8 / 11
【序章】始まらずに終わった話、或いは終わりが始まる話
8. 一緒にお風呂♪(※死亡フラグ)
しおりを挟む
幼なじみの女の子と一緒にお風呂に入るのは、たぶん十年ぶりくらいだろう。
幼稚園に通っていた頃は、特に抵抗はなかったように思う。
小学校に上がると、何事に対しても〝自分の力だけでやりたい〟という意欲が芽生えたためか、伊恵理を風呂場から締め出すようになった。
中等部の寮では男女の使用時間が厳格に区別されていたため、一緒に入るなどという発想さえなかった。もちろんそれだけが理由ではないが。
しかしどうして高二を間近にして、再びこのような状況に陥っているのだろうか。
――人生とは、常に予想外の連続だ。
敢介の交渉能力を最大限に駆使した短くない説得の末、ひとまず伊恵理が先に体を洗うということで妥協した。必ずしも長風呂を好む敢介ではなかったが、今夜のところはそれを口実に浴槽の中に留まった。
「おかん、いつもは早々と上がるのにね」
「他にすることがあるから遠慮してたんだよ」
ここまではすんなり騙されてくれているが、果たしていつまで通用するものか。
今ならば、かつてバベルの塔を打ち砕いた唯一神の気持ちも解らないでもない。いや、人ならぬ神は全然違うことを考えていたのかもしれないが。
鎮まれ、と敢介は心の中で念じる。鎮まれ。お願いだから今は耐えて下さい。
洗い場の反対側――壁の方を向きながら、敢介はひたすら精神統一に挑む。
背後からは、ふんふふんふふ~ん、という軽やかな鼻歌が聞こえてくる。確か伊恵理の推している女性アイドルグループが歌っていたものだったろうか。こちらの事情も知らずに随分と気楽な女だ。
「くっ……」
敢介は歯噛みする。これを見れば、さすがの伊恵理も、もう今が十年前とは違うのだということを理解できるかもしれない。
が、だからといって本当に見せるわけには――見られるわけにはいかない。
タロットカードの〝塔〟はどう転んでも凶兆だとかいう話を耳にしたことがあるが、なるほど全くその通りだと思う。この塔の存在は絶対に明らかにさせてはならない。
というか、こんなにどうでもいいことばかり考えているのに、どうして一向に状況が改善しようとしないのか――。
背後ではシャワーでシャンプーを洗い流す音がしている。それが止むと、今度はリンスのポンプを押す音。長く伸ばしているのに髪のケアが無頓着である伊恵理の代わりに、敢介が彼女の髪質に合わせて選んでいるものだ。銘柄は何で、最安値はいくらだっただろうか――。
「そう言えばさ、おかん」
「何だよ!?」
必死に別のことを考えようとしているのに、伊恵理は今の状況を全く気にする様子もなく敢介に話しかけてくる。
「ふと思い出したんだけど……って、おかん、どうしてそっち向いてるの?」
「べ、別に。ただ壁のタイルが白いなぁと思っているだけだ」
「あはは。おかんがしっかり掃除してくれているからねぇ。……はっ! あ、明日は私がやるよ? ちゃんとおかんの役に立つよ?」
「いや、風呂掃除は別にいい。お前の掃除は少し雑だからな」
この話題なら自分の気も紛らわせそうだ。敢介がわずかに安堵感を抱いたのも束の間、
「にゃ!? うー、ま、まぁそれはさておいてですねぇ……ほら、昔もよく一緒にお風呂入ってたじゃん」
そっちに話を戻すなよっ、と敢介は心中で叫ぶ。声を出すと裏返りそうだったので、そこは必死に耐えた。
「おかんの家のお風呂、大きいからさ。四人で一緒に入ってたりしてたよね。おかんのお母さんと……私のママと」
「…………」
そうだな、という相槌は声にならなかったため、無言で頷くに留めた。伊恵理がそれに気づいたのかどうかは解らない。
ただ、そこで一度、伊恵理の言葉が途切れたのは、フェイスソープで顔を洗い出したからか。こちらは伊恵理が自分でも気を配っている部分だ。彼女の母親が愛用していたものと、同じブランド――。
伊恵理の色白の肌は母親譲りだったと、敢介は記憶している。ちなみにその黒髪は父方の祖母に似ている、などという話も昔どこかで聞いた覚えがある。
やがてボディソープを染み込ませたタオルで肌を擦る音が聞こえてきた。
「あの頃は思ってたんだぁ。こんな時間がずっと続くんだろうなぁって……」
ふわふわと石鹸の泡が宙を舞う。緩やかに近づいてきたシャボン玉は、敢介の鼻先を掠めて割れた。
七色に弾けたその光の中に、しばらく見ていない伊恵理の母の顔を見つけた気がしたのは、こうして想い出話を聞かされているためか。
