BUDDY-0-

TERRA

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不完全な世界の中で

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午後の静寂が、湿った空気に溶けていた。
六月の雨が止んだ街は、ぬかるんだ舗道にまだその痕跡を残している。
灰色の空に日は滲み、湿気が静かに建物の隙間へと入り込む。

古びた工務店の奥で、黒川はシャツの袖をまくりながら棚の整理をしていた。
木の軋む音とともに、ドアベルが鳴る。
入口に影が差す。

振り返らずともわかる足音。
いつも通りの週末の午後だった。

「こんにちは。」
柔らかく響く声。
よく通るが、決して押しつけがましくはない。

顔を上げると、変わらぬ様子の男がカウンターの前に立っている。
仕立ての良いスーツ、磨かれた靴、端正な顔立ち。
肩から下げた革鞄は、その身の輪郭を際立たせるように、静かだった。

「いらっしゃいませ。」
黒川がそう言うと、白崎は微笑を浮かべた。

迷いなく棚を巡る。
ロープ、ダクトテープ、強力接着剤、ポリ袋、ペンチ、溶剤……。
どれも工務店にとっては珍しくないが、一般の買い物としては不自然なものばかり。

それでも彼の動きには一切の躊躇がない。
すべてが決まりきった流れのように、淡々とカウンターへ並べられた。

精算を終えると、白崎は礼を述べ、ドアのベルを再び鳴らして去っていく。

黒川は、その背中をしばらく目で追った。
いつもの流れ。
変わらない会話。
けれど、確かに引っかかっている。

目的の見えない買い物。
それを何度も繰り返す意味は。

その日の午後。
黒川は、ついに彼の後を追うことを決めた。
後悔するなら、それからだ。

白いセダンは町の外れを抜け、旧道へと入る。
黒川は慎重に距離を保ちながら、その車を追った。
鬱蒼とした木々が視界を遮り、湿った空気が重く沈む中、車はやがて地図にも載っていない脇道へと滑り込んでいく。

十分ほど走った先で、セダンが左に折れる。
黒川も数秒置いて角を曲がった。
そして見えたのは、沼のほとりにひっそりと佇む、一軒のロッジ。

屋根は苔に覆われ、入り口には錆びた「立入禁止」の看板とロープが掛かっている。

白崎は何のためらいもなく車を停め、静かにロッジの中へと消えていった。

黒川は息を詰めながらその様子を見つめる。
手のひらに、じっとりと汗が滲んでいた。

あれは人の住む場所ではない。
廃屋。
だが、彼は何度もそこへ通っている。

買い込んでいた工具や資材は、いったい何に使っている?
考えるほどに、背筋が冷えていく。
黒川は急いでハンドルを切り、その場を離れた。

工務店に戻ったのは、日が傾いた頃だった。
事務所の椅子に座り込み、どっと疲れが押し寄せる。
「……なにやってんだろ、俺。」

苦笑しながら、ポットのお湯をカップに注ぎ、インスタントのコーヒーをすする。
けれど、胸の奥に残ったノイズだけは、なぜか消えてくれなかった。

その夜。
眠れずにつけたラジオから、奇妙な番組が流れ始めた。

「深夜二時、電波が歪む時間。誰かが囁いている。聞くべきじゃない話。語るべきじゃない事件。でも、知りたいんだろ?」

声は低く、艶を帯びていた。
その夜の特集は、「消えた町」。

「二〇〇六年十一月、ワシントン州の小さな町で、百十九人の住民が一夜にして消えた。
ドアには鍵もかかっておらず、夕食の皿はテーブルに置かれたまま。
誰一人、戻ってこなかった。」

「警察は避難だと説明した。だが誰が?何のために?」
「カメラには何も映っていない。明かりは点いたままだ。一斉に姿を消す理由が他にあるとすれば?」
「その夜、町の空気は歪んでいた。言葉ではなく、気配だけがそこにあったんだ。」

黒川は、再生を止められずにいた。
フィクションか事実か、曖昧な語り。
だが、あのロッジと、あの男の姿が頭をよぎる。
何かが始まっている。
自分は、もうその境界に足を踏み入れてしまった。
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