3 / 22
第一章:上京ガールの体温と東京の温度差
結城と小春の出会い
しおりを挟む
その日、結城 創(ゆうき はじめ)は、西新宿の摩天楼の一角、自ら率いる株式会社ネクストリームの役員会議室の窓際に立っていた。床から天井まで、一枚ガラスで切り取られた窓の外には、まるで精巧なジオラマのように、東京のビル群が果てしなく広がっている。眼下に広がる風景は、彼がこの数年で手に入れてきた成功と、支配している世界の象徴のようでもあった。会議室は、彼の美学を反映して、ミニマルで、しかし贅沢な素材が使われ、静謐な空気に満ちている。イタリア製のレザーチェア、磨き上げられたマホガニーの巨大なテーブル、そして最新鋭のカンファレンスシステム。全てが完璧に整えられ、コントロールされている空間。テーブルの中央に置かれたスマートディスプレイには、今日のクライアントである老舗食品メーカー「鳩屋フーズ」のロゴが、控えめながらもクリアに表示されていた。結城は、寸分の狂いもなく結ばれたネクタイのノットに軽く触れ、テーブルに並べられた輸入品のミネラルウォーターのボトルに、一瞬だけ満足気な視線を送った。全てが彼の計算通りに進むはずだった。そんな絶対的な自信と、もはや日常となった成功に対する、ほんのわずかな倦怠感が、彼の周りには漂っていた。
やがて、重厚な会議室のドアが静かに開き、鳩屋フーズの担当者たちが、やや緊張した面持ちで入室してきた。先頭を歩くのは、いかにも古き良き日本の大企業といった風格の、恰幅の良い初老の取締役。その後ろに、経験とプライドを滲ませた部長クラスが数名続く。その一団の最後に、まるで群れからはぐれた雛鳥のように、周囲の状況に完全に気圧された様子で、所在なさげについてくる小柄な女性がいた。それが、佐伯 小春(さえき こはる)だった。
(結城 視点) 「……なんだ、あれは」 結城は、眉をひそめるというより、一瞬、理解不能なものを見たかのように目を細めた。場違い感が、尋常ではない。他のメンバーが、今日の重要なプレゼンテーションに対する適度な緊張感と、結城という若き成功者に対する警戒心や期待感をないまぜにした、計算された表情を浮かべている中で、彼女だけが完全に異質だった。まるで、着慣れていない制服を着せられた中学生のような、頼りなげな立ち姿。スーツは、おそらく就職活動で使っていたものをそのまま着続けているのだろう、体に合っていないのか、どこか野暮ったいシルエットだ。メイクもほとんどしておらず、長い髪はただ一つに無造使にくくられているだけ。そして何より、その大きな瞳。隠そうともしない緊張と、それ以上に強い好奇心に満ちて、会議室の豪奢な内装や、窓の外に広がる非日常的な景色を、無遠慮にきょろきょろと見回している。 「(……鳩屋も人がいないのか? それとも、新人研修の一環か? だとしても、うちのプレゼンを教材にするとは、随分と太っ腹だな)」 あるいは、この場の緊張感を和らげるための、一種の「ゆるキャラ」的な役割でも期待されているのだろうか。どちらにせよ、今日のプレゼンテーションにおいて、彼女は明らかにノイズであり、彼の完璧にデザインされた空間における、意図しない染みのような存在だった。結城は、一瞬で彼女に対する興味を失い(あるいは、意識的にシャットアウトし)、思考を предстоящий(これから始まる)プレゼンテーションの内容へと完全に切り替えた。彼の時間は、一分一秒が、金銭的価値に換算されるほど貴重なのだ。取るに足らない存在に、思考のリソースを割く余裕はない。
