七駅フレンド

ツチフル

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 今まで気づかなかっただけで、私たちはいつも同じ車両に乗り合わせていたらしい。
 こうして意識するようになると、いろいろなことに気づく。
 彼女は私が乗る駅よりも前から乗っていること。
 私が降りるひとつ前の駅で降りること。
 シートには座らず、いつでも立っていること。
 私がドア近くのシートを指定席にしているように、彼女にも愛用のつり革があるらしいこと。
 ケイタイはスマートフォンで、取り出す頻度からメールかラインの返信が主な使い道らしいこと。など。
 情報が増えていくにつれて、親しみもわいてくる。
 それは彼女も同じだったらしく、いつからか、私たちは目があうと微笑みあうぐらいには親しくなっていた。
 ただ、物理的な距離―― 歩数にして三歩の距離―― は、そのままだった。
 お互いに自分のお気に入りの場所があるということ。それから、この距離感が丁度よいということもあっただろう。
 声のでない私は、とくにその思いが強かった。
 だから。
 彼女が勇気をふり絞らなければ、関係はずっとこのままだったはずだ。

 その日も、私はいつもの電車にのり、いつもの場所に腰をおろして、いつものようにつり革につかまる彼女を見つけた。
 彼女も私に気がついた。
 私たちはいつものように小さく微笑みあい、いつものようにすぐ目をそらそうとして――
 でも、彼女は目をそらさなかった。
 真剣な眼差しで私を見つめたままつり革から手をはなすと、不思議な手仕草を始めた。
 
 右手を耳の近くまで持ち上げてこぶしを作り、
 次に、両手を人差し指だけ立てた形にして胸元へ持っていき、
 その指を軽く折り曲げる。
 
 それだけだった。
 私は何が起きたのかわからず、間の抜けた顔で彼女を見てしまう。頭の上にはいくつものクエッションマークが飛び出していたにちがいない。
 彼女は口を開けて目を丸くしている私を見て、もう一度微笑んだ。
 少し残念そうに目を細めて。
 
 彼女のそうした行動はそれきりで、次の日からはまた何事もなかったように微笑むだけになった。
 私もいつも通りに微笑みを返したけれど―― 何事もなかったことにはできなかった。
 今までのルールを破ってまで彼女がした行為なのだ。意味がないわけがない。
 何かのジェスチャー?
 耳のあたりでこぶしを作る仕草は…… 電話?
 両手を人差し指だけ立てた形にして折り曲げる仕草は…… クワガタ?
 電話とクワガタ。
 二つを合わせると 電話をかけてきたのはクワガタだったよ という意味になる。
 絶対にちがう。
 学校で友人に聞いてみても(もちろん筆談だ)、首をかしげるか、私と似たようなトンチンカンなことを言うばかり。
 家に帰って聞いてみても、姉は私と同じようなものだったし、母にいたっては、それよりもカウンセリングはちゃんと通っているのと、トゲのある質問をかえしてきた。なかなか回復しない私に苛立っているのだ。
 手っ取り早いのは彼女に直接聞くことだけど、その勇気はない。
 だいたい、この前のジェスチャーは何だったのですかと書いた大学ノートをいきなりつきつけたりしたら、驚かせる程度ではすまないだろう。
 結局、自分で答えを見つけるしかなかった。
 
 
 きっかけは、これといった目的もなくテレビを観ているときだった。
 民放の安っぽいバラエティ番組が終わると、次の番組までのつなぎに流れるニュースが始まった。
 男性キャスターがあいさつをして、今日の出来事を淡々と伝えていく。
 だけど私が注目したのは彼ではなく、画面の右端に映る女性だった。
 丸く切り取られた枠の中で、しきりに手を動かしている女性。
 それは、手話だった。
 女性は手話でニュースを伝えていたのだ。
 声がだせたなら、私はきっと叫んでいただろう。
 そうだ。手話だ!
 私は自分の部屋に急いで戻り、机の上のスマートフォンをつかみ取って動画サイトに接続した。
 検索ワードは 【動画 手話】。
 再生時間の短い、手話のワンフレーズ動画を手当たり次第に確認していく。
 目当ての手話はすぐに見つかった。
 耳のあたりでこぶしをつくり、次に、両手を人差し指だけ立てた形にして折り曲げる仕草。
 
 おはよう。
 
 私は両手で太ももを叩いた。
 そうだ。彼女はおはようと言ったのだ。
 それがわかっていたなら、私もおはようと―― 耳のあたりでこぶしをつくり、それから両手を人差し指だけ立てた形にして折り曲げる仕草で―― 返していたのに。
 叫びたかった。
 正解にたどりつけた喜びを表現したくて。
 口を大きく開け、お腹に力を入れて、喉から絞り出すように声を吐き出す。
 一度。二度。
 三度。
 私の口からでてきたのは、息が漏れる音だけだった。
 
 
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