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実験開始!

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「ねえ、気持ちい?」
「…………!」

彼女の甘い吐息が耳に吹きかかる。

僕の名前は榊原さかきばら大和やまと、高校1年生。そして、彼女は毎日俺の部屋に入り浸っている幼なじみの白瀬しらせあおい、同じく高校1年生だ。

僕は今とんでもない状況に置かれている。それは……
葵の足に頭を乗せ、耳かきされているのだ!

「あの……ちょっと長くない?」
「えー、実験にはデータがたくさんいるでしょ? だから、もう少し!」
「マジか……」

どうしてこんなことになってしまったのか。それは数時間前に遡る——









学校が終わり、自転車を漕ぐ。
駐輪場に自転車を置き、こんこんと音を立てながら金属製の錆びた階段を登る。
登った先の真正面の部屋。そこが僕が一人暮らししている部屋だ。

「今日は来てるかな……っと」

そーっとドアノブを回すとどうやら鍵のかかった感触がない。もう彼女は中にいるらしい。

「ただいま」
「おかえりー! 遅かったじゃん」
「いや、お前が早いだけだろ」
「えー、そうかな……」

いや完璧にそうだろ。まだ4時すら回ってない。

「ささ、早く中に入って! 今日はやりたいことがあるんだ!」
「やりたいこと? 今日はゲームじゃないのか?」
「んー……似てるけど違うかな。まあ、詳しいことは中で話すよ」

と、葵に背中を押されリビングに入れられた。何も変わらない僕の家のリビング。その片隅に一つの袋があるのは少し気になるが。

今までのやりとりを聞いてどちらの家か分からなくなる人がいるかもしれないが、ここは正真正銘僕の家だ。
そして、僕の家にいる彼女——葵は僕の隣の部屋に住む幼なじみで、よくうちに遊びに来る。毎日のように来るのでいちいち鍵を開けるのがめんどくさくなり、合鍵を渡しているのだ。

なにせ、葵と一緒の高校に受かって、同じアパートで、それでまさかの隣同士。高校入学当初は夢を見ているんじゃないかと思うくらいだった。

「で、一体何をするんだ?」

さっき、『やりたいことがある』と言っていた。それがなんなのか僕はすごく興味があるのだ。

「お、興味津々だねー。じゃあ、教える前に! 一つ、大和に質問です!」
「なに?」
「大和は、男女の友情って成立すると思う?」
「男女の友情?」

男女の友情。
それは、幼なじみなど小さい頃から一緒にいる異性には恋愛感情が湧かず、一生友達でいるという一種の心理現象だ。
近年は徐々に否定されつつある男女の友情だが、


「僕は成立すると思うよ」


僕の答えは『ある』だ。証拠として、僕が葵に恋愛感情を抱いていないというものがある。
ここまで16年ほど葵とは近くにいたが、全くそういった感情を持ったことはない。というか、持てないと思う。

葵は容姿端麗、成績優秀で、なおかつスポーツテストも毎回一位をとり、誰にでも隔てなく接する陽キャという非の打ち所がない人間だ。そんな完璧な人間が僕のようなモブみたいな人間に釣り合うはずがない。

僕の答えを聞いて、葵はニマニマし始めた。

「へー、そうなんだー」
「な、なんだよ」

不覚にも葵にドキッとした自分を殴りたい。

「じゃあさ、検証してみない?」
「検証?」
「そう、もし男女の友情が成立するのなら、私がどんなことをしてもドキドキしたりしないよね?」
「ど、どんなことも?」
「うん、どんなことも」

葵は一旦スイッチが入ると緊急停止ボタンすら消滅する人間だ。葵の『どんなこと』には小さい頃からさんざん困らされてきた。
でも、この問題自体は僕も結構気になっている問題だ。
どうしようか悩んでいると、葵の顔がどんどんと近づいてくるのに気がついた。

