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Ⅶ 空手×縫いぐるみ=それは相克する二つの影
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「いいわね、邪気のない笑顔って。あなた、教室でも時折そんな表情をするわ。刹那主義とは違う、日々を楽しむ能力っていうか。先のことに囚われず、ただ目先の興味だけを追ってゆく。別に悪い意味で言ってるわけじゃないの。漠然とした目的しか持たないわたしに比べれば、あなたの方が充実しているんじゃないかって、そう思えるのよ」
彼女、がっかりするだろうな。わたし、いまクリームソーダのこと考えてたのに……。
青春の懊悩こそ我が人生。そんなわたしのどこに、そんな自儘な性格を見い出したのやら。
「あれって、ただぼんやりしてるだけですから。わたし、ちょっと間の抜けたところがあって、その、よく笑われるんです」
半ば冗談。でも彼女は笑ってくれなかった。
「聞いたわよ。空手やってるんでしょ?」
「ええ、でも趣味でやってるから全然弱いです」
誰から訊いたんだろ? 普段は自慢のネタにしているのに、彼女の前だとなぜか引け目を感じてしまう。
「男子と喧嘩したら勝てるかしら?」
「そりゃ体力差ありますから」
「なんだ、勝てないんだ。つまんないなあ」
なんか、らしくない! 本気とは思えないし思いたくもない。あのお淑やかな瀬名さんが、まさか、そんなこと……。
「……あの、空手に興味あるんですか?」
「別にそういうわけじゃないけど。男子を腕っ節でねじ伏せたら快感かなって」
「あっ、それ、わかります。わたしもよく男子に勝てたらって思いましたから」
まっ、幼少期を除いて常に膂力に劣る女子の本音ではあるが。わたしも八神を組み手でねじ伏せる様を想像しては一人悦に入っていた覚えがある。そういえばあいつに勝とうとして練習に励んだ時期もあったっけ。
彼女が眩し気に目を細めた。微笑が一瞬、真顔に変わった。
「なぜ空手をやろうと思ったの?」
「えっ、それは」
不意の一撃。見事に一本決まった感じ。
そう問われて即答できるほど、わたしは空手を始めた理由をはっきりと意識していなかった。強くなりたいから。単純明快な理屈。でもそれは建前であって本音ではない。強くなる必然性など、どこを探しても見当たらない。いったい何のために?
「そうよね、好きだからやる。ただそれだけ。理由なんていらないか」
理由なんてあるわけがない。空手が好きだという意識すらないのだから。
「でもね、きっかけは必要でしょ? わたし、それが知りたくて」
空手って女子にとって特異なスポーツだから、好奇の目を向ける人が少なくない。たまに脈ありそうな人を誘っても、曖昧な笑顔ではぐらかされるのが常だった。物事は最初が肝心っていうけれど、ほんと、出会いって難しい。たぶんわたしは空手と幸運な出会いをしたのだろう。そうと気付かぬ間にもう十年近くも続けているのだから。
「誘われたんです。友達に。無理やり道場へ連れていかれちゃって」
空手を始めると宣言したとき、まず叛意を表明したのが母だった。女の子が空手なんて……。そう心配する母に、友達もやってるから。と嘘をついて押し切った。母はその友達が同い歳の女の子と思って許可したのだけど、実はその友達は同い歳の男の子だった。
八神との出会いがなければ、わたしは一生空手とは無縁の生活を送っていたはずだ。近所の顔見知りの男の子。空手着を肩にかけて道場に通う姿がけっこう様になっていた。かっこいいとは思ったけど、ただそれだけ。それが十年にも及ぶ付き合いになろうとは……。正直、信じられない。
「友達に誘われて、か。いいなあ、そんなきっかけ」
彼女は頬杖をつくと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「その友達って、もしかして男の子?」
「ええ、でもなぜ?」
「なんとなくね」
ハハッ、見透かされちゃった。格闘技の陰に男あり。ーー腐れ縁だなぁ、こりゃ。
八神に道場へ引っ張られたとき、確かわたしは泣いていたように思う。前後の記憶が曖昧なので、なぜそうなったかはわからない。でも握り締めたあいつの汗ばんだ掌の感触は、未だに掌の上に呼び覚ますことができる。
「なんなら一緒にやってみません? 受験のストレス解消くらいにはなりますよ」
「わたしにできるかしら?」
「ええ、もちろん! なんなら、これから一緒に道場へ行きません?」
彼女はわたしの視線を避けるように窓外へ視線を移した。
「……わたし、自信ないな」
「……」
別れ際、彼女、バッグの底をゴソゴソと弄り始めた。
不意に差し出されたカエルの縫いぐるみ。
思わず目が点になった。彼女がそれを手にしていることに激しい落差を覚えたからだ。
「これ、あげるわ。今日の逃避行の記念に」
「……」
「それ、小学生の時、万引きしたものなの」
何の鷹揚もない平坦な響き。ごく身近で囁かれる有り触れた日常会話の断片。そんな空気のような軽やかな響きが、内在する罪の意識を希薄化している。
「万引きが悪いってこと、よく理解しているつもり。でも失敗しても責任は母親に転化される。そう思ったら手が勝手に動いちゃって」
彼女、屈託のない笑顔でそう呟くと、カエルの縫いぐるみをわたしの手に握らせた。
「わたしがかつて一度だけ自分の意思でした行為。親に命じられることなくね。今日の逃避行で二度目。だから……」
形だけでは語ることのできない、そんな意味深い想いを込めたプレゼント。手渡されたカエルの縫いぐるみを、わたしは繁々と見つめていた。
彼女、がっかりするだろうな。わたし、いまクリームソーダのこと考えてたのに……。
青春の懊悩こそ我が人生。そんなわたしのどこに、そんな自儘な性格を見い出したのやら。
「あれって、ただぼんやりしてるだけですから。わたし、ちょっと間の抜けたところがあって、その、よく笑われるんです」
半ば冗談。でも彼女は笑ってくれなかった。
「聞いたわよ。空手やってるんでしょ?」
「ええ、でも趣味でやってるから全然弱いです」
誰から訊いたんだろ? 普段は自慢のネタにしているのに、彼女の前だとなぜか引け目を感じてしまう。
「男子と喧嘩したら勝てるかしら?」
「そりゃ体力差ありますから」
「なんだ、勝てないんだ。つまんないなあ」
なんか、らしくない! 本気とは思えないし思いたくもない。あのお淑やかな瀬名さんが、まさか、そんなこと……。
「……あの、空手に興味あるんですか?」
「別にそういうわけじゃないけど。男子を腕っ節でねじ伏せたら快感かなって」
「あっ、それ、わかります。わたしもよく男子に勝てたらって思いましたから」
まっ、幼少期を除いて常に膂力に劣る女子の本音ではあるが。わたしも八神を組み手でねじ伏せる様を想像しては一人悦に入っていた覚えがある。そういえばあいつに勝とうとして練習に励んだ時期もあったっけ。
彼女が眩し気に目を細めた。微笑が一瞬、真顔に変わった。
「なぜ空手をやろうと思ったの?」
「えっ、それは」
不意の一撃。見事に一本決まった感じ。
そう問われて即答できるほど、わたしは空手を始めた理由をはっきりと意識していなかった。強くなりたいから。単純明快な理屈。でもそれは建前であって本音ではない。強くなる必然性など、どこを探しても見当たらない。いったい何のために?
「そうよね、好きだからやる。ただそれだけ。理由なんていらないか」
理由なんてあるわけがない。空手が好きだという意識すらないのだから。
「でもね、きっかけは必要でしょ? わたし、それが知りたくて」
空手って女子にとって特異なスポーツだから、好奇の目を向ける人が少なくない。たまに脈ありそうな人を誘っても、曖昧な笑顔ではぐらかされるのが常だった。物事は最初が肝心っていうけれど、ほんと、出会いって難しい。たぶんわたしは空手と幸運な出会いをしたのだろう。そうと気付かぬ間にもう十年近くも続けているのだから。
「誘われたんです。友達に。無理やり道場へ連れていかれちゃって」
空手を始めると宣言したとき、まず叛意を表明したのが母だった。女の子が空手なんて……。そう心配する母に、友達もやってるから。と嘘をついて押し切った。母はその友達が同い歳の女の子と思って許可したのだけど、実はその友達は同い歳の男の子だった。
八神との出会いがなければ、わたしは一生空手とは無縁の生活を送っていたはずだ。近所の顔見知りの男の子。空手着を肩にかけて道場に通う姿がけっこう様になっていた。かっこいいとは思ったけど、ただそれだけ。それが十年にも及ぶ付き合いになろうとは……。正直、信じられない。
「友達に誘われて、か。いいなあ、そんなきっかけ」
彼女は頬杖をつくと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「その友達って、もしかして男の子?」
「ええ、でもなぜ?」
「なんとなくね」
ハハッ、見透かされちゃった。格闘技の陰に男あり。ーー腐れ縁だなぁ、こりゃ。
八神に道場へ引っ張られたとき、確かわたしは泣いていたように思う。前後の記憶が曖昧なので、なぜそうなったかはわからない。でも握り締めたあいつの汗ばんだ掌の感触は、未だに掌の上に呼び覚ますことができる。
「なんなら一緒にやってみません? 受験のストレス解消くらいにはなりますよ」
「わたしにできるかしら?」
「ええ、もちろん! なんなら、これから一緒に道場へ行きません?」
彼女はわたしの視線を避けるように窓外へ視線を移した。
「……わたし、自信ないな」
「……」
別れ際、彼女、バッグの底をゴソゴソと弄り始めた。
不意に差し出されたカエルの縫いぐるみ。
思わず目が点になった。彼女がそれを手にしていることに激しい落差を覚えたからだ。
「これ、あげるわ。今日の逃避行の記念に」
「……」
「それ、小学生の時、万引きしたものなの」
何の鷹揚もない平坦な響き。ごく身近で囁かれる有り触れた日常会話の断片。そんな空気のような軽やかな響きが、内在する罪の意識を希薄化している。
「万引きが悪いってこと、よく理解しているつもり。でも失敗しても責任は母親に転化される。そう思ったら手が勝手に動いちゃって」
彼女、屈託のない笑顔でそう呟くと、カエルの縫いぐるみをわたしの手に握らせた。
「わたしがかつて一度だけ自分の意思でした行為。親に命じられることなくね。今日の逃避行で二度目。だから……」
形だけでは語ることのできない、そんな意味深い想いを込めたプレゼント。手渡されたカエルの縫いぐるみを、わたしは繁々と見つめていた。
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