異世界転移者の日常生活風−−戦乱を添えて

おたべ ひとり

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二章

第六話

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 リリィは、バルトロ邸の豪奢な鉄門の前で、何度目か分からない往復を繰り返していた。
 端から見れば、明らかに挙動不審なメイドである。

「ふえぇ……やっぱり無理ですぅ。勢いで出てきちゃったけど、冷静に考えたら無理すぎます!
 見てくださいよ、あの門番さんの鋭い眼光。あれは絶対『今夜の晩餐はメイドのバター焼き――可憐な少女の風味を添えて』って献立を決めてる目ですぅ……!」

 自身の妄想に震え上がり、今にも逃げ出そうとした、その時だった。

 背後から伸びてきた手が、リリィの手首をガシリと掴む。
 悲鳴を上げる暇もなく、彼女は強引に裏路地の暗がりへと引きずり込まれた。

「ひゃあぁっ!? た、食べないでください! 私は美味しくないですよ!
 ヴァリエール家とも、その、あんまり深い関わりはないですし……っ!」

 恐怖で目を瞑り、支離滅裂な弁明を口にするリリィ。
 だが、いつまで経っても牙を立てられる気配はない。

 恐る恐る目を開けると、そこにいたのは自分よりもさらに小柄な少女だった。

 短く切り揃えられた茶色の髪に、暗がりでも怪しく光るエメラルドグリーンの瞳。
 頭上にはぴんと立った三角形の耳があり、時折ピクピクと周囲の音を拾っている。
 ――猫の獣人の少女だ。

「あんなところでウロウロしてたら、すぐに警備兵に捕まっておしまいニャ」

 少女――ミケは、呆れたように溜め息をついた。

「な、なんという完璧な造形……。その容姿で語尾が『ニャ』ですと!?
 セレナお嬢様がここにいたら、きっと『属性振り切りすぎだろ!』とか意味不明な絶叫を上げて転げ回っていますよ!」

「……無視するニャ。それ以上ふざけたら、顔中引っ掻き回すニャ」

「す、すいません、引っ掻かないで……って、あれ!?」

 鋭い爪をちらつかせるミケに、リリィは慌てて口を塞いだ。
 しかし、よくよくその顔を見つめれば、見覚えがあることに気づく。

「あなた、確かケインさんのパーティーの方じゃないですか。こんな場所でお会いするなんて奇遇ですね」

「ミケはミケニャ。それに、偶然なわけがないニャ。あんたのところのお嬢様に頼まれて、情報収集の手伝いに来たニャ。まったく、危なっかしくて見ていられないニャ」

「な、なななんと! とうとう美少女探偵リリィにも助手がつく時が来ましたか。ミケ少女、安心してください。私が手取り足取り面倒を見てあげますからね!」

「面倒を見るのはミケの役目ニャ。……とにかく、行くニャ」

 踵(きびす)を返したミケの背を、リリィは慌てて追いかける。

「ふぇ、どこへ行くんですか? お屋敷に聞き込みに行かないんですか?」

「バカ正直に身内の罪を教えるような関係者は居ないニャ。こういうのは『セオリー』通りにするのが、一番効率的なんニャ」

 自警団本部の時は勢いでなんとかなったが、相手は海千山千の貴族だ。
 リリィも渋々ながら、その言葉に従うことにした。

「分かりましたよぉ……ついていきますから、そんなに怖い顔で睨まないでくださいよぉ」

 Bランク冒険者パーティー『常勝の剣』の斥候であるミケの技量をもってすれば、邸内に忍び込み、証拠を奪取することも不可能ではないだろう。
 しかし、広大な屋敷のどこにあるかも分からぬ書類を闇雲に探すのは、プロとしてリスクが高すぎると判断したのだ。

「急がば回れニャ」

 音もなく石畳を駆ける猫の少女の背中を追い、リリィは街へと足を踏み入れた。

     ◇

 酒場や商店街での聞き込みを終えて屋敷に戻る頃には、すっかり日は傾き、夕焼けが石畳を紅く染めていた。

「疲れましたぁ……もう足が棒のようですよぉ……」

 リリィは今にも地面にへたり込みそうな足取りで、幽霊のように両手をぶら下げて歩いている。
 対して、その数歩先を行くミケは、まるで散歩でもしているかのように軽やかだ。

