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9話 騎士と王子の取引

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「ひっ……!」

 想定外の事態に、ザカリアスの喉から上擦った声が漏れる。

「何を恐れているのですか。先に抜刀したのは殿下ではありませんか。それとも迎撃される覚悟もなく、剣を抜いたというのですか」
「き、貴様っ! この私に剣をつきつけるとは! な……なんたる不敬か!! それでも騎士か!?」
「俺はパーシヴァル伯爵位を継いだ日に、騎士ではなく領主――伯爵となる道を選びました」
「な、ならば、それがパーシヴァル伯爵に相応しい振る舞いだというのか!? 主家である王家の王子に剣を向けるなど――」
「この国のルールはご存知でしょう。領主は民の生活を守り、その見返りに土地の統治権を得る。王は領主を保護する見返りに、命令権と忠誠を得られる。王が領主を保護しないのであれば、領主は王に従う必要がありません。反旗を翻されても文句は言えません。繰り返しますが、先に抜刀したのは殿下です。王と領主の関係を反故にしようとしたのは、あなたなのですよ」
「ぐ、うぅっ……!」

 ザカリアスの喉が詰まる。目の前にいるのは白銀の騎士――否、剣鬼フレイ=パーシヴァルだ。
 美しくも礼儀正しい態度で理想の騎士と呼ばれ、若い町娘や貴族令嬢たちから羨望の眼差しを注がれる白銀の騎士。
 5年連続で王国主催の剣術大会で優勝し、たった1人で100体以上の魔物を仕留めた剣鬼。
 若くして、王立騎士団長筆頭候補とまで謳われた男。聖剣ブルトガングに選ばれた男。
 誰が呼んだか、王国最高の騎士。ゆえにその引退は国中で惜しまれた。

 見てくれを取り繕うばかりで、最近はろくに訓練を受けていないザカリアスでは、万が一にも敵う相手ではない。
 もしもフレイが頭目となり革命でも起こせば、現王朝は打倒され、新政権が樹立されるだろう。
 フレイ=パーシヴァルとは、それほどの男だ。しかし彼には驚くほど私心がない。立派な騎士であること、今は良き領主であること以外に目的がなかった。
 だからザカリアスはフレイに一目置きつつも、心のどこかで見下していた。欲望のない男など、所詮は自分の脅威たる存在ではないと。
 騎士道や美学に耽溺する男が、主家の王子に逆らう筈がないと……その慢心こそが、この窮地を招いた。

 ザカリアスは25歳。フレイより3歳年上だが、年齢など些事だ。この場においては実力が全てである。
 フレイの目は本気だ。本気でザカリアスを斬り、王国貴族から除外され、国を敵に回しても構わないと思っている。
 さすがにブルトガングは抜いておらず、今構えているのは通常のロングソードだが。それでもフレイほどの使い手であれば、ザカリアスなど一瞬のうちに切り伏せられるだろう。
 さながら蛇に睨まれたカエル。あるいは獅子を前にした小動物。
 ザカリアスは卑小な男だ。フレイの指摘はすべて正しい。そんな卑小な男にとって、この場では生存が何より優先された。
 足元に剣を捨て、両手を挙げる。

「そ――そう本気になるな。抜刀など、こちらとて本気でする筈があるまい。これはただの、そう、ただの冗談だ」
「冗談……騎士にとって抜刀は、冗談では済まされません」
「だが、今の貴様は騎士ではなく伯爵だろう?」
「……そうでしたね」

 フレイは剣を鞘に納めた。ザカリアスは安堵の息を大きく吐く。

「聖女エリカ殿は俺が保護し、魔王四天王の1人は切り伏せました。聖女を仕留められず、重要戦力を喪失した魔王軍は、再び刺客を差し向けてくるでしょう」
「そ、それでは困る! フレイ、保護した娘をただちに生贄に――!」
「そこで提案です」

 ザカリアスのセリフを断ち切ると、フレイは宣言する。

「エリカ殿はパーシヴァル伯爵領で保護します。パーシヴァル伯爵領は王都より大峡谷に近い。魔族が狙うのであれば、こちらが優先されるでしょう。俺は自領でエリカ殿を保護し、彼女を狙ってやって来た魔族を倒す。殿下は王都でもう1人の聖女様と、お好きに過ごされれば宜しいでしょう。当初の計画とは異なりますが、悪い話ではない筈です。構いませんね?」
「あ――ああ、もちろんだ! だが何故、そのような見返りの少ない提案をする? 貴様の領地で生贄の聖女を保護することに、どのような旨味があるというのだ? 貴様の領地が危険に晒されるだけではないか。あの小娘にそれほどの価値があるとは思えんがな」
「打算ではありません。純粋にあの少女を守らなければならないと……そう思っているだけです」

 その表情、その言い回しにザカリアスは直感した。

「そうか、さてはあの娘に惚れたな。そういうことか。となるとあの娘、能力は低いがやはり聖女ということか。如何なる女にも決して心を開かなかった白銀の騎士を、たった3日で篭絡するとはな! ハハハハハ! ……であれば簡単に手放すのは惜しかったかもしれないな。一度試した後でも――」
「殿下。それ以上の発言は、あの方への侮辱と受け取ります」
「っ、分かった、好きにするが良い! さあ、もういいだろう! さっさと去ね!!」

 フレイの弱点――エリカへの想いを掴んだザカリアスは、再び傲慢に振る舞い始めた。だが再びフレイが殺気を纏ったのを察知し、話を打ち切った。
 これ以上の話し合いは無駄だとフレイも判断し、塔を離れていった。

***

 エリカの保護を認めさせるという最大の目的は達した。
 これだけ脅しを効かせ、相手のメリットを提示したのだから、ザカリアスとてパーシヴァル伯爵領に嫌がらせをしてくるような真似はしないだろう。
 ――すべてはエリカの為に。フレイの胸は、その思いで満たされていた。
 何故ここまで惹かれるのか、フレイ自身も分からない。
 初めて出会ったあの夜、エリカが胸に飛び込んできた瞬間に、フレイの心は掴まれた。
 大粒の涙を溢れさせる瞳。亜麻色の柔らかい髪。鈴のように響く声。
 すべてがフレイの琴線に、心のもっとも脆く柔らかい部分に触れた。

 まるで原風景のように。
 もっとも幸せだった頃の記憶のように。
 エリカ=ハザマという少女の存在は、フレイの心のもっとも深い部分に住み着いた。
 一目惚れ。運命の出会い。月並みな表現だが、今のフレイの心境を表す言葉はいくらでもある。しかし同時に、それらの言葉では語りつくせない何かがある。
 それが何なのかは、フレイには分からない。エリカにも分からないだろう。
 初めて陥った心境の意味を探す為にも、エリカの側にいる必要があると、フレイはそう感じていた。

 ―—かつて王国最高の騎士とまで謳われた誇りに賭けて、彼女を守らなければならない。
 ―—何も知らず、この世界の身勝手に巻き込まれた少女を、守り抜かなければならない。
 己の矜持と信念に賭けて、エリカを守るとフレイは決めた。
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