プレゼンテーションは、まさに結城の独壇場だった。よどみなく、理路整然と、そして圧倒的な自信に満ち溢れた声が、静まり返った会議室に響き渡る。複雑怪奇な市場の動向分析、最新のデジタルトレンドと消費者のインサイト、そしてそれらを高度に統合し、鳩屋フーズという伝統的な企業のためにカスタマイズされた、具体的かつ革新的なマーケティング戦略。彼は、ただ情報を提示するのではない。相手の心を掴み、未来への期待を抱かせ、そして最終的には自分の提案を受け入れさせるための、あらゆるレトリックと演出を知り尽くしていた。時折見せる、挑戦的なまでに鋭い視線は相手の心の奥底を見透かすようであり、口の端に浮かべる、計算され尽くした薄い笑みは、彼の若き成功者としての揺るぎない自負と、ある種の冷酷ささえ物語っていた。AI、ビッグデータ、サブスクリプション、D2C… 最新のテクノロジーに関する専門用語が、よどみなく彼の口から紡ぎ出される。その言葉一つ一つが、まるで鋭利な刃物のように、旧態依然とした企業の弱点を的確に突き、同時に未来への道を照らし出す光のようにも感じられた。
(小春 視点) すごい……! すごすぎる……! 小春は、開いた口が塞がらないとはこのことか、と思いながら、ただただ圧倒されていた。目の前で、スポットライトを浴びているかのように輝きながら話している結城 創という男性が、自分とは全く違う、遠い世界の住人であることだけは、痛いほど分かった。テレビの経済ニュースや、ビジネス雑誌の表紙でしか見たことのないような、洗練された雰囲気。イタリア製だと一目でわかる高級スーツの、寸分の隙もない着こなし。そして、何よりも、彼が全身から放っている、揺るぎない自信と、底知れない知性、そして人を寄せ付けないような鋭利なオーラ。彼が話す言葉は、難しいカタカナやアルファベットの専門用語が多くて、正直、半分どころか三割も理解できなかったけれど、それでも、聞いている者を魔法にかけたように惹きつけて離さない、不思議な引力があった。まるで、超一流の指揮者がオーケストラを操るように、場の空気を完全に支配している。 眩しい、と思った。真夏の太陽みたいに。でも、太陽と違って、どこか温度を感じさせない。ガラス越しのような、あるいは、完璧に磨き上げられた氷のような、冷たさも同居している気がした。彼の射るような鋭い視線が、時折、こちらに向けられる(ように感じる)たびに、心臓が氷水に入れられたかのように、きゅっと縮こまる。少し怖い、とも感じた。あの目は、きっと、私の不安や劣等感なんて、すべてお見通しなんだろう。隣に座る、普段は厳格な上司たちが、まるで教えを請う生徒のように、感嘆のため息を漏らしながら必死にメモを取っている。自分だけが、この場のレベルから完全に取り残されているようで、焦りと劣等感で、耳まで熱くなるのを感じた。早くこの場から逃げ出したいような、でも、この非日常的な空間にもう少しだけ身を置いていたいような、相反する気持ちが渦巻いていた。
プレゼンが終わり、いくつかの鋭い質問が飛び交う質疑応答の時間も、結城は動じることなく、的確かつ冷静に、時には相手の知識不足を暗に指摘するかのような余裕さえ見せながら、完璧に切り抜けた。打ち合わせは、ネクストリーム社の完全勝利と言っていい雰囲気で終了した。そして、名刺交換の時間。鳩屋フーズの取締役が、満面の笑みで結城に歩み寄り、丁重な挨拶と賞賛の言葉を述べる。部長たちもそれに続き、和やかな(しかし、どこか力関係の見える)談笑が始まる。小春は、その輪に加わることもできず、どうすればいいのか分からず、会議室の隅で所在なさげにおろおろしていた。再び、隣にいた上司に肘で小さく、しかし強く突かれ、はっと我に返る。慌てて、震える手で名刺入れを取り出し、一枚抜き取ると、意を決して、談笑が一段落した結城の前に進み出た。 「あ、あのっ! 株式会社鳩屋フーズ、営業企画部の、佐伯 小春と、申します! 本日は、本当に、素晴らしいプレゼンテーションを、ありがとうございましたっ!」 心臓は破裂しそうなほど高鳴り、声は裏返り、語尾は情けなく上ずる。深々とお辞儀をしすぎて、前のめりになってテーブルに頭をぶつけそうになる。早くこの場を立ち去りたい一心だった。
