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2 ユーティスの籠絡

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 最初に籠絡されたのは、ユーティス・ダイムーニだった。ユーティスは伯爵家の長男で、父親は魔法師団団長である。

 バニラとユーティスは、クラスメイトで隣通しになった。ユーティスは、始めは興味を示さなかった。

 ある日、ユーティスは、自宅で魔導書を夢中で読みすぎて寝不足気味であった。暗めの赤いの瞳を胡乱げにし、耳の上で切り揃えられているサラサラな紺色の髪をかき上げ、その手の肘を机に置いて頭を支えていた。
 ユーティスより少しだけ遅くに登校してきたバニラは、挨拶より先にユーティスの様子を覗った。

「ユーティス様、お顔色が悪いですね。熱でもあるのかしら?」

 そういうやり取りはどこにでもある。しかし、バニラはここからが、他のご令嬢とは全く異なった。

 徐ろに、ユーティスの額に右手を伸ばし、左手を自分の額に当てた。その様子を偶然見ていたクラスメイトの数名が固まった。いきなり異性の体に触れるなど、貴族間ではありえなかった。
 そんなことは関知しないバニラは、ユーティスの額に手を当てたまま、呟いた。

「うーん、手じゃわからないわね」

 そう言うと、自分の額をユーティスの額に当てた。

「「ひっ!!」」

 その頃には、クラス中が注目していたので、あちらこちらで悲鳴や小さな批判の声が出た。それでも関知しないバニラは、ユーティスと額と額をくっつけたまま、呟いた。

「うーん、熱は無さそうね」

 やっと額を離すと、ユーティスはすでに固まっていた。

「でも、本当に顔色は悪いわ。保健室へ行きましょう」

 バニラはサッとユーティスの手を取る。そして、軽く引くように立たせて、手を繋いだまま廊下へと出ていった。
 しばらく静寂に包まれていたクラスは、誰かが動いた『カタン』という音とともに、クラス中が批判やら軽蔑やら羨望やら嫉妬やらで大変話題になった。

 そんな中、一人の女子生徒が階下のクラスへと急いでいた。

 ユーティスは唖然としたまま保健室へ連れてこられた。残念?ながら、校医が席を外していた。

「もう!こういう時にいないなんて」

 バニラが誰に言うでもなく呟いた。バニラとユーティスの手はまだ繋がれたままだった。

「とにかく、休みましょう!」

 バニラに手を引かれベッドまで連れていかれたユーティスは、制服の上着を脱がされ、ベッドに座ると靴を脱がされ、ベッドの中へと押し込まれた。
 バニラは、横になるユーティスの額に再び自分の額を当てた。

「あら?少しだけ熱っぽくなったみたい」

 バニラは額を当てたまま話すので、ユーティスはバニラの息遣いまで近くに感じ、ドギマギしてきた。
 ユーティスのこれまでの人生の中で、ユーティスにこんなことをするのは、母親だけであった。貴族としては当然なことなのだが、今まで母親以外にされなかったことをされていることで、ユーティスは特別感を覚えてしまった。

「そうだわ!熱のあるときはお水よね!」

 保健室に用意されていた水差しから、バニラが水を持ってくる。

「飲める?」

 ユーティスは起き上がってコップを受け取った。水を飲み干し、コップをバニラに返す。

「ありがとう」

「あら?ちゃんとお礼が言えるのね。ふふふ」

 まるで保護者ぶったバニラの言葉に、ユーティスは不貞腐れて布団を被って横になった。

「少し、寝た方がいいわ」

 バニラは、ユーティスの腰の当たりを『ポン、ポン、ポン』とゆったりとしたテンポで軽く叩き続けた。それが眠気を誘い、ユーティスはいつの間にか深い眠りに引き込まれた。



 ユーティスがゆっくりと瞼を開けた。どこにいるのかわからず、寝返りをうち、現状を確認しようとした。

「ん?ダイムーニ君、起きたのかい?」

 ユーティスが動いたことを察した校医が声をかけてきた。
 ユーティスは、なんとなくキョロキョロしてしまった。ユーティスの側には誰もいなかったが、保健室であることは、すぐに思い出した。

 校医がベッド脇まで来て、ユーティスの額を触る。

「うん、ただの寝不足だね。面白いものでも見つけたのかい?」

 ユーティスは、保健室において、なかなかの常連だった。

「すみません」

 本人もいつものことなので、無感情に謝罪の言葉を述べた。

「あと30分ほどで昼休みだ。それまでゆっくりするといい」

「はーい。あのぉ、僕、一人で寝てました?」

「ああ。グラドバル嬢が教務室へ私を迎えに来てね、ダイムーニ君が恐らくここに寝ているから、と教えてくれたよ」

「え?シルビアがですか?」

 ユーティスは眉を寄せた。

「そうだよ。グラドバル嬢は君の婚約者だろう?」

「そうですけど……」

 ユーティスは、婚約者とはいえ、学年の違うシルビア・グラドバルが校医を呼んだことに納得していなかった。

 ユーティスは、昼休みの食堂でシルビアに声をかけた。

「シルビィ、ちょっと話がある」

 シルビアは、深緑色の垂れ目をユーティスに向けて、小首を傾げた。

「ティス様、具合はもうよろしいんですの?」

「いいから、ちょっと来てよ」

 ユーティスの口調は、有無を言わせないもので、駄々を捏ねる子供のようであった。

「わかりましたわ」

 シルビアは、同席していたご令嬢たちに挨拶をして、立ち上がった。そして、二人でテラス席へ移る。テラス席は、直射日光が当たるのでご令嬢たちには不人気だ。なので、人はまばらで話やすい。

「いかがなさいましたの?」

 シルビアの輝くような銀髪が、風でサラサラと揺れていた。他の殿方なら見惚れてしまいそうな情景も、ユーティスには何ら思うところはないようだ。

「どうして君が校医を呼べたんだ?」

 ユーティスは2学年、シルビアは1学年だ。2学年は東棟2階、1学年は東棟1階に教室がある。ちなみに、保健室や教務室は西棟1階だ。西棟2階が3学年となっている。

「わたくしのお友達が、ティス様が具合を悪くして保健室へ行ったと教えてくださったからですわ」

「そうやって、僕を監視しているのかっ!」

 ユーティスは、声を荒げて立ち上がった。シルビアは、呆れたが顔には出さない。その無表情が、ユーティスをさらにイライラさせる。

「とにかく、学園では放っておいてよね」

 ユーティスは呼び出しておいて、勝手に騒ぎ勝手に帰っていった。
 シルビアは、学園に入学してからのユーティスの態度には困惑していた。魔法師団長としての父親からのプレッシャーが強まったらしい。「一人で立てなくては、リーダーにはなれない!」そう父親から言われていた。それでも、後継者としては、そのプレッシャーは跳ね除けなければならない。シルビアは、跳ね除けるためのサポートをしていくつもりだった。夜中まで魔導書を読みふけり、寝不足になったら、校医には起こさないでやってほしいとお願いに行っているのは、シルビアがいつもしていることだった。ユーティスはそんなことも気がついていない。

 接点を持ったユーティスとバニラは、急接近した。

「甘えることは悪いことではないわ」
「一人で立つ必要なんてないの。私が一緒に立ってあげるわ」

 バニラの甘言に、ユーティスは甘えていった。ユーティスは、年下のシルビアに甘えることには戸惑いがあったのだ。

 すでに、支えられていたことなど、考えにも登っていなかった。
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