俺はお前のおかんだからな

亜銅鑼

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【序章】始まらずに終わった話、或いは終わりが始まる話

7. 娘の心おかん知らず

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「ごめんね、待たせることになっちゃったみたいで」
「別に構わんさ。結果だけを見れば何事もなく済んでいるからな」

 本当は鑑識課を訪れたその足で下校するつもりだった敢介だが、伊恵理と一緒に帰る約束をしてしまったため、結局は下校時刻まで残らざるを得なくなってしまったのだ。
 そうともなれば、校史編纂室を閉めておく必要もないと、再び中央図書館に戻ったところまでは良かったのだが――そこで思わぬ誤算が発生した。

 折しも、敢介と連絡が付かないことにしびれを切らした報道部の知り合いが、彼を捜し求めて、直接第一小会議室に押しかけてきているタイミングだったのだ。
 悪い人間ではないのだが、記者の常として、あることないこと何でも知りたがる悪癖の持ち主である。暇潰しがてら会うには割に合わない相手だった。

 仕方なく、敢介は記者と鉢合わせしないように、館内を音もなくひたすら逃げ回る羽目になった。さすがに敢介を見つけ出す嗅覚は伊恵理ほどではないようで、何とかその目を掻い潜り続けることに成功した。
 というか、下校時刻を回った途端、伊恵理はあっさり「……何してるの、おかん?」と敢介を見つけ出してきた。この少女の前世は警察犬だったのではないだろうか。

「学園のより良い未来のことを考えて散歩していたんだ。――つーわけで、余計な奴に見つかる前にさっさと帰るぞ」
「う、うん……?」

 意味が解らないという顔をしながらも、伊恵理は特に騒ぎ立てることなく付いてきた。
 二人で並んで校門を通り過ぎたところで、ひとまず今日のところはもう追ってこないだろうと、敢介は胸を撫で下ろした。明日どうするかは明日考えればいい。

 しかし、別の問題もまた発生していた。伊恵理の様子がおかしいだ。
 普段であれば、放っておいてもぎゃーすかわーすかと騒がしいのがこの少女なのだが、今はやけに物静かだった。しおらしい、という言葉ほど彼女に似合わない表現もないというのに。

「……さっきからどうした。俺の顔に何か付いてるのか?」

 それでいて、何やら敢介の様子を窺うかのようにちらちらと彼の方を見やるのだ。言いたいことがあるならはっきり言えというか、そもそもそういうことを貯め込む子ではないはずなのに。
 しかし伊恵理は不意打ちを受けたかのように「ふぇっ?」と間抜けな声を漏らしたかと思えば、

「う、ううん、別に何でもないよ?」
「どう見ても何でもなくないだろう」
「だから何でもなくなくないんだよっ。それよりも……おかんこそ、ええと、何か困ってることとかない? 私で良ければ何でも力になるよ!」
「…………は?」

 伊恵理は奇妙なことを言い出した。いきなり奉仕精神に目覚めたようだ。
 困っていることと言えば、まさに伊恵理自身の不気味な振る舞いそのものなのだが、指摘したところで意味がないことは先刻承知だ。

「とりあえず、お前にどうにかできそうな問題は、今のところないな」
「にゃ!? わ、私……もうお役御免?」
「俺がお前に役を与えた覚えもないな」

 がーん、と伊恵理は雷に打たれたかのような顔をした。こういうリアクションの素直さはいつも通りだったので、少しだけ安心できた。
 と思ったのも束の間、

「まずい……このままだとおかんに……」

 伊恵理は深刻な顔でぶつぶつと呟き始めた。

「伊恵理? 伊恵理ちゃん? おーい?」

 返事はない。敢介の言葉も届かないほどに、自分の世界に入り込んでしまっているようだ。もはや話し相手としてさえ機能していなかった。
 その日の帰り道――三十分の道のりが、退屈極まりないものになってしまったのは言うまでもない。


          ◆


 寮に帰ってからも伊恵理の異変は続いていた。

 いちおう沈思黙考の末に何かしらの結論は得たらしく、自分の部屋に戻る頃には「私、決めたよ! おかん!」と目を輝かせていた。何を決めたのかはまだ知らされていない。

 ただ、その夜の伊恵理は、何というかこう――〝良い子〟だった。いちおう。

「おかん、洗濯物取り込んどいた!」

 気持ちはありがたかったが、シワにならないよう丁寧に干していたワイシャツには手を触れないで欲しかった。それと、なぜ取り込むだけで畳みはしてくれないのか。

「おかん、このサラダ運んでおくね!」

 本当は小皿に分けて配膳するつもりだったのだが、たまにはボウルのままセルフサービスで取り分けてもらうのも悪くないかもしれない。ただ、伊恵理の分は敢介の手でしっかりと盛った。

「おかん、レーチが部屋にえっちな本隠してたから没収しておいた!」

 それはお前が読みたいだけだろう。敢介は伊恵理の手からブツを奪い返すと、返しそびれていたペーパーナイフと一緒に玲壱の部屋に戻しておいた。

 ともあれ、伊恵理の謎のお手伝い攻勢を凌ぎながら、夜は更けていった――。


          ◆


「はぁ……今日は疲れた」

 浴槽に張ったお湯に肩まで浸かりながら、敢介はぶくぶくと水面に泡を立てた。

 思えば妙な一日だった。下駄箱でラブレターを見つけ、その差出人を捜すべくあれこれ画策し、かと思いきや余計な相手まで釣れてしまい、更にはどういう因果か伊恵理の様子までおかしくなる。
 あれはラブレターなどではなく、そう装われた不幸の手紙だったのではないか。脳裏を胡乱な考えがよぎるが、さすがにそれは差出人に失礼だろうと、すぐに打ち消した。

 と、不意に脱衣所に人が入ってくる気配を感じて、敢介は磨りガラスを振り向いた。

「おかん、一緒にお風呂入ろう!」
「どうしてそうなる!?」

 敢介の声が風呂場の中でぐわんと反響したが、伊恵理は一顧だにする様子がない。磨りガラスの向こう側で、衣擦れの音と共にどんどん肌色成分が増えていく。

 敢介の制止など全く意に介さず、伊恵理は一糸纏わぬ素っ裸で浴室内に姿を現した。
 少女は、にっ、と屈託のない笑みを浮かべると共に、腰に手を当てて仁王立ちしていた。恥じらいなどどこかに置き忘れてきたのか、隠すべきところを隠す意思が全く感じられない。

 その無垢なる天使を真正面から目の当たりにした途端、敢介の頭にどくどくと血が上っていくのを実感した。
 スレンダーながらも、出るところはしっかりと出ている裸体。人によっては物足りなさを感じる程度かもしれないが、敢介にとっては唯一無二の黄金比に他ならない。現実を忘れて、ただただ恍惚感に打ち振るわされた。

 しかし、それは所詮――刹那の幻想に過ぎなかったと、すぐに思い知る。

 現実は容赦なく襲来する。豊臣秀吉の一夜城もかくやという速度で、塔が聳え立った。
 敢えて多くは申すまい。つまりはだ。

 天使の似姿を象った死神は、最高に晴れやかな笑顔で鎌を振り下ろす。

「私が背中を流してあげるね!」
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