(結城 視点) 差し出された、一枚の名刺。震える指先。佐伯 小春。やはり聞いたことのない名前だ。そして、この古風な名前が、彼女の持つ野暮ったさ、あるいは純朴さと妙に合っている気がした。結城は、表情を変えずに名刺を受け取ると、一瞬だけ、値踏みするような、あるいは昆虫でも観察するかのような冷めた視線を、彼女に向けた。間近で見ると、その「東京に染まっていない」感じは、もはや希少価値があると言ってもいいかもしれない。大きな、まるで嘘や計算という概念を知らないかのような、真っ直ぐすぎる瞳。緊張と気後れで、耳まで真っ赤になっている。彼の周りにいる女性たちは、もっとしたたかで、もっと洗練されていて、自分の魅力を最大限に利用する方法を知っている。彼女のようなタイプは、彼のビジネスフィールドはもちろん、プライベートの人間関係においても、まず存在しないカテゴリーだ。まるで、突然変異種か、外来種か。 「結城です。どうも」 彼は、完璧に計算された、しかし感情の温度を感じさせないビジネススマイルを貼り付け、型通りの挨拶を返した。彼女の差し出した手は、驚くほど小さく、そして力なく感じられた。握手というより、触れただけ、という方が近い。彼はすぐに手を離し、受け取った名刺を一瞥すると、まるで興味がないと示すかのように、すぐに内ポケットにしまった。彼女の瞳の奥にある、純粋なのか、あるいはただ世間を知らないだけなのか判別しかねる光に、ほんの一瞬だけ、彼の「人間評価アルゴリズム」が微細なバグを起こしたような、奇妙な感覚を覚えた。 「(……面白い、かもしれないな。この反応。この擦れてなさは、ある意味で武器になるのか? いや、それはないか)」 あるいは、やはりただひたすらに、面倒なだけか。彼の築き上げてきた、効率と結果と合理性を至上とする、このドライで完璧な世界とは、あまりにも異質な、ウェットで非効率な存在。 「こちらこそ、本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました。前向きにご検討いただけますことを、心よりお待ちしております」 結城は、もはや彼女個人に向けてではなく、鳩屋フーズという企業全体に向けて、流れるような、しかしどこか突き放すような丁寧さでそう言った。そして、視線を隣に立つ鳩屋フーズの年配の部長へと、滑らかに移した。彼の意識の中では、佐伯小春という存在は、すでに処理済みのタスクのように、背景へと追いやられていた。 小春は、取り残されたような、小さな、しかし針で刺されたように鋭い、確かな疎外感を、その場の華やかで、しかし自分には冷たく感じられる空気の中に、ただ呆然と感じていた。自分だけが、違う言語を話しているような、そんな心細さだった。
これが、結城と小春の最初の出会い。東京という、成功と挫折、光と影が隣り合わせに存在する巨大な都市の一室で交わされた、ほんの数分の出来事。互いの第一印象は、決して特別なロマンスの始まりを予感させるものではなかった。眩しさと圧倒的な格差への恐怖。物珍しさに対する一瞬の興味と、すぐに湧き上がった異物に対するわずかな警戒心と無視。二人の間には、まだ、途方もなく厚くて、冷たくて、そしておそらく簡単には壊れないであろう、透明な壁が存在している。それは、東京という街そのものが持つ、人を惹きつけてやまない魅力と、同時に人を突き放す冷たさの、象徴のようでもあった。
やがて、重厚な会議室のドアが静かに開き、鳩屋フーズの担当者たちが、やや緊張した面持ちで入室してきた。先頭を歩くのは、いかにも古き良き日本の大企業といった風格の、恰幅の良い初老の取締役。その後ろに、経験とプライドを滲ませた部長クラスが数名続く。その一団の最後に、まるで群れからはぐれた雛鳥のように、周囲の状況に完全に気圧された様子で、所在なさげについてくる小柄な女性がいた。それが、佐伯 小春(さえき こはる)だった。