「あ、葵?」

葵が吐く息がかすかに感じられ、甘いフローラルな匂いが鼻腔の中を満たす。そんな距離で僕と葵は見つめ合っている。

「…………」
「…………」

「……あーもう! 早く決めて! やるの? やらないの!」
「え、それ待ち!?」

まさかの僕待ちだったらしい。別に顔近づけなくても良いじゃないか……

「ま、まあ面白そうだし、良いよ。やる」
「ほんと!? やったー!」

僕の回答を聞いた葵は「じゃあ準備してくるからちょっと待っててねー!」と後ろに結んだポニーテールを揺らしながらリビングを出て行った。

「絶対やばいことぶっ込んでくるよな……」

葵は勝つためなら手段を選ばない女だ。前にFPSゲームで戦った時も禁止にしたワンパン武器をしれっと使おうとしていたくらい。

「まあ、どんなことしてきても、絶対にドキドキしないがな」

葵が何をしてきてもドキドキしないと誓い、精神統一するために正座をして、目を瞑った。







「お待たせー!」という葵の甲高く、くっきりとした声で僕はゆっくりとまぶたを開ける。

「な……!」

僕は目の前に広がる光景に思わず声を出してしまった。

今まできっちり首元までしまっていたブラウスのボタンは第2ボタンまで開け放たれ、2つのたわわな果実が作り出す谷が見える。
膝の高さまであったスカートは膝上10センチほどまで上げられ、見えてはいけないものが見えそうになっている。

「ちょっと……そんなに見ないで、エッチ」
「…………!」

自分の体に抱きつきながらくねくねする葵。すると、スカートのポケットから紙がひらひらと落ちてきた。

「おっと」

恐らくいつもはこれよりも長いスカートのため危機感が薄れていたのだろう。
手でスカートを押さえずに屈んだため、スカートの中が見えそうになる。

「ちょっ……」

すぐに目を逸らすが間に合わず逆三角形のあれが見えてしまった。

……白だった。

「ごめんごめん。じゃあ、始めよっか」
「あ、ああ」

葵は気づいていないのか、さっきのことに何も触れることもなく淡々と続ける。

「じゃあ、まずは……」
「ち、ちょっと待って」
「ん?」

これを僕が指摘するのは気が引けるが、これから葵の仕草や行動によってドギマギするくらいなら言ったほうがいいだろう。

「さ、さすがにさ、た、短パンくらいは履いてくれない?」
「え?」

葵の表情が固まること十秒。
全てのことを理解したであろう葵はスカートをばっと押さえて今にも泣きそうな表情で

「……見た?」
「はい、ごめんなさい」

ここは正直に答えたが、こう答えるしかないだろう。

「まさか、履き忘れるなんて……」

葵は僕に聞こえないように言ったのだろうが、ばっちり聞こえてしまった。

「ち、ちょっと待っててねー……」

そして、顔を真っ赤にしながらそそくさとリビングを出て行った。

「危機感無さすぎるだろ……」

葵の危機感のなさに少々呆れながら、僕はドタドタと葵が焦っているだろう音を聞きながら、リビングで待つことになった。









「お、お待たせー……」
「結構音してたけど大丈夫か?」
「ん、大丈夫」

おそらく短パンを履いてきたであろう葵と会話をするが、前より声が小さくなった気がする。

「じゃあ、気を取り直して始めるよー!」

あ、元に戻った。

「まずはー……こうだ!」 

そう言って、葵は座っている僕の足の間に座り始めた!?

「最初は、『異性が間に座ったら』です!」
「は、はあ……」

正直、座られるだけだとドキドキしたりはしない。なんか……顔とか近づけられたらドキドキしたりす、るー!?
葵が、顔を近づけてきた!? それもなんか顔赤くなってない? え、照れてるの? え、え、えー!?

「あ、葵?」
「ん? どしたのー?」

な、なんか、幼くなってるー!?
さっき近づけられた時よりもだいぶやばい。心拍数がどんどん上がるのを感じる。
休め心臓! ドキドキするな! 

それも、今度は目をつむってさっきよりも近い距離に顔がある。

「こ、これ以上は……」

さすがに危機感を覚えた僕は葵を離し、後ろへ後ずさる。

「ぷっ」

その瞬間、葵が吹き出し、笑い始めた。

「あはは、大和照れすぎー」
「あれはしょうがないって……」

つまり、今のは全て演技だったということだ。……演技力高すぎん?

