異世界転移者の日常生活風−−戦乱を添えて

おたべ ひとり

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二章

第十七話

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 セレナたちが勝利を確信しようとしていた、その時だった。背後の屋敷から、空気を震わせる「ドンッ」という重苦しい爆発音が響いたのは。

 一同が反射的に視線を向けると、そこには無惨に崩壊し、内部から突き破られた屋敷の屋根が土煙を上げていた。

 不穏な静寂を切り裂き、遥か頭上の暗雲から巨大な影が飛来する。着地と同時に大地が悲鳴を上げ、凄まじい衝撃波が庭園を揺るがした。

 巻き上がる砂塵の中から現れたのは、日の光を浴びて神々しくさえある、金色に輝く被毛を纏った巨体。
 アーモンド形の黄金の瞳が、逃げ惑う人間たちを冷酷に射抜く。二足で立ち上がったその両手からは、ナイフのように鋭利な爪が幾条も伸び、大きく垂れ下がった耳は、小さな獲物の絶望的な悲鳴さえ聞き逃さない。

「ひ、ひぃ……ま、魔獣だぁぁ!」

 男たちの悲鳴をかき消すように、鋭い牙が並ぶ裂かれた口から、魔力を帯びた怒号が吐き出された。

「WAN! WAN!」

 神々しささえ感じるその吠え声は、体内の魔石からの魔力がほとばしる奔流となり、衝撃波となって周囲の人間を無造作になぎ倒していく。

 唖然とした表情のセレナが思わずつぶやく。

「なんだよ、あのバケモノは……」

「フハハハッ! 見たか、ワシの奥の手を! お前たちはここで終わりだ!」

 尻もちをついたまま、バルトロが狂ったように勝ち誇る。

「あれはBランクの魔獣ニャ。勝てないニャ……早く逃げるニャ!」

 ミケの耳は恐怖で完全に伏せられ、尻尾は股の間に丸まってしまっていた。

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 荒い息を吐きながら、魔獣はなおも暴れ続ける。敵味方の区別なく蹂躙するその姿は、まさに傍若無人な厄災そのものだった。

「なんだよケイン、あの魔獣……ふっさふさじゃねーか」

 セレナが魔獣の専門家であるケインに、震える声を押し殺して尋ねる。

「ワードッグ……Bランク、ダンジョン深淵の魔獣だ。なぜこんな地上に……! あのふっさふさの毛皮は、並の剣じゃ傷一つつかんぞ。とても勝てる相手じゃない!」

「Bランクですって……災害級の魔獣です。放置すれば街にまで甚大な被害が及びます」

 ヴィクターが冷静ながらも険しい表情で付け加えた。

「やるしかねーってことか」

 セレナがゆっくりと、死神の如きワードッグの前に歩み寄る。魔獣もまた、セレナが放つ異質な気配を感じ取り、その巨体を彼女へと向けた。

 無言のまま、セレナが拳を繰り出す。神の加護を受けた拳は、必殺の一撃となってワードッグの腹部へ突き刺さった。

 しかし――「バフンッ」という派手な音と共に、ふっさふさの毛皮に衝撃はすべて吸収された。
 
 ダメージは皆無。
 
 ワードッグはお返しとばかりに、その巨大な腕を横に振り払う。

「――っ!」

 セレナの体は木の葉のように吹き飛ばされ、屋敷の壁に激突して崩れ落ちた。

「セレナ!!」

 ケインが地を蹴り、走り出しながら神聖魔法を紡ぐ。

「"Oh, Great God of Justice, Tyr. I am Your faithful servant, a sword in Your hand. I swear to overcome every ordeal before me. Grant me Your divine miracle to punish the wicked! ―― [威圧]!"」

 ワードッグを不可視の重圧が取り囲む。だが、魔獣は再び魔力を込めた怒号を放ち、その力場をいとも容易く霧散させた。

「わふんっ」

 ブンッ、と再び振るわれる豪腕。ケインの屈強な巨体も、ワードッグの前では赤子同然だった。高く弾き飛ばされたケインは、屋敷の屋根を突き破り、闇の中に消えていった。

「黙ってるニャ……!」

ミケの瞳が虹色に染まる。

(コア・システム、オンライン。魔石出力――安定。
 第一プロセス:ローカル空間の座標定義。
 第二プロセス:大気振動周波数のスキャン……完了。
 第三プロセス:逆位相波形による干渉プロセスの構築。
 属性魔法:『サイレント・シェル』。……デプロイ!)

 空間が無音の世界に占拠される。その隙を突き、ヴィクターが叫ぶ。

「"Oh, Great God of Justice! Grant me Your divine miracle! ―― [衝撃波]!"」

 ヴィクターの神聖魔法が迫る。しかし、ワードッグは魔力を纏った爪で、無音の空間ごと衝撃波を微塵に引き裂いた。

「バカなっ!」

「でも、これは囮ニャ!」

 いつの間にかワードッグの背後へ回っていたカシアンが、審判の祈りを捧げる。

「"Oh, God of Judgment! I am Your devoted apostle! Grant me Your divine miracle! ―― [拘束]!"」

 魔力を帯びた鉄鎖が幾重にもワードッグを拘束した。

「やったか……?」

 思わずつぶやくケイン。

「そのセリフはフラグニャ!」

 ミケの叫び通り、鎖がギチギチと悲鳴を上げる。

「なんて力なの……もう、もたないわ!」

 カシアンが苦痛に顔を歪めながら悲鳴を上げた。その瞬間、鎖が粉々に弾け飛んだ。

 直後、ふっさふさの尻尾が三人を襲い、激しく薙ぎ払った。
 もはや、立ち上がれる者は誰もいなかった――セレナを除いて。

「……きっちりと、躾けてやる」

安タバコを咥えたセレナが、ふらつきながらも歩み寄る。

ワードッグはタバコの匂いに顔をしかめると、素早く腕を振るった。

「くっ……!」

 セレナは反射的に体をのけぞらせ、死の爪を紙一重で回避する。爪の先が咥えたタバコを掠め、火を奪い去った。

「ちっ」

 火の消えたタバコを吐き捨て、セレナは大きく跳躍した。狙いは唯一毛皮に守られていない、黄金の瞳。
 届くかと思われた瞬間、高速の尻尾が圧倒的な質量で彼女を包み込み、再び地面へと叩き落とした。

 ワードッグは腕を振るい、爪で大地に穴を穿つと、セレナが吐き捨てたタバコをそこへ放り込み、後ろ足で丁寧に土を被せて埋め立てた。

「まだだ……アイツの為にも、倒れる訳にはいかねぇんだ……!」

「……セレナ!」

瓦礫の中から仲間たちが彼女の名を呼ぶ。
 しかし、ワードッグの豪腕が無情にも振り下ろされた。

ドカッ!!

 冷酷な一撃がセレナを直撃する。最後の気力さえ砕かれ、ゆっくりと前のめりに倒れていくセレナ。
 走馬灯のように、無念のまま死んでいったリリィの笑顔が脳裏を過ぎった。その時、リリィから託された「たすき」が、彼女の意識を強く繋ぎ留めた。

「ぐっ……おおおおおっ!」

 一歩、大きく踏み出す。腱がブチブチと切れる感覚すら、今の彼女には些事だった。崩れた体勢のまま、右の拳を全力で振るう。拳は地面を削り、泥を跳ね上げながら突き進み、ワードッグの真下で垂直に軌道を変えた。

「喰らえぇぇ!!」

 自身の体ごと飛び上がる。加速に加速を重ねた一撃は、ワードッグの顎を正確に捉えた。

「ガァッ!?」

 魔獣の巨体が浮き上がった。拳から放たれた衝撃は、ワードッグの強固な頭蓋すら突き抜け、遥か上空に留まっていた分厚い雲に巨大な風穴を開けた。その余波は止まることなく、大空の彼方へと消えていった。

 静寂が戻った庭園。大の字に倒れ伏すワードッグを、セレナは静かに見下ろした。それは、彼女の長く過酷な戦いの終わりを告げる儀式のようだった。



 カシアンに拘束され、惨めに連行されるバルトロを、セレナは無表情で見送っていた。

「てっきり、バルトロ様を殴りに行くと思いましたよ」

 隣に並んだヴィクターが、労うように声をかけた。

「あんな奴……殴る価値もねーよ。さて、行くか。親父を迎えに行かなくちゃいけねえし、やることは一杯だ」

 セレナはヴィクターを振り返ることなく、泥だらけの背中で歩き出した。

「……貴女らしい」

 ヴィクターは、再び顔を上げた主人の背中を見つめ、静かに独り言ちた。
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