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もうひとつのパティシエ・ガールズ

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“傾注!”

 姫騎士砦の城壁に設置された、“魔導拡声器おしらせちゃん”から、マーシャル殿下の声が響く。
 搬入途中の業者さんから優雅に準備を進めていたメイドさんたちまで、その声を聞くと背中に棒でも突き刺したようにビシッと直立不動になってステージに顔を向ける。

 キビキビして良いんだけど、王国側ここの人たちって、なんか軍隊調よね。殿下の伝手つてだとそうなるのかしら。

“いよいよ、明日からは客を入れる。本日は搬入と準備のための予備日だが、午後からは各店舗の設備点検と素材確認を兼ねた試食会を行う。
 異文化交流と王国経済の振興を図るため、我々は、一致団結して事に当たらねばならん。そのためには、自分たちがどういう状況に置かれ、何をしなくてはいけないか。しっかりと調べ、学び、備えることだ。
 これを、魔王領の言葉で、敵を知り、己を知らば百戦危うからず、という。各自、肝に銘じよ”

 あら、ちゃんと覚えてくださったのね。
 それ、魔王領の言葉じゃないんだけど、まあいいか。

“ちなみに、費用は魔王陛下から出していただいた。みんな、感謝するように”

「「「「「魔王陛下、ありがとうございますッ!」」」」」

 満々の笑みを浮かべて周囲から拍手喝采。なんか照れるわね。

 パティシエ・ガールズたちも準備万端。スタッフの半数を接客のため店に残して、残りはアタシと敵情視察に向かう。
 最初の偵察グループは、おっとりしてるけど視野と知識が広く、発想力に優れた人牛族ミノスのコルシュちゃんと、味覚と嗅覚が鋭く、勘が良い人猪族オークのヨックちゃん。彼女はフットワークが軽く、新しいものへの対応力が高い。

 護衛を兼ねたお目付け役は、タバサ分隊のミルトン上等兵。短く切り揃えられた茶色の髪にほっそりした手足、白いワンピースに麦わら帽で清楚なお嬢さん風だけど、こう見えて人虎族ティグラの重装歩兵。百戦錬磨の古強者ベテランだ。
 ちなみにかなりの食いしん坊。ワンピースの裾からは、嬉しそうに揺れている尻尾が覗いていた。

「「「「きゃーッ!」」」」

 なに、いきなりアクシデント!?
 と思ったらヨックちゃんとコルシュちゃんが、王国の女の子グループと抱き合っている。知り合いなのかお互いに満面の笑みで、小柄なヨックちゃんの耳やら髪やらをクリクリと撫で回している。

「いやーん、ヨックちゃん可愛いーッ、もうモフモフしちゃうー!」
「ひゃーテインちゃん、くすぐったいってば」
「コルシュちゃんも、相変わらず凶悪な胸をお持ちで」
「うふふ、王国のみなさんはスタイルがよくて羨ましいです」

 うわー、良いわー。若い女の子たちが笑顔でじゃれ合う姿は、ひとつの至宝ね。
 ニマニマしているアタシを尻目に、彼女たちは自分たちの露店を披露しながら作業手順と素材の再確認をしてゆく。はしゃぎつつ本来の仕事を忘れないあたり、彼女たちも王国代表としての自覚を持っているのだろう。

「良い感じですね。みなさん用意は万端ですか?」
「もちろんよ。いまこそ王国菓子職人の力を見せるとき!」
「まだ見習いだけどね、わたしたち」
「それでも、王国文化を支える正面戦力なんだもの。頑張らないとお父さんにドヤされちゃうわ」
「あ、魔王陛下」
「「「「えッ!!」」」

 コルシュちゃんの声で一斉にこちらを見た王国の女の子たち3人組が、怯えたような顔で直立不動になる。
 いやあね、取って食やしないわよ、もう。

「そんなに緊張しないでちょうだい。アタシはハーン。特技は安癒で、趣味はお菓子作り。よろしくね」
「「「よろしくお願いします!」」」

「彼女たちはわたしたちと同じ、王国のパティシエ・ガールズです。みなさんとっても研究熱心で、お上手なんですよ」
「そ、そんな、魔王領の職人さんたちに比べたら比較にもならないですが……」
「いいのよ。これから魔王領うちの子たちと切磋琢磨して、お互い上達していければいいと思ってるの。問題はいま・・どれだけ上手かじゃないわ。これから・・・・どれだけ上達できるかよ。期待してるわ、本当に」
「「「はいッ!」」」