「もう、ダメでしょ。照れたら。男女の友情は成立するんでしょ?」
「そ、そうだけどさ……」

今のレベルかそれ以上がこれからばんばんくると考えるとゾッとする。

が、僕は絶対負けない! 男女の友情が成立することを証明してやる!


「さ、どんどん行くよー!」
「テンポ早くない?」
「だって、時間ないんだもん」
「え?」

今まで全く知らなかったが時刻は7時。そろそろお腹も空く頃だ。

「やばっ全く気づかなかった! 晩ごはん作らなきゃ!」

急いで席を立ち、キッチンへ向かう。

「葵も、そろそろ戻りなよ!」

材料を用意しながら葵にそう言う。だが、葵は一向に動こうとしない。

「……葵?」
「え?」
「え? じゃなくて……帰らないのか? 自分の部屋に」
「帰らないよ? 晩ごはんも大事な実験材料だから!」
「えー……」

なんと晩ごはんまで一緒らしい。お願いします神様。あいつの頭の中からやばい考え全部消してください。

「はあー……分かったよ。じゃあそこで待ってて」
「うん!」

彼女の顔に浮かぶ無邪気な笑顔に一瞬心を掴まれたような感じがするが、おそらく気のせいだろう。











「ほいよ」
「ありがとう!」

今日は買い出しにも行けなかったため、家にあった材料で炒飯を作った。味付けも市販のものだけど味は確かだ。

「それじゃあ……」

『いただきます!』

そして、各々一口ずつ口へ運んだ。
葵がどう言うか固唾をのんで見守る。

「んー……」
「…………」


「おいしい! めっちゃおいしい!」


そして葵はガツガツとかきこみ、あっという間に食べ終えてしまった。

「ふー美味しかったー」
「それはなにより」

僕はゆっくりと食べ進めながら話していると、急に葵の手が伸びてきた。

「ん、付いてるよ」

そう言って僕の口元に付いていたご飯粒をひょいっととり……自分の口に入れたー!?

「ちょっお前……!」
「ん? どうしたのー?」

すごくニヤニヤしながらこっちを見てくる葵。大丈夫だよな? 顔赤くなってないよな!?

「いや、それ、間接……!」
「え? 男女の友情が成立するなら、別に気にすることじゃないよね?」
「ま、まあそうだけど……」

『男女の友情』っていうワード強すぎるだろ。

「もしかしてだけど、ドキドキなんてしてないよねー?」
「それはマジでしてない」

嘘である。今でも心臓バクバクで死にそうである。

「顔、ほんのり赤いよ?」
「いやいやそんなわけ……」

自分の顔を確認するためリビングに置いてある姿鏡を見る。

(ガチで赤くなってるー!?)

自分でもここまで赤くなってて逆になんで気づかない!? ってくらいめっちゃ赤くなっていた。

待て待て、一旦深呼吸して落ち着こう。
大きく息を吸って、吐いてを繰り返すこと3回。もう一度姿鏡を確認する。よし、だいぶ赤みはひいたな。

「どうしたの大和?」
「ん、いやいやなんでも無いよ」
「そっか」

急いで皿などをシンクに運び、皿洗いを始める。気づいたら目の前に葵のかわいい顔があったためまた照れがぶり返してきたのだ。

(どうにもこうにも、葵の距離感がおかしい!)

確かに今までも肩が触れたり、足が触れたりすることはあったが、それはあくまで不可抗力。
今回みたいな意図的に触れてくるのは初めて。

「……と、大和!」
「うわっ!」

ずっと考えていて気づかなかった。

「本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫……」

こういうさりげない気遣いができるのも葵が人気の理由の一つだ。

「これは……一旦お風呂に入った方が良さそうだね。じゃあ私お風呂沸かしてくるから大和はリビングで待ってて!」
「ほんとに!? 助かるー」

本当にこんな幼なじみがいて良かったとつくづく思う俺なのであった。











部屋中にお風呂が沸いた合図である音楽と機械音声が響き渡る。

「じゃあ、先いいか?」
「うんいいよー」

ここは先に客人を入れるべきなのだろうが、葵が「先に入って」と崩れないので仕方なく先に入ることにした。

「ふぅー……」

やっぱりお風呂は最高。癒される。

それにしても、今日は色々あった。

突然葵に「男女の友情は成立するか」って聞かれて、気づいたら実験まで行ってて。そこから葵との距離は数センチまで縮み、顔には出さないように努力してるけど内心ドキドキしまくりだった。

