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#61 価値観
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神子様の元いた世界では、魔法や魔素などが無く、魔獣も居ない、魔獣に襲撃されるなどと言う災害も無かったという。
それと同時に、身分制度も無かったと聞いた。
正確に言えば、神子様の生まれるもっと昔にはあったらしいのだが、神子様自身が生きてきた時代には既にそのような制度は消滅し、人々はほぼ平等で、民の殆どは国家の庇護の元に貧富にかかわらず教育を受けることの出来る世界だったらしい。
無論、様々な要因で貧富の差は厳然とあるし、年代や地域差もあり、人によっては未だ封建的な思想の者も居り、一概に浸透しきっても居なかったとのことだが、少なくとも法的には、国民にはおしなべて基本的人権が保証されている体になっている、とのことだ。
それ故に、厳しい身分制度の下に成り立っているこの国の慣習や社会通念が、ある程度頭で分かっても、心底身に染みては居ない部分が有るらしい。
王侯貴族がどれ程の特権を手にしているのか、それを得る代償でどのような責任を負わされているのか、いまいちピンとは来ていないのだと思う。
俺からすると、クーデターで反乱軍に制圧されたならば、国王が処刑されるのも、連座で妃や王子達も処刑されるのも仕方ないじゃ無いかと思うのだ。
いざとなったらそういう罰を受けることもあるからこそ、通常時はごくごく選ばれた者しか享受出来ない数々の特権や栄華に浴している。
だからこそ、貴族社会は一見煌びやかで贅沢だが、婚姻の自由も無ければ、身分の序列に従わなければ会話も出来ない。論い始めたら切りが無いほど細かい不自由に、雁字搦めになっているのだ。
その中のごく一部に女性の立ち位置がある。
基本的に貴族社会では、女性は男性の所有物、付属品なのだ。
だからこの貴族社会という枠の中では、当主が公開処刑やむ無しとされるほどの大罪を犯した場合、妻や子も連座で刑される。
圧政を敷いて民を苦しめた、その上前で良い暮らしをしてきた一味であると言う解釈だ。
そもそも民に寄り添った治政が為されて居たなら、クーデターなど起こらなかったわけだから。
だから、神子様が「お妃様達は自由意志なく流されていただけなのに。殺されなければならないほどのことはしてないよ」と、彼女達に酷く同情的だったのも、少し疑問に思う部分は有った。
そもそも彼女達が身に付けている物だけで莫大な費用がかかる。
民をきゅうきゅうに締め上げて搾り取った税で、ヘタすると彼女達が一度しか袖を通さないかも知れない服飾品を調達している。
あるいは食事の内容、調度品、邸、使用人、教養、娯楽、社交に関わる全て。
女性達に費やされている財は大抵、旦那のそれより上回る場合が殆どだ。
そして、大抵の場合彼女達は、それを享受しているときに、搾り取られた民や関わった職人がどのくらい居て、どれ程の血反吐や汗が流れているかなど想像したことも無い。
そもそも、後宮内で第二妃とエイダ妃は、側妃の中でも最も神子様への嫌がらせを侍女達を通じて行わせていた人達だ。
汚れたリネンをよこさせたり、食事や炭もしくは暖房用魔石を支給させないようにしたり、庭に汚物を撒いたり…。侍女の報告に楽しげに嘲笑って茶の席で噂話に花を咲かせていた。それを知っていて止めなかったのは王妃だが。
俺からすれば、それだけで充分断罪の理由になると感じるのだが。
彼女達の誰が欠けても国家的な影響は無いが、あの時点で唯一瘴気を浄化出来、重篤者をも治癒出来る神子様を失ったら損失は計り知れなかったし、その相手を虐める事を楽しんでいたのだから。
逆に、だからこそ、常に民に寄り添おうと努力してきたヘルミーネ妃は命までは奪われていない。
