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第四章
ふたりの誓い
学園を卒業し、若くして公爵位を継いだアレクサンドルは、膨大な責務に追われる日々を送っていた。
それと比例するように、エレニアとの距離が、ほんのわずかだが確かに生じているように感じていた。
忙しさを理由に会う機会が減り、すれ違う手紙には、お互いの本音ではない、取り繕った言葉が並ぶこともあった。
彼は焦った。
なぜだ? 何が変わってしまったのか? 口下手で不器用な自分は、やはり彼女を遠ざけてしまったのか?
そんな不安が、冷静な判断を鈍らせ、かえってぎこちない態度を取らせてしまい、さらなる誤解を生む悪循環に陥っていた。
ある日、エレニアからの手紙が届いた。いつもより短く、どこかよそよそしい文章に、アレクサンドルの胸は締め付けられた。もう、これ以上は耐えられない。
考えるより先に、体が動いた。彼は馬に飛び乗り、アポイントもなにもないまま、エレニアの屋敷へと駆けつけた。
門前で彼の異様な様子に驚く使用人を脇にやり、直接、彼女がいるという庭に進む。
「エレニア」
彼女の姿を見るとすぐに彼は声をかけた。息が切れていた。
「話がある」
彼女の目は少し腫れ、驚きと戸惑いの色を浮かべていた。
「アレクサンドル……こんな時間に、どうしたの? 何かあったの?」
「……全部、まずかったのは俺だ」
アレクサンドルは、立て続けに言葉を溢れさせた。考えをまとめる余裕などなかった。
「忙しいとか、立場とか、言い訳ばかりで……お前と会う時間を、疎かにした。手紙も、ちゃんと気持ちを込められなかった」
「そんな……」
「聞いてくれ」
彼はエレニアの目を真っ直ぐ見つめ、これまでで最も率直に、そして拙く言葉を紡いだ。
「俺は……お前がそばにいないと、全てが間違っているように感じる。書類も、会議も、領地の報告も……全てが色を失って見える。お前だけが、俺の世界に……色をもたらすんだ」
エレニアの目が潤んだ。
「……そんなこと、今更言わなくても……」
「言わなければいけない」
アレクサンドルの声には、もはや公爵としての威厳ではなく、必死な青年の願いが込められていた。
「俺は、お前以外の誰も要らない。これから先、どれだけ忙しくても、どれだけ困難が待っていても……俺の隣にいて欲しい。俺と、婚約してくれないか」
それは、求婚の言葉としてはあまりに朴訥で、飾り気がなかった。
しかし、エレニアには、その一つ一つの言葉が、アレクサンドルという男の全てをかけた、真実の告白に聞こえた。
彼女の頬を涙が伝った。しかし、それは悲しみではなく、溢れ出る安堵と喜びの涙だった。
「……バカ」
彼女は泣きながら笑った。
「すまない……本当に、すまない」
そして、まさにその時だった。
怒声と共に、一人の男が庭から駆け込んできた。カルレオ・ローデンゼンだった。彼はエレニアの涙と、アレクサンドルとの抱擁を見て、烈火のごとく怒り狂っている。
「エレニア! どうしたんだ!? アレクサンドル、お前、彼女に何をした!?」
アレクサンドルはゆっくりとエレニアから離れ、乱入者を見た。一瞬、誰かと認識しようとするが、その顔にはぴんと来るものがない。
彼の関心と意識は、今、エレニアと、彼女への誓いだけに集中していた。他の何ものも、彼の視野にはぼんやりとしか映らなかった。
「……お前は誰だったか? すまない、少し思い出せない」
その冷静な、悪意のない一言が、カルレオを凍りつかせ、その後、彼を狂気へと追いやる決定的な毒となることを、アレクサンドルは知る由もなかった。
エレニアが慌てて事情を説明しようとするが、カルレオは何も聞かずに去っていった。
アレクサンドルは一瞬気にかけたが、すぐに目の前の大切な人に意識を戻した。彼には、カルレオの執着や恨みなど、考える余地もなかった。
こうして、アレクサンドル・カルデンシアとエレニア・ファーセンダーは、正式に婚約者となった。
その後、両家の親との対面は緊張こそしたが、エレニアの明るい笑顔とアレクサンドルの確固たる覚悟によって、無事に過ぎていった。
公爵家の重圧と、伯爵家の憂慮を、二人の確かな絆がねじ伏せたのだ。
婚約してからの日々は、以前の何倍も充実していた。
忙しいアレクサンドルをエレニアはそっと支え、時には厳しく諫めもした。
アレクサンドルはどんなに忙しくてもエレニアとの時間を最優先し、彼女の笑顔が何よりの活力となった。
やがて、華やかな挙式が執り行われ、二人は夫婦となった。
アレクサンドルは、玉座の間でエレニアの手を取った時、幼い日に丘で感じた誓いを、改めて心に刻んだ。
(これでよし。これからも、ずっと……)
彼は、この幸せが永遠に続くと信じていたのだ。
それと比例するように、エレニアとの距離が、ほんのわずかだが確かに生じているように感じていた。
忙しさを理由に会う機会が減り、すれ違う手紙には、お互いの本音ではない、取り繕った言葉が並ぶこともあった。
彼は焦った。
なぜだ? 何が変わってしまったのか? 口下手で不器用な自分は、やはり彼女を遠ざけてしまったのか?
