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第一章「和」国大乱
第四十節「遺却」
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「「がしゃどくろ」」
眼前で威圧感を放つ巨大な骸を、俺たちは揃って、その名で呼ぶ。強風に、髪をなびかせながら。
がしゃどくろ。
無数の骸骨の群れが、ひとつの巨大な髑髏の形を成し、人を襲うとされる化け物。妖怪が居なかった向こうの世界でさえも、認知度が桁違いの妖怪。
目の前にいるこいつは、頭蓋骨だけで、数メートルはあるように見える――全体を見れば、数十メートルはあるだろう巨体だ。
余りに巨大すぎるので、むしろその膝をついて、俺たちを襲おうとしているようだが――
(これはやっぱり、骨が折れそうだな――)
「はじめちゃん、笑えないよ」
「一々心を読んでまで揚げ足を取るな……!」
一だけに、と。
結に恥をかかされたところで、俺は気持ちを切り替え、目の前の難敵に向かう。
「……とにかく、こいつを蹴散らすまでは、祠は調べられそうにないな。叩くぞ、結」
「りょーかいっ」
揃って頷くと、俺たちは元居た地点から二手に分かれて散開し、左手に結、右手に俺と、がしゃどくろを左右から挟み込むような位置まで移動した。
このがしゃどくろが、自然発生したのか、黒幕によって差し向けられているのかは定かではないが……、どちらにせよこいつは、ここで倒してしまっても問題はないはずだ。
俺たちが仲良くしようとしている妖怪とは、違う存在――怨念で動く、理性が無い霊魂の妖怪。『船幽霊』に、近い存在なのだから。
「いくよっ、はじめちゃん!」
「ああ。先手必勝だ」
俺たちは息を合わせると、足に溜めた力を解放して跳躍する――骸の巨人の頭、ちょうどその虚の目の位置まで跳躍する。
「「――『縦横無尽・鉄拳』!!」」
そして、その勢いに乗せて。俺はその左のこめかみに、結はその右のこめかみに。一分のズレも無く、『鉄拳』をお見舞いした。
身体強化の『縦横無尽』の、応用――普通、この魔術を使う時に全身に纏っている魔力を、拳の威力に一点集中させる、『鉄拳』の一撃を。
『――――!!』
声帯を持たず、まして喉さえもないがしゃどくろは、声を上げることはできない――代わりに、構成員の骸骨たちがぶつかり合う音が、この静寂の墓場に響き渡り。
俺たちが跳躍を終え、元の位置に着地した時には、その『頭』は地面に崩れ落ちており――それと同時に体勢を崩したがしゃどくろは、どしゃり、と、盛大な音を立ててその場に倒れ込む。
刹那の沈静。倒れ伏したままの状態の、頭の欠けたがしゃどくろ。
「……倒れたね、はじめちゃん」
「あ、ああ。これ、やったのか……?」
いともあっさりと、その巨体が地面についたので、呆気にとられて気が緩む俺たちだったが――しかし。
そこで終わるほどに、この骸たちの執念は、浅くなかったようだ。
再び、ガラガラと。
骨と骨のこすれ合う音を轟かせながら、それは起き上がる。崩れ、砕けた骨たちでさえも、集合し、頭蓋骨を構成する。
そうして、元の姿に戻った――いや、砕けた骨たちが構成員たちの隙間を埋めたことで、元よりも綺麗な骸骨になったがしゃどくろは、再び俺たちを、無い目で睨む。
呪いの籠った怨念を、一身に背負いながら。
「さ、再生した――」
「……っ、あは。やっぱ、物理攻撃は効果ないっぽいねっ」
眉間にしわを寄せて呆然とする俺と対称に、額に汗しながらもにやりと口を吊る結――強風に、その汗は横流しになっていた。
「――困ったな。『縦横無尽』に、『向背操作』――俺たちの魔術は、物理攻撃に特化してる。こいつに有効そうな魔術、持ってないぞ」