「あのくらいでだらしがないニャ。リリィは普段から運動不足なんニャ」

「私は頭を使うアームチェア・ディテクティブ(安楽椅子探偵)なんです! 現場を駆け回るのはガラじゃないんですぅ!」

「頭なんか釘を打つぐらいにしか使わないトンチンカンが、何を言ってるんだニャ」

 ミケが毒づきながら、尻尾を苛立たしげにパタパタと振る。
 不甲斐ない相棒への、彼女なりの抗議だった。

「むぅ、言いましたね。ミケさんはご自分の胸と一緒で、少しは慎ましくした方がいいんじゃないですか?」

 リリィが勝ち誇ったように、自慢の胸を強調するポーズをとる。
 その瞬間、ミケの歩みがピタリと止まった。

「……胸が慎ましいと、言ってはいけないことを……っ」

 ゆっくりと振り返るミケの瞳には、静かな怒りの火が灯っていた。
 指先から、鋭い爪が「シャキッ」と微かな音を立てて突き出される。

「先に仕掛けたのはそちらですよ! その牙と爪、引っ込めてください!」

 不毛な言い合いを続けていると、ようやくヴァリエール邸の正門が見えてきた。
 しかし、そこには異様な光景が広がっていた。

 正門には、これ見よがしに家の紋章が刻まれた豪奢な馬車が鎮座し、武装した私兵たちが門番を押し退けて入り口を封鎖していたのだ。

「あの悪趣味な馬車、セレナ様の叔父バルトロ様の家のものですね。……入り口が封鎖されていて、お嬢様の無事を確認しに行けませんよぉぉ!」

 リリィの懸念をよそに、ミケは小さく鼻を鳴らした。

「……リリィ、騒ぐのをやめるニャ。ここはこのミケさんにおまかせニャ」

 ミケは体内の魔石に意識を沈める。
 身体機能を拡張するかのように、魔石へのアクセスを開始した。

(コア・システム、オンライン。魔石出力――安定)

 ミケの脳内に、演算論理(ロジック)が展開される。
 心臓の鼓動をクロック数とし、純度の高い魔力が神経回路を駆け抜け、世界の基本定数へと干渉を開始する。

(第一プロセス:ローカル空間の座標定義。

 第二プロセス:大気振動周波数のスキャン……完了。

 第三プロセス:逆位相波形による干渉プロセスの構築)

 ミケの瞳に、異変が起きた。
 網膜付近の空間構造が微細に歪み、飛び込んだ光が『回折』と『干渉』を強制される。

 短く刈り込まれた茶髪の下で、彼女の瞳がプリズムのように鮮やかな「虹色」へと染め上げられた。

(属性魔法:『サイレント・シェル』。……デプロイ!)

 刹那、ミケを中心とした半径数メートルが、物理法則から切り離された。
 空気の振動――すなわち「音」が、境界線で完璧に相殺され、消失する。
 外の私兵たちには、二人の姿は見えても、その声は一粒たりとも届かない。

「ふぇぇ……!? ミ、ミケさん、急に世界から音が消えましたぁ!
 私の叫び声も、まるでお布団を被っているみたいに……って、その目! 虹色に光ってて、なんだか凄くかっこいいですぅ!」

 リリィの驚愕の声すら、この「静寂の殻」の中で反響し、消えていく。

「属性元素へのアクセス負荷で、光が乱れているだけニャ。気にするなニャ……。それより今のうちに、見張りに見つからないよう屋敷に忍び込むニャ」

 虹色の瞳で淡々と演算結果を読み上げるミケ。
 その姿は、可愛らしい獣人から、冷徹な機能美を備えた「斥候」へと変貌していた。

     ◇

 見張りの隙をついて、二人はリリィの案内で応接室へと急いだ。
 扉を開けた先にいたのは、よそ行きの蒼いドレスを身に纏い、ソファに座るセレナと、その背後に控えるヴィクター。

 その対面には、我が物顔で大股を広げ、ソファに踏ん反り返る男――叔父のバルトロがいた。

「セレナ、お前たちにはこの屋敷を出ていってもらう」

 バルトロは領主の印章をテーブルに叩きつけた。

「兄上が横領の罪で拘束された今、親族会および議会は正式に、このワシを『領主代行』に指名したのだ。今日からこの屋敷も、財産も、すべてワシが管理する!」

 バルトロは勝ち誇ったように宣言するのだった。
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