「妥当なんじゃないんでしょうか」
俺のその言葉を聞いたときに、神子様は一瞬、愕然とした。
だが、その直後、神子様は顔を覆って、呻くように呟いた。
「…ああ、そうだよね。日本の価値観で判断してはダメなんだよね。割り切っていたつもりだったのに。…そうじゃなきゃ、陛下に抱かれるとか、後宮入りするとか…無理だったし…ああ、でも、少なくとも顔見知りの女性や子供が…処刑とか…ちょっとキツいな」
暫く懊悩したあと、ふらりと立ち上がり「暫くひとりにして」と言いながらショールを纏って玄関を出て行った。
窓から見たらポーチにおいてある椅子に座って、ぼんやりと星を眺めていた。
静かな夜に虫の声が室内まで響く。
おそらく、心の整理をしているのだろうと思って、そっとして置いてあげることにした。
もっとも、風邪など引かないように配慮しなければ、と思って時折様子をうかがった。
季節はもう秋だ。この時間外に居続けるのは無謀ともいえる。
台所の片付けを終え、明日の朝の仕込みをしてから、暖炉に仕込んだ夜中の暖房用魔石をカンテラに取り込んで神子様の部屋に設置した。
ひと通りの寝支度を整えたあとに階下に降りると、ちょうど神子様が屋内に戻り、玄関の閂を掛けているところだった。
「…寒くなかったですか?」
声をかけたが返事は無い。
気まずい思いで佇んでいると、俯いたままの神子様が近づいてきて、そっと俺の体に腕を回してハグしてきた。
「…覚悟していたつもりだったんだよ。…俺が動くことで、きっとこの国に犠牲者は出る。…もともと俺が逃亡しなくても、あの中央ならばいずれか政変は起こる…俺が引き金になるだけなんだと」
神子様の体は冷えていた。だが、体の震えは寒さだけが原因では無いのだと思う。
「神子様のせいでクーデターが起こったわけでも、彼女達の処刑が決まったわけでもありません。佞臣と愚王が齎した結果です」
俺は冷え切った神子様の体をやんわりと抱きしめた。
その夜は、不安定になっている神子様を宥めるために、そっと腕を回すだけの添い寝をした。
それと同時に、身分制度も無かったと聞いた。
正確に言えば、神子様の生まれるもっと昔にはあったらしいのだが、神子様自身が生きてきた時代には既にそのような制度は消滅し、人々はほぼ平等で、民の殆どは国家の庇護の元に貧富にかかわらず教育を受けることの出来る世界だったらしい。
無論、様々な要因で貧富の差は厳然とあるし、年代や地域差もあり、人によっては未だ封建的な思想の者も居り、一概に浸透しきっても居なかったとのことだが、少なくとも法的には、国民にはおしなべて基本的人権が保証されている体になっている、とのことだ。
それ故に、厳しい身分制度の下に成り立っているこの国の慣習や社会通念が、ある程度頭で分かっても、心底身に染みては居ない部分が有るらしい。
王侯貴族がどれ程の特権を手にしているのか、それを得る代償でどのような責任を負わされているのか、いまいちピンとは来ていないのだと思う。
俺からすると、クーデターで反乱軍に制圧されたならば、国王が処刑されるのも、連座で妃や王子達も処刑されるのも仕方ないじゃ無いかと思うのだ。
いざとなったらそういう罰を受けることもあるからこそ、通常時はごくごく選ばれた者しか享受出来ない数々の特権や栄華に浴している。
だからこそ、貴族社会は一見煌びやかで贅沢だが、婚姻の自由も無ければ、身分の序列に従わなければ会話も出来ない。論い始めたら切りが無いほど細かい不自由に、雁字搦めになっているのだ。
その中のごく一部に女性の立ち位置がある。
基本的に貴族社会では、女性は男性の所有物、付属品なのだ。
だからこの貴族社会という枠の中では、当主が公開処刑やむ無しとされるほどの大罪を犯した場合、妻や子も連座で刑される。
圧政を敷いて民を苦しめた、その上前で良い暮らしをしてきた一味であると言う解釈だ。