そしておそらく葵は自分の家には帰らないだろう。絶対「実験だから」って帰らない。

「さてと……」

湯船に十分浸かり、シャワーを浴びようとしたところで浴室の外になにやら人影が見えた。

「なんかイヤな予感……」

そしてその予感は的中した。

「大和ー!」
「え、ちょっと待て待て待て! なんで急に入ってきてんだ!」
「え? なんか体流したくなっちゃって」
「それを僕にするのはやめてくれ……」

あの人影は葵のものだった。ていうかこの家には僕と葵しかいないから葵しかありえないんだけど。

葵は黄色のビキニを着ており、なんか色々やばい。
すらっと伸びた綺麗な足がこれでもかと露出していて、胸なんて下がはみ出そうになっている。まあ裸で入ってこなかっただけまだマシか……

「何、大和、そんなに私を見て……そんなに私の体が気になる?」
「い、いやそんなことないけどー?」

嘘である。葵の水着が可愛すぎて見惚れていたのである。てか、体も正直気になる。

「まあ、このまま出たら勇気出して入った意味ないから、体流してあげるね」
「あ、ああ」

(やっぱりちょっと恥ずかしかったんだな。だから躊躇って)

「うおっ」
「あーごめん。くすぐったかった?」
「あーいや、大丈夫」

泡のついた手が背中に触れられ、体が震えてしまった。
そこからゆーっくりと手が動く。結構恥ずかしいなこれ。

(てか、この状況結構やばくね!?)

今更感はあるが、年頃の男女が同じ部屋。それも風呂という。そんなことを考えてしまいちょっとドキドキし始めてしまった。

(やめろ考えるな榊原大和! これ以上考えたら危険だ!)

心の中で葛藤を繰り広げていると、背中に何やら柔らかい感触を覚えた。

「ん?」

 後ろを振り返ると、葵が俺の背中に体を密着させ、体を上下させていた。

 そのせいで葵の豊満な2つのものがいろんな形に変わっている。

「お、おいおいおいなんで体で体を洗ってるんだ!?」
「えー? これくらい普通じゃないの?」
「どこが普通だ! どこぞのバカップルか!? 洗うならせめて手で洗え!」
「もう、分かったよー……」

 布を挟んでいるとはいえ、その布はたったの一枚。その感触がしっかりと伝わってきてしまった。

「あれ、大和のでか……」
「あーやめろ! これ以上は放送禁止レベル!!」

 なんかやばいことを言い始めたのですぐに葵を追い出し、扉に鍵を掛けた。

「……でかくなるのは当たり前だろ……」

 どこがそうなったのかは僕だけの秘密だけにさせてくれ。











「大和、大丈夫ー?」
「一体誰のせいでこんなことになったと思ってんだ……」

風呂から出た後、葵にうちわで仰いでもらいながらのぼせた体を休めていた。
まあ、なんていうか……目の前には天井と葵の顔があるんだけど。

そう。膝枕をされているんだ。
僕は初めて膝枕をされたが……これ最高だな。

葵はスカートを上げているので僕が頭を置く部分は紛れもない素肌だ。
その太ももの柔らかさと温かさが直に伝わってきて、もう言葉で言い表せないほどやばい。

「ごめんってーあれも立派な実験でしょ?」
「いやそうだけどさ……」

実験とはいえあれは流石にやりすぎだと思う。
あの時、僕が本気を出したら葵のことを襲うこともできただろう。葵はもう少しそんなことを考えた方がいい。

「あんなこと、もうやるなよ。もし襲われでもしたらどうするんだ」
「まあ大和はそんなことしてこないって知ってるから。そりゃ私も知らない人にあんなことはやらないよ」
「いや、でもな……」
「大和」

突然自分の名前を呼ばれたのでふと顔を上げると、真剣な顔をした葵の姿があった。

「『男女の友情』、ないってこと認めるの?」
「いや、認めない」
「そっか、ならいいんだ」
「?」

葵の言っていることがいまいちよくわからないが、まあひとまず一件落着でいいだろう。

「じゃあ、お風呂借りるね」
「ああ、じゃあ降りるぞ」

こうして、葵の太ももの感触を味わえる至極の時間は幕を下ろした。

「あ、ちなみにお風呂の中では私水着着ないから、入ってきちゃダメだぞ?」
「入ってきた人が何言ってんだ。入らないよ」
「分かった。じゃあ行ってくるね」
「ごゆっくりー」

葵みたいにバカではないので風呂突入なんて真似はしない。てか、実際にやってしまったら絶対に嫌われる。泣かせてしまう。

その時ふと、昔のことを思い出してしまった――









……これはまだ小学校6年の頃だっただろうか。僕と葵は毎日のように放課後に公園で遊ぶ仲良しな幼なじみだった。

「大和ー今度はブランコ乗ろう!」
「えーまたー? まあいいけど……」

葵の誘いで僕たちはブランコに向かう。が、

「葵、ごめんちょっとトイレ……先行ってて」
「あ、はーい」

今まで我慢していたのでもう限界だ。そそくさとトイレに向かっていたら、

「あれ、榊原くんじゃーん」

ある1人の女の子の声が公園内に響き渡った。

「あ、水無瀬さん」

彼女の名前は水無瀬みなせ結衣ゆい。僕や葵とクラスが一緒で、クラス委員をやってる子だ。
クラス委員と聞くと堅苦しいイメージがあると思うが、水無瀬さんはその真逆ですごくフランクに接する。

クラスで孤立している子には積極的に声をかけ、会話にもグイグイと入ってくる。時には悪いことを見逃してくれたりもする。
ただ、度が過ぎたことには容赦なく注意をし、その様子はまるで地獄で判決を下す閻魔えんま様のようだと恐れられている。

この通常の姿と怖い閻魔様の姿というギャップに惚れて、告白する人が後をたたない。
でも、その告白はすべて断っているらしく、よく落ち込んでいる人を見かける。

なのでクラスでは『水無瀬さんにはこのクラス以外に好きな人がいる』という噂が囁かれている。

そんな水無瀬さんがどうして僕なんかに……?

「榊原くんいま1人……? よかったらさ、私と帰らない?」
「え、いやその……」

さっさと『葵がいるんで』と断ればよかったのに今の僕の頭はトイレに行きたいことでいっぱいだった。

「ほーら早く! 帰ろ?」
「ちょっ、ちょっとまってって!」

今から葵をおいて帰るなんて言語両断だ。それに今はトイレに行きたいの!
が、腕をがっしりと掴まれていてその場から動くことができない。

「腕、離してよ!」
「なんで?」
「それは……」

「あ」

『トイレに行きたい』と伝えようとした瞬間、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。

「あ、葵……?」
「えーっと、私はお、お邪魔かな……」
「待って葵!」

俺の制止も虚しく、葵はその場から立ち去ってしまった。

「行っちゃったね……」
「隙あり!」
「あ」

水無瀬さんの拘束から逃れられた僕は一目散にトイレに駆け込んだ。

「あっぶねー……間に合ったー……」

しかし、なんで急に水無瀬さんは急に僕に『一緒に帰ろう』なんて言い出したのか。
それに、葵には勘違いされただろうし……あーもう!

