異世界転移者の日常生活風−−戦乱を添えて

おたべ ひとり

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二章

第二十話

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 叩きつけるような雨が、二人の間に冷たいカーテンを引いていた。
 ヴィクターは、重い沈黙を破るように口を開く。

「……恵まれたあなたには、分からない」

 その言葉は、刃となってセレナの胸を深くえぐった。
 返す言葉が見つからない彼女を置き去りに、ヴィクターは遠く、西の空を見つめる。

「グラーヴィア領を知っていますか。ここから西、グレイ男爵家が代々治める土地です。そこは、麦すら育たぬ不毛の地です」

 ヴィクターの声音は、雨音に混じってどこまでも低く響く。

「私はそのグレイ家の次男として生まれました。男爵家とは名ばかり。自分たちの生活さえままならぬ貧乏貴族です。家督は兄が継ぎ、私は金を得るため奉公へ出されました」

「じゃあ、あの横領は……ヴィクターのお兄さんの指示で?」

 絞り出すようなセレナの問いに、ヴィクターは力なく、しかし明確に首を振った。

「いいえ。私の独断です。兄は……泥にまみれて畑を耕すことしか知らぬ、朴訥な男ですから」

「だったら、どうして! なぜ、あんな真似をしたんだよ!」

 セレナの叫びを、ヴィクターの冷徹な事実が塗りつぶす。

「グラーヴィアの土には、植物を育てる力などない。財源となる鉱山も、特産品もありはしない。僅かな収穫は税として消え、領民の手元には一粒の麦すら残らないのです。不作の年、誰から死んでいくかご存知ですか? ……体の弱い、年端もいかない子供たちだ」

 ヴィクターの視線がセレナを捉えた。

「想像できますか? 満足な食事もできず、乳が出なくなった母親が……餓死して冷たくなった我が子を、干からびるまで抱きしめて離さない。そんな光景を見たことがありますか?」

 絶句するセレナを突き放すように、彼は言葉を重ねる。

「私は貴族だ。領民を守る義務がある。兄は一日中泥を啜り、美しかった姉は僅かな支度金のために見知らぬ地へ嫁いでいった。弟たちもペンを持つ代わりに鍬を持ち、教育も受けられずに働いている。……私は、どんな手段を使ってでも、金が必要だった」

 ヴィクターの背負った業の重さに、セレナは耐えられず視線を伏せた。
 そんな彼女に、彼は冷ややかに告げる。

「理解も許しも不要です」

 ヴィクターはカシアンに視線を送った。カシアンは静かに頷き、彼を拘束するために歩み寄る。
 だがその時、うつむいたままのセレナが、震える声で叫んだ。

「――それでも、アタシはお前を認めない!」

 ヴィクターが、意外そうに目を見開く。

 セレナは顔を上げ、その燃えるような真紅の髪を振り乱して言い放った。

「何年かかっても、お前が間違っていたことを証明してみせる。お前のやり方じゃなくても、救える方法があるってことを!」

 ヴィクターは一瞬の沈黙の後、いつものように人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げた。

「では、お嬢様。いつものように、まずは『行動』で示してはいかがですか?」

 その言葉に、セレナの瞳に魂が宿る。
 雨に濡れた陶器のような白い肌、意思の強さを物語る鼻筋。彼女は不敵な笑みを浮かべ、ヴィクターと真っ向から向き合った。

Words are unnecessary――言葉はいらない

 セレナは拳に力を込める。

「そうだよな。まずは行動だ。……歯を食いしばれ、ヴィクター。アタシのゲンコは、痛てーぞ!」

Only faith delivers the wish――ただ信念だけが、願いを届ける

 刹那、セレナの体から白い煙が立ち上った。
 彼女が溜めた拳の圧力に、周囲の空間がミシミシと悲鳴を上げ、世界が歪む。

 大きく踏み込んだ一撃。地面を大きく抉りながら、その拳はヴィクターへと肉薄し――。

 ヴィクターが気づいたときには、セレナの拳は彼を掠め、天高く突き上げられていた。

 雨粒が空中で止まり、音が消え、世界の鼓動が停止する。

 直後、厚い雲に覆われていた天上そのものが「割れた」。

 凄まじい地響きと爆風が吹き荒れ、再び世界が動き出す。
 見上げた夜空には、雲ひとつない静寂の中に、無数の星々が瞬いていた。

 静まり返った空気の中、最後の一滴の雨粒が、セレナの頬を伝って落ちた。


 ――150年後。

 かつて不毛の地と呼ばれたグラーヴィア地方は、今や国内最大のブドウ生産地として、見渡す限り緑と紫に彩られていた。

 150年前、魔獣を連れた風変わりな令嬢がこの地に降り立ち、一房の苗を植えたという。

 最初は誰もが彼女を笑った。「もののけ姫が無駄なことをしている」と馬鹿にした。

 それでも彼女は、何年も、何十年も諦めなかった。泥にまみれ、何度も枯れる苗に悩み、それでもまた植え続けた。

 そのひたむきな姿は、やがて人々の心を動かした。
 一人、また一人と彼女を手伝う者が増え、不毛の地はいつしか豊かな果実が実る土地へと変わっていったのだった。

​​ ワインはブドウが採れた産地や街の名前で呼ばれることが多いが、この土地で作られたワインは「カイゼル」の愛称で呼ばれている。
 それは令嬢が創設したワイン会社のボトルにあしらわれた、「口ひげ」の一風変わったロゴから取られていた。

 一生をグラーヴィア領に捧げた令嬢は、今、領内を一望できる見晴らしのいい丘で眠っている。
 100年以上の時が過ぎても、人々の感謝が絶えることはない。

 晴れ渡る空の下。
 丘の上には、彼女が好きだったすずらんの花が、風に揺れながら真っ白に咲き誇っていた。

第二章 完



第三章は3月後半か4月にアップ出来たらいいなと考えてます。
また11時30分にアップしますので読んでいただけたら嬉しいです。
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