19 / 20
19.ハルは気が付いた
しおりを挟む「……信じられない」
目を覚まし身の回りの風景を見て、私はひとりごちた。
見た事のない部屋。
綺麗な白い壁。小さな窓と、淡い黄色のカーテン。
私がいるのは四柱の天蓋がある大きなベッドで、シーツも仕立てのいい手触りが心地いいものだった。
いつも私がいる部屋やベッドとは全く違う、見知らぬ場所。
――――私、本当に誘拐されたんだ。
その現実を呑み込むまでに時間がかかった。地味にショックを受けていたんだと思う。
寝ている間に何か変な事をされてないかと自分の身体を見下ろしたが、着ている服はそのままだし乱れた所もなかった。それだけが唯一の救いと言っていいかもしれない。
念のために扉や窓などが開かないかと試してみたものの、それは無駄に終わった。
ここはきっとデヴォンの持ち家。愛人を囲う為の檻。
私はこのままあいつの愛人としてここで暮らしていかなくてはいけないのかもしれない。
なんて事だろう。
ここに来てデヴォンがこんな事をするなんて。
確かに前回会った時に『力づくで』という不穏な言葉を口にしていた。でも、私はそれを真面目に捉えていなかったのだ。危機意識が足りなかったと今では思う。
今更後悔したって意味はない。
大事なのはこれからどうするか、なんだろう。
でもこの身体をベッドから再び起こす出来ないのは、今は何も考えられなくて動きたくもないからだ。
目頭が熱くなって目から涙が零れ落ちそうなのは、きっと自分の無力さを痛感して悔しいからだ。
――――私、悔しいよ。……グレイさん。
目を閉じて、いつも隣にいた彼を思い浮かべる。
もう会えなくなると思うと、酷く胸が苦しくて涙がまたボロリと零れ落ちた。
それからどのくらい経ったか。
ひとしきり泣いて身体が軽くなったのか動くことが出来るようになった頃、部屋の扉が前触れもなく開いた。
「やぁ、おはよう。俺のお姫様」
背筋をも凍らせる臭い言葉を吐いて部屋に入ってきたのは、誘拐犯だった。
「さぁ、遠慮する事ない。たくさん食べたまえ」
デヴォンに連れられて来たのはこの家の中にある食堂で、誰が用意したのか食卓いっぱいに料理が並んでいた。肉や魚はもちろんの事、サラダや前にグレイさんが食べておた短いパスタみたいのも、アフターヌーンティースタンドに乗ったデザートまである。
デヴォンと向かい合わせで座らされた私の前に、メイドの格好をした女性がカトラリーと皿を置く。『何かお取りしますか?』と聞かれたけれど、首を横に振って断った。
「全部食べてもいいんだよ。お腹空いただろう?」
「私、ちゃんと断りましたよね。あなたの愛人になる気なんてさらさらないって。それは今も変わっていないんですけど」
膝の上でぎゅっと手を握ってこの状況に対して抗議をした。
お腹? そんなの空いたに決まっている。でもそんなのは二の次だ。
「帰してください、今すぐ」
「いいじゃないか。まずは一緒に食事をしてこれからの事を考えよう」
「これからの事って……。そんなのあなたと話し合うつもりもないし、ここで食事をする気もない! 帰して! 今すぐ!」
だんだんと気が立ってきた私は、椅子から立ち上がって叫んだ。
でも、立ち上がる事も赦さないとばかりに、隣にいたメイドが私の肩を掴んで無理矢理椅子に座らせた。そして魔法か何かなのだろう。黒い影のようなものが私の腰に巻き付いて身体を椅子の上に固定してしまったのだ。
動けない。立ち上がる事すらもままならず、逃げられなくなってしまった。
「食事、美味しいよ。評判の店のシェフを特別に雇って君のために作らせたんだ。無駄に体力を使わずに今は大人しく座ってお食べよ」
すでにデヴォンは食事に手を付けていた。バスケットからパンを取りそれを食べている。
確かにここに並んでいる料理は美味しそうだった。あのカヴァニュー・トレに匹敵するくらいに食欲をそそるものだ。あのパンなんて、イーゼルのところの固いパンとは全く違う。バターの芳醇な香りがしてとても柔らかそうだった。
――――でも、私は何故か食べたいと思えなかった。
お腹が空いているし、美味しそうなのに。
それなのに味見すらしようとも思えない。
「さぁ、ハル」
食べるのは好き。
元の世界にいた時から好きだったけれど、最近はまともにご飯を食べられるようになったせいか以前よりも食に貪欲になった。
毎日仕事終わりを楽しみにしているし、何を食べるか考える時間がとても好きだった。あとどのくらい通ったらお店のメニューを全て制覇できるかとまで考えた事もある。
好きなものを食べて笑って話をして、私が人間でいられる時間。
それが何よりも愛おしくて、尊いものだと思っていたんだ。
でも、今それを拒絶している自分がいる。
こんなもの食べるくらいだったら、以前のパンだけの暮らしの方がいい。
ここでこれを食べる代わりに外に出られないのであれば、一生食べなくてもいい。
この世界は私にとっては最悪だ。
ここで閉じ籠っていれば煩わしいものと向き合わなくていいし、外に出るより人生楽だろう。
でも、私は、私は……
「……いらない。食べたくない」
私はここに来て初めて知ったのだ。
もう、私がただ食事を楽しみにグレイさんと共に店に行っていたわけではない事を。
グレイさんと一緒だったから。
グレイさんが私と友達になりたいって言って、グレイさんが私に優しくしてくれて、グレイさんが私のこの閉じ籠ってしまった心を少しずつ外に出してくれたから食事が美味しかった。
だから生きづらかったこの世界で、私は前向きに考えられるようになった。
――――全部、グレイさんがいたからだ。
「私、……帰りたい」
そして、グレイさんに会いたくて仕方がなかった。
0
あなたにおすすめの小説
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セリフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セリフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セリフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセリフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセリフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セリフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
ストーカー婚約者でしたが、転生者だったので経歴を身綺麗にしておく
犬野きらり
恋愛
リディア・ガルドニ(14)、本日誕生日で転生者として気付きました。私がつい先程までやっていた行動…それは、自分の婚約者に対して重い愛ではなく、ストーカー行為。
「絶対駄目ーー」
と前世の私が気づかせてくれ、そもそも何故こんな男にこだわっていたのかと目が覚めました。
何の物語かも乙女ゲームの中の人になったのかもわかりませんが、私の黒歴史は証拠隠滅、慰謝料ガッポリ、新たな出会い新たな人生に進みます。
募集 婿入り希望者
対象外は、嫡男、後継者、王族
目指せハッピーエンド(?)!!
全23話で完結です。
この作品を気に留めて下さりありがとうございます。感謝を込めて、その後(直後)2話追加しました。25話になりました。
わんこ系婚約者の大誤算
甘寧
恋愛
女にだらしないワンコ系婚約者と、そんな婚約者を傍で優しく見守る主人公のディアナ。
そんなある日…
「婚約破棄して他の男と婚約!?」
そんな噂が飛び交い、優男の婚約者が豹変。冷たい眼差しで愛する人を見つめ、嫉妬し執着する。
その姿にディアナはゾクゾクしながら頬を染める。
小型犬から猛犬へ矯正完了!?
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
英雄の番が名乗るまで
長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。
大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。
※小説家になろうにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる