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狼は白薔薇を愛でる1

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 日が落ちて、どんどん辺りは暗く沈んでいく。

 グリフォンは夜目が効くらしい。暗くなっても飛翔のスピードは落ちることなく真っ直ぐに、その羽根はどこかへ俺たちを運んで行く。
 オオカミである俺は夜目が利く。
 少しの明かりでもあれば遠くまで見通すことができるのだが、生憎、今日は月が出ていなかった。

 完全に日が落ち切って、夜空が星で満たされはじめる。

 空には満天の星、地面はどこも暗く、遠くに人の集落がぽつぽつと光っていたが、時間が進むにつれて人は眠りにつくのだろう。
 光はだんだんと少なくなって行った。

 星だけが輝く空は暗い水の中を連想させる。
 まるで上下がさかさまになったような。

 手を離せば落ちていくのは、あの星空のような気がする。

 疲れた頭をゆっくりと振ると、鞍をしっかりと足で締めた。手を伸ばして温かい羽毛に触れる。グリフォンが甲高く鳴いて労いに答えた。

 夜が更けるにつれて気温が下がっていく。メリーはみじろぎもせず寝ているが、寒くはないか心配になって身体に引き寄せなおした。

 もにゃもにゃとメリーが口を動かす。

 口元がゆがんで、俺は自分が微笑んでいるのだと気がついた。

 メリーがそこにいることがこうして息をしていることが俺を微笑ませていた。

 暗闇の中の影のように俺たちは進んで行く。時折メリーの兄が側に寄って俺たちの様子を探る。寝ていないことを示すために腕をあげると兄達もまた手をあげてグリフォンを離して先を急ぐ。

 ついにあたりにヒトの集落が見えなくなる。

 妖精の国の領土に入ったのだろうか。

 平地が途切れ、果てしなく続く森だけが広がっている。

 所々にきらめいているのは大きな湖とそこから流れる川だ。今にも消えそうな月が空に登る。

 月と星と暗い森と流れる水。

 目に見えて木が大きくなって行く。木が途切れると連なった白い山の間を縫うようにグリフォンが飛ぶ。

 しばらくそこを飛んでいるとふいに山が切れて先ほどとは違う種類の木の生えた森と、それから……光が見えて来た。

 真っ直ぐに空に伸びた明かり。
 一段と高い山からその光は放たれていた。

 山を囲むように沢山の樹木が生い茂っている。
 そこをうねうねと川が流れていた。

 中腹には白銀に輝く壮麗な城。
 四方には繊細な作りの細長い塔と何者をも阻む繋ぎ目のない城壁。城壁のあちこちには夜なのに篝火がいくつもこうこうと焚かれていた。

 あれが目的地。妖精王の城。メリーの故郷だ。


 グリフォンが甲高い声で帰城の叫びをあげる。
 呼応するように城からも同じ声があがった。

 王の帰還を祝う笛の音。
 何か水が流れ落ちるような音が聞こえる。

 城壁に開いた穴にグリフォン達は惑わず真っ直ぐ吸い込まれて行く。

 着地したグリフォンに背の高いエルフ達が取り付いて、鞍に固定されていた俺を解放する。兄やメリーに似たエルフ達は皆背が高くほっそりとしていた。
 髪の色もみな淡い銀や白、水色や金髪だった。目の色は総じて薄く、皆繊細で整った容姿をしてる。


「こちらに……メリドウェン様を」


 俺が首を振ると、いいつけられていたのか、簡単にエルフは引き下がった。

 長い間固定されていた為に強張った足で、グリフォンの背から滑り降りる。よろりとよろめくと、長い腕が俺を支えた。


「大丈夫です」


 無様なところを見せるわけには行かないと背筋を伸ばした。

 メリーの兄と父が近づいてくると、周りのエルフ達が頭を下げる。


「すぐに休む場所を手配しよう」


 疲れ切った様子の妖精王が切なげに俺達を見る。
 喜びで満ち溢れるはずのメリドウェンの帰還は、哀しみに彩られている。

 メリーの容態は城に伝えられているらしい。

 城の中には人の気配が沢山あるのに、ひっそりと静まり返っている。どこからか嘆きの声が聞こえる気がした。

 ぱたぱたという足音。

 薔薇の香り。

 それはメリーの咲いたばかりの薔薇の香りではなかった。濃い成熟した香り。香水か……煙で匂いをつける香のようなものだろう。


「母上」


 兄達が道を開けた。
 間から飛び出して来たのはメリーと同じぐらいの背の女性だった。
 母上と言うからにはメリーの母親なのであろうその女性は、とても子を何人も生んだとは思えない美しい容貌をしていた。

 とてもメリーに似ている。

 銀色の髪も。ほっそりした姿も。
 エルフの兄達はもちろん、城で見た者も皆、細身の姿をしているが、その中でもメリーは一段とほっそりとして背も小さく、華奢だった。そのメリーにこのひとの姿はそっくりだった。背の高さも、その細い肢体も。
 見上げた目と目が合うと、その色は薄い緑なのに気がついた。

