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二章
第十七.五話 エピローグ
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下町の喧騒を抜け、イチロウの工房へと向かう馬車の中。
揺れに身を任せるセレナの向かいでは、新しく雇ったメイドが、慣れない仕事に疲れたのか船を漕いでいた。うつらうつらと揺れるたびに、折りたたまれた猫耳がぴくぴくと動く。その無防備な寝顔は、どこか微笑ましい。
セレナは窓の外を流れる石畳の景色に視線を向けながら、ここ数日の激動に思いを馳せた。
伯爵家の長女として生まれたその時から、セレナの道は決められていた。家のための相応しい相手と結婚し、子を産み、血を繋ぐ。特段それを不満に思ったことはない。この世界、農民の子は農民として土に還り、商人の子は一生を算盤と共に終えるのが常だ。例外など、選ばれた一握りに許された贅沢だ。
だが、このたった数日の間、セレナは決められた轍を外れ、自ら選択した道を歩いた。
決して晴れやかな道ではなかった。むしろ胸を引き裂かれるような辛いことばかりが続いた道だった。
始まりは、ヴィンセント港領の領主である父、ロランが横領の罪で拘束されたことだった。
平穏だったセレナの周囲は一変した。昨日まで耳心地のいい言葉を並べていた連中が、手のひらを返したように蔑みの言葉を投げつけ、潮が引くように離れていった。
彼らがヘドが出るような連中だったことは元々知っていたが、いざ実際に突き放されてみると、心に冷たい風が吹き抜けるのを感じずにはいられなかった。――煙草の本数も増えた。
父の無罪を信じ、セレナは独自で調査を開始した。その時、真っ先に力を貸してくれたのは、執事のヴィクターと、幼い頃から共にいたメイドのリリィだった。
調査の過程で、Bランク冒険者のケインや、ミケという心強い協力者を得た。彼らと共に、叔父バルトロの犯行を暴き、ついには追い詰めたのだ。
しかし、その代償はあまりに大きかった。メイドのリリィが刺客のネビラの手にかかり、帰らぬ人となったのだ。
一度は絶望の底に沈んだセレナだったが、イザベラの不器用な叱咤に励まされ、教会の審問官カシアンの協力も得て、ついにはバルトロを打ち倒した。
短い時間だったが、己の意志で道を選んだ経験は、これからのセレナの人生の可能性を広げたように感じていた。
やがて、馬車がイチロウの工房の前でゆっくりと止まる。
セレナが扉を開けようとした瞬間、工房の扉が勢いよく開いた。中から飛び出してきたのは、白銀に光るプレートメイルを纏った一人の青年だ。
「ケイン、見ていろよ! 最高の魔石を持ち帰って、私がBランクパーティーに相応しいことを証明してやるからな!」
青年は、後ろを振り返ることもなく全力で駆け出していった。
「……なんだ、ありゃ?」
見送ったあと、セレナは思わず口にした。
馬車の奥でようやく目を覚ましたミケが、欠伸をしながら答える。
「エドワードの奴ニャ。アタシの代わりにケインのパーティーに入ったんだけど、実力はまだまだニャ」
今回の一件でミケを深く信頼したセレナは、彼女をメイドとしてスカウトしていた。ミケもまたセレナを気に入ったようで、冒険者を引退し、ヴァリエール家に仕える道を選んだのだ。
実力派である『常勝の剣』の欠員を埋めるのは、エドワードにとって相当な重荷だろう。
ケインのこれからの苦労を想像し、セレナは苦笑しながら指先をポケットへ伸ばした。だが、そこにタバコがないことに気づき、忌々しげに顔を歪める。
「……あの駄犬が!」
最近、ヴァリエール家の中庭に、バルトロの屋敷にいた魔獣ワードックが勝手に住み着いていた。なぜかセレナに懐き、屋敷までついてきてしまったのだ。
凶悪な魔獣のはずだが、ふっさふさの毛皮と愛嬌のある顔立ちが使用人や近所の子供たち、さらには父ロランにまで好評だ。しかしセレナにとっては、タバコを吸おうとするたびにはたき落とし、地面に埋めてしまう天敵だった。
◇
工房の中、イチロウの作業台は、今や報酬として渡された膨大な事件資料によって占拠されている。それを囲むように、ケイン、ミケ、そしてセレナが腰を下ろしていた。
ケインは、黙々と書類を読み進めるイチロウのマイペースな態度に、じれったそうに貧乏ゆすりをしている。一方、ミケは工房に置かれた見慣れない実験器具に興味津々の様子で、尻尾を左右にパタパタと揺らしていた。
協力の報酬に金貨でも名剣でもなく、事件の捜査資料を要求するとは。
セレナは改めて、目の前の男が変わり者であることを再確認し、緑茶の入った湯呑みをゆっくりと置いた。
「さて。お礼も渡したし、アタシたちはそろそろ行くよ」
「このあと、どこかに寄るのか?」
退屈していたケインが、弾かれたように顔を上げた。
「イザベラのところだ。まあ、一応アイツにも礼ぐらいは言わないとな」
「実は仲良しニャ」
ミケの茶化すような言葉に、セレナは即座に肩をいからせる。
「あの性悪と!? そんな訳あるかよ」
「ほう、いわゆる『ツンデレ』ってやつか」
ケインのニヤけた顔に、セレナは「ちげーし!」と声を荒らげ、逃げるように背を向けた。
騒がしく工房を去っていこうとする彼女の背中に、イチロウが独り言のように呟いた。
「――なぜバルトロ氏は、王都の監査官を殺害したのでしょう……」
振り返るセレナの翡翠色の瞳の中に、イチロウの冷徹なまでの観察眼が映り込み、静かに揺れていた。