(結城 視点) 「……なんだ、あれは」 結城は、眉をひそめるというより、一瞬、理解不能なものを見たかのように目を細めた。場違い感が、尋常ではない。他のメンバーが、今日の重要なプレゼンテーションに対する適度な緊張感と、結城という若き成功者に対する警戒心や期待感をないまぜにした、計算された表情を浮かべている中で、彼女だけが完全に異質だった。まるで、着慣れていない制服を着せられた中学生のような、頼りなげな立ち姿。スーツは、おそらく就職活動で使っていたものをそのまま着続けているのだろう、体に合っていないのか、どこか野暮ったいシルエットだ。メイクもほとんどしておらず、長い髪はただ一つに無造使にくくられているだけ。そして何より、その大きな瞳。隠そうともしない緊張と、それ以上に強い好奇心に満ちて、会議室の豪奢な内装や、窓の外に広がる非日常的な景色を、無遠慮にきょろきょろと見回している。 「(……鳩屋も人がいないのか? それとも、新人研修の一環か? だとしても、うちのプレゼンを教材にするとは、随分と太っ腹だな)」 あるいは、この場の緊張感を和らげるための、一種の「ゆるキャラ」的な役割でも期待されているのだろうか。どちらにせよ、今日のプレゼンテーションにおいて、彼女は明らかにノイズであり、彼の完璧にデザインされた空間における、意図しない染みのような存在だった。結城は、一瞬で彼女に対する興味を失い(あるいは、意識的にシャットアウトし)、思考を предстоящий(これから始まる)プレゼンテーションの内容へと完全に切り替えた。彼の時間は、一分一秒が、金銭的価値に換算されるほど貴重なのだ。取るに足らない存在に、思考のリソースを割く余裕はない。
プレゼンテーションは、まさに結城の独壇場だった。よどみなく、理路整然と、そして圧倒的な自信に満ち溢れた声が、静まり返った会議室に響き渡る。複雑怪奇な市場の動向分析、最新のデジタルトレンドと消費者のインサイト、そしてそれらを高度に統合し、鳩屋フーズという伝統的な企業のためにカスタマイズされた、具体的かつ革新的なマーケティング戦略。彼は、ただ情報を提示するのではない。相手の心を掴み、未来への期待を抱かせ、そして最終的には自分の提案を受け入れさせるための、あらゆるレトリックと演出を知り尽くしていた。時折見せる、挑戦的なまでに鋭い視線は相手の心の奥底を見透かすようであり、口の端に浮かべる、計算され尽くした薄い笑みは、彼の若き成功者としての揺るぎない自負と、ある種の冷酷ささえ物語っていた。AI、ビッグデータ、サブスクリプション、D2C… 最新のテクノロジーに関する専門用語が、よどみなく彼の口から紡ぎ出される。その言葉一つ一つが、まるで鋭利な刃物のように、旧態依然とした企業の弱点を的確に突き、同時に未来への道を照らし出す光のようにも感じられた。
(小春 視点) すごい……! すごすぎる……! 小春は、開いた口が塞がらないとはこのことか、と思いながら、ただただ圧倒されていた。目の前で、スポットライトを浴びているかのように輝きながら話している結城 創という男性が、自分とは全く違う、遠い世界の住人であることだけは、痛いほど分かった。テレビの経済ニュースや、ビジネス雑誌の表紙でしか見たことのないような、洗練された雰囲気。イタリア製だと一目でわかる高級スーツの、寸分の隙もない着こなし。そして、何よりも、彼が全身から放っている、揺るぎない自信と、底知れない知性、そして人を寄せ付けないような鋭利なオーラ。彼が話す言葉は、難しいカタカナやアルファベットの専門用語が多くて、正直、半分どころか三割も理解できなかったけれど、それでも、聞いている者を魔法にかけたように惹きつけて離さない、不思議な引力があった。まるで、超一流の指揮者がオーケストラを操るように、場の空気を完全に支配している。 眩しい、と思った。真夏の太陽みたいに。でも、太陽と違って、どこか温度を感じさせない。ガラス越しのような、あるいは、完璧に磨き上げられた氷のような、冷たさも同居している気がした。