「お待たせー。みんな、これ試してみて!」

 王国のお店に居残り組らしい彼女たちのために、ヨックちゃんが魔王領うちの店から出来立てのサンプルを持ってきてくれた。
 クレープとホットケーキ。うちの新商品だ。

「「「「うわぁ……美味しそう」」」」
「こっちの丸くて大きいのがホットケーキ、三角のがクレープ。新製品なの。試してみて?」
「これも魔王陛下が?」
「ええ、アタシの生まれた国のお菓子。クレープの包む具材は何種類か揃えて、お客さんに選んでもらおうかと思ってるんだけど」

 王国の子たちがキッチンのナイフで丁寧に切り分け、それぞれに試食する。
 クレープの切り口から内容を確認、ホットケーキの香りと味を確かめる仕草は完全に菓子職人のそれだ。
 アタシは口を挟まずに少し離れて、若い子たちだけに任せてみることにした。

「すごい、甘い香りが……あたたかいケーキなんて初めて。コルシュちゃん、乗ってるのはバターとはちみつ?」
「そう。デコレーションの代わりに、シンプルなトッピングと生地の美味しさで勝負するの」
「うわ、美味しい! しっとりしてて、溶けて染み込んだバターがとはちみつが、もう……」
「クレープの生地は、この薄いのだけ? ……これ素材は、小麦粉じゃないみたいですわね」
「もちろん小麦粉でも美味しいんだけど、今回はコストを考えて、蕎麦粉バックウィートで試してみたの」

 テインちゃんと呼ばれた巻き毛のお嬢さんがクレープをひと口齧った後、吊り目気味の瞳を断面に注いでいる。
 この子、どこか上流階級っぽいんだけど、服装は装飾のないシンプルで質素なものだ。少しだけ、雰囲気に陰がある。

「ホイップクリームはわかるわ。カスタードも……でも、以前のより濃厚ね」
「量を入れない代わりに、卵を卵黄だけにしたの」
「素晴らしい選択。果物の甘酸っぱさに、とっても合ってるわ」
「コーリンちゃん、どう?」
「うん、美味しい。この果実は初めて。これも魔王領で“ひんしゅかいりょー”したもの?」
「自生種だけど、そのままじゃ酸味がきついから糖蜜とお酒に漬けたのよ」
「ああ、それで。甘さが上品で、すっごく良い香り」
「……信じられない」

 ちっこい赤毛の子が、口にクリームを付けたまま怒ったような声を上げる。

「ね、簡単で単純なのに、美味しいわよね」
「たしかに、味は良い。作るのも簡単で手間も調理時間も最小。中身をいくつか用意して客に選ばせるっていう発想も斬新。持ち歩きながら片手で食べられるのも、すごいアイディア。けど、信じられないのは素材の選択よ」
「どういうこと?」
「自生種の果実に、ド安い蕎麦粉バックウィート。クリームとカスタードはそれなりにするけど、量はそんなに入れてない。売値は……大銅貨3枚、がんばれば2枚までいけるでしょ」
「当たり。さすがロレインちゃんね。姫騎士砦フォート・マーシャルの開催記念価格で大銅貨2枚。でも、露店で出すなら3枚って考えてた」
「うん、良い考え。大銅貨2枚なら大評判になるわよ。前に聞いた魔王領の、ええと……“損して得取れ”って発想ね」

 あら。どっかで聞いたような話を。
 それにしても、このちっこい子、タダモノじゃないわね。

「陛下、ロレインちゃんの実家は王都のパン屋さんなんです。お店の帳簿や仕入れまで任されてるんで原価計算が得意なんです」
「調理の腕は、他の子たちより落ちますけど」
「謙遜しなくていいの。採算性を考えるのも職人として大事な能力よ。見る目もあって、頭の回転も速い。魔王領うちに勧誘したいくらいよ」

 赤毛でそばかすの少女は、困ったような笑顔で頭を下げる。

「それは、すみません。王国文化がどうのって以前に、わたしには実家のパン屋を復興させる野望があるので」
「どっちかだなんて考えなくても良いの。両立する方法もあるわよ?」
「へ?」
「ご実家のパン屋さんの、支店を出せばいいじゃない。マーケット・メレイアに」

「「「「うぇッ!?」」」」

 王国のパティシエ・ガールズが変な声を出して固まる。
 なによ。そんなに驚くようなこといった?

