5 / 11
可愛い僕の婚約者さま
婚約者とはぐれて
しおりを挟む
*****
嫌な予感がする。
僕は何人かと挨拶を済ませると、テオドラの姿を探す。
今日のドレスはアイスブルーだったはずだ。布が何枚も重ねられた、決して軽くはないだろうスカートが印象的だった。麗しく美しい彼女を会場で見つけるのはとても簡単だと自負していたが、この大ホールにはいないようだ。
なんか様子がおかしかったからな……。
ダンスをしようと誘ったときも笑顔を見せなかった。僕の下心がテオドラに伝わってしまっていたわけではないだろうが、心に引っかかる。
何も告げずに先に帰るということもないだろう。だが、どこかで倒れている可能性はある。僕は残っている挨拶を後回しにして、お手洗いに向かった。
「あら。今日はお気に入りのテアお嬢さんは一緒じゃないのかい?」
お手洗いから戻ってきたらしい貴婦人と目が合うなり、声をかけられた。パーシヴァル伯爵夫人だ。母のお茶友だちであるので、幼いころからよく知っている。栗色の短髪、紅茶色の瞳の妙齢の美女である。
「一緒には来たのですが、お手洗いに行くと言ったままはぐれてしまいまして」
この様子だとお手洗いにはもういないようだ。一体どこに消えてしまったのだろうか。
視線を周囲にさりげなく向けつつ、僕は答える。
「あらまあ。ケンカしたわけではないのでしょう?」
「はい。今でも変わらず仲よしですよ」
親公認であるだけでなく、周囲にも二人の間柄はよくしれている。特に僕の親の世代には釣り合いの取れた素敵なカップルだと評判なのだ。
「じゃあ、すぐに探しに行かないとね。私もテアお嬢さんを見かけたら、アルお坊っちゃんが探していたと伝えるわね」
「お願いします」
ではこれでと去っていくパーシヴァル伯爵夫人を見ながら、いよいよ困った。こんなふうに突然姿を消すようなことは一度たりともなかったからだ。
婚約を解消したい、みたいなことを言っていたし、まさか……。
僕はハッとした。今日この場所で、彼女は駆け落ちをする気なのではなかろうか。
ここのところ彼女にかまう時間をあまり取れなかった。その間に誰かに恋をして、僕から気持ちが離れてしまったのかもしれない。いや、そもそも兄としか思われていないような感じなんだから、気持ちが離れる以前の問題かもしれないが。
いやいやいや、待て待て。
僕は意識的に大きく頭を振る。嫌な思考は追い出すに限る。それでもざわついた気持ちはおさまらなかった。
確かに、エスコート役が僕だけであれば、逃げ出すのはより容易い。駆け落ち相手と適当な場所で合流して逃げるなら、今日ほど適した日はないだろう。
落ち着け、僕。とにかく彼女を見つけて、話をしないと。
挨拶回りはもうおしまいだ。テオドラと早く合流しないといけない。彼女を失いたくないんだから。
それにまだ、僕は君にときめいてもらってない! 真剣に考えた計画を実行して、必ず恋させてやるからなっ!
