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二章
第十八話
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石畳を叩く雨音が、夜の静寂を塗り潰していた。
夕闇が落ちた街角。街灯の頼りない光が、濡れた路面を鈍く照らしている。セレナは雨に濡れるのも厭わず、ただ一点を見つめて立ち尽くしていた。
数刻後。
規則正しい革靴の音が、水溜まりを跳ねる音と共に近づいてくる。
現れたその人物は、雨の中に佇むセレナを見つけ、一瞬だけ驚きに眉を動かしたが、すぐに全てを悟ったのか足を止めた。男は押し黙ったまま、セレナが口を開くのをただ待っている。
暗闇の中、重苦しい雨音だけがその場を支配していた。
◇
魔導炉の微かな熱気が漂うイチロウの工房では、机に広げられた数々の書類を囲み、議論が続いていた。イチロウが書類の一点を指差し、静かに問いかける。
「なぜバルトロ氏はあの段階で、王都の監査官を殺害したのでしょう」
その問いに、傍らで苛立たしげに腕を組んでいたケインが即座に応じた。
「なぜって、監査官が裏切ってバルトロの横領を証言する危険があったからだろ。口封じだよ」
「ですが、監査官は何年にも亘って防衛費の横領に加担していた、言わば信頼のおける共犯者です」
イチロウは冷静に言葉を重ねる。
「実の兄である領主ロラン様を犯人に仕立て上げることに成功していたバルトロ氏が、その共犯者の裏切りを、殺人を犯すほどに心配するでしょうか?」
作業台の前で尻尾を揺らしていたミケが、不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ監査官のあれは、偶然魔獣に殺された不幸な事故だったのかニャ?」
「いいえ。闇ギルドのネビラの証言通り、バルトロ氏の指示で殺害されたのは間違いないでしょう。……問題はその動機です」
イチロウの断言に、ケインが「殺す必要がないのに殺したって、ナゾナゾかよ」と呻く。
その時、沈黙して議論を聞いていたセレナが、鋭い声で口を開いた。
「ようするに、バルトロ叔父以外にも監査官に死んで欲しい奴がいたってことか」
「その通りです。僕は、バルトロ氏を言葉巧みに操り、監査官を殺害させた者がいると考えています」
◇
街灯の頼りない光が、雨の膜越しに二人を照らし出している。
セレナはゆっくりと相手に歩み寄りながら、静かに口を開いた。
「親父一人が拘束されたから同一視していたが、防衛費の横領と、特別追加徴税の横領。実は二件の横領事件が並行して起こっていたんだ。そして、それぞれの事件には別の犯人がいた」
夜雷が遠くで落ちた。激しい閃光が、一瞬だけ長身のスラリとした男のシルエットを暗闇の中に鋭く浮かび上がらせる。
◇
「防衛費と治安維持特別追加徴税費。この二つが別の犯人による犯行だと?」
ケインが問うと、イチロウは頷いて詳細を述べた。
「防衛費の横領は監査官を抱き込んで巧妙に証拠を隠し、長年行われていた可能性があります。対して、特別追加徴税の方は最近の話です。インフレで街が荒れていた時に、治安対策に集めた財源ですから」
「手口が全然違う、ってことか」
「ええ。バルトロ氏による徴税費の横領はかなり杜撰なものでした。帳簿のみを書き換えただけ。横領発覚の原因になったのもこちらです。……防衛費を長年着服していた『真犯人』は、これを恐れた」
セレナが記憶を辿るように目を細める。
「確か、現場の自警団から不満が上がったのが調べられるきっかけだったはずだ」
「バルトロ氏の横領が明るみになれば、財務管理が再調査されることは避けられない。そうなれば、自分が長年続けてきた防衛費の横領も公然のものとなる。……それを防ぐために、真犯人は動いたんです」
◇
雨に濡れたレンガの壁。その冷たさを背中に感じながら、セレナは告発を続ける。
「自分の横領がバレるのを恐れたお前は、バルトロ叔父に隠蔽の話を持ちかけた。罪を被せるために親父の書斎に裏帳簿を隠す際、お前は自分自身の横領の証拠も見つかるように一緒に隠した。これですべての罪を親父に被せられる。……しかし、お前の計算外の出来事が起こった」
「……」
「アタシたちが王都の監査官に疑いの目を向けちまったことだ。だからお前はバルトロ叔父を焚きつけた。『監査官がお前の犯行を王都に報告しようとしている』とな。……そうして、口封じを決行させたんだ」
◇
「でもバルトロは、なんで逮捕された後もその犯人の名前を言わないんニャ?」
ミケの疑問に、イチロウが答える。
「慎重な真犯人は、おそらく直接バルトロ氏に会ってはいないんです。間に人を入れて自分の存在を隠していた。その仲介役こそが、財政局次席書記官ハンス。特別追加徴税の裏帳簿を作成していた男です」
つらい顔を見せながらセレナが口にする。
「リリィと一緒に殺された、あの……」
引き取るようにイチロウが続ける。
「ハンスはバルトロ氏の屋敷に出入りする一方、真犯人の手足としても動いていた。やがて彼は欲に駆られ、裏帳簿のスペアを使ってバルトロ氏を脅迫し始めた。そして……口を封じられた」
◇
雨足は強くなるばかりだった。
