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狼は白薔薇を愛でる2

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 苦しい息を吐きながら、メリーの背中に手を回す。そのまま地面にあぐらをかいて座ると、顔に抱きついているメリーの背中を撫でた。叫び声は止ったが、その背中はまだ震えている。

 酷い頭痛は治まらなかったが、メリーの温かい身体がそれを慰めてくれた。ずるりとずり落ちてきたメリーが俺の身体をまたいであぐらの間に座ると心配そうに顔を覗いてくる。

「大丈夫……」

 はあと息を整えて、痛みを堪える。

 安心させようと微笑むと、メリーの顔がぱっと明るくなった。ぎゅっと抱き締めて来る腕に喜びが込みあげる。細い身体を引き寄せると首筋にすりすりと鼻をこすりつけてくる。
 無理に浮かべた微笑みが本物の微笑みに変わった。

 目を上げると、妖精王の腕の中にメリーの母が抱かれていた。二人とも涙を流している。

メリーの母が涙声で告げる。

「ロー・クロ・モリオウ。狼の巣からやって来たあなたを、これより私の息子として歓迎します。……あなたはメリドウェンの伴侶。魂の番……そして私達の七番目の息子です」

 妖精王の腕からゆらりと離れた身体が俺の側に立つ。

「あなたを歓迎します。息子よ。わたしはあなたの新しい母。レアナウィンです」

 細い指が妖精王を招く。側に立った王が涙に掠れた声で言った。

「よくぞ参った。わが息子よ。わたしが新しい父。妖精王のアルウィンだ。
兄共々、我が民すべてでメリドウェンの伴侶である貴殿を歓迎する」

 手が差し出された。
 メリーが警戒してきいと声をあげる。

「メリー。これは嬉しいことですよ」

 銀色の髪を撫でて、メリーを宥めると王の手をつかんだ。引き上げられるまま立ち上がり、そのまま2人で並び立つと、兄達が俺の背を叩いて手を握り合う。

 きょとんとした顔のメリーに微笑みかける。

「俺はあなたの正式な伴侶になったってことです。
 あなたの父上と母上と……それから兄様と、国の人全部が俺とあなたが一緒にいていいと言ってくださった」

 メリーはどこか曇った水色の目でそれを聞いていた。
 その目には理解の色が浮かぶ事は無い。

 それはとても辛いことだ。

 賢さはメリーの一部だった。
 俺はそれが……とてもとても好きだった。

 泣き出しそうな気持ちを抑えて俺は微笑む。
 そうすると、メリーはふにゃりとあどけなく笑顔を浮かべた。

 新しい父と母、それから兄達に導かれて俺達は歩き出す。
 新しい生活に希望があると信じて。

* * *

 俺達がここにやってきたのは、秋の初めだった。

 最初は壮麗な城のメリーの豪華な部屋で過ごしていたが、十日を過ぎる頃には城の隅にある、小さな庭園の中に建っている、こじんまりした塔の中に住むことになった。
 人嫌いだったという王族が建てさせたその石造りの塔は、小さいのだが、必要なものがすべて完備されていた。何もかもが華美で、俺のような粗忽なものが触れたら壊れそうなものばかりの王宮と比べて、灰色の石で組まれた壁や温かみのある木の床、ぱちぱちと火の燃える暖炉は俺の気持ちを和ませた。

 ここに来た理由はいくつかあった。

 まず、メリーが俺の作ったものしか食わないこと。エルフは肉や魚を食わず、俺には肉が必要で、それに対して嫌悪を抱くエルフがいたこと。
 俺のことはともかく、メリーの為には城の厨房に立ち入らねばならず、それが料理人達の反感を買った。
 芸術のように美しい料理を差し置いて、メリーが俺の煮込んだ果物を食べ、肉を食わねばならない俺が、粗末な干し肉などを齧るのが許せないと料理人に責められたのだ。

 次に、城の中での俺達は悲劇の種でしかなく、エルフ達の悲しみは俺とメリーを緊張させた。

 俺達が城の中を動く度聞こえる悲嘆の声。影のようにつきまとう失望。メリーはこの国で本当に愛されていた。嘆きは当然のものだ。
 しかし、それを今のメリーは理解することが出来ない。エルフ達から向けられる視線はメリーを怯えさせた。震えながら俺に抱きつき、こわばった表情を浮かべるメリーを俺は部屋から出すことが出来なくなった。
 部屋に置いて食事を作りに行くと、メリーは泣き喚いた。
 その声が響くと、俺は食事を放り出して部屋に戻る。泣き喚いているメリーは料理人の仕上げた飯を食うわけがなく、俺を心配させた。
 
 そして、誰かが俺に話かけることをひどく嫌った。
 メリーのことで何か報告がある度、メリーは俺の後ろに隠れ、話が長引くと一緒に隠れようと腕を引いた。

「大丈夫ですよ。もうちょっと待ってくださいね」

 そう言うと、メリーは震えていた唇をきゅっと噛んだ。曇った水色の目が大粒の涙を流して、うわんと泣き出す。そうすると、やってきた使者は大慌てで帰ってしまうのだ。
 使者が帰ると、メリーはにこにこと笑って手を叩く。
 メリーは自分の子供の頃が悪辣だったと言っていたが、なるほどメリーは悪賢い子供だった。

