マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師と嘘

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 さて、振り返ってみよう。
 我ながら、少しだけ普通とは違う、けれど数奇というにはまだまだ甘い、そんな風な人生を送ってきたように思う。
 ほんのりと、普通というラインから浮いている。
 浮いていて───戻れない。地面を踏みしめようとしても、ふわふわと中途半端に弾むだけ。
 どうしてだっけ───どこからだっけ?



 着替え、洗面道具、その他諸々の細かいもの、それからお見舞いのお菓子。それら全部を合わせるとそれなりの荷物だった。
「重くない? やっぱり半分持つよ? ともり」
「え? 全然大丈夫だよ」
「そっか。……やっぱり男の子だねえ」
「みーさん、俺、男ね。オトコ」
「え? うん。大きくなったねえ。昔はがりがりだったのに。今は……細マッチョ? っていうの? たくさん食べてしっかり筋肉付いて、うん、何だかうれしくって」
「……みーさんがうれしいなら俺もうれしいけどね」
 辿り着いた建物を見上げる。こないだ来て、刑事に出会って引き返した総合病院。ニノ コウが入院している病院。そして今は、キョウコも入院している病院。
 キョウコを保護したあの夜、運転手付きの車でやって来たチグサと合流して事情を説明した。余計な言葉を挟まずチグサは黙って説明を聞き、全て終わると一度だけうなずいてすぐに入院の手続きをした。キョウコの父親に居場所を知られないところ。絶対に安全なところ。
「居場所を知られても構いません。知らないに越したことはありませんが」
 というのがチグサの弁だった。セキュリティがしっかりしている特別病室に入れれば許可なく人の出入りは出来ないし、そもそもロビーに現れた段階で警備員にシャットアウトされると。キョウコの病室にまでは絶対に辿り着けない。そういうことならば確かに知られていても問題はない。知らないに越したことはない、が。
「そこまでのセキュリティが確保出来るのはあの病院しかありません。医療費の問題もあります」
「それは───」
「勿論こちらの問題です。あなた方はたまたま出会って保護して下さった、それだけでございます」
 そうしてくれると有り難かった。
「あの。ナオミさんには伝えないといけないと思うんですが、フルミ ナオキにはこのことは」
「何故でしょう」
「キョウコちゃんに私が関わっていたと知ったら、流石に混乱すると思いますよ。今余計なことに頭突っ込んでる暇もないはずです」
「あなたが気になさることでもないでしょう。ですが、隠せるだけ隠しておきましょう」
 ほっとした。ふう、と息を吐く。寄りかかるキョウコの頭がかくん、とずれそうだったので少し支えるようにしてバランスを取らせた。
 俗に言うリムジン、だろうか。後部座席が向き合うようなボックス席で、チグサが片側、その反対側に私、キョウコ、ともりという順に座っている。三人並んでもまだ余裕がある。高級車すごい。
「もうすぐ病院に着くからね」
 薄っすらと目をあけたキョウコに小さく囁く。それがいけなかった。ぼんやりとした顔のまま、スモークガラスの窓の向こうに目をやり、パニックになったような悲鳴を上げた。
「や! 嫌! いやあ! 行きたくない! いや、お願い嫌!」
「どうしたの! 落ち着いて、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない! 絶対嫌、やだ、あああ、やめて、ユキ、やだあああ!」
 わんわんと子供のように泣きじゃくりはじめた少女に呆然とする。ともりも驚いたようにこちらと視線を合わせ、少女の肩をすっぽりと抱くようにして落ち着かせようとした。
「どうした。何があった。ゆっくりでいいから」
 とん、とん、とともりが背中を叩く。そのリズムに合わせて呼吸が落ち着いてゆき、うろうろとしていた視線が少しずつ定まった。
「この、道。……総合病院に行くの?」
「そうだよ。セキュリティがしっかりしてるから、大丈夫だよ」
「違う、ちがう! そうじゃない、そうじゃない……!」
 いやいやと首を横に振るキョウコは、その度に痛む体にぼろぼろと涙を零した。
「コウさんが入院してるの!」
「うん、だから安全───」
「だからユキ、来てくれない!」
「絶対───え?」
「ユキが来てくれない! もう会えなくなる! そんなの嫌! やだあ!」
 ともりに抱えられたまま泣きじゃくる少女を見て少し放心した。ニノ コウがいるから。ああ、そうか───この子が恐れているのは。こんなに泣き喚いている理由は。
「キョウコちゃん。大丈夫だよ。たくさんお見舞いに行くから。関係ないよ。キョウコちゃんに会いたいもん」
 少女の手を握る。傷だらけの手だった。痛まないようにそっと包み、目を覗き込む。ぼろぼろと泣く少女は、涙こそ止まらないもののこちらを見はじめた。
「ほんと、う?」
「本当。たくさん会いに行くよ」
「うそ、じゃない?」
「嘘じゃない。キョウコちゃんがもう飽きたから会いたくないって言うまで会いに行くよ」
「そんなこと言わない! 絶対言わない!」
「うん、じゃあ何の問題もないね。私はキョウコちゃんに会いに病院に行く。キョウコちゃんは病院でしっかり怪我を治す。治ったらまた一緒に買い物に行く。今度は映画も観る。甘いものも食べる」
「こ、コウさんがいても?」
「ニノ コウがいても」
「……」
 ようやく落ち着いたようで、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら少女は黙った。少し間を置いてからこくりとうなずく。
「……はい。暴れてごめんなさい」
「ううん。そりゃそうだよね。びっくりするよね。でも大丈夫だから」
「うん……」
「うん、いい子」
 にこりと少女に微笑みかけてから、チグサに目でうなずく。うなずき返された、気がした。
 そんな会話があった、数時間後。すっかり日も上り、明るい光が院内にも満ちていた。
 エレベーターを降りると、すぐにカウンターがあった。中にいた看護師さんにぺこりと頭を下げ、「フルミ キョウコさんのお見舞いです」と告げると、親しみと仕事用の合間を見事に縫ったような笑顔で「身分証をお持ちでしょうか?」と返された。ともりと共に免許証を出すと、パソコン上にあるらしいリストと照合される。チグサが上手くやってくれているだろう。
「確認致しました。案内致します」
 ふ、と目配せを受けたもう一人の看護師が先導する。カウンターの先は一本道で、両端には制服を着た守衛らしき男性が二人いる。階段で上ってきたとしてもエレベーターで上がってきたとしても、ここのカウンターを通ることになる。
 セキュリティの高さに感心しながら看護師に続き歩くと、ある一つの扉の前で立ち止まった。壁にあるインターフォンを押すと、ややあって『はい』とスピーカーを通したキョウコの強張った声がする。
「お客様です。ミカゲ様とカブラギ様です」
『はい!』
 固かった声が途端に元気になった。看護師が暗証番号を打ち込むとぴぴっと音がして鍵が解除される。
 スライドドアが開くと、そこは広い空間だった。大きな窓が光を取り込み、病室とは思えないほどの明るさを持つ。
「ユキ、カブラギっ」
 ベッドで上体を起こしていたキョウコがうれしそうに笑った。
「ほんとに来てくれた!」
「もちろん」
 看護師さんに軽く会釈をし別れ、ともりと共にベッドに歩み寄る。
 あちこちに包帯やガーゼを巻かれた痛々しい少女の姿。それでも顔だけはうれしそうに微笑み、点滴を打っていない方の手をこちらにのばす。その手を握ると安心したように笑った。
「すごい広いな。長期滞在も出来るようになってるのか」
 浴室、トイレ、ミニキッチンまである部屋を見回して、感心したようにともりが言った。
「じゃあ簡易じゃなくていいな。売店で牛乳買ってくる」
「牛乳?」
「牛乳で淹れた濃厚ミルクティーか、粉から練って淹れるココアか、どっちか選べ」
「選べない……! なにその残酷な選択肢……!」
「君たち仲良いね」
 呟く。ともりが売店に出かけた隙に身の回りのものを整理して仕舞い(というよりもその時間をわざわざ作ってくれたのだろう)、椅子も出して座り、とりとめのない雑談をしていると、ぽーんとやわらかい音が天井に埋め込まれたスピーカーから鳴った。びくりとキョウコが身を震わせる。
「どうしたの?」