「ふふっ、今度帰省したら、またおかんの家のお風呂、入らせてもらっちゃおうかな」
視界がぼやける。伊恵理の声が徐々に遠くなっていく。
熱い。お湯がだろうか。それとも体か。いや、暑い。厚、くはない。ただ、あつい。そう、あついのだ、とにかく。あつい。あ、つい。
敢介の体から力が抜けていく。意識が闇に吸い込まれていく。
「いいよね? おかん」
「…………」
「おかん?」
「…………」
「おかん? どうしたの、おかん? 返事をしてよ」
「…………」
「嫌っ、起きてよ、おかん! 死んじゃらめぇえええええっ!」
幼稚園に通っていた頃は、特に抵抗はなかったように思う。
小学校に上がると、何事に対しても〝自分の力だけでやりたい〟という意欲が芽生えたためか、伊恵理を風呂場から締め出すようになった。
中等部の寮では男女の使用時間が厳格に区別されていたため、一緒に入るなどという発想さえなかった。もちろんそれだけが理由ではないが。
しかしどうして高二を間近にして、再びこのような状況に陥っているのだろうか。
――人生とは、常に予想外の連続だ。
敢介の交渉能力を最大限に駆使した短くない説得の末、ひとまず伊恵理が先に体を洗うということで妥協した。必ずしも長風呂を好む敢介ではなかったが、今夜のところはそれを口実に浴槽の中に留まった。
「おかん、いつもは早々と上がるのにね」
「他にすることがあるから遠慮してたんだよ」
ここまではすんなり騙されてくれているが、果たしていつまで通用するものか。
今ならば、かつてバベルの塔を打ち砕いた唯一神の気持ちも解らないでもない。いや、人ならぬ神は全然違うことを考えていたのかもしれないが。
鎮まれ、と敢介は心の中で念じる。鎮まれ。お願いだから今は耐えて下さい。
洗い場の反対側――壁の方を向きながら、敢介はひたすら精神統一に挑む。
背後からは、ふんふふんふふ~ん、という軽やかな鼻歌が聞こえてくる。確か伊恵理の推している女性アイドルグループが歌っていたものだったろうか。こちらの事情も知らずに随分と気楽な女だ。
「くっ……」
敢介は歯噛みする。これを見れば、さすがの伊恵理も、もう今が十年前とは違うのだということを理解できるかもしれない。
が、だからといって本当に見せるわけには――見られるわけにはいかない。
タロットカードの〝塔〟はどう転んでも凶兆だとかいう話を耳にしたことがあるが、なるほど全くその通りだと思う。この塔の存在は絶対に明らかにさせてはならない。
というか、こんなにどうでもいいことばかり考えているのに、どうして一向に状況が改善しようとしないのか――。
背後ではシャワーでシャンプーを洗い流す音がしている。それが止むと、今度はリンスのポンプを押す音。長く伸ばしているのに髪のケアが無頓着である伊恵理の代わりに、敢介が彼女の髪質に合わせて選んでいるものだ。銘柄は何で、最安値はいくらだっただろうか――。
「そう言えばさ、おかん」
「何だよ!?」
必死に別のことを考えようとしているのに、伊恵理は今の状況を全く気にする様子もなく敢介に話しかけてくる。
「ふと思い出したんだけど……って、おかん、どうしてそっち向いてるの?」
「べ、別に。ただ壁のタイルが白いなぁと思っているだけだ」
「あはは。おかんがしっかり掃除してくれているからねぇ。……はっ! あ、明日は私がやるよ? ちゃんとおかんの役に立つよ?」
「いや、風呂掃除は別にいい。お前の掃除は少し雑だからな」
この話題なら自分の気も紛らわせそうだ。敢介がわずかに安堵感を抱いたのも束の間、
「にゃ!? うー、ま、まぁそれはさておいてですねぇ……ほら、昔もよく一緒にお風呂入ってたじゃん」
そっちに話を戻すなよっ、と敢介は心中で叫ぶ。声を出すと裏返りそうだったので、そこは必死に耐えた。
「おかんの家のお風呂、大きいからさ。四人で一緒に入ってたりしてたよね。おかんのお母さんと……私のママと」
「…………」
そうだな、という相槌は声にならなかったため、無言で頷くに留めた。伊恵理がそれに気づいたのかどうかは解らない。
ただ、そこで一度、伊恵理の言葉が途切れたのは、フェイスソープで顔を洗い出したからか。こちらは伊恵理が自分でも気を配っている部分だ。彼女の母親が愛用していたものと、同じブランド――。