僕は早足で会場内を巡る。しかしどこを見ても彼女らしき影はなかった。背が高いわけではないので、テオドラは人の中に埋もれがちではあるのだけれど、こんなにうろうろしてまわっているのに出会えないのはおかしい。
「――え? テアお嬢さんを探している? 彼女なら裏庭に行くのを見たよ」
夜のパーティではすっかり定番となった燕尾服を着こなす黒髪の青年ジョシュアが声をかけてきた。僕が一人で探し回っているのを不審に感じてくれたらしかった。こういうとき、持つべきものは友である。
「裏庭?」
「ああ。誰かと待ち合わせでもしているんじゃないか?」
テア、やっぱり駆け落ちなのかっ⁉︎
血の気が引くのを感じたが、ここで彼女を見送ってはいけないと心をふるい立たせる。
「わかった。様子を見に行ってくるよ」
「お前の大事なテアお嬢さんだもんな。合流できることを祈ってるよ」
「ありがとう」
裏庭は今いる大ホールからかなり離れている。理由がなければ近づくような場所ではない。人目がつきにくいので、秘密のやり取りをするにはうってつけの場所ではあるのだが。
ジョシュアに礼をして、僕は裏庭に向かって走り出す。
と。
そこに意外な人物が息を切らせてやってきた。柔らかそうなブロンド、海のように真っ青な瞳の美男はドロテウスだ。昼に職場で会ったときと同じ上着にベスト、トラウザーズという姿で、およそパーティに出席するような格好ではない。
僕を見つけるなり正面にやって来て、呼吸を強制的に整える。肩幅に開いた膝に手をあてて前傾姿勢のドロテウスは尋ねた。
「妹は……はあ……一緒じゃないのか?」
慌てて飛んできたらしい様子に、尋常じゃないものを感じる。
ドロテウスは几帳面で真面目な人物だ。パーティに出席するのであれば、きちんと礼服で来るはずである。そうでないということは。
「テアとははぐれてしまって」
短く答えると、ドロテウスは流れる汗を袖で拭いながら顔を上げる。青い瞳には焦燥。
「居場所はわかっているのか?」
「裏庭に向かったのを見たって人がいたから、確認しに行こうとしていたところだ。――何かあったのか?」
「行きながら話す。テアを追うぞ」
再び走り出したドロテウスに、僕も急いで合わせる。テオドラの身に何かが起きようとしているのは明白だったから。
嫌な予感がする。
僕は何人かと挨拶を済ませると、テオドラの姿を探す。
今日のドレスはアイスブルーだったはずだ。布が何枚も重ねられた、決して軽くはないだろうスカートが印象的だった。麗しく美しい彼女を会場で見つけるのはとても簡単だと自負していたが、この大ホールにはいないようだ。
なんか様子がおかしかったからな……。
ダンスをしようと誘ったときも笑顔を見せなかった。僕の下心がテオドラに伝わってしまっていたわけではないだろうが、心に引っかかる。
何も告げずに先に帰るということもないだろう。だが、どこかで倒れている可能性はある。僕は残っている挨拶を後回しにして、お手洗いに向かった。
「あら。今日はお気に入りのテアお嬢さんは一緒じゃないのかい?」
お手洗いから戻ってきたらしい貴婦人と目が合うなり、声をかけられた。パーシヴァル伯爵夫人だ。母のお茶友だちであるので、幼いころからよく知っている。栗色の短髪、紅茶色の瞳の妙齢の美女である。
「一緒には来たのですが、お手洗いに行くと言ったままはぐれてしまいまして」
この様子だとお手洗いにはもういないようだ。一体どこに消えてしまったのだろうか。
視線を周囲にさりげなく向けつつ、僕は答える。
「あらまあ。ケンカしたわけではないのでしょう?」
「はい。今でも変わらず仲よしですよ」
親公認であるだけでなく、周囲にも二人の間柄はよくしれている。特に僕の親の世代には釣り合いの取れた素敵なカップルだと評判なのだ。
「じゃあ、すぐに探しに行かないとね。私もテアお嬢さんを見かけたら、アルお坊っちゃんが探していたと伝えるわね」
「お願いします」
ではこれでと去っていくパーシヴァル伯爵夫人を見ながら、いよいよ困った。こんなふうに突然姿を消すようなことは一度たりともなかったからだ。
婚約を解消したい、みたいなことを言っていたし、まさか……。
僕はハッとした。今日この場所で、彼女は駆け落ちをする気なのではなかろうか。
ここのところ彼女にかまう時間をあまり取れなかった。その間に誰かに恋をして、僕から気持ちが離れてしまったのかもしれない。いや、そもそも兄としか思われていないような感じなんだから、気持ちが離れる以前の問題かもしれないが。
いやいやいや、待て待て。
僕は意識的に大きく頭を振る。嫌な思考は追い出すに限る。それでもざわついた気持ちはおさまらなかった。
確かに、エスコート役が僕だけであれば、逃げ出すのはより容易い。駆け落ち相手と適当な場所で合流して逃げるなら、今日ほど適した日はないだろう。
落ち着け、僕。とにかく彼女を見つけて、話をしないと。
挨拶回りはもうおしまいだ。テオドラと早く合流しないといけない。彼女を失いたくないんだから。
それにまだ、僕は君にときめいてもらってない! 真剣に考えた計画を実行して、必ず恋させてやるからなっ!