彼の射るような鋭い視線が、時折、こちらに向けられる(ように感じる)たびに、心臓が氷水に入れられたかのように、きゅっと縮こまる。少し怖い、とも感じた。あの目は、きっと、私の不安や劣等感なんて、すべてお見通しなんだろう。隣に座る、普段は厳格な上司たちが、まるで教えを請う生徒のように、感嘆のため息を漏らしながら必死にメモを取っている。自分だけが、この場のレベルから完全に取り残されているようで、焦りと劣等感で、耳まで熱くなるのを感じた。早くこの場から逃げ出したいような、でも、この非日常的な空間にもう少しだけ身を置いていたいような、相反する気持ちが渦巻いていた。
プレゼンが終わり、いくつかの鋭い質問が飛び交う質疑応答の時間も、結城は動じることなく、的確かつ冷静に、時には相手の知識不足を暗に指摘するかのような余裕さえ見せながら、完璧に切り抜けた。打ち合わせは、ネクストリーム社の完全勝利と言っていい雰囲気で終了した。そして、名刺交換の時間。鳩屋フーズの取締役が、満面の笑みで結城に歩み寄り、丁重な挨拶と賞賛の言葉を述べる。部長たちもそれに続き、和やかな(しかし、どこか力関係の見える)談笑が始まる。小春は、その輪に加わることもできず、どうすればいいのか分からず、会議室の隅で所在なさげにおろおろしていた。再び、隣にいた上司に肘で小さく、しかし強く突かれ、はっと我に返る。慌てて、震える手で名刺入れを取り出し、一枚抜き取ると、意を決して、談笑が一段落した結城の前に進み出た。 「あ、あのっ! 株式会社鳩屋フーズ、営業企画部の、佐伯 小春と、申します! 本日は、本当に、素晴らしいプレゼンテーションを、ありがとうございましたっ!」 心臓は破裂しそうなほど高鳴り、声は裏返り、語尾は情けなく上ずる。深々とお辞儀をしすぎて、前のめりになってテーブルに頭をぶつけそうになる。早くこの場を立ち去りたい一心だった。
(結城 視点) 差し出された、一枚の名刺。震える指先。佐伯 小春。やはり聞いたことのない名前だ。そして、この古風な名前が、彼女の持つ野暮ったさ、あるいは純朴さと妙に合っている気がした。結城は、表情を変えずに名刺を受け取ると、一瞬だけ、値踏みするような、あるいは昆虫でも観察するかのような冷めた視線を、彼女に向けた。間近で見ると、その「東京に染まっていない」感じは、もはや希少価値があると言ってもいいかもしれない。大きな、まるで嘘や計算という概念を知らないかのような、真っ直ぐすぎる瞳。緊張と気後れで、耳まで真っ赤になっている。彼の周りにいる女性たちは、もっとしたたかで、もっと洗練されていて、自分の魅力を最大限に利用する方法を知っている。彼女のようなタイプは、彼のビジネスフィールドはもちろん、プライベートの人間関係においても、まず存在しないカテゴリーだ。まるで、突然変異種か、外来種か。 「結城です。どうも」 彼は、完璧に計算された、しかし感情の温度を感じさせないビジネススマイルを貼り付け、型通りの挨拶を返した。彼女の差し出した手は、驚くほど小さく、そして力なく感じられた。握手というより、触れただけ、という方が近い。彼はすぐに手を離し、受け取った名刺を一瞥すると、まるで興味がないと示すかのように、すぐに内ポケットにしまった。彼女の瞳の奥にある、純粋なのか、あるいはただ世間を知らないだけなのか判別しかねる光に、ほんの一瞬だけ、彼の「人間評価アルゴリズム」が微細なバグを起こしたような、奇妙な感覚を覚えた。 「(……面白い、かもしれないな。この反応。この擦れてなさは、ある意味で武器になるのか? いや、それはないか)」 あるいは、やはりただひたすらに、面倒なだけか。彼の築き上げてきた、効率と結果と合理性を至上とする、このドライで完璧な世界とは、あまりにも異質な、ウェットで非効率な存在。 「こちらこそ、本日は貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました。前向きにご検討いただけますことを、心よりお待ちしております」 結城は、もはや彼女個人に向けてではなく、鳩屋フーズという企業全体に向けて、流れるような、しかしどこか突き放すような丁寧さでそう言った。そして、視線を隣に立つ鳩屋フーズの年配の部長へと、滑らかに移した。彼の意識の中では、佐伯小春という存在は、すでに処理済みのタスクのように、背景へと追いやられていた。 小春は、取り残されたような、小さな、しかし針で刺されたように鋭い、確かな疎外感を、その場の華やかで、しかし自分には冷たく感じられる空気の中に、ただ呆然と感じていた。自分だけが、違う言語を話しているような、そんな心細さだった。
これが、結城と小春の最初の出会い。東京という、成功と挫折、光と影が隣り合わせに存在する巨大な都市の一室で交わされた、ほんの数分の出来事。互いの第一印象は、決して特別なロマンスの始まりを予感させるものではなかった。眩しさと圧倒的な格差への恐怖。物珍しさに対する一瞬の興味と、すぐに湧き上がった異物に対するわずかな警戒心と無視。二人の間には、まだ、途方もなく厚くて、冷たくて、そしておそらく簡単には壊れないであろう、透明な壁が存在している。それは、東京という街そのものが持つ、人を惹きつけてやまない魅力と、同時に人を突き放す冷たさの、象徴のようでもあった。
0
あなたにおすすめの小説
あなたの片想いを聞いてしまった夜
柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」
公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。
政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。
しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。
「好きな人がいる。……片想いなんだ」
名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
恋愛
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
マッチ率100%の二人だが、君は彼女で私は彼だった
naomikoryo
恋愛
【♪♪♪第19回恋愛小説大賞 参加作品♪♪♪ 本編開始しました!!】【♪♪ 毎日、朝5時・昼12時・夕17時 更新予定 ♪♪ 応援、投票よろしくお願いします(^^) ♪♪】
出会いサイトで“理想の異性”を演じた二人。
マッチ率100%の会話は、マッチアプリだけで一か月続いていく。
会ったことも、声を聞いたこともないのに、心だけが先に近づいてしまった。
――でも、君は彼女で、私は彼だった。
嘘から始まったのに、気持ちだけは嘘じゃなかった。
百貨店の喧騒と休憩室の静けさの中で、すれ違いはやがて現実になる。
“会う”じゃなく、“見つける”恋の行方を、あなたも覗いてみませんか。
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
ある日、私は事故で死んだ───はずなのに、目が覚めたら事故の日の朝なんですけど!?
ねーさん
恋愛
アイリスは十六歳の誕生日の前の日に、姉ヴィクトリアと幼なじみジェイドと共に馬車で王宮に向かう途中、事故に遭い命を落とした───はずだったが、目覚めると何故か事故の日の朝に巻き戻っていた。
何度もその日を繰り返して、その度事故に遭って死んでしまうアイリス。
何度目の「今日」かもわからなくなった頃、目が覚めると、そこにはヴィクトリアの婚約者で第三王子ウォルターがいた。
「明日」が来たんだわ。私、十六歳になれたんだ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる