異世界転移者の日常生活風−−戦乱を添えて

おたべ ひとり

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二章

第七話

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 ヴァリエール邸の広間。そこには、静寂を暴力的に切り裂くような、耳を裂く傲慢な高笑いが響き渡っていた。

「がーっはっはっは! セレナ、お前たちには今日限りでこの屋敷を出ていってもらうぞ!」

 バルトロ・ド・ラ・ヴァリエールは、ロランから奪い取った領主の印章をテーブルに叩きつけた。ガツン、という重い音が広間に虚しく反響し、棚の上の調度品が小さく震える。

 その脂ぎった顔には、長年抱き続けてきた歪んだ欲望が隠しきれずに滲み出ている。

 兄ロランへの劣等感、権力への執着、そしてヴァリエール家が蓄えた富への渇望。それらすべてが、醜い勝利の笑みとなって彼の顔を歪ませていた。

「兄上が横領の罪で拘束された今、親族会および議会は正式に、このワシを『領主代行』に指名したのだ。今日からこの屋敷も、財産も、すべてワシが管理する!」

 バルトロは勝ち誇ったように宣言した。鼻の頭に汗を浮かべ、自分の肥大した野心を隠そうともせず、周囲を威圧するように胸を張る。

 その宣言を物陰で聞いていたリリィは、血の気が引いたように顔を青くし、絶望に膝をつきそうになった。仕えてきた主人がいなくなり、住み慣れた屋敷を追われ、さらには悪意に満ちたバルトロが新たな主になる。リリィの脳裏には、路頭に迷う自分たちの惨めな姿がよぎっていた。

 しかし、静かにセレナを見つめるミケには、セレナの背中が微塵も揺れていないように見えた。むしろ、獲物が自ら網にかかるのを待つ猟師のような、不気味なほどの静謐さをその背中に宿している。

「……そうですわね。おじ様が『領主代行』である事実は、今さら私にも覆せませんわ」

 セレナは静かに、だが恐ろしいほど優雅に唇を綻ばせた。その声音は、鈴を転がすような気品に満ち、普段の彼女を知る者が聞けば背筋が凍るような、完璧な「伯爵令嬢」のそれだった。

「ですが、おじ様。貴方が手に入れたのはあくまで『ヴァリエール領』の公的な権利だけ。……この屋敷にある全ての調度品、お父様の個人口座、そしてこの土地の『私有地』としての権利は、昨日をもって全て母方の実家――公爵家へ正式に譲渡いたしました」

「……な、何だと?」

 バルトロの顔から余裕が消える。突きつけられた予想外の事実に、彼の分厚い唇がわななき始めた。セレナは畳みかけるように、公印の押された契約書をテーブルの上にそっと滑り込ませた。

「家格が上の実家へ、資産の保全を目的とした『信託契約』を完了させております。つまり、代行者である貴方が管理できるのは、現在凍結されている『公金』のみ。……対して、屋敷の維持費、使用人の給料、領地のインフラ維持にかかる費用は、全て『代行者である貴方の義務』として支払っていただきますわ」

「バ、バカな! 資産が使えぬのなら、どうやってその費用を払えというのだ!」

 バルトロの叫びに、セレナは無垢な少女のように首を傾げてみせた。

「さあ? それは『領主代行』になられた貴方が、ご自身の私財を投げ打ってでも工面なさればよろしいのではないかしら。……おめでとうございます、叔父様。貴方は念願の支配者の座と、それに見合う『義務』を同時に手に入れたのです」

 その言葉の意味を理解した瞬間、バルトロの顔が土気色に変わった。

 屋敷の管理権はあっても、壁に掛かった高価な絵画一枚売ることはできない。もし手を付ければ、公爵家を敵に回すことになる。それどころか、屋敷を維持する膨大なコスト――数多の使用人の給金、庭園の維持、噴水の水道代、夜会用の灯油代――それら全てが、代行者であるバルトロの個人の財産を直撃し、削り取っていくのだ。

「お、おのれ……! この小娘がぁ……ッ!」

 バルトロは歯を剥き出しにして、印章を握る手を小刻みに震わせた。先ほどまでの尊大な態度はどこへやら、今の彼は、自分の仕掛けた罠に自分自身が嵌まったことに気づいた惨めな豚といったところだろう。

「あら、そんな怖い顔をしないでくださいな、叔父様。……ヴィクター、叔父様はこれからお仕事で大変お忙しくなるようですわ。出口まで、丁寧にご案内して差し上げて」

「かしこまりました、セレナお嬢様」

 後ろに控えていたヴィクターが、音もなく一歩前に出た。冷徹な事務作業をこなすような無機質な笑みを浮かべ、先導するように玄関口へと失意のバルトロを促す。バルトロは呪詛を吐きながらも、ヴィクターの放つ圧倒的な「執事の威圧感」に気圧され、よろよろと力なく歩き出した。

 嵐のような一幕が去り、広間に沈黙が戻る。その光景を、リリィとミケは柱の影から固唾を呑んで見守っていた。

「……ね、ねえ、ミケさん。今の状況、美少女探偵は分かりやすく整理したいと思います」

 リリィが、ようやく動悸が収まった胸をさすりながら言った。あまりの衝撃に、彼女の頭の中では情報が濁流のように渦巻いている。

「……言ってみるニャ」

 ミケは未だに頭上の耳をぴくぴくと動かし、意識を周囲に集中させて残党や伏兵がいないかを探りながら答える。

「えーと、つまりバルトロ様は、ピカピカの大きな宝箱を手に入れたけど、中身は空っぽで、しかもその箱を持ってるだけで毎日めちゃくちゃ高いレンタル料を払わなきゃいけない……ってこと?」

 リリィの子供のような、しかし本質を突いた例えに、ミケは少しだけ目を細めた。

「……70点。おまけに箱が壊れたら自腹で修理しなきゃならないニャ」

 ミケが付け加えたその「補足」は、バルトロの破滅を決定づける過酷なものだった。

「うわぁ……。きびしぃです」

 リリィが同情と恐怖の混じった溜息を吐き出した、その時だった。

「おーい! リリィ。そろそろ出てきて今日の報告をしてくれ」

 そこには、先ほどまでの「社交界の薔薇」の皮を脱ぎ捨てたセレナがいた。ソファにどっかりと腰を下ろし、行儀悪く足を組んで、ちょいちょいと手招きをしている。バルトロとの一幕など、もはや記憶の隅に追いやったかのような、あまりの切り替えの速さである。

「えーと……どちら様でしょうか?」

 リリィはセレナに近づくなり、一点の曇りもない真顔で言い放った。あまりにも完璧なお淑やかモードを見せつけられた後遺症で、リリィの脳は「目の前の人物が誰か」を正しく認識することを拒否していた。

 それを聞いたセレナの額に、ピキリと青筋が浮かぶ。彼女はソファから立ち上がるや否や、電光石火の速さでリリィの顔面に手を伸ばした。

「あだだだっ。いつもガサツなお嬢様が、そんな格好してお淑やかにしてると、本物かどうかの判別が――っ!」

 リリィは顔面をガッチリと鷲掴みにされたまま、セレナの万力のような力によって軽々と宙吊りにされた。リリィの足が空を泳ぎ、虚しくバタバタと揺れる。

「あだだだっ。とっ…とれちゃいますよ顔がぁぁ! 美少女探偵の商売道具がぁぁぁ!」

「お望み通り、中身が『本物のセレナ』だってことをたっぷり分からせてやるよ。調査の方はどうだったんだ? 何か掴んできたんだろうな?」

 リリィは鷲掴みにされたまま、振り子のようにブラブラと揺れ、絶叫を上げた。

「アホだニャ」

 ミケは、セレナに片手で持ち上げられ無残な姿を晒しているリリィを見て、心底呆れ返っていた。ヴァリエール邸に訪れた最大の危機は、セレナの知略と、いつも通りの喧騒によって、どうにか一筋の光を見出し始めていた。
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