再び稲光が周囲を照らし出す。
セレナの視線の先――離れた場所に無言で立つカシアンの青白い顔が、白日の下に晒されるように浮かび上がった。
夕闇が落ちた街角。街灯の頼りない光が、濡れた路面を鈍く照らしている。セレナは雨に濡れるのも厭わず、ただ一点を見つめて立ち尽くしていた。
数刻後。
規則正しい革靴の音が、水溜まりを跳ねる音と共に近づいてくる。
現れたその人物は、雨の中に佇むセレナを見つけ、一瞬だけ驚きに眉を動かしたが、すぐに全てを悟ったのか足を止めた。男は押し黙ったまま、セレナが口を開くのをただ待っている。
暗闇の中、重苦しい雨音だけがその場を支配していた。
◇
魔導炉の微かな熱気が漂うイチロウの工房では、机に広げられた数々の書類を囲み、議論が続いていた。イチロウが書類の一点を指差し、静かに問いかける。
「なぜバルトロ氏はあの段階で、王都の監査官を殺害したのでしょう」
その問いに、傍らで苛立たしげに腕を組んでいたケインが即座に応じた。
「なぜって、監査官が裏切ってバルトロの横領を証言する危険があったからだろ。口封じだよ」
「ですが、監査官は何年にも亘って防衛費の横領に加担していた、言わば信頼のおける共犯者です」
イチロウは冷静に言葉を重ねる。
「実の兄である領主ロラン様を犯人に仕立て上げることに成功していたバルトロ氏が、その共犯者の裏切りを、殺人を犯すほどに心配するでしょうか?」
作業台の前で尻尾を揺らしていたミケが、不思議そうに首を傾げた。
「じゃあ監査官のあれは、偶然魔獣に殺された不幸な事故だったのかニャ?」
「いいえ。闇ギルドのネビラの証言通り、バルトロ氏の指示で殺害されたのは間違いないでしょう。……問題はその動機です」
イチロウの断言に、ケインが「殺す必要がないのに殺したって、ナゾナゾかよ」と呻く。
その時、沈黙して議論を聞いていたセレナが、鋭い声で口を開いた。
「ようするに、バルトロ叔父以外にも監査官に死んで欲しい奴がいたってことか」
「その通りです。僕は、バルトロ氏を言葉巧みに操り、監査官を殺害させた者がいると考えています」
◇
街灯の頼りない光が、雨の膜越しに二人を照らし出している。
セレナはゆっくりと相手に歩み寄りながら、静かに口を開いた。
「親父一人が拘束されたから同一視していたが、防衛費の横領と、特別追加徴税の横領。実は二件の横領事件が並行して起こっていたんだ。そして、それぞれの事件には別の犯人がいた」
夜雷が遠くで落ちた。激しい閃光が、一瞬だけ長身のスラリとした男のシルエットを暗闇の中に鋭く浮かび上がらせる。
◇
「防衛費と治安維持特別追加徴税費。この二つが別の犯人による犯行だと?」
ケインが問うと、イチロウは頷いて詳細を述べた。
「防衛費の横領は監査官を抱き込んで巧妙に証拠を隠し、長年行われていた可能性があります。対して、特別追加徴税の方は最近の話です。インフレで街が荒れていた時に、治安対策に集めた財源ですから」
「手口が全然違う、ってことか」
「ええ。バルトロ氏による徴税費の横領はかなり杜撰なものでした。帳簿のみを書き換えただけ。横領発覚の原因になったのもこちらです。……防衛費を長年着服していた『真犯人』は、これを恐れた」
セレナが記憶を辿るように目を細める。
「確か、現場の自警団から不満が上がったのが調べられるきっかけだったはずだ」
「バルトロ氏の横領が明るみになれば、財務管理が再調査されることは避けられない。そうなれば、自分が長年続けてきた防衛費の横領も公然のものとなる。……それを防ぐために、真犯人は動いたんです」
◇
雨に濡れたレンガの壁。その冷たさを背中に感じながら、セレナは告発を続ける。
「自分の横領がバレるのを恐れたお前は、バルトロ叔父に隠蔽の話を持ちかけた。罪を被せるために親父の書斎に裏帳簿を隠す際、お前は自分自身の横領の証拠も見つかるように一緒に隠した。これですべての罪を親父に被せられる。……しかし、お前の計算外の出来事が起こった」
「……」
「アタシたちが王都の監査官に疑いの目を向けちまったことだ。だからお前はバルトロ叔父を焚きつけた。『監査官がお前の犯行を王都に報告しようとしている』とな。……そうして、口封じを決行させたんだ」
◇
「でもバルトロは、なんで逮捕された後もその犯人の名前を言わないんニャ?」
ミケの疑問に、イチロウが答える。
「慎重な真犯人は、おそらく直接バルトロ氏に会ってはいないんです。間に人を入れて自分の存在を隠していた。その仲介役こそが、財政局次席書記官ハンス。特別追加徴税の裏帳簿を作成していた男です」
つらい顔を見せながらセレナが口にする。
「リリィと一緒に殺された、あの……」
引き取るようにイチロウが続ける。
「ハンスはバルトロ氏の屋敷に出入りする一方、真犯人の手足としても動いていた。やがて彼は欲に駆られ、裏帳簿のスペアを使ってバルトロ氏を脅迫し始めた。そして……口を封じられた」
◇
雨足は強くなるばかりだった。
再び稲光が周囲を照らし出す。
セレナの視線の先――離れた場所に無言で立つカシアンの青白い顔が、白日の下に晒されるように浮かび上がった。
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