伊恵理の色白の肌は母親譲りだったと、敢介は記憶している。ちなみにその黒髪は父方の祖母に似ている、などという話も昔どこかで聞いた覚えがある。
やがてボディソープを染み込ませたタオルで肌を擦る音が聞こえてきた。
「あの頃は思ってたんだぁ。こんな時間がずっと続くんだろうなぁって……」
ふわふわと石鹸の泡が宙を舞う。緩やかに近づいてきたシャボン玉は、敢介の鼻先を掠めて割れた。
七色に弾けたその光の中に、しばらく見ていない伊恵理の母の顔を見つけた気がしたのは、こうして想い出話を聞かされているためか。
「ふふっ、今度帰省したら、またおかんの家のお風呂、入らせてもらっちゃおうかな」
視界がぼやける。伊恵理の声が徐々に遠くなっていく。
熱い。お湯がだろうか。それとも体か。いや、暑い。厚、くはない。ただ、あつい。そう、あついのだ、とにかく。あつい。あ、つい。
敢介の体から力が抜けていく。意識が闇に吸い込まれていく。
「いいよね? おかん」
「…………」
「おかん?」
「…………」
「おかん? どうしたの、おかん? 返事をしてよ」
「…………」
「嫌っ、起きてよ、おかん! 死んじゃらめぇえええええっ!」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
陰キャの俺が学園のアイドルがびしょびしょに濡れているのを見てしまった件
暁ノ鳥
キャラ文芸
陰キャの俺は見てしまった。雨の日、校舎裏で制服を濡らし恍惚とする学園アイドルの姿を。「見ちゃったのね」――その日から俺は彼女の“秘密の共犯者”に!? 特殊な性癖を持つ彼女の無茶な「実験」に振り回され、身も心も支配される日々の始まり。二人の禁断の関係の行方は?。二人の禁断の関係が今、始まる!
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
私の守護霊さん『ラクロス編』
Masa&G
キャラ文芸
本作は、本編『私の守護霊さん』の番外編です。
本編では描ききれなかった「ラクロス編」を、単独でも読める形でお届けします。番外編だけでも内容はわかりますが、本編を先に読んでいただくと、より物語に入り込みやすくなると思います。
「絶対にレギュラーを取って、東京代表に行きたい――」
そんな想いを胸に、宮司彩音は日々ラクロスの練習に明け暮れている。
同じポジションには、絶対的エースアタッカー・梶原真夏。埋まらない実力差に折れそうになる彩音のそばには、今日も無言の相棒・守護霊さんがいた。
守護霊さんの全力バックアップのもと、彩音の“レギュラー奪取&東京代表への挑戦”が始まる──。
隣の家の幼馴染と転校生が可愛すぎるんだが
akua034
恋愛
隣に住む幼馴染・水瀬美羽。
毎朝、元気いっぱいに晴を起こしに来るのは、もう当たり前の光景だった。
そんな彼女と同じ高校に進学した――はずだったのに。
数ヶ月後、晴のクラスに転校してきたのは、まさかの“全国で人気の高校生アイドル”黒瀬紗耶。
平凡な高校生活を過ごしたいだけの晴の願いとは裏腹に、
幼馴染とアイドル、二人の存在が彼の日常をどんどんかき回していく。
笑って、悩んで、ちょっとドキドキ。
気づけば心を奪われる――
幼馴染 vs 転校生、青春ラブコメの火蓋がいま切られる!
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わりに転校してきたのは、忘れられない初恋の相手だった——。
高須明希は、人生で“二番目”に好きになった相手——河西栞に密かに想いを寄せている。
「夏休み明けの初日。この席替えで、彼女との距離を縮めたい。話すきっかけがほしい——」
そんな願いを胸に登校したその朝、クラスに一人の転校生がやってくる。
彼女の名は、立石麻美。
昔の面影を残しながらも、まるで別人のような気配をまとう彼女は——明希にとって、忘れられない“初恋の人”だった。
この再会が、静かだった日常に波紋を広げていく。
その日の放課後。
明希は、"性の衝動"に溺れる自身の姿を、麻美に見られてしまう——。
塞がっていた何かが、ゆっくりと崩れはじめる。
そして鬱屈した青春は、想像もしていなかった熱と痛みを帯びて動き出す。
すべてに触れたとき、
明希は何を守り、何を選ぶのか。
光と影が交錯する、“遅れてきた”ひと夏の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる