マクデブルクの半球

ナコイトオル

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詐欺師のナマエ 

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 解答には、まだ辿りつけない。わたしはそこにもう十年以上前から目指しているのに、未だに辿りつけないのだ───こんなに必死になって、失うもの全て失って、得るはずだったもの全てを放棄して、血を流して涙を堪えてきたのに、まだ辿りつけないのだ。
 最初から間違っていた。間違った道を、進んで来た。
 間違ってると分かっていても、突き進めばいつかは解答に辿りつけるのだろうか。
 分からない。
 答案に、間違った答えすら書き綴れていないのに───
 わたしたちより先に解答に辿りつこうなんて、馬鹿なこと言うんじゃねえよ。



「ナオミは無事なの?」
 夜風が吹く中、声を張って訊ねる。
 ナオミに嘘の目撃情報を伝えて、それを聞いたナオミはまずキョウコに確認して───と。全てはキョウコの居場所を炙り出して犯人に仕立て上げるためだったのだろう。病院のセキュリティの問題がクリア出来ないのだから。当主であろうが代理であり、未登録の人間なのだから。
「ナオミ、って。知り合いかよ」
「違う。友達」
「……いつから」
「あんたが知らない合間に。あんたが知る由もない時に」
 ぴくり、と、表情が動いた。それを見て小さく嘲笑する。
「ばっかみたい。あんたが知らない時間なんて、そんなのいくらでもある」
 全部全部監視して管理出来ると思っていたのか?
 思っていたのか。
 だからこんなことが、はじまったのか。
「何にも、知らなかったんだね。気付きもしなかったんだね。あんなに近くにいたのに、報らされもされなかったんだね」
 言葉を重ねていく。答えはない。ぎりっと噛みしめるようにして、答えはない。だから問うた。
「ねえ。あんたにとって、コウくんはなに?」
 震える。寒さでも恐怖でもなく、怒りに。
「あんたにとって、なんだったの?」
「───コウは、当主だ」
 固い声で、それでもまだ優雅さを感じられる声でフルミは答えた。しかし、その笑顔はいつもの笑顔と違った。
「当主になる器を持つ男だ。だから俺は、俺の人生すべてをかけてコウをサポートしてきた」
「サポート。へえ!」
 笑う。こいつの人生全てを否定するように。
「あんたみたいな奴にずうっと監視されて、器しか見てもらえなくて。さぞ窮屈だったろうに! 心が死んでいったろうに!」
「コウは当主になる。選ばれた人間だ。完璧でないといけない。交友関係、学力、伴侶、全て相応しいものでなければならない」
「それのどこにコウくんがいるっていうの? ずっと一緒にいて、あんたは自分の思う『当主』しか見てこなかったんだ。それがコウくんに、あんたに何も言えなくしたんだ! 別にあんただってよかったんだよ! きちんと力になって、少しでもコウくんの心を分かろうと、共に在ろうとしてくれるなら、あんたでも誰でもよかったんだ! なのに! なのに! なのにどうして、誰もそうしてくれなかったんだよッ!」
 二乃 春日。コウの母親。わたしを突き落とした女。別にいい。もうどうでもいい。でも、そんなに邪魔なら、息子の周りから自分の選んだ以外の人間を排除したかったのなら、どうしてもっとコウを見てくれなかった? どうして管理するような手段でしか接することが出来なかった?
「じゃあどうすればいい。家のせいで、この狭い世界のせいで今まで幸せになれなかった奴に俺たちはなんて言えばいい! 今更間違ってました、これはおかしいです直しましょうなんてどのツラ下げて言えばいいんだッ!」
「それでもそうしなきゃいけなかったんだ、本当に誰かのことを想うのなら! 犠牲に犠牲を重ね続けて間違った方向に進むべきじゃなかったんだ、幸せになれないのが自分だけじゃないのなら!」
 古見 直樹。コウとずっと一緒にいた幼馴染。コウの『虐め』を内心悦んでいた男。別にいい。どうでもいい。でも、どうしてこうも愚かなんだ? どうして目の前にいる相手ではなく、『当主』という器しか見てくれなかった?
「あんたは何も見ちゃいなかった。自分の妹ですら、『当主の婚約者』としてしか見ていなかったでしょう」
 古見 直美。コウの婚約者。窮屈に卑屈になっていた女。全て家の言う通りに、全て周囲の言う通りに細い道を心細く歩く。背負うものが大き過ぎるが故に『自分』を持てず友達も禄に作れず、孤立してそれがさみしいのにどうにも出来ないナオミ。
 どうしてそれでいいなんて思えた? どうしてもっと彼女自身を見なかった?
 現実から逃げ出したくて作り上げた彼女の箱庭。自分じゃない誰かになりたかった、あの極端なゴスロリ。
 どれもこれも『古見 直美』を遠くに置くものだ。自分で自分を置いてけぼりにした。そんな辛いこと、望んでやるわけないのに、それでも彼女は、自分をどこか遠くに棄ててしまいたかった。
「古いしがらみのせいで、空気のせいで、苦しんでる人間がいるのに、それにすら本当の意味では気付けなかったんでしょう。言葉でなんて言っていようと、どう言い訳しようと最終的には『そこでそう生まれたのだから仕方がない、犠牲になれ』と思っていたんでしょう」
 古見 京子。誰にも頼れず、声を上げても誰も聞いてくれず、家に帰ることに怯え、それでも自由を夢見た少女。『普通』を望んだ『普通』の女の子。
 何もしていないのに、『古見 京子』というだけでまるで犯罪者の娘のように扱われ、生まれる前から出来上がっていた空気に抗うことも出来ず、ただただ背を丸めて下を向いて、夢見ることすらあきらめかけたであろう少女。
 それでもやさしさを失うことはなかった少女。自分以外の誰かを心配して、誰かを守ろうと動くことが出来る少女。ぼろぼろの体を引き摺り、自分に会いに来た少女。
「……誰のことを、言ってるんだ」
「キョウコちゃんだよ。あんたが言う『犯人』だよ」
「あいつも友達だって言うわけか?」
「ちげえようちの子だ」
「……お前、どれだけ裏で動き回ってたんだよ。直美も京子も居場所が分からなくてどれだけ苦労したと思ってんだ」
「残念だったね。直美は砦で、京子ちゃんは殆ど家で暮らしてたよ」
「砦? お前の家? ───なんで、」
「知らなくていいよ。あんたには理解出来ない。───わたしに訊きたいこと、あるんじゃないの?」
 真っ直ぐに見据える。非常階段の半ば、こちらを見下ろすように立つ男。
「……どこで俺だって気付いた?」
 ほら。訊くのは自分のこと。



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