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高等部二年生

032

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「保、二人の様子が気になるなら、一緒に行けばよかったんじゃないかな?」
「それだとダメなんだよ」

 怜くんと七瀬くんは二人っきりにならないといけないんだから。
 けど結局落ち着けなくなったぼくは、コップを片手に七瀬くんの隣の部屋の壁に張り付いていた。
 隣の部屋の住人が、都合良く二人とも怜くんの親衛隊員だったこともあって、眞宙くんも含めて計四人で壁にコップを当て、そのコップの底に耳を添えている。

「怜様に限って、浮気なさることはないと思いますが」
「七瀬が襲うかもしれないだろ」

 親衛隊員の二人は、怜くんと七瀬くんの行動を聞き逃さないよう必死だ。
 眞宙くんはこんなことで二人の会話が拾えるのかと半信半疑だけど、コップから手を離すこともない。
 かくいうぼくも、マンガから得た前世の知識なので、試すのは今日がはじめてだ。
 良家の子息がすることじゃないよねぇ……。

「流石に無理?」
「保、諦めよう」
「お二人とも! お静かに!」

 ぼくと眞宙くんの声が邪魔だったのか、親衛隊員に怒られる。
 素直に口を閉じると、最初は何も聞こえなかったのに、コップを通して音が聞こえはじめた。
 内容までは分からないけど、人が話している気配は察せられる。
 コップから耳を離すと、話し声は全く聞こえなくなるので、集音効果は微かながらもあるらしい。
 しかし、どこまでもぼんやりとした音だった。
 七瀬くんの声は通るから、もっと聞こえるかなと期待したんだけど。
 そこは寮の防音がしっかりしていることを褒めるべきなんだろうか。

「……会話が止んだようですね」

 親衛隊員の言葉に、ぼくは壁から離れた。これ以上、聞いているのが怖かったから。
 眞宙くんもぼくを見て、同じ行動を取る。
 部屋を出るときのドアの開閉音は、わざわざコップに耳を付けなくても聞こえるからだろう。
 けれど、そのときが中々訪れない。
 五分、十分と時間が過ぎる中、親衛隊員の二人は相変わらず壁から離れようとしなかった。
 十分を過ぎたところで、眞宙くんはスマホで時間を潰しはじめる。
 ぼくもそれに倣おうかとスマホの画面を見るけど、意識はずっと隣室へと傾いていた。
 会話は止んでいるはず。
 だけど、この間は……やはりそうなんだろうか?
 頭に浮かぶ答えに、口の中が乾く。
 舌が上顎に張り付いて不快だった。

「っ!」

 突然、親衛隊員が二人揃って、勢い良く壁から離れる。
 隣室の声を拾うことに集中していた二人は、気まずそうな表情を見せた。
 二人の表情に、ぼくは全てを察する。
 やっぱりイベントがあったんだ……。
 今頃、七瀬くんは梱包用のビニール紐に絡まって……。

「何か聞こえたのかな?」

 二人の様子を訝しんだ眞宙くんが質問する。
 親衛隊員の二人は、言い辛そうな様子を見せながらも、眞宙くんの強い視線に屈して答えた。

「その……」
「喘ぎ声の、ようなものが……」

 誰の、とは聞くまでもない。
 ぼくはまた自分勝手に荒れる心を知られたくなくて、足早に彼らの部屋を出た。
 後ろから、眞宙くんがぼくを呼ぶ声が聞こえる。
 けど、動く足を止められない。

 まただ。
 分かっていたことなのに! 心の準備をする時間はあったはずなのに!
 これが必要な流れであることを理解している。
 怜くんは七瀬くんと関わることで、考え方が変わって幸せになれるんだ。
 ぼくと距離を置くようになるのも、その過程でしかない。
 こんなことで傷付いてる場合じゃないんだ。

 ぼくは、怜くんを幸せにするって、決めただろ!

 好きな人の幸せを願って、そのために性悪の親衛隊長になるって!
 まだまだこれからだ。
 これから、怜くんの、本当の恋がはじまるのに。
 怜くん、ごめんね。
 ぼくはもっと強くならなきゃダメだよね。

「保っ!」

 強く腕を引かれて体が反転する。
 そこには、いつもぼくを慰めてくれる夕焼け色の瞳があった。

「一人で部屋を出ていくなんてどういうつもり? 保は、『抱きたい』ランキングで一位になったんだから、一人になるのは危ないって、風紀委員からも注意されてるよね?」
「ごめん……」

 眞宙くんに捕まったぼくは、そのまま腕を引かれて、怜くんと眞宙くんの部屋に連れていかれた。
 ミルクと砂糖が多めに入ったコーヒーを手渡してくれながらも、眞宙くんの顔は険しい。
 今更ぼくが誰かに襲われるとは素直に信じられないけど、今の眞宙くんに口答えしないほうがいいことは、経験則から学んでいる。

「大体、喘ぎ声が聞こえたっていうのも、あんな不明瞭な聞こえ方じゃ怪しいよ。現場を目撃したわけじゃないんだから、早合点しないほうがいいんじゃないかな」
「うん……」

 この目で見たわけじゃない。
 けど前世の自分は、画面越しにその光景を見ていた。
 ……なんてこと、眞宙くんに言えるわけがないよね。

「保は考えてから動くクセを付けないと。前々から注意されてるでしょう?」
「はい」

 眞宙くんの言うことは、逐一最もだった。
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