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第1章

65 ちょっとした違和感 ※後半咲視点

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 帝都の冬はそこそこ寒い。冬の気温はマイナスになるほどではないが、マイナスにならないだけで吐く息は白い。年に三回前後は雪だって降る。

 そんな寒い冬、東京から帝都に戻ってきてからしばらく経った日、週末でメイル学園は休みなため、朝から死神業に精を出していた。街の中を歩き回るため、外気温は寒くても体温は温かい。今日は朝から死神業が好調で、昼過ぎの時点ですでに二人の魂を回収し終えていた。

 そして現在――。

「あんにゃろう! 足が早ぇな!」

 咲の悪態にもっともだと頷きつつ、私は返事のために声を出す力がないほど息が上がっている。
 男性の体を持つ本日三人目の死者の魂を見つけ、「魂を回収します」という話をした後、男は逃げた。その男を全員で追っている最中である。

 この逃走劇、すでに二十分ほど経過し、私を気遣いながら走っていた咲が足のスピードを上げた。手には警棒を持っている。咲に「やりすぎ注意!」と叫びたいところだけれど、その声も私からは出す元気がない。

 橋に差し掛かり、咲が男までの距離を短くしていたところで、男は後ろを振り返ってギョッとした顔をした。そして、急に橋の上から飛び降りたのである。

「なっ!」
「う、嘘でしょ」

 咲が橋の下を覗いていて、やっと追いついた私も橋の下を覗く。下は川になっていて、すでに男の姿はない。

「男は?」
「川下だろう」

 咲が橋の上の道路の反対側に走った。私もそれに付いて行く。その時私と咲とは違う道から男を追っていたジークが追いついてきた。ジークの双子の弟妹は今頃ラーメン店で店番中のため、ここにはいないのだ。

「いた?」
「いた。あそこ、見てみろよ」

 川下の方に流れていく人が見える。よく見ると男は意識もあるようで泳いでいた。ここまで来て逃がすわけにはいかないと、私も橋の手摺に足をかけようとしたところで、咲に止められた。

「バカ! 紗彩まで飛び込んでどうする!」
「え!? でも今ならまだ間に合う――」
「間に合うとかの問題じゃない。泳げないだろう、紗彩は」
「し、失礼な! 息継ぎが苦手なだけで、泳げます!」
「溺れているようにしか見えない息継ぎをしながら、あの男に追いつけるとでも?」
「え゛……」

 咲の横でジークまで頷いている。私の息継ぎって、そんなにヒドイの?

「ああー……男が遠ざかっていく」
「仕方ないだろう。今日は諦めよう」

 そんな愚痴を咲に言っていたところ、横から女性がにゅっと顔を出した。

「飛び降りされるおつもりですか? 今日の川に落ちたら、間違いなく風邪をひきますよ」

 そこにいたのは、私の知っている人だった。化粧品店で売る化粧品のガラスのボトルを製造してくれる会社の、代表の妹でリチルという。リチルは我が家の担当で打ち合わせを一緒にすることが多い。平民だが、我が家の化粧品ボトルの製造を担っていることもあり、懐は潤っているはずだ。

「リチルさん。いいえ、飛び降りませんので大丈夫です」
「…………その声は、サーヤさまですか?」

 は、しまった。よく考えたら、私の今の恰好は死神業用である。リチルと会う時は、『モップ令嬢』の顔の見えない姿であり、今のように前下がりのボブのウィッグでたれ目化粧ではないのである。つまり、リチルとは会ったことがないはずの姿で、リチルの名前を呼んでしまった。

「いえ、違います!」

 動揺して、思いっきり否を叫んでしまったが、逆に怪しかったかもしれない。リチルは驚いたように目を瞬かせたが、苦笑した。

「そうなんですね。とにかく、飛び降りするわけではないようなので、安心しました」

 それからリチルは会釈だけして、去っていく。

「ば、バレたかな!? 私だってこと、リチルさんにバレてると思う!?」
「怪しんでるだろうな」
「あああ、やってしまった……」
「紗彩、眠いんだろう。判断力が鈍くなってる。今日二人回収してんだから、疲れてるんだろ」

 確かに、魂を二人回収しているから、とても眠い。しかも、その上で逃走劇があって、ずいぶん走らされたから、体力は限界かもしれない。

「だいたい、階段は苦手なくせに、こういう高い場所は平気なのか?」
「うん、階段じゃなければ平気みたい。東京の家のビルも高いけど、窓側に寄ることもできるよ」

 橋から川を覗くとかなり高いけれど、階段のように怖いとは思わない。私もそれに疑問はあるけれど、高所恐怖症というわけではないのだ。階段だと落ちる自分を想像してしまって、足はすくむし、ひどいときは動悸もするけれど、最近はリハビリの影響で手摺さえあれば階段も問題ない。

 咲が後ろを向いた。

「とにかく、今日は帰ろう。背負ってやるから、もう寝ろ」
「……ありがとう」

 咲の背中にぴょんと乗ると、その拍子に咲が私の足の膝裏を支えた。死神業をしていると、ときどきこうして眠くなるので、そのたびに咲が背負ってくれるから、咲ももう慣れたものだ。

 やはり、二人の魂を回収した後の逃走劇はツライわ、と思いながら、咲の背中で目を瞑るとすぐに私は寝入った。

◆ 以下、咲視点

「寝たか?」
「寝てます」

 ジークが紗彩を覗きながら、そう返事する。そしてジークは咲の隣へ移動して横に並びながら歩く。

「さっきのリチルさん、違和感ありませんでしたか?」
「ジークも分かるか」

 知っている人に知らない人として話しかけられる確率は、どれくらいあるのか。偶然と言われれば頷くしかない。紗彩以外が相手なら、偶然で問題ない。しかし、紗彩と一緒に行動していると、違和感を覚えることが時々起こる。紗彩はそれに気づいていないし、紗彩に対する妨害ではないようだから様子見しているのだが。

「ユリウスさまに報告しますか?」
「一応な。リチルとの今度の打ち合わせは、ユリウスに同行してもらうよう言った方がいいかもな」

 違和感に関しては、紗彩ではなくユリウスへの報告事項となっている。紗彩自身は自分のことを顧みない傾向があるため、姉に対し過保護な弟に報告するほうが、行動としては合っているのだ。上司、つまり紗彩に対する報連相ができていないことにはなるが、そこはユリウスと暗黙の了解として示し合わせているので問題はない。

 眠る紗彩を背負ったまま、咲はウィザー家に帰宅した。
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