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※
いつもの電車の いつもの車両で。
私はいつもの場所に腰をおろし、いつものようにつり革につかまる彼女を見つける。
彼女も私に気づいた。
私たちはいつものように小さく微笑みあい、いつものようにすぐ目をそらそうとして――
今度は、私が目をそらさずに彼女を見た。
そして。
右手を耳の近くまで上げてこぶしを作り、
次に、両手を人差し指だけ立てた形にして胸元へと持っていき、
その指を軽く折り曲げた。
おはよう。
彼女は、大きく。
品の良い輪郭が壊れそうなほど大きく、目と口を開いて私を見た。
それから慌てたように同じ手話を返して、こちらへ――
一歩。
二歩。
縮むことのなかった、歩幅にして三歩分の距離が――
三歩。
なくなった。
今、私の目の前に彼女がいる。
※
こうなるシチュエーションを考えなかったわけではないけれど、実際に起こってしまうと、どうしていいのかわからない。
私は彼女を見上げたまま固まっていた。
せめて声がだせれば。
そう考えてすぐ、声がだせていたらそもそもこの状況になっていないことに気づく。
そんな私の混乱をよそに、彼女は少し興奮しながら手を動かし始めた。
私のほうに手を向けたり、両腕で何かを巻くような仕草をしたり、自分の両肩を順番に突いたり――
理解できたのは、それらがおそらく手話であるということ。それから、彼女がどうやら難聴者らしいということだった。
そうこうしている間にも、手話はどんどん進んでいく。
私は慌てて彼女の手をおさえてストップをかけ、学生カバンから一冊のノートを取り出した。友人と話すときに使う、罫線のない真っ白なノートだ。
未使用部分を広げて、ひとまず伝えるべきことをボールペンで書いていく。
手話は おはよう しか知りません。ということ。
今は病気で声がだせない状態です。ということ。
少し迷ってから、失声症ですと書き加えてノートを渡した。
彼女はノートを受取ってそれを読み、納得したように頷くと、自分のカバンからボールペンを取り出して何かを書きつけた。
ノートを受け取って、その言葉を見る。
彼女が書いたのは、わずか六文字だった。
私は ろうです。
耳が聞こえません。
ろうは、聾。耳が不自由な人のこと。
彼女は先天的な難聴者だった。
私が手話をつかえないので、会話は友人たちと同じように筆談で行った。
まずはお互いの自己紹介から。
私がノートのすみに 仁科沙奈 と書くと、彼女はその隣に 立花詩織 と書いた。
年齢。二人とも十八歳。今年は受験生。進路について悩み中。
学校。私は高瀬高校で、彼女―― 詩織は矢野高校だった。思ったとおり、優秀な生徒だった。
そこで知ったのだけど、難聴者でも多くの場合は普通学校に通うらしい。一般社会に出たときに少しでもハンデをなくすためだとか。
詩織は、それに加えて手話学校へも通っているという。帰りはだから、いつも七時を過ぎてしまうと。
まだまだ話したいことはあったけれど、車内アナウンスが流れて詩織が降りる駅を告げた。
ちなみに彼女が乗る駅は、私が乗る駅のひとつ前。
降りる駅は、私が降りるひとつ前。
私と彼女が乗り合わせるのは、七つの駅の区間だけ。
七駅間の友だちだね
私がノートに書くと、彼女は少し考えてから、隣にこう書きそえた。
七駅フレンドのほうが素敵じゃない?
※
いつもの電車の いつもの車両で。
私はいつもの場所に腰をおろし、いつものようにつり革につかまる彼女を見つける。
彼女も私に気づいた。
私たちはいつものように小さく微笑みあい、いつものようにすぐ目をそらそうとして――
今度は、私が目をそらさずに彼女を見た。
そして。
右手を耳の近くまで上げてこぶしを作り、
次に、両手を人差し指だけ立てた形にして胸元へと持っていき、
その指を軽く折り曲げた。
おはよう。
彼女は、大きく。
品の良い輪郭が壊れそうなほど大きく、目と口を開いて私を見た。
それから慌てたように同じ手話を返して、こちらへ――
一歩。
二歩。
縮むことのなかった、歩幅にして三歩分の距離が――
三歩。
なくなった。
今、私の目の前に彼女がいる。
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こうなるシチュエーションを考えなかったわけではないけれど、実際に起こってしまうと、どうしていいのかわからない。
私は彼女を見上げたまま固まっていた。
せめて声がだせれば。
そう考えてすぐ、声がだせていたらそもそもこの状況になっていないことに気づく。
そんな私の混乱をよそに、彼女は少し興奮しながら手を動かし始めた。
私のほうに手を向けたり、両腕で何かを巻くような仕草をしたり、自分の両肩を順番に突いたり――
理解できたのは、それらがおそらく手話であるということ。それから、彼女がどうやら難聴者らしいということだった。
そうこうしている間にも、手話はどんどん進んでいく。
私は慌てて彼女の手をおさえてストップをかけ、学生カバンから一冊のノートを取り出した。友人と話すときに使う、罫線のない真っ白なノートだ。
未使用部分を広げて、ひとまず伝えるべきことをボールペンで書いていく。
手話は おはよう しか知りません。ということ。
今は病気で声がだせない状態です。ということ。
少し迷ってから、失声症ですと書き加えてノートを渡した。
彼女はノートを受取ってそれを読み、納得したように頷くと、自分のカバンからボールペンを取り出して何かを書きつけた。
ノートを受け取って、その言葉を見る。
彼女が書いたのは、わずか六文字だった。
私は ろうです。
耳が聞こえません。
ろうは、聾。耳が不自由な人のこと。
彼女は先天的な難聴者だった。
私が手話をつかえないので、会話は友人たちと同じように筆談で行った。
まずはお互いの自己紹介から。
私がノートのすみに 仁科沙奈 と書くと、彼女はその隣に 立花詩織 と書いた。
年齢。二人とも十八歳。今年は受験生。進路について悩み中。
学校。私は高瀬高校で、彼女―― 詩織は矢野高校だった。思ったとおり、優秀な生徒だった。
そこで知ったのだけど、難聴者でも多くの場合は普通学校に通うらしい。一般社会に出たときに少しでもハンデをなくすためだとか。
詩織は、それに加えて手話学校へも通っているという。帰りはだから、いつも七時を過ぎてしまうと。
まだまだ話したいことはあったけれど、車内アナウンスが流れて詩織が降りる駅を告げた。
ちなみに彼女が乗る駅は、私が乗る駅のひとつ前。
降りる駅は、私が降りるひとつ前。
私と彼女が乗り合わせるのは、七つの駅の区間だけ。
七駅間の友だちだね
私がノートに書くと、彼女は少し考えてから、隣にこう書きそえた。
七駅フレンドのほうが素敵じゃない?
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