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【序章】始まらずに終わった話、或いは終わりが始まる話
8. 一緒にお風呂♪(※死亡フラグ)
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幼なじみの女の子と一緒にお風呂に入るのは、たぶん十年ぶりくらいだろう。
幼稚園に通っていた頃は、特に抵抗はなかったように思う。
小学校に上がると、何事に対しても〝自分の力だけでやりたい〟という意欲が芽生えたためか、伊恵理を風呂場から締め出すようになった。
中等部の寮では男女の使用時間が厳格に区別されていたため、一緒に入るなどという発想さえなかった。もちろんそれだけが理由ではないが。
しかしどうして高二を間近にして、再びこのような状況に陥っているのだろうか。
――人生とは、常に予想外の連続だ。
敢介の交渉能力を最大限に駆使した短くない説得の末、ひとまず伊恵理が先に体を洗うということで妥協した。必ずしも長風呂を好む敢介ではなかったが、今夜のところはそれを口実に浴槽の中に留まった。
「おかん、いつもは早々と上がるのにね」
「他にすることがあるから遠慮してたんだよ」
ここまではすんなり騙されてくれているが、果たしていつまで通用するものか。
今ならば、かつてバベルの塔を打ち砕いた唯一神の気持ちも解らないでもない。いや、人ならぬ神は全然違うことを考えていたのかもしれないが。
鎮まれ、と敢介は心の中で念じる。鎮まれ。お願いだから今は耐えて下さい。
洗い場の反対側――壁の方を向きながら、敢介はひたすら精神統一に挑む。
背後からは、ふんふふんふふ~ん、という軽やかな鼻歌が聞こえてくる。確か伊恵理の推している女性アイドルグループが歌っていたものだったろうか。こちらの事情も知らずに随分と気楽な女だ。
「くっ……」
敢介は歯噛みする。これを見れば、さすがの伊恵理も、もう今が十年前とは違うのだということを理解できるかもしれない。
が、だからといって本当に見せるわけには――見られるわけにはいかない。
タロットカードの〝塔〟はどう転んでも凶兆だとかいう話を耳にしたことがあるが、なるほど全くその通りだと思う。この塔の存在は絶対に明らかにさせてはならない。
というか、こんなにどうでもいいことばかり考えているのに、どうして一向に状況が改善しようとしないのか――。
背後ではシャワーでシャンプーを洗い流す音がしている。それが止むと、今度はリンスのポンプを押す音。長く伸ばしているのに髪のケアが無頓着である伊恵理の代わりに、敢介が彼女の髪質に合わせて選んでいるものだ。銘柄は何で、最安値はいくらだっただろうか――。
「そう言えばさ、おかん」
「何だよ!?」
必死に別のことを考えようとしているのに、伊恵理は今の状況を全く気にする様子もなく敢介に話しかけてくる。
「ふと思い出したんだけど……って、おかん、どうしてそっち向いてるの?」
「べ、別に。ただ壁のタイルが白いなぁと思っているだけだ」
「あはは。おかんがしっかり掃除してくれているからねぇ。……はっ! あ、明日は私がやるよ? ちゃんとおかんの役に立つよ?」
「いや、風呂掃除は別にいい。お前の掃除は少し雑だからな」
この話題なら自分の気も紛らわせそうだ。敢介がわずかに安堵感を抱いたのも束の間、
「にゃ!? うー、ま、まぁそれはさておいてですねぇ……ほら、昔もよく一緒にお風呂入ってたじゃん」
そっちに話を戻すなよっ、と敢介は心中で叫ぶ。声を出すと裏返りそうだったので、そこは必死に耐えた。
「おかんの家のお風呂、大きいからさ。四人で一緒に入ってたりしてたよね。おかんのお母さんと……私のママと」
「…………」
そうだな、という相槌は声にならなかったため、無言で頷くに留めた。伊恵理がそれに気づいたのかどうかは解らない。
ただ、そこで一度、伊恵理の言葉が途切れたのは、フェイスソープで顔を洗い出したからか。こちらは伊恵理が自分でも気を配っている部分だ。彼女の母親が愛用していたものと、同じブランド――。
伊恵理の色白の肌は母親譲りだったと、敢介は記憶している。ちなみにその黒髪は父方の祖母に似ている、などという話も昔どこかで聞いた覚えがある。
やがてボディソープを染み込ませたタオルで肌を擦る音が聞こえてきた。
「あの頃は思ってたんだぁ。こんな時間がずっと続くんだろうなぁって……」
ふわふわと石鹸の泡が宙を舞う。緩やかに近づいてきたシャボン玉は、敢介の鼻先を掠めて割れた。
七色に弾けたその光の中に、しばらく見ていない伊恵理の母の顔を見つけた気がしたのは、こうして想い出話を聞かされているためか。
「ふふっ、今度帰省したら、またおかんの家のお風呂、入らせてもらっちゃおうかな」
視界がぼやける。伊恵理の声が徐々に遠くなっていく。
熱い。お湯がだろうか。それとも体か。いや、暑い。厚、くはない。ただ、あつい。そう、あついのだ、とにかく。あつい。あ、つい。
敢介の体から力が抜けていく。意識が闇に吸い込まれていく。
「いいよね? おかん」
「…………」
「おかん?」