 これらの問題は困ったことではあったが、俺を本当の意味では困らせてはいなかった。メリーが他の何者にもなつかないこと、俺だけを必要としている状況は、エルフ達には不幸でいらだたしいことであったかもしれないが、俺自身にとっては僥倖としか言えない状態だった。
 後から思えば、あの日々、ああしてメリーが俺に散々に手を焼かせ、過度な献身を強いていなければ、俺は自責の念で気が狂ってしまっていただろう。

 この場所に落ち着いて、秋が本格的にやって来た頃、五番目のメリーの兄である魔法使いのフロドウェン殿が、メリーが昼寝をしている隙にやって来た。
 メリーの好物の一つである蜂蜜と牛乳を加えた紅茶を、つなぎ目の見えない磨かれた黒い木のテーブルに置くと、彼はそれを啜って同じ部屋の片隅で眠るメリーを見つめる。
 そして、罪を懺悔する者のように呟いた。

「魔法使いはなんでも器に溜めるんだ」

 器が体内に出来てからの経験は器の中に蓄積される。
 記憶や、知識、魔法の呪文も。
 すべてを器の中に溜め込む。そうやって器は大きくなるのだという。
 器が大きい魔法使いほど使える魔法は増える。

 そして器の消失はそれらすべてを失うことに直結している。

「器が大きいから使える魔法が増えるのか。使える魔法が多いから、器が大きくなるのか……それは創世の神しか知らないことなんだろうけど」

 メリーの顔をじっと見ながら言葉を続ける。

「メリーは遅れて生まれて来たんだ……
 私達とは年が離れていて、母上似だったし、それは可愛らしくて。メリーは水の妖精なんだけど、失われた炎の妖精の血が強く出ていて……そうするとエルフ達はもうダメなんだ。もう溺愛するしかない。みんなででろでろに甘やかした。
 構われていたからなのかな……口の達者な子でね。とても口真似が上手くて……私が面白がって教えると、どんどん呪文を覚えてしまって。それっぽいことをしゃべるから……指を鳴らす代わりにさ、手をこう……ぱんって叩くことを教えたんだ」

 メリーを起こさないように、フロドウェン殿はそっと手を合わせた。

「そしたら、生けていた花の蕾が開いてね──みんな驚いた」

 フロドウェン殿の頬を涙が落ちる。

「みんながすごいすごいと言うから、メリーは得意になって。
 呪文を唱えちゃ手をぱんぱん叩いてね……そこにあった花を全部咲かせてしまった。それで……メリーは最年少の魔法使いになったんだ」

 メリーの顔から目を反らすと、フロドウェン殿は顔を手で覆った。

「だからその分だけ退行も激しいんだろう……私がって考えるんだよ……もし、あんなに早く、メリーに魔法を教えていなかったらって」

「フロドウェン殿……」

 どうしてこんな時、かける言葉を思いつくことが出来ないのだろう。

 メリーが年若くして魔法使いになり、その才能を開花させたことはエルフ達にとって喜ばしいことだったはずだ。
 俺がメリーを守りきれなかった為に、こうやってこの人達は嘆いている。なのに、俺は何一つ慰めの言葉を思いつけずにいるのだ。

 俺の苦しみに呼応するように、メリーが目を開けた。

 部屋の中に俺以外の人がいたので、メリーが驚いてベッドから飛び起きると俺に向かって手を伸ばした。立ち上がって手を差し伸べると、軽い身体が腕の中に飛び込んでくる。

「あ~!あ~!」

 動揺したメリーが声をあげた。

 ぶるぶると震えながら俺の身体の後ろに回ると服のすそをつかんだ。メリーの怯えた様子にフロドウェン殿の顔が哀しみに引き攣れる。

「邪魔をしたね。帰るよ」

 涙を拭いながら、早々に立ち去ろうとする姿に激しく心が痛んだ。

「待って!待ってください!」

 フロドウェン殿が立ち止まって振り返る。

「少しだけ……お願いです」

 懇願する俺に、フロドウェン殿はその場に立ちつくした。

 俺は身体をひねってメリーを見た。怯えた目が俺を見上げる。

「メリー……この人はね。
 あなたのお兄さんなんですよ。あなたに魔法を教えてくれた先生なんです」

 メリーを抱き上げるとベッドの上に座って膝の上でメリーをあやす。

 抱きしめる温かい身体に、俺の中の痛みが消えていく。俺の心の緊張がほどけていくと、メリーはそれに呼応するように喉を鳴らした。子犬のような声に、微笑みが浮かぶ。

「フロドウェン殿は優しくていい人です。あなたを心配してこうして来てくださった」

 それはメリーに聞かせる言葉だったが、同時に自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。そうだ、この人は優しい人だ。
 メリーは不思議そうに自分に良く似た長身のエルフを見上げた。フロドウェン殿の目には涙がある。

 メリーの目に理解の色が浮かぶ事はない。

 だが……

「フロドウェン殿。どうぞ近くにいらしてください」

 俺が声をかけると、おずおずとメリーの兄は近づいて来た。メリーは黙ってそれを見ている。緊張している様子はない。
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