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3 新しい生活の始まり

3‑6 初登庁

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 朝食は、サラダや鶏の胸肉、酪などのさっぱり料理で、過剰な糖質と脂質を抑えた女性好みのメニューだった。

 渡り廊下を渡れば職場のある建物なので、王城正門から城下町を抜けて運河を超え、王城のある高台を取り囲むように広がる貴族屋敷街から通うことを思えば、かなりの時短になるし、自分の身の回りのことを自分で出来るなら、この寮はとてもいい環境だと思えた。

 通勤の時間が要らない分、勉強や下調べなどに使えるし、睡眠時間も増え、体力的な負担も減るだろう。

 殿下の助手としての初日。
 今日は学校は休みの日だから、研究室でのチームとしてではなく、魔法省での殿下のお手伝いが主な役目となる。

 公式の助手ではなくても、研究費や雑費をいただけるとのことだったので、気を引き締めて行かなくてはと、いつもは下ろしている髪を首の後ろでひとつに纏める。
 昨夜湯殿を案内してくれた管理人から受け取った、魔法省職員の耐魔性ローブとサーコートとロングガウンを身に着け、鏡の前で一回、回ってみる。
 このロングガウン、マントのように広がって捌きやすく、断熱保温機能も備わっていて、外出時のコートの役目もあるみたいだった。
 襟元に、魔法省の徽章が刺繍されている。


 初日から遅刻は出来ないからと早めに出たつもりが、寮の出入り口に向かうと、エリオス殿下が既に待っていた。

「やあ、おはよう、エステル。ただの制服なのに、誂えたドレスのようによく似合ってるよ」

 動きやすいように、ローブと共布の幅広のズボンは、いつも私が穿いているフレアキュロットに近くて歩きやすい。
 確かに、この衣装は、身に馴染むように着心地がいい。

「おはようございます、殿下。お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いや。今日から君がそばで働いてくれると思うと、楽しみで早く来てしまったんだ。何時頃に来いと約束していた訳ではないから、気にすることはないよ。むしろ、君の登場を想像して待つのも、なんだかわくわくして楽しかったし。こんなに何かを待つのが楽しかったのは、子供の頃以来かな」

 待たせたことを詫びる私を気づかってくれるのか、エリオス殿下は笑顔で話し、腕を振って官舎へ続く廊下を指して初登庁を促した。

 夜会にエスコートするなら腕に捕まらせるか手を取るのだろうけど。今は、ダンスパートナーではなく、仕事をする上での上司と部下。
 触れるか触れないかの絶妙な塩梅で、私の腰の辺りに手を添え、どちらに進むかを促していくのは、エスコート慣れしているのだろうか。
 やはり、殿下の触れ方は、下心や嫌らしさを感じないものだった。


 まだ、夜は明けても朝日は昇りきっていない時間にもかかわらず、官舎内は人で溢れていた。

 生前のお母さまや、お父さまが毎朝薄暗い頃から起床して、時には私達よりも先に食事を摂り出仕なさっていたのは、こういう事なのかと、一瞬身が震えた。

 みんな、いい加減な気持ちでは働けない場所なのだ。

「そんなに気負わなくていいよ。僕個人の助手だから、誰かと情報を共有してたくさんの業務があるとか、他の官人の業務を請け負う訳じゃないから安心して? 基本的な事務業務は、今まで通り執事達がしてくれる。エステルには、もっと魔導的な所をサポートして欲しいんだ」
「はい。最初はお手を煩わせるかと思いますが、なるべく早く馴染むように頑張りますので、よろしくお願いします」
「だから、そんなに気負わなくていいって。真面目なところは、エステルのいいところでもあるけれど、思い悩みすぎるところは直した方がいいかな?」

 殿下の立派な執務机のそばに、猫脚のテーブルが用意され、すぐ横に小さめのチェストが併設されている。
 一番上の引き出しに、ペンやインク、文鎮や鋏、封蠟用の蠟燭と魔法省の印章が入っていて、下の段にはどこの引き出しにも何も入っていなかった。

 これが、私の、執務机。

 そう思うと、すでに愛着が湧いてきた。

 盤面をスッと撫ぜると滑らかで、書類仕事がしやすそうだった。

 そうやって机を愛でる姿に、周りの人──エリオス殿下と執事達が微笑ましく見ていたらしいけれど、気づかないくらい嬉しくて、しばらく机を愛でていた。





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