七駅フレンド

ツチフル

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 椎橋さんの考えでは、こういうことらしい。
 
 私が声をだせなかった原因は、声がだせないことそれ自体に極度の不安や焦りを感じていたから。
 早く声をださないと。周りと同じように話さないと。喋らないと。
 早くしないと、おいていかれてしまう。
 取り残されて、一人になってしまう。
 そうやって焦れば焦るほど心に負担がかかってストレスとなり、ますます声がだせなくなっていったのだろうと。
 説得力がありそうでなさそうな話だったけれど、そう考えることで納得できることはあった。 
 私が不安と焦りの螺旋から抜け出すことができたのは、声がでることを望まなくなったから。
 詩織の本音を聞き、声がだせないままでいることを望んだことで、逆に声をだしたいというストレスから解放されることになった。
 そう考えれば、確かに納得することができた。
 
 私の声が戻っていることに最初に気づいたのは、私自身ではなく母だった。
 いつものように朝食の支度をしている母に、私は寝ぼけた声でおはようと挨拶をしたらしい。
 母は私の声をかき消すほどの歓声をあげると、まだベッドの中にいる姉と父を叩き起こしに飛び出していった。
 四人でひとしきり喜んだあと、父が突然、学校にもさんざん迷惑をかけたのだから家族でお礼を言いに行こうと、いやがる私をむりやり引きずって車に乗り込んだ。
 職員室では担任を始め、習ったことのない先生がたからも拍手でお祝いをされた。
 それだけでも十分恥ずかしかったのに、なんと三人は教室にまでついてきた。
 教室に入り、担任に促されて教壇に立った私は、やっと声がでるようになりましたと、その声でクラスに報告した。
 途端に大きな拍手と歓声があがった。
 誰もが喜んでくれている。
 泣き出す友だちもいた。
 私もつられて泣き出すと、担任は、まるでお前が転校するみたいだなと言って、目元をぬぐった。
 家族は気を利かせたのか、場違いだと気づいたのか、いつのまにかいなくなっていた。
 ちなみに、その日はどの授業でも先生から指名されるという嫌がらせのような祝福を受けた。
 顔をしかめる私を見て、みんなが笑う。
 それはでも、嬉しいことだった。
 放課後になっても教室に残り、私は友だちと話をしていた。
 声がでなくなる前よりお喋りになったと、からかわれながら。


                       ※


 詩織に打ち明けたのは、翌朝のいつもの電車の中だった。
 声がでるようになったことをノートに書いて伝えると、彼女は目を大きく開いて私を見た。
 そして、嬉しそうに。
 本当に嬉しそうな笑顔で、おめでとうと手話で言ってくれた。
 いつか、ちょっとだけ声がでないでほしい気持ちがあると漏らしていた彼女だったけれど、そんなそぶりはまるで感じさせなかった。
 詩織は興奮した顔を私に向けて、試しに喋ってみて とノートに書く。
 耳が聞こえないのにわかるのかなと疑問に思ったけれど、彼女は振動を聞くから大丈夫と、私の喉に手をあてた。
 私は喉に触れる冷たい感触を意識しながら、彼女の名前を呼ぶ。
 
 し・お・り。
 
 私の口の動きで、言葉の意味を理解したらしい。
 詩織は優しく微笑むと、今度はノートいっぱいの文字で おめでとう と言ってくれた。
 私は手話で ありがとう と答えてから、ノートのページをめくり、これからも七駅フレンドは続くからね と書いた。
 彼女はその文字を読むと、目を細めて小さく頷いた。
  

                       ※

 声を取り戻してから、一月ほど過ぎた。
 私の日常にはそれほど大きな変化はなく、今日も、いつもの電車のいつもの車両で、いつものように詩織と並んで座っていた。
 彼女が他愛のない話題をノートに書き込む。
 私はそれに他愛のない返事を書いていく。
 いつもどおりの静かな会話。
 七駅間の友だち。
 七駅フレンド。
 ただ……
 大きな変化はないと言ったけれど、小さな変化はある。
 この頃、私は少し筆談に疲れてきていた。
 声がだせるようになると(当たり前のことだけど)声に頼るようになってしまい、いちいち言いたいことをノートに書くのが面倒になる。
 声がだせなかったときには思いもしなかったことだ。
 だから、ついつい短い言葉ですませてしまう。
 書く文字も雑になる。
 手話で会話をしようにも、私の手話はカタコトなので話が弾まない。
 私の書く文字は日を追うごとに少なくなり、ノートの大部分は詩織の文字で埋まるようになっていった。
 
 
 その日。
 私はいつもの電車に乗らなかった。
 
 寝坊をして間に合わなかったと詩織には言い訳したけれど、それは半分以上、嘘だった。
 寝坊をしたのは、そうするつもりでしたのだから。
 詩織に会わないようにするために。
 

 しばらくして、私は部活に入った。
 バスケットボール部ではなく、ほとんど活動していない文芸部に。
 担任から内申に響くと言われていたことも少しはあったけれど、本音は、朝の通学時間をずらす理由を作るためだった。
 私は詩織に、担任にむりやり運動部に入らされたと嘘をつき、朝練があるから今までのように毎日は一緒に通えないと告げた。
 怒るだろうか。
 泣かれたら困るな。
 嘘がばれたらどうしよう。
 不安と罪悪感におびえる私に詩織は小さく頷くと、ノートに ちょっと残念 と書いて微笑んだ。
 私は申し訳なさよりも、どうにか誤魔化せたことに安堵をおぼえていた。

 朝練があることにしたけれど、本当に乗る電車は始業時間にぎりぎり間に合う、あの混雑電車だった。
 相変わらずの混みぐあいにはうんざりするけれど、今は乗り合わせる友だちがいるのでそれなりに楽しい通学時間になっている。
 詩織と同じ電車に乗ることはほとんどなくなり、いつからか、私はその電車を避けるようになった。
 
 このごろの私は、みんなから明るくなったと言われる。
 よく喋るし、よく笑うし、前よりもずっと話しやすくなった。と。
 それは、なかなか嬉しい評価だった。
 
 
 私は、詩織のことを考えなくなっていた。
 
 
                       
                       
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