 咄嗟に手を握って尋ねると、血の気が失せた顔でキョウコは首を横に振った。息を潜めるように浅くし、強張った手は微かに震え冷たくなっていく。
「は、い」
『キョウコさん、フルミ ナオミさんがいらっしゃいました』
 先ほどの看護師の声がした。言外にどうしますか、と問われたそれに少女は深く息を吐いて脱力した。握った手はそのまま軽く肩を抱くように身を寄せると、そのままぐったりと体重を預けてくる。
「……はい、お願いします」
 ふつっと、通信が途切れた。
「……大丈夫?」
「うん、ごめんなさい。や、分かってはいるんだけど……」
 苦笑いに失敗したように少女は力なく笑った。
「お医者さんとか看護師さん以外のひとが来る時は、ああやってインターフォンが鳴って取り次がれるの。───ここにいるのがバレたのかと思った」
 少女にばれないように、小さく奥歯を噛んだ。
「……明日から来る直前に電話するね。スマートフォン使えるもんね」
「え、あっ、うん、ごめんなさい、っ、明日も来てくれるのっ?」
「来るよー。退屈でしょう、なんか持って来るよ。DVDとか。映画しかないけど。私チョイスでいい?」
「うん!」
 うれしそうに笑う少女の体に無理なく力が漲ったのを感じ、そっと体を解放した。代わりに頭を撫でる。
 こんこん、と、今度は扉が軽く叩かれた。はい、と返事をするとかちゃりと音がして鍵が解除され、スライドの扉が滑らかに開く。
「こんにちは」
 ナオミが姿を現した。毎日電話で喋っているとはいえ直接会うのは追いかけたあの夜以来で、私を見たナオミに痛みにも似た小さな苦笑が浮かんだ。少しだけ、心が疼くような。
「ナオミ姉さん、ごめんなさい」
 開口一番キョウコが頭を下げた。
「ごめんなさい。迷惑かけて。それから、ありがとうございます」
 ナオミはちょっと虚をつかれたような顔をしたが微笑んだ。
「……ごめんなさいだけじゃなくなったね。前のキョウコちゃんは、謝ることに必死だったから」
「……うん」
「ここは安全だからね。ゆっくり治そう」
 それからナオミは私に説明した。この病室に入るには専属看護師(さっきのアナウンスの人らしい)に会って許可をもらうしかなく、リスト以外の人間はそこで弾かれると。
 病室からは出れるが、外からは解除がなければ決して開かないオートロック。システムが作動している限りキョウコは安全だ。───けれど。
 戻って来たともりと結局飲み物をどっちにするかとわあわあ相談している少女を見て思う。
 どれだけ言葉で拭っても、体は痛みを忘れない。
 どれだけ温かさで包んでも、心は恐怖を忘れない。
 自分が付けられた、あの襲撃事件の時の痣を思う。もうほとんど消えてはいたが、痣を付けられるほど殴られたという事実は消えない。───それでも、それほど恐怖が残っていないのは、
「あ、そうだ。ユキ、ちょっといいですか」
 ちょい、とナオミがドアを指したので、苦渋の決断の末ロイヤルミルクティーにしたらしいキョウコはともりに任せナオミに続いて廊下に出る。ドアをきちんと閉めたのを確認すると、ロックがかかった音がした。念のため軽く引いて開けようとしたが、ドアはぴくりとも動かなかった。振り返ってナオミを見て、
「な、……に。どうしたの」
 脂汗が滲んでいるような蒼白な顔を見てぎょっとした。落ち着きなく視線を巡らせ近くに誰もいないことを確認し、何度も何度も小さく唾を飲む。普通じゃない。
「まだ一部の人間しか知りません。が、今日中に知れ渡ります。私も、当分ここに来れなくなる」
「どうして……」
 ナオミはぎゅっと胸の前で手を握りしめて、言葉を床に這わすように落とした。
「コウさんのお母様───当主が未明に亡くなりました」



 眼が開く。
 呼吸が止まる。



「───、は、」



 がりがりと、嫌な音がする。
 噛み合わず止まっていた歯車を、そのまま無理やり動かしはじめたような。
 朝からこの畏れを抱えていたであろう彼女は───ようやくそれを言葉にして、その事の大きさを改めて認識するように震え出す。
「本日を持って、ニノ家の現当主はニノ コウ様に成りました」
 がりがり。がりがりがり   がり。
 嫌な音がする。




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