そんな不安が、冷静な判断を鈍らせ、かえってぎこちない態度を取らせてしまい、さらなる誤解を生む悪循環に陥っていた。
ある日、エレニアからの手紙が届いた。いつもより短く、どこかよそよそしい文章に、アレクサンドルの胸は締め付けられた。もう、これ以上は耐えられない。
考えるより先に、体が動いた。彼は馬に飛び乗り、アポイントもなにもないまま、エレニアの屋敷へと駆けつけた。
門前で彼の異様な様子に驚く使用人を脇にやり、直接、彼女がいるという庭に進む。
「エレニア」
彼女の姿を見るとすぐに彼は声をかけた。息が切れていた。
「話がある」
彼女の目は少し腫れ、驚きと戸惑いの色を浮かべていた。
「アレクサンドル……こんな時間に、どうしたの? 何かあったの?」
「……全部、まずかったのは俺だ」
アレクサンドルは、立て続けに言葉を溢れさせた。考えをまとめる余裕などなかった。
「忙しいとか、立場とか、言い訳ばかりで……お前と会う時間を、疎かにした。手紙も、ちゃんと気持ちを込められなかった」
「そんな……」
「聞いてくれ」
彼はエレニアの目を真っ直ぐ見つめ、これまでで最も率直に、そして拙く言葉を紡いだ。
「俺は……お前がそばにいないと、全てが間違っているように感じる。書類も、会議も、領地の報告も……全てが色を失って見える。お前だけが、俺の世界に……色をもたらすんだ」
エレニアの目が潤んだ。
「……そんなこと、今更言わなくても……」
「言わなければいけない」
アレクサンドルの声には、もはや公爵としての威厳ではなく、必死な青年の願いが込められていた。
「俺は、お前以外の誰も要らない。これから先、どれだけ忙しくても、どれだけ困難が待っていても……俺の隣にいて欲しい。俺と、婚約してくれないか」
それは、求婚の言葉としてはあまりに朴訥で、飾り気がなかった。
しかし、エレニアには、その一つ一つの言葉が、アレクサンドルという男の全てをかけた、真実の告白に聞こえた。
彼女の頬を涙が伝った。しかし、それは悲しみではなく、溢れ出る安堵と喜びの涙だった。
「……バカ」
彼女は泣きながら笑った。
「すまない……本当に、すまない」
そして、まさにその時だった。
怒声と共に、一人の男が庭から駆け込んできた。カルレオ・ローデンゼンだった。彼はエレニアの涙と、アレクサンドルとの抱擁を見て、烈火のごとく怒り狂っている。
「エレニア! どうしたんだ!? アレクサンドル、お前、彼女に何をした!?」
アレクサンドルはゆっくりとエレニアから離れ、乱入者を見た。一瞬、誰かと認識しようとするが、その顔にはぴんと来るものがない。
彼の関心と意識は、今、エレニアと、彼女への誓いだけに集中していた。他の何ものも、彼の視野にはぼんやりとしか映らなかった。
「……お前は誰だったか? すまない、少し思い出せない」
その冷静な、悪意のない一言が、カルレオを凍りつかせ、その後、彼を狂気へと追いやる決定的な毒となることを、アレクサンドルは知る由もなかった。
エレニアが慌てて事情を説明しようとするが、カルレオは何も聞かずに去っていった。
アレクサンドルは一瞬気にかけたが、すぐに目の前の大切な人に意識を戻した。彼には、カルレオの執着や恨みなど、考える余地もなかった。
こうして、アレクサンドル・カルデンシアとエレニア・ファーセンダーは、正式に婚約者となった。
その後、両家の親との対面は緊張こそしたが、エレニアの明るい笑顔とアレクサンドルの確固たる覚悟によって、無事に過ぎていった。
公爵家の重圧と、伯爵家の憂慮を、二人の確かな絆がねじ伏せたのだ。
婚約してからの日々は、以前の何倍も充実していた。
忙しいアレクサンドルをエレニアはそっと支え、時には厳しく諫めもした。
アレクサンドルはどんなに忙しくてもエレニアとの時間を最優先し、彼女の笑顔が何よりの活力となった。
やがて、華やかな挙式が執り行われ、二人は夫婦となった。
アレクサンドルは、玉座の間でエレニアの手を取った時、幼い日に丘で感じた誓いを、改めて心に刻んだ。
(これでよし。これからも、ずっと……)
彼は、この幸せが永遠に続くと信じていたのだ。
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