七駅フレンド

ツチフル

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 私が失声症になってから三ヶ月、詩織と知りあってから一月が過ぎた。
 このころになると、楽観的だったカウンセラーの椎橋さんも首をかしげるようになっていた。
 一般的な失声症は早ければ一週間、長くても一ヶ月ぐらいで治るらしい。
 まれに半年、あるいはそれ以上かかることもあるけれど、それは鬱病などの精神的な病気を抱えている場合だという。
 私にそうした傾向はなかった。
 椎橋さんは、もうしばらく様子を見て、改善する気配がなければべつの方法を考えましょうと言い、その日のカウンセリングは終了した。
 声のでない私に苛立ったり不安がっていたりしていた両親も、最近ではずいぶん慣れてきたらしく、筆談のスピードにあわせて会話をするようになっていた。もちろん、苛立ちや不安が消えたわけではないだろうけど。
 声のでない学校生活も、当たり前の日常になりつつある。
 友人も教師も、私の失声症に(良くも悪くも)慣れて、気遣ってくれながらも、冗談を言ったり、喧嘩をしたり、怒られたりするようになった。
 そういえば、最近、新聞部からインタビューを受けた。
 内容はもちろん、失声症について。
 いつごろ発症したのか。
 原因はなんだったのか。
 声がだせないことの不便さ。
 コミニュケーションの仕方。
 今の気持ち。などなど。
 私は筆談で可能な限り答えた。さすがに原因については、曖昧にぼやかしたけれど…
 電車で知りあった難聴者の友人の話もした。
 彼女は耳が聞こえず話すこともできないけれど、私よりもずっと優秀だということ。
 将来は手話教室を開いて先生になるか、ニュースなどの通訳になりたいと思っていること。
 私も彼女から手話を教わっていること。など。
 詩織にそのことを伝えたら、彼女は恥ずかしそうに顔を赤らめ、私のノートを奪いとると、 許可をとってからにしてよ と書いて笑った。

 
 詩織との七駅フレンドの関係は続いていた。
 いつもの電車の、いつもの車両で。
 いつものようにドア近くのシートに腰をおろし、私たちはノートを広げる。
 ラインやメールで会話を試したこともあるけれど、お互い画面ばかり見て話が盛り上がらないのですぐに却下した。
 話題は、その日によってまったく違う。
 趣味の話に終始することもあれば、芸能人のうわさ話で勝手な勘ぐりを入れてみたり、友人への愚痴をこぼしてみたり、教師の悪口を書き連ねてみたり、気になる異性の話でノート一面が埋まったり、たまには真面目な話をしてみたり……
 詩織から教わることも多かった。
 難聴者が聾学校に通わず、あえて普通学校を選ぶ理由も教えてくれたし、普通学校に通うことの大変さも話してくれた。
 会話の大変さは失声症の私にも理解できるつもりだったけれど、実は全然ちがう。
 彼女の場合は耳が不自由なため、声が聞こえないという条件が加わるのだ。
 私は相手の話を聞くことができるので自分が書くだけでいいけれど、彼女の場合は相手にも筆談(もしくは手話。できる人はまずいない)を強制することになる。
 だから何かをするにしても、ちょっとした頼み事があっても、わざわざノートに書かなければならない。そうなると周りは、詩織よりも他の人に声をかけたほうが早いから、そちらへ話をする… ということになる。
 どうしても彼女は疎外されがちになってしまうのだ。
 孤立はしていないけれど、本当に馴染めているわけでもない。
 いつでも、まわりの人よりも少し下にいる感覚がつきまとう。
 だから。
 と、彼女は書きつくしたノートをめくって続ける。
 自分と同じ人たちが集まる手話教室のほうが、ずっとリラックスできるし、楽しい。と。
 それから少し間隔をあけて、こうやって私と出会えたことが本当にうれしいと書いてくれた。
 手話にすると、
 右手の人差し指で私を指し、その指と左手の人差し指を軽くあわせる。
 それから、胸のあたりで両手をひらき、手の甲をこちらにむけて交互に上下させる。
 
 あなたに 出会えて うれしい
 
 もちろん、私も同じ気持ちだったのでそう書いた。
 詩織は微笑むと、今度は右手の親指と人差し指で額のあたりをつまむようにして、その手を広げて何かを切る仕草をした。
 
 ごめんね。
 
 私は首をかしげた。
 意味はわかったけれど、理由がわからなくて。
 詩織は私から目をそらすと、手にしたボールペンでためらいながらもノートに書いていく。
 沙奈の声がでるようになったら、七駅フレンドはきっとおしまい。
 だから、沙奈の声がでることは嬉しいけれど、ちょっとだけ、でないでほしい気持ちもあるの。と。
 私はそれを読むと、憮然として彼女からボールペンを奪いとり、いつもより乱暴な文字で書いた。
 声がでるようになっても七駅フレンドは終わらない。と。
 私はこの電車に乗って、このノートと覚え始めた手話で話をする。と。
 詩織は私を見て微笑んだ。
 その泣きだしそうな笑顔を見つめながら。
 私は、もうしばらく声がでないままでいいと思った。



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