愛に抗うまで

白樫 猫

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13話

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来栖が休みに入って3日目になっていた。
あれから、虎太郎は夢を見ることなく眠れるようになった。
たまに来栖に電話をして、仕事の報告をすると、自分の事を心配してくれる言葉に、喜びを感じている自分がいて、くすぐったいような安堵感を感じていた。
あのメールの犯人はまだ分からないが、市原が言うには、来栖ももうすぐ出勤できるとの事だし、仕事の方も市原のフォローのお陰で、順調に進める事が出来ていた。

「あっ、若奈。ちょっと来い」

市原に呼ばれ、虎太郎はすぐ返事をすると、立ち上がりデスクへ向かう。

「この前、来栖と一緒に伊藤食品に挨拶行っただろ?」
「はい」
「向こうの都合で、担当者が変わるんだと。改めて挨拶をしたいと言ってきて、まぁ、それなら会食でも‥って誘いがあったんだが、急で悪いが今日なんだ。‥予定は大丈夫か?」
「‥あっ、はい。大丈夫です。‥でも、僕、会食って初めてなんですけど‥大丈夫でしょうか?」

虎太郎の不安そうな顔に、市原がクスリと笑う。

「ああ、大丈夫。伊藤食品の人達は、そんなお堅い人じゃないから、気楽に行こう。向こうには、俺と若奈で行くと話しておく」
「はい、よろしくお願いします」

就職してお得意様と一緒に食事なんで初めてで緊張もするが、市原の言葉に緊張が少し解け、虎太郎は笑顔に戻った。




終業時間になり、市原は虎太郎を伴ってタクシーで会食先のホテルへと向かう。
今回は、伊藤食品の招待で、ホテルの和食料理の個室を予約してくれているそうだ。
時間より少し前に着くと、すでに担当の村田がロビーで待っていた。
すぐに市原が気が付いて声を掛けた。

「ああ、村田さん。お久しぶりです」

にこやかに握手を交わしている。

「こちらこそ、お久しぶりですね。市原課長。来栖主任に引き継ぐ前ですから‥かれこれ3年振りですかな?」

市原も嬉しそうに頷き、言葉を交わす。

「はい、そうですね。ご無沙汰しておりました。申し訳ありませんが、今回、来栖が出張中でして、私が代わりにお邪魔しました。若奈共々、よろしくお願いします」

市原はそう言いながら虎太郎を手招きし、自分の元へと引き寄せる。

「すみません。うちの社員が遅れてまして、先に部屋に行ってましょう。すぐに来ると思いますから」

そう言って先に歩き出す村田の後ろを、市原と虎太郎がついていく。

「この時期に、移動とは珍しいですね?」
「‥えっ‥ええ、まぁ、弊社でもいろいろとありまして‥‥ははっ‥」

苦笑いしながらそう答える村田は、これ以上聞いてはいけないような雰囲気で、市原と虎太郎は目を合わした。
案内された部屋は、和風の様相ではあったが座敷ではなく、真ん中にはテーブルと椅子が置いてあった。
促されるように腰掛けると、スタッフが飲み物を持ってくる。

「‥もうすぐ来ると思うので、先に始めてましょう。‥何をお飲みになりますか?」

1つ空いた席にチラリと視線を送ると、村田がそう言い、市原と虎太郎がビールをお願いし注いでもらう。
満たされたグラスを持ち上げ、互いに会釈をし飲み干すと、食事を始める。
市原と村田はすぐに仕事の話で盛り上がる。
以前はよく会食があったり、打ち合わせもリモートではなく、実際に会社を行き来していたようで、かなり仲良くしていたみたいだった。
虎太郎も二人の話を聞きながら、楽しく食事を勧めていた。
1時間ほど経った頃に、部屋の入り口をノックする音と同時にスタッフの声がした。

「お連れ様がお見えです」
「ああ、やっと来たか‥」

村田はそう言うと立ち上がる。
ドアが開き、女性スタッフの後ろにスーツを着た男が立っていた。

「遅くなりまして、申し訳ありません‥」

その男はそう言うと、爽やかな笑顔を見せながら部屋へ入ってきた。

「市原課長、若奈さん。紹介します」

村田はそう言って二人の方を振り向いた。
その言葉を聞いて、市原はすぐに立ち上がり、内ポケットから名刺を出すが、隣の虎太郎が立ち上がる気配がない。
ふと市原が視線を送ると、虎太郎の顔は青ざめ驚きの表情を浮かべていた。

「‥若奈‥?‥おい、大丈夫か‥?」

虎太郎は、肩を揺さぶられハッと我に返る。

「‥‥あっ‥‥はい」

そう虎太郎は答えると、何とか立ち上がる。

「初めまして、企画開発の伊藤汰久です。まだまだ若輩者なので、ご指導よろしくお願いします」

伊藤汰久はそう言いながら、市原に名刺を渡してくる。

「営業1課の市原です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「‥っ‥営業1課の若奈虎太郎と申します。‥よろしくお願いします」

ぎこしない挨拶を交わすと、村田が掛ける様に促し、すぐに仕事の話へと変わっていく。
虎太郎は、目の前のにこやかに会話している汰久の顔を見れない。
先程まで、あんなに楽しく会話をしていたのに、今は全く酒の味も料理の味さえもしない。
たまに市原が話を振ってくるが、すべてしどろもどろになり、上の空に返事をしていた。
二度と会いたくなかった汰久を目の前にして、虎太郎は激しく動揺し狼狽えていた。

「‥若奈‥お前大丈夫か‥?」

話の合間で、市原が聞いてきた。

「‥は‥はい、‥すみません‥お手洗いに‥」

虎太郎は席を立ち、部屋を出て行く。

「すみません‥ちょっと酒に酔ってしまったようで‥‥」

ドアが閉まる時、そんな市原の声が聞こえてきた。
虎太郎は、震える足になんとか力を入れ、トイレに真っ直ぐに向かった。

‥‥どうして‥どうして汰久が‥あいつは、違う会社に就職すると言っていたはず‥。
伊藤食品じゃない‥訳が分からない‥。
トイレに入り鏡で自分の顔を見ると、青ざめ唇が震えている。
あの時の記憶が、頭の中に蘇ってくる。
久々に見た汰久は、長かった髪を切りスーツを着こなし大人に見えた。
ただ、虎太郎にはあの笑顔の奥にある、別の顔が見えていた。

――もう、あの部屋には戻りたくない‥。


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