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本編

訪れた異変

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「小さい煙は料理を提供する店のものです。二番街や商業区の人たちが家に帰るのは、基本寝るためだけですから」

 一日の大半――明るい内――は、外で過ごすと聞いて驚く。
 食事も外食が当たり前とのこと。
 というのも、神殿でしょっちゅう炊き出しをおこなうので、外で食べるのが日常化しているらしい。
 二番街や商業区にある食堂も料金は安いのだとか。
 一通り説明を終えたファビオが胸を張る。

「少なくとも、オラトリオでは飢えて死ぬ子どもはいません」
「クレアーレ神の教義ですね」
「はいっ、子どもは社会で守るものですから!」

 キラキラと輝く笑顔が眩しい。
 しかしイリアは知っていた。
 大人の物乞いや路上生活者はいること。夜になれば、治安が悪くなること。
 今一度、眼下に広がる風景を眺める。
 建物の白、水の青、そこへ屋根の赤が混じるオラトリオの街並みは美しい。
 教義のおかげでオラトリオには道徳心が根付いている。けれど犯罪がないわけじゃない。
 特権階級が存在し、一番街と二番街のようにわかりやすく貧富の差もあった。

 後ろを振り返る。

 宗教国家オラトリオの権威の象徴である大神殿。
 視線の先にそびえ立つ巨大建造物は、離れていても存在感を失わない。
 神子に関するイベントの記載は、資料にはなかった。
 けれど。

(大神殿の一部の神官は、腐敗している)

 大神殿に勤める神官は、宗教者であると同時に、国の官僚でもある。
 富と利権が渦巻く魔窟。
 それに関するイベントを知っている以上、上辺だけを見て、綺麗なところだと評することはできなかった。

 ファンタジアでは一つの国や地域によって、多数のイベントが用意されている。
 一般NPCからのお使いや、果ては国を揺るがす大事件まで。
 国に関するイベントを解決すると、国からの信頼度が高まり、条件をクリアできれば家が持てるようになる。
 オラトリオにも例外なく、信頼度が高まるイベントが用意されていた。

(といっても資料には概要があっただけで、詳細は知らないんですけど)

 エヴァルドを取り巻く軋轢が、イベントに関係していることは予想できた。
 それと神子との確執も。
 イベントは随時追加されていくので、現段階で知らないものがあってもおかしくはない。

「では、そろそろお戻りになられますか!」

 大神殿を振り返ったイリアをどうとらえたのか、ファビオが満面の笑みを見せる。

「私としては商業区に」
「ダメです!」

 行きたい。
 けれどファビオは、展望台からの眺めで満足して欲しいようだ。

「一番街ならまだしも、商業区は他国からの来訪者も多くて危険が伴います。神子様、今日はこのくらいにして帰りましょう? もうすぐお昼ですよ」

 うるうると涙を溜めた目で見上げられ、罪悪感が刺激される。
 子犬を連想させる美少年の哀願に、イリアは屈した。

「……わかりました、今日のところは帰りましょう」
「はい!」

 元老院議事堂へ戻り、ファビオを抱えて居住区へ飛び立つ。
 中庭から居住区に戻ると、何やら雰囲気が慌ただしかった。
 天候も変わり、日がかげる。
 ガサガサと音を立てて揺れる木の葉が、嵐を予感させた。
 肩でホワイティも耳をそばだてる。
 【探知無効】と【飛翔】を解除し、ファビオを下ろしたところで、アトリウムがある廊下から現れたエヴァルドと目が合った。

(どうして昼前なのに、エヴァルドがいるんですか!?)

 予期せぬ人物の登場に、目を見開く。
 次の瞬間には両肩を掴まれ、場所を奪われたホワイティは慌てて廊下に向かって跳んだ。

「イリア! 今までどこにいた!?」
「ちょっ、放してください!」

 強引さに抗議するものの、エヴァルドの勢いは止まらない。
 鬼気迫る表情は、いつにも増して威圧感があった。

「言え、どこにいた! ファビオも一緒だったのか!」

 行き先ぐらいは、言付けておくべきだっただろうか。
 赤く染まった瞳に、乱れた黒髪。それだけでエヴァルドの混乱は察せられた。
 瞳が赤くなる条件は、怒りかもしれない。
 思い返せば、結婚を申し出たときなど、エヴァルドの反感を買ったときに瞳は赤くなっていたように思う。
 そうだとしても逃げるのではなく、ちゃんと向き合おうと息を吐く。
 イリアも、髪を振り乱すほど心配させる気は毛頭なかったのだ。

「少し行政区を散策してきただけです」
「余は出かけるなと伝えただろう! わかっているのかっ、そなたは自分の身を危険に晒したのだぞ!?」
「神子である私を傷つけられる者などいません」
「っ、何故余の言うことが聞けぬ!? 余は『神子の守り人』だ! 傷つけられなくとも、攫われ、監禁でもされたらどうする!」

 神子の守り人。
 だからエヴァルドは、こんなにも怒っているのかと合点がいく。
 エヴァルドの政治体制はまだ盤石じゃない。
 ここで神子に何かあれば大きな失点になる。

(王兄派とも、まだ揉めてるといいますし……)

 結局は保身のため。
 そう思うと、ふつふつと怒りが湧いてきた。

「聞いているのか!」
「監禁を恐れるなら、どこへも出かけられない今の状況はなんと言うんです?」
「それは、都合さえつけば」
「都合がつくまでは、大人しく監禁されていろと?」
「違うっ、余はそなたを守りたいだけだ!」
「『神子の守り人』としてでしょう」

 肩を掴むエヴァルドの手は、思いの外、簡単に外れた。

「これ以上お話ししても平行線ですね」

 互いの意見が変わらないなら、時間の無駄だ。
 エヴァルドから視線を外し、中庭を出る。
 先ほどエヴァルドが出てきた廊下へ向かい、寝室を目指した。
 自分でも驚くほど苛立つ心を静めたかった。
 そんなイリアの背中に、切なげな声が届く。

「――だ」
「何ですか?」

 エヴァルドにしては弱々しい声音に、振り返らずにはいられなかった。
 ざぁっと風が流れた先で、目に映ったのは。
 威風堂々とした聖王ではなく――中庭に一人ぼっちで立つ、自信をなくした青年だった。

「余は、イリアの婚約者だ。婚約者として心配している」
「……」

 あまりの違いに混乱する。
 ただでさえ平常心をなくしていて、何も考えられない。
 かける言葉が見つからず、現実から逃げるようにその場をあとにする。

(もう、わけがわかりませんっ)

 寝室に入るなり、ベッドへダイブした。
 遅れてぽふっと枕が沈み、ホワイティが姿を見せる。
 現れた白い毛玉に、荒れていた気持ちが少し落ち着く。
 手を伸ばせば、そこへホワイティが頭を擦り付けてきた。

「一度ログアウトしましょうか」

 これはゲームに過ぎない。
 しかしエヴァルドの態度に、すっかり平静を保てないでいた。

(ログアウトして、この気持ちをリセットしましょう)

 仰向けになり、システムを意識する。
 けれど何故か、ログアウトに移行しない。
 何かの不具合かと、管理画面を呼び出しログアウト用のコマンドを入力する。

 何度も、何度も。

「コマンドが弾かれる? そんなバカな……」

 イリアは日が落ちるまで、思いつく限りの方法を試した。
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