「葵にどう説明しよう……」

手を洗いながら明日葵にどう説明するか悩む。

その後、待ち伏せしていた水無瀬さんに捕まり、一緒に帰る羽目になった。


翌日、早速葵に説明しようと話しかける。

「あお……」
「……」

が、葵はすぐに逃げてしまった。

「嘘だろ……俺、嫌われたのか……?」

そして、何度も機会を伺っては話しかけたが、葵が目を合わしてくれることは一切なく、そのまま放課後を迎えてしまった。

「葵一緒に……」

葵と一緒に帰ろうと葵の姿を探すが、葵の姿はどこにも見当たらない。

「もう帰っちゃったのか……?」

そして、月日はどんどんと流れていくが、葵と僕の関係は一切良くなる兆しを見せず、気づけば中学校を卒業していた。

「結局葵と仲直りできなかった……」

中学校の間も葵は俺と一切会話を交わさないどころか顔すらも合わせてもらえなく、説明するどころではなかった。

「高校も葵と同じらしいけど……」

そう、葵とは進学する高校も同じらしい。県外なのによくかぶったな……

ちなみに、水無瀬さんはというと中学校に入ってすぐに僕に告白してきた。

『榊原くん……! えっと、ずっと前から好きでした! 私と……付き合ってください!』

しかし、あの時の僕は僕と葵の関係をぶっ壊した悪魔だと思っていたので、

『あの、気持ちは嬉しいんですが……ごめんなさい。僕、好きな人いるんで』

と丁寧にお断りさせていただいた。

そして、そこから水無瀬さんとの接することはなくなり、高校も別々。これで完璧に水無瀬さんとの関係は断たれるだろう。

「大和ー荷物まとめられたー?」

あーそうだった。今僕引っ越しの準備してるんだった。

県外に行くということで俺は高校からこの家を出て一人暮らしをすることになった。噂によると、葵も一人暮らしを始めるらしい。

「ちょっとまってー」

そして、荷物をまとめきった僕は今までお世話になったこの家と両親に感謝しながら、ゆっくりと扉を閉めた。


「あ」
「あ」

あるアパートの廊下に二人の声が響く。

「ど、どうして葵がここに……?」
「そ、そっちこそ……」

なんと葵が同じアパート、それもお隣さんだった。

「あ、葵!」
「ん? 何?」

実に4年ぶり。幼なじみなのになぜか緊張してしまっている。

「えっと……ごめん。小学校の時」
「あーそのこと? 良いよ。私の勘違いってわかったし」
「勘違い……?」

葵の話によると、あの時、僕の予想通り葵は僕と水無瀬さんが付き合ってると思い込んだらしい。
そして、僕たちの邪魔にならないよう僕とは一切顔を合わさなかったということだった。

「でも、勘違いで良かった……」
「え? 何?」
「ううん、なんでもない。……ちょっとさ、お願いがあるんだけど」
「ん?」
「4年も顔を合わせなくてごめん。もしよかったらさ? あの時のような関係に戻りたいんだけど……ダメかな?」
「…………」
「あ、ごめん。さすがに虫が良すぎるよね……」
「いや、そんなことない」
「ふぇっ!?」

思わず僕は葵の手を握る。

「僕もあの時に戻りたい。あの時のようにしゃべりたい。あの時みたいに遊びたい。だから、僕のほうからも、よろしくおねがいします」
「……! うん!」

葵の目には涙が浮かんでおり、その一滴が床に滴り落ちた――









「……と、大和!」
「うわっ!」
「やっと気付いた……お風呂、いただきました」
「あ、はい……」

過去のことを思い出すのに夢中で全く気づかなかった……

「どうしたの? 何か悩み事?」

葵が首をこてっとかしげる。

「いや、ちょっと昔のことを思い出してただけだよ」
「ふーん、ならだいじょうぶか」
「うん。心配してくれてありがとうね」
「どういたしまして!」

そしてまた見える葵の満面の笑顔。この葵の笑顔に僕はどれだけ助けられたか。
そういえば、もとの関係に戻るときも葵、泣きながら笑顔浮かべてたな……

葵はバカだ。行動の意図が読み取れないし、考えていることも。それにズボラだし、生活力皆無だし……

こんなやつを好きになるなんてありえない。ありえないのに……
なんなんだろうこの気持ち。

「じゃ、また実験再開しますか!」
「……その前に一つ」

実験の準備を始める葵を制する。

「お前、ここに泊まる気だな?」
「うんそうだけど?」
「なんでだよ!」

予想的中。なにせ目の前にはピンクの寝間着姿の葵がいるんだ。

「……実験のため?」
「お前はもうちょっと警戒心というものがないかな……」

実験とはいえ年頃の男女だ。それに、僕の家にはベッドが一つしか無い。サイズはシングル。……どうすんだこれ。

「とりあえず……葵?」

さすがに帰らせようと思い、葵の方を見たのだが、なにやら葵の様子が変だ。……顔が真っ赤になってる?

「葵ー? あーおーいー……反応ない……」

どれだけ声をかけても葵がこちらを振り向くことはない。
しょうがないから肩叩きに行くか……

「葵……!?」

何かブツブツ言ってると思ってたけど……こんなことを!?

「そういえばここベッド一つじゃん!? ということは大和と私が一緒の……!? やばいやばいやばい!」

そんな小さい声が聞こえてきた。……ドキドキしてたの俺だけじゃなかったんだな。

「葵」
「ふぇっ!?」

葵の肩を叩くと葵は体を震わせながらこっちを見た。

「大丈夫か?」
「だ、だいじょーぶ……」

どうやらさっきのことを聞いていたことは気づかれていないらしい。良かったー……

「じ、じゃあ今度こそ実験するよ」
「はい」

そう言った葵の手には長細い木でできた、先端に綿がついた棒――俗に言う耳かき棒がある。

「はい、じゃあ横になって私の太ももに頭置いてー」

葵がソファに座って自分の太ももをぺちぺちと叩きながら「早くー」と僕を催促してくる。

「はいはい……」

僕は眠い目をこすりながら葵のもとへ向かった。













「えへへ、きたー」

葵のきれいな太ももにゆっくりと頭を置く。膝枕されるのは今日だけで2回目だ。……多すぎないか?

「じゃあ、まずは左の方向いて」

葵の指示に従い、左を向く。

「あ、ちょっと、くすぐったいってー……もっとゆっくりうご、ふふ」

葵は寝間着でかつ半ズボンで、つやつやした太ももがこれでもかと顔を覗かせている。
そこに髪が当たると。それはくすぐったいだろうな……

「ごめんごめん」
「もう……じゃあ、入れていくから動かないでねー……」

そしてゆっくりと耳の中に耳かき棒が入ってくる。

最初はあまり深くないところからのようで、かさかさかりかりと耳かき特有の感触を覚える。めっちゃ気持ちいい。
そして、5分ほど続けたところで耳かきをする葵の手がピタリと止まった。

「じゃあ、今度は深いところやるから、ほんとに動いたらダメだよ?」

そして、耳かき棒が深いところへと入っていく。

浅いところもいいが、深いところも案外良い。葵の手際が良いからなのか、痛みも全く感じない。
それにプラスして、葵のふっくらとした太ももの感触も相まって、まるで天国みたいな気持ち良さだ。
これじゃ、すぐ……寝、そう……















「あれ、寝ちゃったかな?」

大和はすうすうと寝息を立てながら私の太ももの上で眠っている。

「ふふ、昔と比べてすごくかっこよくなったけど、まだまだ可愛いところもあるな……」

思わず口角が上がってしまっているが大和は今眠っているため気にしなくていい。

「今なら……」

そして、私は大和の耳に口を近づけて

「ねえ大和。なんで私がこんな実験持ちかけたと思う?」

当然だが回答は帰ってこない。

「それはね……」


『私が、小学校の頃から大和のことを好きだったからだよ』

顔が徐々に火照ってくるのを感じるが、気にせず続ける。

「私さ、あの公園での事件の後、家でめっちゃ泣いたんだよ!? 大好きな大和に彼女がいたんだって思って。学校では平然を装っていたけど、あれもけっこうぎりぎりだったんだ」

昔のことを思い出しながら言葉を続ける。

「そして、あれが私の勘違いだったって気付いたときにはほんとに嬉しかった。もう大和を他の人に取られたくない。大和にもっと私のことを意識してほしい。だから、こんな実験を持ちかけたんだ。これで大和が少しでも私のことを意識してくれてたら嬉しいな」

気付いたら涙が目に溜まっていた。そして、一粒、一粒と大和に落ちていく。

「って、今言っても意味ないよね……あはは」
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