「…………」
「おかん? どうしたの、おかん? 返事をしてよ」
「…………」
「嫌っ、起きてよ、おかん! 死んじゃらめぇえええええっ!」
幼稚園に通っていた頃は、特に抵抗はなかったように思う。
小学校に上がると、何事に対しても〝自分の力だけでやりたい〟という意欲が芽生えたためか、伊恵理を風呂場から締め出すようになった。
中等部の寮では男女の使用時間が厳格に区別されていたため、一緒に入るなどという発想さえなかった。もちろんそれだけが理由ではないが。
しかしどうして高二を間近にして、再びこのような状況に陥っているのだろうか。
――人生とは、常に予想外の連続だ。
敢介の交渉能力を最大限に駆使した短くない説得の末、ひとまず伊恵理が先に体を洗うということで妥協した。必ずしも長風呂を好む敢介ではなかったが、今夜のところはそれを口実に浴槽の中に留まった。
「おかん、いつもは早々と上がるのにね」
「他にすることがあるから遠慮してたんだよ」
ここまではすんなり騙されてくれているが、果たしていつまで通用するものか。
今ならば、かつてバベルの塔を打ち砕いた唯一神の気持ちも解らないでもない。いや、人ならぬ神は全然違うことを考えていたのかもしれないが。
鎮まれ、と敢介は心の中で念じる。鎮まれ。お願いだから今は耐えて下さい。
洗い場の反対側――壁の方を向きながら、敢介はひたすら精神統一に挑む。
背後からは、ふんふふんふふ~ん、という軽やかな鼻歌が聞こえてくる。確か伊恵理の推している女性アイドルグループが歌っていたものだったろうか。こちらの事情も知らずに随分と気楽な女だ。
「くっ……」
敢介は歯噛みする。これを見れば、さすがの伊恵理も、もう今が十年前とは違うのだということを理解できるかもしれない。
が、だからといって本当に見せるわけには――見られるわけにはいかない。
タロットカードの〝塔〟はどう転んでも凶兆だとかいう話を耳にしたことがあるが、なるほど全くその通りだと思う。この塔の存在は絶対に明らかにさせてはならない。
というか、こんなにどうでもいいことばかり考えているのに、どうして一向に状況が改善しようとしないのか――。
背後ではシャワーでシャンプーを洗い流す音がしている。それが止むと、今度はリンスのポンプを押す音。長く伸ばしているのに髪のケアが無頓着である伊恵理の代わりに、敢介が彼女の髪質に合わせて選んでいるものだ。銘柄は何で、最安値はいくらだっただろうか――。
「そう言えばさ、おかん」
「何だよ!?」
必死に別のことを考えようとしているのに、伊恵理は今の状況を全く気にする様子もなく敢介に話しかけてくる。
「ふと思い出したんだけど……って、おかん、どうしてそっち向いてるの?」
「べ、別に。ただ壁のタイルが白いなぁと思っているだけだ」
「あはは。おかんがしっかり掃除してくれているからねぇ。……はっ! あ、明日は私がやるよ? ちゃんとおかんの役に立つよ?」
「いや、風呂掃除は別にいい。お前の掃除は少し雑だからな」
この話題なら自分の気も紛らわせそうだ。敢介がわずかに安堵感を抱いたのも束の間、
「にゃ!? うー、ま、まぁそれはさておいてですねぇ……ほら、昔もよく一緒にお風呂入ってたじゃん」
そっちに話を戻すなよっ、と敢介は心中で叫ぶ。声を出すと裏返りそうだったので、そこは必死に耐えた。
「おかんの家のお風呂、大きいからさ。四人で一緒に入ってたりしてたよね。おかんのお母さんと……私のママと」
「…………」
そうだな、という相槌は声にならなかったため、無言で頷くに留めた。伊恵理がそれに気づいたのかどうかは解らない。
ただ、そこで一度、伊恵理の言葉が途切れたのは、フェイスソープで顔を洗い出したからか。こちらは伊恵理が自分でも気を配っている部分だ。彼女の母親が愛用していたものと、同じブランド――。
伊恵理の色白の肌は母親譲りだったと、敢介は記憶している。ちなみにその黒髪は父方の祖母に似ている、などという話も昔どこかで聞いた覚えがある。
やがてボディソープを染み込ませたタオルで肌を擦る音が聞こえてきた。
「あの頃は思ってたんだぁ。こんな時間がずっと続くんだろうなぁって……」
ふわふわと石鹸の泡が宙を舞う。緩やかに近づいてきたシャボン玉は、敢介の鼻先を掠めて割れた。
七色に弾けたその光の中に、しばらく見ていない伊恵理の母の顔を見つけた気がしたのは、こうして想い出話を聞かされているためか。
「ふふっ、今度帰省したら、またおかんの家のお風呂、入らせてもらっちゃおうかな」
視界がぼやける。伊恵理の声が徐々に遠くなっていく。
熱い。お湯がだろうか。それとも体か。いや、暑い。厚、くはない。ただ、あつい。そう、あついのだ、とにかく。あつい。あ、つい。
敢介の体から力が抜けていく。意識が闇に吸い込まれていく。
「いいよね? おかん」
「…………」
「おかん?」
「…………」
「おかん? どうしたの、おかん? 返事をしてよ」
「…………」
「嫌っ、起きてよ、おかん! 死んじゃらめぇえええええっ!」
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