「魔都に、店を」
「……魔都って。そんな大仰に考えなくても良いじゃない。姫騎士砦ここで出来るなら、メレイアでだって出来るわよ。出店料だって同じくらいだし」
「めめめ、メレイアに、ウチの店を……」
「ちょ、ロレインちゃん、泣かないで……魔王領は、そんなに怖いとこじゃ」
「違うの! 嬉しいのよ! お爺ちゃんが開いた大事な店なのに、このままじゃ王都の片隅で誰にも知られず認められずに腐って消えてくしかないって、ずっと思ってたんだもの!」
「あらロレインさん、ひとりで盛り上がらないでくれるかしら」

 長身でお嬢さま風の娘さんが、冷たい表情でチビッ子を見下ろす。揉め事だったら仲裁するべきかしらと思う間もなく、テインちゃんはロレインちゃんの手を取る。

「わたくしたちは、血盟・・を結んだのではなくて? 最初に、誓ったわよね。誰も、見捨てない。必ず一緒に・・・登り詰める・・・・・んだって」
「ご……ごめん、テイン、ちゃん。そう、だった。あたし、つい……」
「いいわ。これで目標が決まったわね。姫騎士砦ここを制圧したら、魔王領へ……魔都メレイアに侵攻するのよ! 王国菓子職人の力を、見せつけてやるわ!」

 え、ええと……なに、これ。
 コルシュちゃんが、困った顔でこっそり耳打ちする。

「テインちゃんは、第一王子派閥の政争に巻き込まれて没落した、大きな商会の娘さんなんです」
「あら」
「ロレインちゃんも、似たような経緯で店が傾いて困ってたとか。お父さんが怪我で退役した軍人さんのコーリンちゃんも、あとふたりの子たちも、事情はそれぞれですが、実家が苦しい状況なのは同じです」

 聞かされたところで、リアクションに困る。
 その状況を作ったのは魔王領、というか半分以上アタシの責任でもあるのだから。謝るのもおかしいけど、ひどく居心地は悪い。

「魔王陛下」
「うひゃい!?」

 キッと見詰めてくるテインちゃんの眼光に、アタシは思わずビクッと怯んでしまう。

「改めてお願いします。姫騎士砦ここでわたくしたちがどれだけのものか、見ていただきたいんです。お眼鏡に適うのであれば、是非、メレイアへの出店をお許しいただきたい」
「あたしからも、お願いします。どこにも行けない、何も出来ないと思ってたあたしたちに、コルシュちゃんやヨックちゃん、カナンちゃんたちが教えてくれたんです。がんばれば、幸せな未来が、あるって」

 コルシュちゃんとヨックちゃんが、彼女たちを抱き締めながら頷く。

「彼女たちには、わたしたち魔王領のパティシエ・ガールズと同じ、共通項があるんです。それは、お菓子を通じて、みんなを幸せにしたい、自分たちも幸せになりたいという思いです。どうか、メレイア出店にお力を……」

「はんッ、馬鹿ね。何を甘いこと、いっちゃってんのよ」

 一蹴したアタシを、全員が涙目で見る。
 良いわー。アタシもしかしたら、このときのために、こんな子たちを見つけるために、魔王になったのかもしれない。

「メレイアなんてちっこい・・・・こといってんじゃないわよ。あんたたちはね、大陸全土を制圧するのよ! 覚悟しなさい、これから過去のことなんて思い出す暇もないくらい、忙しくなるんだからね!」

「「「「「は、はいッ!」」」」

「そうと決まったら、ひとり金貨1枚よ」
「は? あたしたち、まだお金は……」
「違うわよ。姫騎士砦ここの開催期間中に、金貨1枚分を売り上げるの。仕入れはこっちで持つから、単純に売り上げだけで換算して。欲しい物があったら何でも、どれだけでも調達してあげる。いいわね。ただし、それが出来ないなら、あなたたちは要らない・・・・。これは、コルシュちゃんたちも同じよ」

 若き菓子職人たちは息を呑み、わずかに視線を泳がせる。
 ひとり金貨1枚。5人で回している露店なら日本円で50万円を売上げるのだ。開催期間は5日。1日10万円だ。
 大変なのは当然。でも、これくらいで尻尾を巻くようなら、これから先に未来なんて……

「「「「やります!」」」」

 決断、早ッ! 相談したわけでもないのに、声まで揃ってるし。

 さっきまでホンワリしていた女の子たちの目が、燃えてる。
 こういうときって、あるのよね。子供から大人になる、アマチュアからプロになる。ひとが生まれ変わる、その瞬間に立ち会えたことを、アタシは誇りに思う。

「いいわ。達成出来たら、御褒美をあげる。メレイアでも、とびっきりの場所に、あなたたちの・・・・・・お店を用意してあげるわ」

「さ、さすが魔王陛下です、これが噂の“あめとむち”ですね!」

 なんかロレインちゃんてば、余計な知識を与えられてるみたいだけど。涙の跡を残したままで、キラキラした笑顔を見せる。

「じゃあ、がんばってよ? あなたたちには、期待してるんだから」
「「「「はいッ!」」」」
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