「『ステイト・チェンジ(状態変化)』で、骨自体を蒸発させればいいんじゃない? そうしたら、再生もしないでしょ?」
「単なるデカブツなら、それでいいかもだが――こいつ、とんでもなく禍々しい魔力を纏ってるだろ。一筋縄ではいかないぞ」
生半可な魔術は効かないし、効かせるにしても、膨大な魔力が必要になる。今の俺たちでは、ちょうど届かないくらいの魔力が。
そもそも、もう既に荼毘に付されている骸に、熱が効果的なのだろうか――と。
俺たちが作戦会議をしていると、痺れを切らしたがしゃどくろの右手が、真っ直ぐに結目掛けて飛んできた。まるで、彼女の身体を掴もうとするように。
「え、速っ……!」
その巨躯からは想像できないほどの速さで飛んできた右手を、結は目を剥きながらも、すんでのところで躱す。跳躍して、空に浮かんだのだ。
「ふう、危な――」
「結!!」
瞬息の攻撃を回避した結は、安堵の様子を見せたが――しかし矢継ぎ早に、今度はその左手が飛んでくる。先ほどの右手よりも速い、砲弾ほどの速度の左手が。
「が、はあっ……!」
宙に浮いて抵抗の余地のない結は、なすすべもなく、その左手に捕まれてしまう――短い喘ぎを漏らし、苦痛に表情を歪ませる。
「ぐう、ああああああああああああああああっ!!」
その次の瞬間、身動きの取れなくなった彼女は唐突に絶叫する。頭をのけぞらせ、指先を痙攣させながら、喉が裂けんばかりの大声を上げる。
「結ッ!!」
何らかの攻撃を、受けているのか――そう判断する前に、俺の体は動き始めていた。先ほどの跳躍の時の何倍も脚に力を籠め、一目散に彼女の元へ。
「この――放せ!!」
結を掴む巨大な左手を、俺は再び右の拳を握り締め、『縦横無尽』の『鉄拳』でぶん殴る。
確実に、さっき殴ったときより強度が上がっているが――砕けない程じゃない。びしりと亀裂の入った左手は、ほどなくして地に崩れ落ちる。
俺はすぐに、結の体を抱え、がしゃどくろ本体から大いに距離を取った場所に降り立った。
「だ、大丈夫か!?」
「う、ああ――きっついけど、まあ、大丈夫だよっ……」
「……何をされたんだ、一体」
「――ドレイン」
「ド、ドレイン?」
「魔力も、体力も、気力も――私の持ってるもの全部、吸い取られた。私まで、骨になるところだったよ」
ドレイン――吸引か。
その者の存在そのものを、全て吸い取るような搾取。禍々しい魔力を介在し、狙った獲物を取りこぼさず呑み込む魔の手。
「安易に触れるわけにもいかないってことかよ……パンチが成功したのも、運が良かったからなのか?」
手詰まりにも思えるこの状況。せめて、あの身に纏っている、墓地のおぞましさを一点に集結させたような魔力が無くなれば――
「――そもそもあのがしゃどくろは、何で生まれたんだろう」
俺に砕かれた左手を修復させるがしゃどくろを遠目に見ながら、俺はふと、思った疑問を口に出す。
あいつが、酒呑童子の言う『霊魂系』の妖怪なら。何らかの思念が、あいつを形作っているということになるだろう。
ならば、どんな思念が理由で、あそこまで禍々しい瘴気を発生させるほどの妖怪に成ったのだろうか。そこが分かれば、対処も可能なような気が――
「泣いてた」
俺が頭を悩ませていると、俺の腕に抱かれぐったりとしている結が、ぼそりと力なく呟く。
「は?」
「さっき、私があいつに捕まったとき、あいつの魔力が、少し逆流してきてさ。それで、感じ取ったんだ。あいつ、悲しんでた。悲痛に暮れて、泣いてたよ」
言葉の意味が掴めず聞き返した俺に、結は返して、説明をする――泣いている?
あのがしゃどくろは、悲しみに満ちている? 見るも禍々しい姿のあいつが、血も肉も無いあいつが、泣いている?
この、人々に忘れ去られた、墓場で――
「――ああ、そういうことなのか」
そこに考えが至った瞬間、俺は悟った。
こいつが生まれたその経緯、怨念へと変貌した、悲しみの元凶を。
「うん、そういうこと。多分あのがしゃどくろは、弔いを忘れられた悲しみで生まれたんだ。この四国に人がいなくなってから百年、悼まれなかった死を嘆いてるんだ」
俺が得心すると同時に、結はやおら上体を起こしながら、そう説明する。
即ち、弔意の欠落。
この墓場に埋葬され、彼らを弔うはずだった彼らの子孫は――人間と妖怪の仲違い、その国交の断絶により、住処を追われることを余儀なくされた。
それによって、この墓場に立ち入る人は、一人もいなくなった。新たな土地で村を成し、家族をつくり、暮らし――そうしているうちに、ここに遺した先祖のことを、蔑ろにした。
忘却の彼方に飛ばし、遺却したのだろう。
「あいつは――いや、『彼ら』は、その悲しみで、子孫に忘れ去られた恨みで、がしゃどくろになった、ってわけか」
「うん。だから、そのもとを癒せば、あのがしゃどくろは崩れるだろうね」
元を癒す。つまり、弔う気持ちを求める彼らに、俺たちが弔意を示し、そして納得をしてもらえばよい。
勿論、あれほど膨れ上がった憎しみの気持ちは、そうそう満たされるものじゃない。たとえ俺たちが普通に黙祷を捧げたって、あの禍々しい魔力が拭いきれることはないだろう。
ただ。
あるのだ。俺たちには、あったのだ。
この状況を打開する魔法が――物理攻撃とは全く違う仕方で、作用する魔法が。
「……何で、忘れてたんだろう」
「忘れてたってより、頭から抜かしてたよね……まあ、どっちも変わらないけど」
私たちも、この土地を捨てた人たちのことを言えないよ。反省反省。と、結は言う。
そう、俺たちも、確かに持っているその力を遺却して――というよりも、とるべき選択の一つとして考慮していなかった。
それは、俺たちの能力の一端。物理的にモノを操作する能力ではなく、より神秘に接近する能力。
俺たちの天性のひとつの側面。人の『精神』に作用する、その側面を。
ひとの気分を変えたり、感情を動かしたりすることができる力――俺たちはその力を、あえて使うことを避けていた。
それは、『ひとの感情を操作する』ということの、後味が悪いから。そんなことをしてもよいのかという、罪悪感があったから。だから、俺たちはその精神操作を、これまで無いものとして扱っていたのだが――
「――魔術はあくまで道具で、道具は使いようだもんな」
「そうだねっ。そして、今こそ」
今こそ、その力の使い時だ。
俺は、まだ回復しきっていない結を支えながらもその場に立ち、がしゃどくろの方を見つめる――無数の無念によって形成された巨大な骸を、視界にとらえる。
そのまま一歩、また一歩と、俺たちはがしゃどくろとの距離を詰めていく。
魔術の効力を最大化するため、彼らの攻撃が届かないギリギリまで。あと半歩動いたら、また腕の猛威に襲われるという地点まで移動して――
俺と結は、手を取り合いながら唱えた。
「「――『心象演出』」」
それは、彼らの魂を鎮め、同時に俺たちの悼みを、彼らに伝えるための魔術。
文字通り、心象を演出し、ダイレクトに彼らの感情に訴える魔術――思念の塊である彼らに、思念を直接ぶつける、『比翼連理』の共有魔術だ。
結は相変わらず、シリアスな展開に似合わないダサい呼び方をしているが――まあそれは放っておくとして。
「……これで、伝わればいいけど――っと!」
「ふわあ、もう、限界……ばたんきゅー」
その魔術を使った瞬間、支えられながらも自立していた結が、魔力切れの疲労により、完全に俺に体重を預けてきた。
「……うん。辛いだろうに、よくやってくれたな」
「へへ、でしょう……あとは、がしゃどくろがどうなるか……」
俺は彼女の身体をきゅっと抱きしめ、事の顛末を――がしゃどくろの最期に、しかと立ち会う。
まるで、事が切れたかのように。
先ほどまで感じた、ひとつの意志のようにまとまっていた怨念が、纏わりつくような瘴気が、綺麗に霧散している。
それと同時に、指先から、足先から、節々から――巨体を成していた小さな構成員たちが、ぼとりぼとりと落ちていく。バラバラに、離散していく。
もといた大地へ、還っていく――とはいえ、流石に地面に潜っていくことはなかったが。
「……ぴくりとも動かなくなったな」
「全員、ただのガイコツにもどったね――はあ、これで、一件落着か」
一部始終を見届けた俺たちは息を吐き、その場にへたり込む。思えば、この墓場に満ちていた気の悪くなる瘴気も、まっさらに消えているようだ。
吹き散らしていた木枯らしも、いつの間にか止んでいる。彼らの脅威は、やはり去ったとみていいだろう。
「本当なら、一休みしたいところだが……」
「そんなこと言ってられないもんね、分かってる。早く、祠を調べないとっ」
この場に散らかった骨の亡骸たちは、全てが終わった後で丁寧に埋葬させていただくとして。
「ほら、乗れよ」
「ふふ、ありがとっ」
「別に、当然のことだ――ちょっと重くなったか?」
「最、低っ!!」
おぶった結に、後頭部を叩かれながらも。俺は、地面に散乱した骸を避けながら、黒幕の拠点である祠に近づいていく。
そも俺たちは、それを調査するために、この四国は阿波の国に赴いたのだから――彼の正体を、暴くために。
「とは言っても、祠を調べたくらいで本当に正体が分かるんだろうか」
「八百比丘尼さんは、あなたたちならわかるでしょう、って言ってたけど――あれは、どういうことなのかな?」
話しながら、俺たちはその祠の前に到着する。
朱色に塗られた小さな鳥居の奥に、木でできた小さな社が一つ。縦横50㎝ほどの可愛らしいサイズのものだが。
俺たちは、その祠の前面、鳥居に向かう面に貼られたものを見た瞬間――絶句した。
取りも直さず、愕然とした――ありえない。まさかそんなことがあるはずはないと、目の前にある現実を受け入れられなかった。
しかし、心の上でそう思っていても――現は現であり。
「――お札だ」
俺たちの目と口は、嘘を吐くことは無かった。
そして、勝手に口をついて出たその言葉には、続きがあった。
「都の結界を張っている、あのお札だ」
それは、決して口にしたい現実ではなく――遺却してしまいたい現実であったが。
眼前で威圧感を放つ巨大な骸を、俺たちは揃って、その名で呼ぶ。強風に、髪をなびかせながら。
がしゃどくろ。
無数の骸骨の群れが、ひとつの巨大な髑髏の形を成し、人を襲うとされる化け物。妖怪が居なかった向こうの世界でさえも、認知度が桁違いの妖怪。
目の前にいるこいつは、頭蓋骨だけで、数メートルはあるように見える――全体を見れば、数十メートルはあるだろう巨体だ。
余りに巨大すぎるので、むしろその膝をついて、俺たちを襲おうとしているようだが――
(これはやっぱり、骨が折れそうだな――)
「はじめちゃん、笑えないよ」
「一々心を読んでまで揚げ足を取るな……!」
一だけに、と。
結に恥をかかされたところで、俺は気持ちを切り替え、目の前の難敵に向かう。
「……とにかく、こいつを蹴散らすまでは、祠は調べられそうにないな。叩くぞ、結」
「りょーかいっ」
揃って頷くと、俺たちは元居た地点から二手に分かれて散開し、左手に結、右手に俺と、がしゃどくろを左右から挟み込むような位置まで移動した。
このがしゃどくろが、自然発生したのか、黒幕によって差し向けられているのかは定かではないが……、どちらにせよこいつは、ここで倒してしまっても問題はないはずだ。
俺たちが仲良くしようとしている妖怪とは、違う存在――怨念で動く、理性が無い霊魂の妖怪。『船幽霊』に、近い存在なのだから。
「いくよっ、はじめちゃん!」
「ああ。先手必勝だ」
俺たちは息を合わせると、足に溜めた力を解放して跳躍する――骸の巨人の頭、ちょうどその虚の目の位置まで跳躍する。
「「――『縦横無尽・鉄拳』!!」」
そして、その勢いに乗せて。俺はその左のこめかみに、結はその右のこめかみに。一分のズレも無く、『鉄拳』をお見舞いした。
身体強化の『縦横無尽』の、応用――普通、この魔術を使う時に全身に纏っている魔力を、拳の威力に一点集中させる、『鉄拳』の一撃を。
『――――!!』
声帯を持たず、まして喉さえもないがしゃどくろは、声を上げることはできない――代わりに、構成員の骸骨たちがぶつかり合う音が、この静寂の墓場に響き渡り。
俺たちが跳躍を終え、元の位置に着地した時には、その『頭』は地面に崩れ落ちており――それと同時に体勢を崩したがしゃどくろは、どしゃり、と、盛大な音を立ててその場に倒れ込む。
刹那の沈静。倒れ伏したままの状態の、頭の欠けたがしゃどくろ。
「……倒れたね、はじめちゃん」
「あ、ああ。これ、やったのか……?」
いともあっさりと、その巨体が地面についたので、呆気にとられて気が緩む俺たちだったが――しかし。
そこで終わるほどに、この骸たちの執念は、浅くなかったようだ。
再び、ガラガラと。
骨と骨のこすれ合う音を轟かせながら、それは起き上がる。崩れ、砕けた骨たちでさえも、集合し、頭蓋骨を構成する。
そうして、元の姿に戻った――いや、砕けた骨たちが構成員たちの隙間を埋めたことで、元よりも綺麗な骸骨になったがしゃどくろは、再び俺たちを、無い目で睨む。
呪いの籠った怨念を、一身に背負いながら。
「さ、再生した――」
「……っ、あは。やっぱ、物理攻撃は効果ないっぽいねっ」
眉間にしわを寄せて呆然とする俺と対称に、額に汗しながらもにやりと口を吊る結――強風に、その汗は横流しになっていた。
「――困ったな。『縦横無尽』に、『向背操作』――俺たちの魔術は、物理攻撃に特化してる。こいつに有効そうな魔術、持ってないぞ」
「『ステイト・チェンジ(状態変化)』で、骨自体を蒸発させればいいんじゃない? そうしたら、再生もしないでしょ?」
「単なるデカブツなら、それでいいかもだが――こいつ、とんでもなく禍々しい魔力を纏ってるだろ。一筋縄ではいかないぞ」
生半可な魔術は効かないし、効かせるにしても、膨大な魔力が必要になる。今の俺たちでは、ちょうど届かないくらいの魔力が。
そもそも、もう既に荼毘に付されている骸に、熱が効果的なのだろうか――と。
俺たちが作戦会議をしていると、痺れを切らしたがしゃどくろの右手が、真っ直ぐに結目掛けて飛んできた。まるで、彼女の身体を掴もうとするように。
「え、速っ……!」
その巨躯からは想像できないほどの速さで飛んできた右手を、結は目を剥きながらも、すんでのところで躱す。跳躍して、空に浮かんだのだ。
「ふう、危な――」
「結!!」
瞬息の攻撃を回避した結は、安堵の様子を見せたが――しかし矢継ぎ早に、今度はその左手が飛んでくる。先ほどの右手よりも速い、砲弾ほどの速度の左手が。
「が、はあっ……!」
宙に浮いて抵抗の余地のない結は、なすすべもなく、その左手に捕まれてしまう――短い喘ぎを漏らし、苦痛に表情を歪ませる。
「ぐう、ああああああああああああああああっ!!」
その次の瞬間、身動きの取れなくなった彼女は唐突に絶叫する。頭をのけぞらせ、指先を痙攣させながら、喉が裂けんばかりの大声を上げる。
「結ッ!!」
何らかの攻撃を、受けているのか――そう判断する前に、俺の体は動き始めていた。先ほどの跳躍の時の何倍も脚に力を籠め、一目散に彼女の元へ。
「この――放せ!!」
結を掴む巨大な左手を、俺は再び右の拳を握り締め、『縦横無尽』の『鉄拳』でぶん殴る。
確実に、さっき殴ったときより強度が上がっているが――砕けない程じゃない。びしりと亀裂の入った左手は、ほどなくして地に崩れ落ちる。
俺はすぐに、結の体を抱え、がしゃどくろ本体から大いに距離を取った場所に降り立った。
「だ、大丈夫か!?」
「う、ああ――きっついけど、まあ、大丈夫だよっ……」
「……何をされたんだ、一体」
「――ドレイン」
「ド、ドレイン?」
「魔力も、体力も、気力も――私の持ってるもの全部、吸い取られた。私まで、骨になるところだったよ」
ドレイン――吸引か。
その者の存在そのものを、全て吸い取るような搾取。禍々しい魔力を介在し、狙った獲物を取りこぼさず呑み込む魔の手。
「安易に触れるわけにもいかないってことかよ……パンチが成功したのも、運が良かったからなのか?」
手詰まりにも思えるこの状況。せめて、あの身に纏っている、墓地のおぞましさを一点に集結させたような魔力が無くなれば――
「――そもそもあのがしゃどくろは、何で生まれたんだろう」
俺に砕かれた左手を修復させるがしゃどくろを遠目に見ながら、俺はふと、思った疑問を口に出す。
あいつが、酒呑童子の言う『霊魂系』の妖怪なら。何らかの思念が、あいつを形作っているということになるだろう。
ならば、どんな思念が理由で、あそこまで禍々しい瘴気を発生させるほどの妖怪に成ったのだろうか。そこが分かれば、対処も可能なような気が――
「泣いてた」
俺が頭を悩ませていると、俺の腕に抱かれぐったりとしている結が、ぼそりと力なく呟く。
「は?」
「さっき、私があいつに捕まったとき、あいつの魔力が、少し逆流してきてさ。それで、感じ取ったんだ。あいつ、悲しんでた。悲痛に暮れて、泣いてたよ」
言葉の意味が掴めず聞き返した俺に、結は返して、説明をする――泣いている?
あのがしゃどくろは、悲しみに満ちている? 見るも禍々しい姿のあいつが、血も肉も無いあいつが、泣いている?
この、人々に忘れ去られた、墓場で――
「――ああ、そういうことなのか」
そこに考えが至った瞬間、俺は悟った。
こいつが生まれたその経緯、怨念へと変貌した、悲しみの元凶を。
「うん、そういうこと。多分あのがしゃどくろは、弔いを忘れられた悲しみで生まれたんだ。この四国に人がいなくなってから百年、悼まれなかった死を嘆いてるんだ」
俺が得心すると同時に、結はやおら上体を起こしながら、そう説明する。
即ち、弔意の欠落。
この墓場に埋葬され、彼らを弔うはずだった彼らの子孫は――人間と妖怪の仲違い、その国交の断絶により、住処を追われることを余儀なくされた。
それによって、この墓場に立ち入る人は、一人もいなくなった。新たな土地で村を成し、家族をつくり、暮らし――そうしているうちに、ここに遺した先祖のことを、蔑ろにした。
忘却の彼方に飛ばし、遺却したのだろう。
「あいつは――いや、『彼ら』は、その悲しみで、子孫に忘れ去られた恨みで、がしゃどくろになった、ってわけか」
「うん。だから、そのもとを癒せば、あのがしゃどくろは崩れるだろうね」
元を癒す。つまり、弔う気持ちを求める彼らに、俺たちが弔意を示し、そして納得をしてもらえばよい。
勿論、あれほど膨れ上がった憎しみの気持ちは、そうそう満たされるものじゃない。たとえ俺たちが普通に黙祷を捧げたって、あの禍々しい魔力が拭いきれることはないだろう。
ただ。
あるのだ。俺たちには、あったのだ。
この状況を打開する魔法が――物理攻撃とは全く違う仕方で、作用する魔法が。
「……何で、忘れてたんだろう」
「忘れてたってより、頭から抜かしてたよね……まあ、どっちも変わらないけど」
私たちも、この土地を捨てた人たちのことを言えないよ。反省反省。と、結は言う。
そう、俺たちも、確かに持っているその力を遺却して――というよりも、とるべき選択の一つとして考慮していなかった。
それは、俺たちの能力の一端。物理的にモノを操作する能力ではなく、より神秘に接近する能力。
俺たちの天性のひとつの側面。人の『精神』に作用する、その側面を。
ひとの気分を変えたり、感情を動かしたりすることができる力――俺たちはその力を、あえて使うことを避けていた。
それは、『ひとの感情を操作する』ということの、後味が悪いから。そんなことをしてもよいのかという、罪悪感があったから。だから、俺たちはその精神操作を、これまで無いものとして扱っていたのだが――
「――魔術はあくまで道具で、道具は使いようだもんな」
「そうだねっ。そして、今こそ」
今こそ、その力の使い時だ。
俺は、まだ回復しきっていない結を支えながらもその場に立ち、がしゃどくろの方を見つめる――無数の無念によって形成された巨大な骸を、視界にとらえる。
そのまま一歩、また一歩と、俺たちはがしゃどくろとの距離を詰めていく。
魔術の効力を最大化するため、彼らの攻撃が届かないギリギリまで。あと半歩動いたら、また腕の猛威に襲われるという地点まで移動して――
俺と結は、手を取り合いながら唱えた。
「「――『心象演出』」」
それは、彼らの魂を鎮め、同時に俺たちの悼みを、彼らに伝えるための魔術。
文字通り、心象を演出し、ダイレクトに彼らの感情に訴える魔術――思念の塊である彼らに、思念を直接ぶつける、『比翼連理』の共有魔術だ。
結は相変わらず、シリアスな展開に似合わないダサい呼び方をしているが――まあそれは放っておくとして。
「……これで、伝わればいいけど――っと!」
「ふわあ、もう、限界……ばたんきゅー」
その魔術を使った瞬間、支えられながらも自立していた結が、魔力切れの疲労により、完全に俺に体重を預けてきた。
「……うん。辛いだろうに、よくやってくれたな」
「へへ、でしょう……あとは、がしゃどくろがどうなるか……」
俺は彼女の身体をきゅっと抱きしめ、事の顛末を――がしゃどくろの最期に、しかと立ち会う。
まるで、事が切れたかのように。
先ほどまで感じた、ひとつの意志のようにまとまっていた怨念が、纏わりつくような瘴気が、綺麗に霧散している。
それと同時に、指先から、足先から、節々から――巨体を成していた小さな構成員たちが、ぼとりぼとりと落ちていく。バラバラに、離散していく。
もといた大地へ、還っていく――とはいえ、流石に地面に潜っていくことはなかったが。
「……ぴくりとも動かなくなったな」
「全員、ただのガイコツにもどったね――はあ、これで、一件落着か」
一部始終を見届けた俺たちは息を吐き、その場にへたり込む。思えば、この墓場に満ちていた気の悪くなる瘴気も、まっさらに消えているようだ。
吹き散らしていた木枯らしも、いつの間にか止んでいる。彼らの脅威は、やはり去ったとみていいだろう。
「本当なら、一休みしたいところだが……」
「そんなこと言ってられないもんね、分かってる。早く、祠を調べないとっ」
この場に散らかった骨の亡骸たちは、全てが終わった後で丁寧に埋葬させていただくとして。
「ほら、乗れよ」
「ふふ、ありがとっ」
「別に、当然のことだ――ちょっと重くなったか?」
「最、低っ!!」
おぶった結に、後頭部を叩かれながらも。俺は、地面に散乱した骸を避けながら、黒幕の拠点である祠に近づいていく。
そも俺たちは、それを調査するために、この四国は阿波の国に赴いたのだから――彼の正体を、暴くために。
「とは言っても、祠を調べたくらいで本当に正体が分かるんだろうか」
「八百比丘尼さんは、あなたたちならわかるでしょう、って言ってたけど――あれは、どういうことなのかな?」
話しながら、俺たちはその祠の前に到着する。
朱色に塗られた小さな鳥居の奥に、木でできた小さな社が一つ。縦横50㎝ほどの可愛らしいサイズのものだが。
俺たちは、その祠の前面、鳥居に向かう面に貼られたものを見た瞬間――絶句した。
取りも直さず、愕然とした――ありえない。まさかそんなことがあるはずはないと、目の前にある現実を受け入れられなかった。
しかし、心の上でそう思っていても――現は現であり。
「――お札だ」
俺たちの目と口は、嘘を吐くことは無かった。
そして、勝手に口をついて出たその言葉には、続きがあった。
「都の結界を張っている、あのお札だ」
それは、決して口にしたい現実ではなく――遺却してしまいたい現実であったが。
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