エピローグ訂正しました。
旧バージョンを読まれた方は……すみません忘れて下さい。
揺れに身を任せるセレナの向かいでは、新しく雇ったメイドが、慣れない仕事に疲れたのか船を漕いでいた。うつらうつらと揺れるたびに、折りたたまれた猫耳がぴくぴくと動く。その無防備な寝顔は、どこか微笑ましい。
セレナは窓の外を流れる石畳の景色に視線を向けながら、ここ数日の激動に思いを馳せた。
伯爵家の長女として生まれたその時から、セレナの道は決められていた。家のための相応しい相手と結婚し、子を産み、血を繋ぐ。特段それを不満に思ったことはない。この世界、農民の子は農民として土に還り、商人の子は一生を算盤と共に終えるのが常だ。例外など、選ばれた一握りに許された贅沢だ。
だが、このたった数日の間、セレナは決められた轍を外れ、自ら選択した道を歩いた。
決して晴れやかな道ではなかった。むしろ胸を引き裂かれるような辛いことばかりが続いた道だった。
始まりは、ヴィンセント港領の領主である父、ロランが横領の罪で拘束されたことだった。
平穏だったセレナの周囲は一変した。昨日まで耳心地のいい言葉を並べていた連中が、手のひらを返したように蔑みの言葉を投げつけ、潮が引くように離れていった。
彼らがヘドが出るような連中だったことは元々知っていたが、いざ実際に突き放されてみると、心に冷たい風が吹き抜けるのを感じずにはいられなかった。――煙草の本数も増えた。
父の無罪を信じ、セレナは独自で調査を開始した。その時、真っ先に力を貸してくれたのは、執事のヴィクターと、幼い頃から共にいたメイドのリリィだった。
調査の過程で、Bランク冒険者のケインや、ミケという心強い協力者を得た。彼らと共に、叔父バルトロの犯行を暴き、ついには追い詰めたのだ。
しかし、その代償はあまりに大きかった。メイドのリリィが刺客のネビラの手にかかり、帰らぬ人となったのだ。
一度は絶望の底に沈んだセレナだったが、イザベラの不器用な叱咤に励まされ、教会の審問官カシアンの協力も得て、ついにはバルトロを打ち倒した。
短い時間だったが、己の意志で道を選んだ経験は、これからのセレナの人生の可能性を広げたように感じていた。
やがて、馬車がイチロウの工房の前でゆっくりと止まる。
セレナが扉を開けようとした瞬間、工房の扉が勢いよく開いた。中から飛び出してきたのは、白銀に光るプレートメイルを纏った一人の青年だ。
「ケイン、見ていろよ! 最高の魔石を持ち帰って、私がBランクパーティーに相応しいことを証明してやるからな!」
青年は、後ろを振り返ることもなく全力で駆け出していった。
「……なんだ、ありゃ?」
見送ったあと、セレナは思わず口にした。
馬車の奥でようやく目を覚ましたミケが、欠伸をしながら答える。
「エドワードの奴ニャ。アタシの代わりにケインのパーティーに入ったんだけど、実力はまだまだニャ」
今回の一件でミケを深く信頼したセレナは、彼女をメイドとしてスカウトしていた。ミケもまたセレナを気に入ったようで、冒険者を引退し、ヴァリエール家に仕える道を選んだのだ。
実力派である『常勝の剣』の欠員を埋めるのは、エドワードにとって相当な重荷だろう。
ケインのこれからの苦労を想像し、セレナは苦笑しながら指先をポケットへ伸ばした。だが、そこにタバコがないことに気づき、忌々しげに顔を歪める。
「……あの駄犬が!」
最近、ヴァリエール家の中庭に、バルトロの屋敷にいた魔獣ワードックが勝手に住み着いていた。なぜかセレナに懐き、屋敷までついてきてしまったのだ。
凶悪な魔獣のはずだが、ふっさふさの毛皮と愛嬌のある顔立ちが使用人や近所の子供たち、さらには父ロランにまで好評だ。しかしセレナにとっては、タバコを吸おうとするたびにはたき落とし、地面に埋めてしまう天敵だった。
◇
工房の中、イチロウの作業台は、今や報酬として渡された膨大な事件資料によって占拠されている。それを囲むように、ケイン、ミケ、そしてセレナが腰を下ろしていた。
ケインは、黙々と書類を読み進めるイチロウのマイペースな態度に、じれったそうに貧乏ゆすりをしている。一方、ミケは工房に置かれた見慣れない実験器具に興味津々の様子で、尻尾を左右にパタパタと揺らしていた。
協力の報酬に金貨でも名剣でもなく、事件の捜査資料を要求するとは。
セレナは改めて、目の前の男が変わり者であることを再確認し、緑茶の入った湯呑みをゆっくりと置いた。
「さて。お礼も渡したし、アタシたちはそろそろ行くよ」
「このあと、どこかに寄るのか?」
退屈していたケインが、弾かれたように顔を上げた。
「イザベラのところだ。まあ、一応アイツにも礼ぐらいは言わないとな」
「実は仲良しニャ」
ミケの茶化すような言葉に、セレナは即座に肩をいからせる。
「あの性悪と!? そんな訳あるかよ」
「ほう、いわゆる『ツンデレ』ってやつか」
ケインのニヤけた顔に、セレナは「ちげーし!」と声を荒らげ、逃げるように背を向けた。
騒がしく工房を去っていこうとする彼女の背中に、イチロウが独り言のように呟いた。
「――なぜバルトロ氏は、王都の監査官を殺害したのでしょう……」
振り返るセレナの翡翠色の瞳の中に、イチロウの冷徹なまでの観察眼が映り込み、静かに揺れていた。
エピローグ訂正しました。
旧バージョンを読まれた方は……すみません忘れて下さい。
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