「メリドウェン……」

 鈴を鳴らしたような声。ああ、声まで似ているのか。メリーの方が低い。だが、口調がよく似ている。賢く、人に命令することに慣れた堂々とした雰囲気が。

 布で包まれたメリーを覗き込むと、その口から嘆きの声があがった。
 指がまだ汚れているメリーの服に触れて、それから頬を撫でる。
 びくりと震えて手を離すと、淡い緑色の目が俺を見上げた。

「本当に……器が壊れているわ」

「妻は物見なのだ。触れたものの過去が見える」

 妖精王が囁くと、メリーの母のゆらりと開いた目が俺の目を覗きこむ。

「あなたのせい?」

 俺は頷いた。心がキリキリと痛む。だがそれは真実だ。

「違う」
「なぜ?」


 妖精王の否定とその妻の疑問。
 妖精王の否定に俺の心は慰められはしなかった。
 俺は妖精王の妻に、メリドウェンの母に罵られるべきなのだ。メリドウェンをこの世に産み出したこの女性の謗りを、自分は受けるべきだ。

「助けられるはずだったのだ。それだけの力がメリドウェンにはあった。
 だが、不幸な邪魔が入り、メリーは力を使いすぎた……」

 妖精王が涙を零して説明をする。
 メリーの母が無表情に俺を見た。

「わたしは物見です。過去を見ることが出来ます。
 それゆえに私は、皆に恐れられています。
 息子達でもわたしの目を直視することは出来ません。
 でも、わたしはあなたの目に映るものが見たい。あなたの見たメリドウェンを……」

「母上!」
「レアナウィン……」
「モリオウ殿はお疲れで」

 父と兄が咎めるように囁いた。それを無視してメリーの母が激しく言う。

「見せることは出来ますか?」

「はい」

 抗議の声があがったが、俺はメリーの母から目を離さずに頷いた。何を迷うことがあるだろう。メリーの母が望むならば、それを見せることなど造作ないことだ。親が子を見たいと願うことに間違いなどない。

 細い指が俺の顔をつかんだ。近づく顔が目を覗き込む。

 メリーの目は温かい水のようだった。

 この人の目は冷たい。とても、とても……冷たかった。

 ばらばらとページをめくるように俺とメリーとの過去が捲られていく。時々ページが止まった。


『いやだ、いやだよ』

 泣き崩れるメリー

『愛しているよ。わたしの黒い狼』

 激しいキスをしてきたメリー

『とても素晴らしいよ』

 愛し合った後の陶然としたメリー

『お願いだから、一緒にいて』

 不安げに囁くメリー

『愛してる』

 音楽のような声。そう言ってメリーは泣いた。

 ひとつひとつの場面が俺の胸を引き裂いた。
 そんなメリーをもう見る事は出来ないのだと。

 ひどく痛む。

 心が。頭が……そして胸が。
 涙が音もなく頬を伝っていく。

 耐えられない。ばらばらになりそうだ。いや、なりたいのだ。
 ばらばらになって、引きちぎられてしまいたい。

 メリー、メリー、愛しい人。

 腕の中の温かい塊がもぞりと動いた。

 俺の映しているものは何だ。……人の目だ。緑色の。涙を流している。


「メリドウェンはあなたを愛していた」


 魂の底から沸き上がるような、囁く女の声に頷いた。
 俺の目からも涙が、また零れた。


「どうしようもなく……絶望的に。あなたもなのですか?」

「メリーを愛している」


 もう一度緑の目が俺の目を覗き込む。愛に輝く笑顔のメリーが視界いっぱいに引き伸ばされた。メリーの目がどんどん大きくなっていく。

 そこには俺がいた。

 メリーに微笑みかけている俺が。
 喜びに輝いた瞳、近づく俺の顔、画像はそこで止まった。じじっと絵が揺れた。

 俺は銀色の目を輝かせ、ゆっくりと口を動かした。
 何か喋っている。あれは……

 水の下にもぐって聞いた音のように、不鮮明なこもった声が聞こえる。

『愛しています。俺の白い薔薇』

 もう耐えられないと思った。
 頭が……心が潰れてしまいそうだ。

 俺達は真実愛し合っていた。愛し合っている。

 だが、失敗したのだ。失ってしまった。

 このメリーは失われてしまった。
 俺に愛を囁くメリドウェンは消えてしまった。

 俺のせいで。俺が愚かだったせいで。力が足りなかったせいで。

 荒く息を吐いた。体中が震えている。

 目の前が瞳に、その淡い緑に埋め尽くされる。
 ああ、お願いだ、俺をばらばらにしてくれ。


 誰かが何かを叫んだ。


 腕の中で何かがまた動く。大きく揺れる俺の身体、それから……するりと何かが俺の首に回った。

 視界から緑の目が消えて、目の前が暗くなる。

 ふっと何かが離れる気配がして、視覚が元に戻ると、メリーが俺に抱きついていた。俺の頭を抱きこんだ身体が震えている。

 頭がふらついて、立っていることが出来なかった。
 メリーの重さにひきずられるように、その場に膝をついて、メリーの身体に荒い息を吐く。

「レアナウィン、やりすぎだ!」

 妖精王の咎める声がする。

 手を貸そうとした誰かが近づいたのだろうか、メリーが甲高い声で威嚇してぎゅうぎゅうと俺に抱きついた。


「大丈夫です……メリー……大丈夫」
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