を焼きたければ焼けばいい! あなたの言うこと聞くくらいなら、西の街が無くなった後で私も命を絶つわ!」


 苦しげに顔を歪ませ、閉じられたその瞳から涙が溢れ雫がこぼれた。


 ロキルトは動揺し、いつの間にかリシュを離していた。


 リシュは自由になった腕を動かし、毛布を抱え込むとその中に顔を埋めた。


「……リシュ」


「出て行って!あなたなんか大嫌いっ‼」


 嗚咽で肩を震わせているリシュに……


 ロキルトは手を伸ばしかけたが止めた。


「おまえが泣くなんて。興醒めだ」


 そんな言葉を言い残し、ロキルトは部屋を出て行った。


 ♦♦♦


「姫さま? いかがされました?」


 部屋に戻ったリィムが、寝台に突っ伏したままのリシュに声をかけた。


「陛下は?」


「……しらない」


「喧嘩でもされましたか?」


 泣かされた。

 などと言えずに、リシュは毛布に顔を埋めたまま頷いた。


「お召し替えなさいますか?」


「あの子が選んだ服なんて着たくないわ」


「では別の服を持ってきますね。それから朝食にいたしましょうね」


 優しく気遣うように言って、リィムは部屋を出た。



 扉の閉まる音を確認してから、リシュはゆっくりと身を起こした。


 泣いたのなんて久しぶり。

 つい感情的になってしまった。

 泣くなんて、子供みたい。


 自己嫌悪に陥りながら、リシュは寝台を降り、顔を洗うために部屋を移動した。


♢♢♢


部屋に朝食を運んでもらったが、リシュは半分も手をつけられずに終えた。


あれから……頭も心の中も空っぽにしていた。


何も考えたくなかった。


ロキルトの前で泣いた自分が、とても惨めに思えた。


「姫さま、今日はこれから豊穣祭での衣装合わせがありますが。体調が優れないのでしたら、午後に変更いたしましょうか?」

「……いいわ。大丈夫だから」

「そうですか」


ぼんやりと応えるだけのリシュに、リィムは明るく話しかけた。


「豊穣祭のために揃えられたご衣装や美しい飾り物は、選ぶのはもちろん、眺めるだけでも心は晴れますよ」


「……そうね。選ぶのは苦手だから、眺めるだけになりそうよ。リィムの意見を参考にするわ。お願いね」


「はい、喜んで。あ、それから衣装合わせにはスウシェ様も立ち会いたいと申されてますが、よろしいですか?」


「……ああ、宰相の。別に構わないけど」


「そうですか! 楽しみです!スウシェ様もお喜びになるはずです!」


黒い瞳をキラキラとさせながら微笑むリィムに、リシュは首を傾げた。


他人の衣装合わせに同席って。何がそんなに楽しみなのかしら。


リシュにはさっぱり判らなかった。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屋上の合鍵

守 秀斗
恋愛
夫と家庭内離婚状態の進藤理央。二十五才。ある日、満たされない肉体を職場のビルの地下倉庫で慰めていると、それを同僚の鈴木哲也に見られてしまうのだが……。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...