僕は早足で会場内を巡る。しかしどこを見ても彼女らしき影はなかった。背が高いわけではないので、テオドラは人の中に埋もれがちではあるのだけれど、こんなにうろうろしてまわっているのに出会えないのはおかしい。
「――え? テアお嬢さんを探している? 彼女なら裏庭に行くのを見たよ」
夜のパーティではすっかり定番となった燕尾服を着こなす黒髪の青年ジョシュアが声をかけてきた。僕が一人で探し回っているのを不審に感じてくれたらしかった。こういうとき、持つべきものは友である。
「裏庭?」
「ああ。誰かと待ち合わせでもしているんじゃないか?」
テア、やっぱり駆け落ちなのかっ⁉︎
血の気が引くのを感じたが、ここで彼女を見送ってはいけないと心をふるい立たせる。
「わかった。様子を見に行ってくるよ」
「お前の大事なテアお嬢さんだもんな。合流できることを祈ってるよ」
「ありがとう」
裏庭は今いる大ホールからかなり離れている。理由がなければ近づくような場所ではない。人目がつきにくいので、秘密のやり取りをするにはうってつけの場所ではあるのだが。
ジョシュアに礼をして、僕は裏庭に向かって走り出す。
と。
そこに意外な人物が息を切らせてやってきた。柔らかそうなブロンド、海のように真っ青な瞳の美男はドロテウスだ。昼に職場で会ったときと同じ上着にベスト、トラウザーズという姿で、およそパーティに出席するような格好ではない。
僕を見つけるなり正面にやって来て、呼吸を強制的に整える。肩幅に開いた膝に手をあてて前傾姿勢のドロテウスは尋ねた。
「妹は……はあ……一緒じゃないのか?」
慌てて飛んできたらしい様子に、尋常じゃないものを感じる。
ドロテウスは几帳面で真面目な人物だ。パーティに出席するのであれば、きちんと礼服で来るはずである。そうでないということは。
「テアとははぐれてしまって」
短く答えると、ドロテウスは流れる汗を袖で拭いながら顔を上げる。青い瞳には焦燥。
「居場所はわかっているのか?」
「裏庭に向かったのを見たって人がいたから、確認しに行こうとしていたところだ。――何かあったのか?」
「行きながら話す。テアを追うぞ」
再び走り出したドロテウスに、僕も急いで合わせる。テオドラの身に何かが起きようとしているのは明白だったから。
2
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【書籍化決定】憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜
降魔 鬼灯
恋愛
コミカライズ化決定しました。
ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。
幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。
月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。
お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。
しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。
よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう!
誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は?
全十話。一日2回更新
7月31日完結予定
【完結】少年の懺悔、少女の願い
干野ワニ
恋愛
伯爵家の嫡男に生まれたフェルナンには、ロズリーヌという幼い頃からの『親友』がいた。「気取ったご令嬢なんかと結婚するくらいならロズがいい」というフェルナンの希望で、二人は一年後に婚約することになったのだが……伯爵夫人となるべく王都での行儀見習いを終えた『親友』は、すっかり別人の『ご令嬢』となっていた。
そんな彼女に置いて行かれたと感じたフェルナンは、思わず「奔放な義妹の方が良い」などと言ってしまい――
なぜあの時、本当の気持ちを伝えておかなかったのか。
後悔しても、もう遅いのだ。
※本編が全7話で悲恋、後日談が全2話でハッピーエンド予定です。
※長編のスピンオフですが、単体で読めます。
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる