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出会いと8月の空

新しいスタートと罪悪感

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 朝、六時半。いつもよりも早く起きた桜は、大きく伸びをして布団から這い出すと真新しいセーラー服を手に取って洗面所に向かった。冷たい水で顔を洗うと寝ぼけていた頭がやっと目を覚ます。ふかふかの白いタオルで顔を拭いた桜は、持ってきたセーラー服に目を向けた。

 水色の襟に、紺色のリボン。リボンと同じ色のスカート。高校でセーラー服が制服というだけでも珍しいのにさらに珍しいその配色のセーラー服に着替えると、桜の心にワクワクとした期待が膨らんでくる。どんな人がいるんだろう。どんなクラスなのかな。

 一方で、もやもやとした不安も桜の心にしっかりと芽生えていた。友達、できるかな。人見知りで知らない人に話しかけるのが苦手な桜はそのことが一番不安だった。


「桜ちゃーん」

 桜が鏡の前で不安と格闘しているところに、喜代の声が届く。桜は「はぁい」と大きな声で返事をすると、喜代の待つ居間に向かった。桜が居間に入ると空腹を刺激するにおいが桜の鼻をくすぐった。おなかが鳴るのをこらえて机を見ると、暖かい朝食が並んでいる。

「おはよう、桜ちゃん」
「おはようございます」

 いつものように挨拶をして桜は食卓についた。はちみつトーストと、目玉焼きそれから塩もみしたキュウリ。しょっぱいものから食べようと、桜は塩もみしたキュウリに箸を伸ばした。

 朝食を食べ終えた桜は自分のお皿を下げると、支度をするために部屋に戻った。

 星空のポスターがたくさん張ってある部屋の真ん中で桜はお気に入りのリュックに教科書を詰め込んだ。このリュックは母が高校の入学祝で買ってくれたもので、ラケットと同様高校一年生の時からずっと使っている。

 ところどころ汚れているところはあるものの一年半使っているにしては綺麗なリュックに真新しい教科書を詰めながらふと、桜は思う。

 私も、お葬式で笑っていた人たちと何も変わらないんじゃないだろうか。朝起きたら普通にご飯を食べて、日中はモエギと話して、夜には花火大会なんか行った。

 あんなに笑っていた人たちを不謹慎だと憎んでいたのに、私もいつのまにかたくさん笑っている。自分のことを棚に上げて人を恨んでいたことが、急に恥ずかしくなって桜は、ぎゅっとこぶしを握り締めた。一番不謹慎なのは、恋なんかしている私自身だ。

 痛いほど握りしめたこぶしを開くと、手のひらに爪の跡がついていた。桜はそのあとを見て、自嘲的に笑うと教科書の詰まったリュックをもって部屋を出た。

「あー、お姉ちゃんだぁ」

 桜が居間に戻るといつの間に起きたのか、咲たち一家が朝ご飯を食べているところだった。陽に指をさされた桜はどうしたらいいかわからなくて、とりあえず俯く。

「こら、指さしちゃダメでしょ」
「ごめんなさぁい」

 前にも同じようなやり取りをしていたのを桜はぼんやりと思い出した。居心地の悪さを感じた桜は逃げるように玄関に向かった。桜が玄関でお気に入りの紺のスニーカーの紐を結んでいると、パタパタとスリッパで廊下を走る音が聞こえてくる。

「いってらっしゃい、桜ちゃん」

 桜がゆっくりと振り返ると、不安と喜びがまざったみたいな複雑な顔をした喜代が立っていた。

 母のほうが家を早く出ることの方が多く、朝見送られることに慣れていなかった桜の心を驚きとうれしさが同時に襲う。鼻の奥がツンとして、涙があふれそうになるのを瞬きで我慢した桜は、小さくを吸い込んだ。


「行ってきます」


 喜代の家を出た桜は、住宅地のほうに向かった。新しい家が目立つ住宅街の遊具が三つしかない公園を抜け、神社に向かう。桜は高校に行く前にモエギに会っておきたかった。


 神社に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が桜の肌を包み込む。竹林があるおかげで、日差しが遮られ神社の敷地内はいつもすこし涼しかった。竹林に縁どられた青空を大きな白い鳥が飛んでいくのを、桜はぼんやりと見つめた。

「桜」

 モエギの柔らかな声に誘われて、桜は視線を前に戻した。いつものように賽銭箱の前の階段に座り込んでいるモエギは、声と同じように柔らかい印象を受ける笑みでほほ笑んでいる。

「それ、新しい服?」
「うん、今日から通う学校の制服」
「へえー」

 服に興味があるのか、階段をたたっと降りてきたモエギは、桜のほうに近づいてくる。桜は、心臓が甘い音を立て始めるのを感じて、同時に罪悪感にかられた。

「ごめん、もう行かなきゃいけないから」

 桜は、モエギに小さな声でそう告げると神社から飛び出した。モエギに何もかも話してしまいそうで怖かった。桜は頭を空っぽにしたくて学校までの道のりをひたすら走った。

 神社を過ぎ、川を渡ってまーっすぐに進むと学校が見えてくる。桜は歩道橋を渡るところでさすがに息が乱れてきて、止まって息を整える。

「はあっ、はっ、はあ」

 桜は乱れた呼吸がなんだか情けなくて泣きそうだった。ごくりと、つばを飲み込んでのろのろと歩道橋の階段を上る。さっきまでとは打って変わって足取りは重く、心はさらに重くなっていた。

 階段を登り切って、歩道橋の上から車がたくさん走っている大きな道路を桜は見下ろした。もういっそ、このまま死んでしまおうか。そんな馬鹿なことが桜の頭をよぎる。桜はぎゅっと、歩道橋の手すりを握り締めた。

「だめーー!!」

 突然聞こえた叫び声に、びくっとして桜が階段の方を見ると耳の下で髪の毛を二つに結んだ少女が自転車を押しながら、階段を駆け上がってきていた。桜よりも頭二つ分くらい背の低い少女は、桜と同じ制服に身を包んでいた。

「自殺なんて絶対ダメ!!」

 上まできた少女は肩で息をしなら、そう言い切ると眉を寄せて桜を見ながらつづけた。

「あなたが死んだら悲しむ人がいなくても、死んじゃだめだよ」
「え?」
「死んじゃったら、この先あなたと出会って喜ぶはずだった人が喜べなくなっちゃんだよ!?
 そんなの、悲しいよ。」

 声を荒げた少女は、今度は涙を流した。桜はどうしたらいいのかわからなくて、とりあえず目の前の少女にハンカチを手渡した。少女は自転車を止めてから両手で桜のハンカチを受け取る。

「あ、ありがとう」

 少女は桜のハンカチで涙をふくと今度はにっこり笑った。

「初めまして!南野西高校二年の前橋奏音(まえばしかのん)です。よろしく、転校生さん!」

 奏音は、呆然としている桜の手を取って無理やり握手をするともう一度にっこり笑った。その笑顔がとても暖かくて、桜の胸にも暖かいものが膨らむ。

 どうして私が転校生だと分かったのかとか、どうして自殺しようと思ったことが分かったのかとか、そんなことはとりあえず置いておいてこの子と仲良くしたいと桜は心の底から思った。

「あ、私、野中 桜。よろしく」

 桜は自己紹介を済ませると、握られたままだった奏音の手を握りなおした。奏音はそのことがよほどうれしかったのかまたにこにこと笑った。よく、笑う子だなあ。桜はそんなことを思いながら自分もつられて口角が上がるのを感じた。

「死んじゃだめだよ、桜」
「うん」

 桜は素直にうなづいた。奏音はそっと桜の手を離すと、自転車を引いて歩き出した。桜もせれに続くように一歩を踏み出す。

 不安だった学校生活は、かなり順調にスタートしそうでそのことがうれしくて桜はひそかにまた笑った。

 歩道橋を渡り終わり、学校へ向かう二人を夏の日差しが静かに見守っていた。
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