愛に抗うまで

白樫 猫

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48話

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週明けの月曜日、来栖はいつもより早く出勤していた。
今日から虎太郎が復帰してくるのが楽しみで仕方がなく、昨夜は眠れず、朝は早くから目が覚めソワソワと落ち着かない。
オフィスに入ると、すでに望月奏も出勤しており、虎太郎と仲良く話をしていた。
挨拶を交わすと、虎太郎が来栖の元へ駆け寄ってくる。

「おはようございます。来栖主任、今日からまた、よろしくお願いします」

笑顔でそう言われ、来栖の胸がキュンと音を立てた。

「‥うっ‥うん‥」

不意打ちを食らった気分だった。
そんな会話をしていると、次々に営業1課の面々が出勤してきて、虎太郎の周りに集まってくる。
みんなの笑顔で、虎太郎の気持ちも軽くなっていく。
そこに市原が出勤してくると、虎太郎がすぐにデスクに向かい挨拶を交わしていた。

「若奈、少し時間をくれ‥」

市原にそう言われ、虎太郎が返事をすると、二人はオフィスを出て行く。
市原は、いつもの会議室へ虎太郎を連れて行くと、椅子に掛けるように促した。
勧められた椅子に座る前に、虎太郎は市原に深々と頭を下げた。

「市原課長、この度は、沢山ご迷惑をお掛けして、申し訳ございませんでした。‥それと、過分なお力添えをしていただいていたと、鶴木から聞きました。本当に、ありがとうございました」

「頭を上げて、まずは座れ」

虎太郎が市原の言葉通り座ると、ようやく話し出した。

「ひとまず、無事に復帰出来て良かったな」
「‥はい、ありがとうございます」
「それで?‥鶴木聡は、お前の友人なんだな?」
「‥はい、大学時代からの付き合いです」
「そうか、いい友人と持ったな‥」

顎に手を掛け微笑む姿は、いつもの洗練された市原の魅了を余すことなく放っていた。

「‥はい、僕は、みんなに守られてばかりで‥だけど、僕も強くなります。僕も大切な人を守れるくらいに」

虎太郎の決意表明を受け、市原は微笑んだ。

「お前にひとつ教えてやるよ。若奈‥お前は弱くない。しなやかな強さがある。ただの強さだけを求めるな。時には弱さも必要になる。誰かに頼る事も、それは弱さじゃない。誰かを守りたいと思う気持ちが、自分だけのものだと思うな。お前も誰かにとっては、守ってあげたい人なんだと気付け。こんなにも遠回りしたのには、きちんと意味があるんだと、そう思うんだな‥まぁ、ここまでくれば、何も怖いものはないな‥」

市原の言葉が虎太郎の根っこを揺さぶってくる。
強さだけを望んで、誰にも助けを求めず、自分だけが弱いと勘違いしていた。
だけど、それは間違いで自分の事がちゃんと見えていなかったんだと‥。

その後は、業務上の話を進めていく。
郵送した退職願は、市原の方で破棄したと言われ、休みの間は、休職扱いになるそうだ。

「それはそうと、教育係は、今のまま来栖で良いのか?」

市原の問いに、意図があるか分からないが、虎太郎は素直に答える。

「はい、もちろん‥あっ、来栖主任が良ければですが‥」

来栖が自分の教育係を負担に思っていなければいいと‥そう願う。

「クスクスッ‥もちろん来栖は若奈を離さないと思うが‥一応、若奈の気持ちも聞いておかないとな‥」

そう言って微笑まれると、なんだか恥ずかしくなり、虎太郎の頬が赤く染まる。

「そ‥それなら、来栖主任にお願いしたいです」

返事が小さくなるのは仕方がないか‥市原は目の前の可愛らしい部下が、モジモジとしているのをしばらく眺めていた。

「じゃあ、ちょっと待ってろ‥」

市原は壁に掛かっている内線電話を取り上げ、来栖を呼び出した。
しばらくするとノックが聞こえ、来栖が神妙な顔をして入ってくる。

「悪いな‥来栖。そこに座れ」
「‥はい」

言われた通りに虎太郎の隣の椅子に腰かけると、市原の空気がピリッと締まった。

「ふぅ~まぁ、隠す事でもないし‥これからの事を少しな‥まずは、これからも来栖には若奈の指導をお願いする事にする」

その言葉に、来栖が嬉しそうにペコリと頭を下げる。

「それでだ‥お前の担当だった、伊藤食品だが‥先日、村田さんから連絡が入った」

伊藤食品の話になり、虎太郎は俯き拳を握り締めたが、すぐに市原を正面から見るように顔を上げた。

「‥もう心配ないな‥」

虎太郎の視線に、市原は口角を上げ小さく笑う。

「はい。もう僕は大丈夫です」

決意が滲み出ている虎太郎に、市原が小さく頷くと言葉を続けた。

「じゃあ続ける。伊藤食品の担当は、以前の村田さんと鈴木さんに戻るそうだ」

緊張していた来栖の身体がホッとするように緩んだ。

「それで、伊藤汰久だが、あいつはアメリカの支社に移動になったそうだ。担当が何度も変更になり、申し訳ないと村田さんが言っていた。そして、昨日、伊藤汰久の父親から俺に連絡が来た。今回の件での謝罪と、もう二度と若奈には近づかないようにする事。それで手を打とうと思う。特に来栖には、不本意な手打ちになると思うが‥どうだ?」

来栖はずっと考えていた。
あいつだけは許せないと‥だが、あの時、虎太郎の居場所が分からないと項垂れている姿を見て、気が変わった、自分が伊藤汰久に罰を与えなくても、あいつは今までの事を悔やみ後悔するだろうと、どこかで感じ、来栖の中にあった憎悪が少しだけ解けたような気がしたのだ。
自分はそう思っていたが、若奈はどう思うのだろうと、改めて隣に目を向けた。

「僕は‥それで大丈夫です。こんな状況になったのも、あいつがここまで僕に執着していたのも、全部が全部あいつの責任だと思っていません。僕にも、責任はあると感じていますので‥」

ハッキリと自分の意思を口にする虎太郎の瞳からは、まったく迷いが見えなかった。

「俺も、大丈夫です。これ以上、事を大きくしても何のメリットもありませんから」

二人の意見が出たところで、市原が答えを出す。

「そうか、分かった。では、俺の方から、そう伝えておく。必ず約束は守ってもらうからな」

いつしか市原の顔にも笑顔が戻っており、これですべてが片付いたと実感した。

「最後まで、ありがとうございます。市原課長」

来栖がそう口にすると、一緒になって虎太郎も頭を下げた。

「まぁ、いいって‥可愛い部下の為となれば、俺だって戦わないとな‥」

頼もしい言葉を残し、市原は会議室を出て行った。
二人になった会議室で、虎太郎は来栖に向き直る。

「来栖主任‥いろいろ、ありがとうございました。そして、これからも、よろしくお願いします」

目元に涙は浮かんではいるが、真っ直ぐと来栖を見る瞳は、嬉しそうにに笑っていた。

「おう、俺の方こそ、よろしくな」
 
そう言って、虎太郎に向けた来栖の笑顔もまた格別に嬉しそうで、二人は大きな障害を乗り越えた喜びに溢れていた。

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