そもそも民に寄り添った治政が為されて居たなら、クーデターなど起こらなかったわけだから。
だから、神子様が「お妃様達は自由意志なく流されていただけなのに。殺されなければならないほどのことはしてないよ」と、彼女達に酷く同情的だったのも、少し疑問に思う部分は有った。
そもそも彼女達が身に付けている物だけで莫大な費用がかかる。
民をきゅうきゅうに締め上げて搾り取った税で、ヘタすると彼女達が一度しか袖を通さないかも知れない服飾品を調達している。
あるいは食事の内容、調度品、邸、使用人、教養、娯楽、社交に関わる全て。
女性達に費やされている財は大抵、旦那のそれより上回る場合が殆どだ。
そして、大抵の場合彼女達は、それを享受しているときに、搾り取られた民や関わった職人がどのくらい居て、どれ程の血反吐や汗が流れているかなど想像したことも無い。
そもそも、後宮内で第二妃とエイダ妃は、側妃の中でも最も神子様への嫌がらせを侍女達を通じて行わせていた人達だ。
汚れたリネンをよこさせたり、食事や炭もしくは暖房用魔石を支給させないようにしたり、庭に汚物を撒いたり…。侍女の報告に楽しげに嘲笑って茶の席で噂話に花を咲かせていた。それを知っていて止めなかったのは王妃だが。
俺からすれば、それだけで充分断罪の理由になると感じるのだが。
彼女達の誰が欠けても国家的な影響は無いが、あの時点で唯一瘴気を浄化出来、重篤者をも治癒出来る神子様を失ったら損失は計り知れなかったし、その相手を虐める事を楽しんでいたのだから。
逆に、だからこそ、常に民に寄り添おうと努力してきたヘルミーネ妃は命までは奪われていない。
「妥当なんじゃないんでしょうか」
俺のその言葉を聞いたときに、神子様は一瞬、愕然とした。
だが、その直後、神子様は顔を覆って、呻くように呟いた。
「…ああ、そうだよね。日本の価値観で判断してはダメなんだよね。割り切っていたつもりだったのに。…そうじゃなきゃ、陛下に抱かれるとか、後宮入りするとか…無理だったし…ああ、でも、少なくとも顔見知りの女性や子供が…処刑とか…ちょっとキツいな」
暫く懊悩したあと、ふらりと立ち上がり「暫くひとりにして」と言いながらショールを纏って玄関を出て行った。
窓から見たらポーチにおいてある椅子に座って、ぼんやりと星を眺めていた。
静かな夜に虫の声が室内まで響く。
おそらく、心の整理をしているのだろうと思って、そっとして置いてあげることにした。
もっとも、風邪など引かないように配慮しなければ、と思って時折様子をうかがった。
季節はもう秋だ。この時間外に居続けるのは無謀ともいえる。
台所の片付けを終え、明日の朝の仕込みをしてから、暖炉に仕込んだ夜中の暖房用魔石をカンテラに取り込んで神子様の部屋に設置した。
ひと通りの寝支度を整えたあとに階下に降りると、ちょうど神子様が屋内に戻り、玄関の閂を掛けているところだった。
「…寒くなかったですか?」
声をかけたが返事は無い。
気まずい思いで佇んでいると、俯いたままの神子様が近づいてきて、そっと俺の体に腕を回してハグしてきた。
「…覚悟していたつもりだったんだよ。…俺が動くことで、きっとこの国に犠牲者は出る。…もともと俺が逃亡しなくても、あの中央ならばいずれか政変は起こる…俺が引き金になるだけなんだと」
神子様の体は冷えていた。だが、体の震えは寒さだけが原因では無いのだと思う。
「神子様のせいでクーデターが起こったわけでも、彼女達の処刑が決まったわけでもありません。佞臣と愚王が齎した結果です」
俺は冷え切った神子様の体をやんわりと抱きしめた。
その夜は、不安定になっている神子様を宥めるために、そっと腕を回すだけの添い寝をした。
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